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オブシディオン  作者: 空飛ぶワイン
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第191話 こちら岸の戦い

「下流で渡り始めました!」


伝令の声が、ポルフィラの声と重なった。

ロデリクの旗の前へ駆け寄る。着地したオブシディオンの翼が、まだ背後で砂を巻いていた。

「後ろにも兵がいます。林から、次々に出てきます」


ロデリクは下流へ出す隊の指揮官を呼んだ。

「岸を守る隊へ加われ。押されたら町へ下がる。道を塞ぐな、怪我人を先に通せ!」


別の伝令が、北からの道を駆けてきた。

「インディルの先遣隊が、こちらの領内へ入りました! リゼリア様はシルヴァで先行されています」


ロデリクが顔を上げた。

「先遣隊を上流へ案内しろ。途中で見張りの報告を受け取れるよう、兵をつける」


ポルフィラは北の空を見た。

リゼリアも来る。

その名を聞いて、肩に入り続けていた力が少し抜けた。


指揮官が馬を返したとき、ソレインが草地へ降りた。

アドリアンは鞍から下りるなり、上流の方を指した。

「上でも舟を出している。弓で岸の兵を狙い、渡ろうとしている」


「上流の隊へ戻ってくれ。退かなければならなくなったら、すぐに知らせろ」


アドリアンがうなずいた。

ポルフィラと目が合う。

「味方と敵が混じった所へは、下りないでくれ」


「はい。そちらも気をつけて!」


ソレインが飛び立つと、その上空を灰色の天馬が横切った。

シルヴァだった。

着地した背から、リゼリアが下りてくる。

ポルフィラは駆け寄りかけ、足を止めた。川へ戻らなければならない。


「リゼリアさん!」


「上流で渡ってきていると、見張りから聞いたわ」

リゼリアはロデリクへ向き直った。

「テオバルト様から、先遣隊との同行を任されています。国境を越えたのを確かめて、私だけ先に来ました」


「その隊も上へ向かわせる。アドリアンが先に戻った。彼と岸の兵を支えてくれ」


リゼリアはうなずき、すぐに鞍へ戻った。

「ポルフィラは、下流ね」


「はい」


「見たことは、ここへ戻って伝えて。私もそうするわ」


目が合った。

ゆっくり話したいことはあった。けれど今は、互いの行き先を確かめるだけでよかった。

ポルフィラはオブシディオンへ走った。

下流へ向かう馬の蹄が、道を激しく叩いている。


*


王兵の盾が、水からせり上がった。

肩まで濡れた男が河原へ膝をつき、すぐに立つ。その横へ、次の男が駆け上がってくる。


「射ろ!」

土手の上で、アズレインの弓兵が弦を放した。

王兵が一人倒れる。後ろの者は盾を顔の前へ上げ、その脇を走り抜けた。


弓兵に加わっていた竜の民の舟乗りは、次の矢をつがえた。

狙いの先に、人の顔がある。

引いた指が、弦から離れない。

王兵が顔を上げた。

こちらを見た。

舟乗りは息を詰め、矢を放した。

盾へ突き立つ音。だが、敵の足は止まらなかった。


「弓は下がれ! 槍を前へ!」

天馬の民の兵に腕を引かれ、舟乗りは後ろへよろめいた。

その前を盾の列が塞ぐ。砦で一緒に訓練してきた若い竜の民も、古参兵の隣へ盾を寄せた。

「踏ん張れ。押されても、俺の横を離れるな!」


返事をする間もなかった。

土手を駆け上がった王兵が、盾ごとぶつかってきた。

若者の肘が胸へめり込む。

息が詰まった。足が泥を滑る。

もう一歩下がれば、隣の盾との間が開く。

歯を食いしばり、踵を地面へ押し込んだ。


*


ポルフィラが下流へ戻ったとき、味方の旗の下に王兵が入り込んでいた。

土手の上で盾がぶつかり、槍が何本も突き出されている。倒れた人を、後ろから伸びた手が引きずっていた。


あそこへ火は吐けない。

〈向こう岸へ。まだ渡っていない兵を止めて!〉


オブシディオンの体が傾いた。

ポルフィラは角へしがみつき、首の内側へ身を寄せる。水面が斜めに迫り、すぐ足元を流れ去った。


対岸の王兵が散り始めた。

林から河原へ出ていた増援の隊は、まだ逃げられずにいる。前の兵が戻ろうとして、後ろから来る兵とぶつかった。

その列の先へ、オブシディオンが降りた。

後脚が砂利をえぐった。

石が盾へ弾け、王兵が顔を覆う。竜の腹の下へ入りかけた男が、槍を捨てて転がった。


「林へ戻れ! 散れ!」

叫ぶ指揮官の横を、逃げる兵が押し抜ける。

それでも、川へ向かって走る者がいた。あちら岸で戦う味方へ加わろうとしていた。

ポルフィラは、その隊を見た。

