第188話 同じ砦を守る
アズレインから王領へ通じる街道に、小さな砦があった。
見張り台からは街道と川岸を見渡せる。だが、裏手の丘へ入る道は、木々に隠れていた。
ポルフィラはオブシディオンの背で、その丘を回った。
地図に書き込まれた道と、眼下に見える道を見比べる。人が一列で歩けるほどの細道が、木立の間から砦の裏へ続いていた。
〈もう少し、川の方へ回って〉
翼が傾き、体が横へ引かれる。
ポルフィラは角を握り、内側へ身を寄せた。以前より早く姿勢を直せたが、木の枝が急速に近づいてくると、まだ肩に力が入った。
細道の入口には、倒れた木を渡した柵があった。
その脇に、見張りの兵が二人いる。
砦から離れた草地へ下りると、アズレインの守備隊長が馬で迎えに来た。
ロデリクから、見張りの配置を見直すよう命じられていた男だった。
「裏の道にも、兵を置いているんですね」
「昨夜からです。この道を知っている兵が、王都へ抜けました」
隊長は丘へ目を向けた。
「街道だけを見ていれば、裏へ回られる。夜の見張りも増やしましたが、休ませる者が足りません」
ポルフィラは砦へ続く道を見た。
門の前に、人々が並んでいた。槍を持つ者も、まだ荷物しか持っていない者もいる。
「今日、来た人たちですか」
「ええ。ロデリク様の募りに応じた、竜の民です」
*
門の内では、アズレイン家の係が志願者の名を確かめていた。
務める期間と手当を伝え、病気や怪我がないかを尋ねる。初めて武器を持つ者には、まず訓練を受けるよう告げていた。
「川の舟は扱える。槍は、漁で使うものしか持ったことがない」
竜の民の男が答えた。
係はその男を、川岸の見張りを担う兵へ紹介した。
「この辺りの流れは分かるか」
天馬の民の兵が尋ねる。
「川下で仕事をしていた。向こう岸へ渡れる所も知ってる」
「あとで教えてくれ。今は、武器と合図の説明を先に聞いてほしい」
その隣で、若い志願者が盾を受け取った。
腕を通して立ち上がると、縁が膝へ当たる。持ち直す間に、横の槍へぶつかりかけた。
「気をつけろ!」
天馬の民の兵が槍を引いた。
若者は慌てて謝り、盾を胸へ抱えた。
「そんな持ち方じゃ、隣の者が動けん」
若者の顔が強張った。
兵は盾を指した。
「腕を貸せ。ここを締める」
革紐を直し、立つ場所を少しずらさせる。
「一緒に見張りへ出るんだ。俺が槍を出す場所は空けてくれ」
若者はうなずき、今度は盾を体の前へ構えた。
兵が隣に立ち、槍を前へ出す。二人の間を、穂先が触れずに通った。
ポルフィラは、少し離れたところから見ていた。
竜の民と並びたくないと、王都へ向かった兵がいる。
ここに残り、竜の民に戦い方を教える兵もいた。
守備隊長が、詰所の前へ志願者を集めた。
「武器を持ったことのない者を、いきなり王兵と戦わせるつもりはない。今日は砦の中で訓練する。見張りに出る者にも、経験のある兵をつける」
並んでいた竜の民の男が、顔を上げた。
「王兵が来たら、俺たちも戦うんだな」
「ここを守る兵になれば、そうなる」
隊長は男を見た。
「危ない仕事だ。今なら、やめると言っても構わない」
男は門の外へ目を向けた。
川下には、人々が暮らす村がある。
「働いても、元の村へ戻される。家族と逃げれば、捕まえられる。そんな暮らしへ戻りたくない」
隣の者もうなずいた。
隊長は一人ずつ顔を確かめ、訓練を始めるよう部下へ命じた。
*
砦へ食料を運んできた荷車が、門をくぐった。
荷を受け取る係が品を数え、代金を確かめている。
見張りに出た兵が戻ってくると、炊事場の前へ列ができた。天馬の民の兵の後ろへ、竜の民の志願者も並ぶ。
列を分けろと言う者はいなかった。
けれど、前の兵と少し間を空けて立つ姿に、ポルフィラは気づいた。
並んでよいと分かっても、すぐには近づけない。その距離を、今は誰も急いで詰めさせなかった。
砦を出る前、彼女は城から持ってきた手紙をもう一度開いた。
ミレアが伝えたいことを、リナが書いた手紙だった。
ドランは避難先で修理の仕事をしている。
トーマは荷を運び、ガルは訓練を始めた。
リナからは、会いたいとあった。
畑や家の前で、いつものように集まる姿を思い浮かべた。
皆、そこにとどまっているのだと、どこかで思っていた。
でも離れている間に、友達も自分で生き方を選び動き始めていた。
詰所の机を借り、返事を書いた。
手紙をありがとう。私も会いたい。
今日は、竜の民が守備に加わる砦へ来ています。ガルと同じように、訓練を始めた人たちがいます。
父さんが直した荷車も、どこかへ荷を運んでいるんだね。
そこまで書き、筆を止めた。
帰れる日を約束したかった。
けれど、まだ分からない。
体には気をつけて。私も気をつけます。
戻れそうなときには、知らせます。
畳んだ手紙を、城へ帰る伝令へ託した。
*
ヴィオレスタでは、リュシエンヌが王家の使者と向かい合っていた。
傍らには、村へ送った自家の部隊の隊長が立っている。
「陛下の募りに応じた者を、捕らえておられると聞きました」
王家の使者が言った。
「村で食料を奪い、止めた者を殴ったので捕らえました」
リュシエンヌは隊長へ目を向けた。
隊長は、持ってきた帳面を開いた。
「竜の民の家から麦の袋を運び出していました。家の者が止めると、棒で殴っています。我々が着いたときも、袋を返そうとしませんでした」
使者は隊長を見ず、リュシエンヌへ話し続けた。
「彼らは王軍へ向かう者です。食料も、そのために求めたのでしょう」
「求めたのではありません。奪ったのです」
使者の口が閉じた。
リュシエンヌは卓上へ手を置き、使者を睨みつけた。
「私の許しで集めた兵でも、同じことをすれば捕らえます。王へ従うと言った者だけ、見逃すわけにはいきません」
「では、釈放はなさらないと」
「したことを調べ、罰を決めます。王都へ行くという理由で捕らえたわけではないわ」
使者は文をしまった。
退出する足音が遠ざかると、リュシエンヌは椅子へ深く腰を下ろした。
王へ逆らうつもりはないと、何度も伝えてきた。
それでも、自領の村を守るための命令が、王との争いになろうとしている。
「村の怪我人は」
隊長へ尋ねた。
「医師に診せました。今は家へ戻っております」
「袋も、返したのね」
「はい」
彼女はうなずいた。
「兵はまだ戻さないで。捕らえた者の仲間が、村へ押しかけるかもしれない」
*
日が傾き始めたころ、川を見張っていたアズレイン兵が、砦へ戻ってきた。
ポルフィラは、オブシディオンのいる草地へ向かいかけた足を止めた。
兵は守備隊長の前で敬礼した。
「川向こうの浅瀬に、王兵が来ています。王の旗も見えました」
隊長は地図を開いた。
「こちらへ渡ってきたのか」
「数人が水へ入りましたが、まだ向こう岸の近くです。ほかの者は岸に残っています」
兵が指したのは、砦の裏の丘へ続く細道の対岸だった。
「人数は」
「木々に隠れていて、全体は見えませんでした。岸を指さしている者がいました」
隊長は地図へ目を戻した。
「渡れる場所を調べに来たのかもしれん。だが、後ろに部隊がいるかどうかは、ここからでは分からないな」
昼に入隊した、舟を扱う竜の民の男が近づいた。
「今は水が浅い。あそこなら、歩いて渡れる」
「こちらへ上がったあと、丘へ入る道もあるな」
「ああ。川下の村へ行くときに使っていた」
隊長は部下へ向き直った。
「裏道の見張りへ知らせろ。砦の外で作業している者も、いったん中へ戻す。相手が渡るまでは、こちらから手を出すな」
兵が走り出した。
ポルフィラは地図の川を見つめた。
朝、空から見たときには、対岸に兵はいなかった。
「上から、人数と動きを確かめてきます。見たら、ここへ戻って伝えます」
隊長は彼女を見た。
「お願いします。ただし、確かめるだけにしてください。何をしに来た部隊か、まだ分かりません」
ポルフィラはうなずき、草地へ急いだ。
〈川向こうに王の兵がいるんだって。どれくらいいるか、上から見たい〉
オブシディオンが頭を下げた。
角をつかみ、鱗へ足を掛ける。首のくぼみへ座ると、砦の裏道へ走っていく兵が見えた。
〈戦いになるのか〉
〈まだ分からない。見たら、戻ってこよう〉
翼が広がった。
ポルフィラは身を低くし、地面が遠ざかるのを見た。
砦の外にいた人々が、道具を抱えて門の内へ戻っている。
オブシディオンは丘を越え、川へ向かった。
向こう岸の木立の間で、小さな旗が風に動いていた。