今渡られたら、土手の兵が挟まれる。

〈あの隊を止めて!〉


首の下から、低い音が響いた。

次の瞬間、黒い炎が河原を横切り水蒸気が噴き上がる。


先頭の盾を持った兵達は、その炎の中に消えた。

炎の熱を浴びた人が倒れ、後ろの兵がつまずく。肩を貸そうとした男が、熱さに腕を引き戻した。

叫び声が、炎の音を突き抜けた。


ポルフィラの喉が縮んだ。

角を握る手が震える。

目を逸らせば、楽になる気がした。けれど、自分が焼けと頼んだ相手だった。

炎が途切れた。

川へ走っていた列は消え去り、列があった場所に横たわった黒い塊から煙が立ち昇っていた。

動ける王兵は林へ逃げ込み、河原には、焦げた盾と人が残された。


オブシディオンが吠えた。

水の中まで進んでいた王兵が振り向き、慌てて対岸へ戻り始めた。


*


アズレイン側の土手で、王兵の槍が若い竜の民の頬を切った。

熱い。

若者は顔を背け、盾を引きかけた。


「前を見ろ!」

古参兵の肩がぶつかってきた。

押し戻された盾へ、王兵の剣が突っ込まれる。

刃先が首へ向いた。

古参兵が槍で敵の腕を突いた。

剣が落ちる。

若者は盾を押し返した。相手が顔を歪め、土手の下へ一歩よろめいた。


助かった。


そう思ったとき、隣で短い呻きが上がった。

古参兵の体が折れる。

別の王兵の槍が、その脇腹へ刺さっていた。

敵が槍を引き抜いた。

古参兵が、若者へ崩れかかる。

盾を支えていた腕へ重みが乗り、二人とも膝をついた。

目の前へ、王兵の盾が迫った。


「そこを埋めろ!」

アズレインの隊長の声が飛ぶ。

後ろから来た二人が盾を押し出し、若者たちの前へ入り助けた。


若者は倒れた男の腕を、自分の肩へ引いた。

立たせようとしても、足がついてこない。

古参兵の口から、苦しげな息が漏れた。

「誰か、手を!」


舟乗りが駆け寄った。

反対の腕をつかみ、二人で後ろへ引きずる。土に残された古参兵の槍を、仲間の足が踏んだ。


列を離れると、若者は男の体を下ろした。

脇腹が赤く濡れている。自分の手で押さえても、血が止まらない。


「布を当てろ! 手を離すな!」

舟乗りが上着を丸めて押しつけた。

若者はその上へ両手を重ねた。

朝には、自分の盾の紐を直していた手が、今は土の上で小さく震えている。

「聞こえるか。町へ運ぶ。だから……」


古参兵は目を開けようとした。

若者の顔へ、視線が合わなかった。


*


上流の舟が、アズレインの岸へ迫っていた。

先頭の王兵が立ち、岸を守る兵へ槍を向ける。二艘目も、そのすぐ後ろから来ていた。

アドリアンはソレインを川の上流側へ回した。

アズレイン兵は岸にいる。横から舟を打てば、味方へ風を当てずに済む。

〈ソレイン、舟を止めろ!〉


明るい灰色の翼が、大きく開いた。

突風が舟の横腹を叩いた。

舷側の板が、甲高い音を立てて裂ける。立っていた王兵が空へ投げ出され、後ろの舟へ背中から落ちた。

下敷きになった男の頭が、縁へ激突した。

二艘がぶつかった。

水が一気に入り、兵が押し合う。傾いた舟へしがみつく者の上に、盾も槍も降ってきた。


「手を出せ、早く!」

川に落ちた男へ腕を伸ばした。

その手を掴もうとした瞬間、舟が裏返った。

指が水へ消える。船底へ叩きつけられた男の、力の抜けた体が流れに引かれていった。


アドリアンの腹が強張った。

目の前で、人を殺した。

それでも、まだ別の舟が渡ろうとしている。

〈次もだ。岸へ着かせるな!〉


ソレインが首を巡らせた。

舟の漕ぎ手が、迫る翼を見上げる。

そのとき、岸から矢が来た。


〈上へ!〉


ソレインが身を起こした。

鞍が跳ね上がり、アドリアンの腰が浮く。手綱を引き寄せた頬の横を、矢が抜けた。

岸の木立で、次の矢をつがえる王兵が見えた。


アドリアンは首へ伏せた。

ソレインが高度を上げる。その腹の下で、矢が翼の羽根をかすめた。


岸の味方も下がっていた。

先に上陸した王兵が、逃げ遅れた兵へ剣を振り上げる。

灰色の巨体が、その間へ下りた。

シルヴァだった。

前脚が、王兵の盾を上から打った。

木が割れ、盾を持っていた男が地面へ叩き伏せられる。胸を踏まれた体は、声を上げることもなく動かなくなった。

リゼリアは鞍の上で踏ん張った。

シルヴァの向こうに、助けられたアズレイン兵が尻餅をついている。

「土手の上へ! 早く!」


王兵の槍が、彼女へ向いた。

シルヴァは後脚で地面を蹴り、前へ出た槍を折った。

突いた男が逃げようとする。その肩へ天馬の胸がぶつかり、男は仲間を巻き込んで倒れた。

シルヴァは数歩で河原を駆け抜けた。

リゼリアは体を低くし、土手を上る味方を確かめる。

最後の兵が、上から伸ばされた手に引き上げられた。

もう、河原にいるのは王兵だけだった。


〈シルヴァ、川へ向けて!〉


シルヴァが土手を背にし、翼を振り下ろした。

砂利が飛んだ。

王兵が盾を構えたが、風は盾ごと男を持ち上げた。後ろの兵へ体が叩きつけられ、隊列が折り重なって崩れる。

一人が、露出した岩へ頭を打った。

別の男は岸を滑り落ち、裏返った舟へ激突した。這い上がろうとする腕が水を掻き、そのまま動かなくなる。

立ち上がれた者も、槍を拾おうとはしなかった。血に濡れた腕を抱え、木立へ逃げ込んでいく。


リゼリアは、岩のそばに倒れた男を見た。

顔がこちらを向いていた。

目を開けたまま、瞬きもしなかった。

喉へ、吐き気がせり上がった。

〈飛んで!〉


シルヴァが翼を広げた。

木立から矢が飛ぶ。後脚が地面を離れた直後、その下の砂利へ何本も突き立った。


上空へ抜けると、アドリアンがソレインを寄せてきた。

「怪我は!」


「ないわ!」

リゼリアは返事をし、手綱を握り直した。

さっきの男の顔が、まだ目の前にあった。

「岸にいた味方は、上へ戻れた。王兵は林へ入ったわ」


「こちらも舟を二艘潰した。だが、まだ向こう岸に残っている」


二人は、並んだまま川を見下ろした。

砕けた舟の周りに、人の体が流れている。

その向こうで、王軍の旗はまだ動いていた。


「私が舟を見る。岸の弓兵へは近づかないでくれ」


「分かった。私は味方の列を確かめる」

リゼリアはシルヴァの首へ手を置き、進路を変えた。

土手の上では、アズレインの兵が盾を立て直していた。

*


「下流の列が押されています!」


ロデリクの前で、伝令が馬を止めた。

続けて、上流からも報告が届く。ソレインが舟を砕き、シルヴァが河原の王兵を打ち倒した。味方は土手の上へ戻れたが、王兵の一部は木立へ入り込み、弓で狙っている。


ロデリクは、残していた予備の隊へ向き直った。

「下流へ進め! 傷ついた者を下げて、代わりに岸を守れ!」


旗を持つ兵が走った。

天馬の民と竜の民の兵が、その後へ続く。


入れ違いに、負傷者の荷車が戻ってきた。

道の石を越えた拍子に、荷台が跳ねる。寝かされた兵が呻き、そばを走る若い竜の民が、傷へ当てた布を押さえ直した。


ロデリクは馬を寄せた。

血に濡れた若者の腕と、荷台に横たわる天馬の民の兵を見る。

「町へ通せ! 道を空けろ!」


若者は顔を上げなかった。

荷車が進むたび、血で汚れた手も揺れた。それでも傷口から手を離そうとはしなかった。


*


ポルフィラが川を越えて戻ると、味方の列へ新しい隊が入るところだった。

予備の兵が、傷ついた兵の前へ盾を差し入れる。

退く者と前へ出る者がぶつかり、隊列の間に穴が開く。


王兵達がそこへ走った。


〈下りて! 土手より川下の、石が見える所!〉


オブシディオンが体を立てた。

ポルフィラの体が後ろへ引っ張られる。角の根元へ腕を回すのと、後脚が河原を踏むのが重なった。

竜の顔が、上流側の土手にいる王兵達へ向いた。

開いた顎の奥が見えたのだろう。駆け込もうとした兵が急に止まり、後ろの者がその背へぶつかった。

オブシディオンが、歯を剥いて吠えた。

ポルフィラまで、肩をすくめた。

王兵達が盾を持ち上げる。その隙に、アズレインの兵が隊列の穴を塞いだ。

負傷者が後ろへ引き出される。


一人だけ、まだ土手の下にいた。

立ち上がろうとするたび、片脚が折れて膝をつく。

戻った二人が男の腕を肩へ掛け、引き上げようとした。


もう少し。

その人を、置いていかないで。


ポルフィラは角を握り、男の足が土を離れるのを待った。


*


対岸の林で、選抜弓兵の隊長が、竜の姿を枝越しに追っていた。

普通の弓を持つ前衛とは違う。ここにいる兵は、新しい強い弓を抱えている。木々の間には何列もの弓兵が伏せ、その奥の隊も合図を待っている。


「今なら、地面にいます」

部下が囁いた。


隊長はその腕を押さえる。

「まだ待て。首を動かしている。今、川岸へ出れば見つかる」


川向こうで、竜が首を動かした。

背の娘は、逃げる兵を見ている。

片腕を角へ回し、身を乗り出しかけていた。


隊長は下流へ顎を向けた。

そこなら、竜の斜め後ろへ出られる。

「弓を低く持て。木の間から出るな。前の者に続け」


兵たちが身を屈めた。

弦を枝へ引っ掛けないよう押さえ、列が林の中を動き出した。


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