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オブシディオン  作者: 空飛ぶワイン
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185/233

第185話 王の名で

川岸で荷を下ろしていた男たちが、空を見上げた。

黒い竜が、川に沿って飛んでくる。男の一人が荷物を置き、船の陰へ駆け込んだ。


ポルフィラはオブシディオンの角を握っていた。

岸にいる人々が見えてくると、竜は川から離れた。城外の草地へ回り、翼を広げて速度を落とす。

後脚が地面を踏んだ。

ポルフィラは体の揺れが収まるのを待ち、首の鱗へ足を置いた。角をつかみながら下りると、張り詰めていた脚から力が抜けた。


〈疲れたか〉


〈少し。でも、大丈夫〉


城の門から、ロデリクとアズレイン家の家臣が出てきた。

家臣は竜のそばを通るとき、足を止めかけた。オブシディオンが頭を草地へ下ろしたのを見て、ようやく歩き出す。


「戻ったか。アドリアンはどうしている」

ロデリクが尋ねた。


「城に残っています。ほかにも捕まっている人がいないか、調べるそうです」


「そうか。二人で話す時間は取れたか」


ポルフィラはうなずいた。

「お父さんのことを話しました。これからも一緒にやっていこうと、言ってくれました」

口にすると、握り返された手の感触を思い出した。


ロデリクの表情が少し和らぐ。

「こちらでも、今後のことを相談したい。中へ入ろう」


ポルフィラはオブシディオンを振り返った。

竜は伏せたまま、彼女が門をくぐるのを見ていた。


*


部屋に入ると、ロデリクは机の報告書を開いた。

アウレリスへ派遣した、アズレイン部隊の隊長から届いたものだった。

「今は、私の兵がアドリアンを助けて城や町を守っている。だが、いつまでも全員を残してはおけない。こちらの港や町を守る兵も必要だ」


ポルフィラは椅子へ座った。

人々を助け出し、フェリクスも城を出た。ひとまず終わったつもりでいたが、王がアドリアンを認めたわけではなかった。

「王の兵が、また来るかもしれないんですね」


「ああ。フェリクスが王へ助けを求めるだろう。その前に、アドリアン自身が領地を守れるようにしたい」

ロデリクは、もう一通の報告書を手元へ引き寄せた。

「アドリアンは、アウレリス家の兵に城や町を守らせるつもりだ。ただし、誰を任務に戻すかは調べてから決めると言っている」


「倉にいた兵も、ですか?」

思わず声が硬くなった。

閉じ込められた人へ向けられていた剣が、目に浮かぶ。


「住民を殺した兵や、逃げた者の家族を捕まえた兵を、そのまま見回りに出すことはしない。何をしたか調べ、罪を問う必要がある」


ポルフィラは少し息を吐いた。


ロデリクは報告書を置き、続けた。

「一方で、ユリウスの命令に従わず、兵を辞めた者もいるそうだ。そうした者にも戻ってもらえないか、アドリアンが確かめている」


「アウレリスの兵だからといって、皆が同じことをしたわけではないんですね」


「ああ。私の隊長にも調査を手伝わせる。守りを任せられるようになってから、こちらの兵を少しずつ戻す」


ポルフィラは膝の上で手を重ねた。

アドリアンはこれから、父に仕えていた人々と話し、自分を支える兵を集めなくてはならない。

城に残ると言った意味が、ようやく分かってきた。


「ほかの領地の守りも、見直したい」

ロデリクは、クラウスたち三家へ送る文を見せた。

「今までは、それぞれが自分の領地を守ってきた。これからは、王軍が動いたらすぐに知らせ合い、近くの領地から援軍を送れるようにする」


「オブシディオンがいない場所も、守れるようにですか」


「そうだ。竜が来るまで待っていたら、間に合わない場所がある」


ポルフィラの指が止まった。

矢に倒れた人のそばへ、次の矢が飛んでくる。助けようとしても近づけなかった、あの光景が浮かんだ。

「襲われたと聞いたら、私は行きたいです」


「分かっている。だが、君たちが着く前に避難できる場所を作りたい。道を見張る兵を置き、近くの砦や町へ人を逃がす。そのための相談だ」


助けを求める人のところへ、いつも間に合うわけではない。

それを認めるのは苦しかった。けれど、誰かが襲われたと聞いてから飛び立つだけでは、同じことがまた起こる。

「私たちが飛んで確かめた方がいい場所は、ありますか」


「ある。君からも、空から見た様子を聞きたい。だが、その前に少し休んでくれ。今日は着いたばかりだ」

話を終えたロデリクが、封をした文を差し出した。

「インディルから預かっている。君の父上と、エステリア殿からだ」


ポルフィラは両手で受け取った。

二人にも、ユリウスのことが伝わっているはずだった。


*


部屋を出て、廊下の窓辺で封を開いた。

父は、娘がユリウスを焼くよう命じたと知っていた。何があったのか、ポルフィラからも聞きたいと書いてある。


父の前で、自分は話せるだろうか。

橋の上にいた男を憎み、焼いてと頼んだことを。


読み進めると、叔母の言葉があった。


会いに来るとき、何を話せばいいか分からなくても、そのまま来てね。


ポルフィラは、そこをもう一度読んだ。

うまく話せる自信はなかった。それでも、二人に会いたかった。

返事には、まずそう書こうと思った。


*


そのころ、王都へ着いたフェリクスは、王の前に膝をついていた。

王の隣には、王太子レオンハルトが立っている。

「兄はアズレインの兵を連れてきました。竜も城の外におり、私には退くほかありませんでした」


ヴァルテルは椅子の肘掛けへ手を置いた。

「それで、城を明け渡したのか」


「はい。兄に逆らえば、私も父のように焼かれるかと……」

フェリクスは顔を伏せた。

馬車の窓から見た、竜の目を思い出す。ここにはいないと分かっていても、背中に冷たい汗が滲んだ。

「どうか、父の後継ぎとしてお認めください。兄に領地を奪わせないでください」


王が答える前に、レオンハルトが口を開いた。

「おまえが関所で捕らえた御者は、解放したのか」


「……はい」

フェリクスが顔を上げた。

「城を出る条件でしたので、返しました」


「麦を町へ運んでいただけの者を、なぜ捕らえた」


「兄の命令で出された荷だったからです。通せば、兄が倉を奪ったことまで認めることになります」


レオンハルトの眉が寄った。

言い返そうとしたとき、王が手を上げた。

「その話はあとだ。アドリアンに領地を渡すつもりはない」


フェリクスが王を見つめた。

ヴァルテルは書記を呼んだ。

「アウレリス家の家督は、フェリクスに継がせる。アドリアンによる領地の支配は認めぬ。各地へ知らせよ」


「ありがとうございます」

フェリクスは深く頭を下げた。


レオンハルトは父へ向き直る。

「城を取り戻すために、兵を出されるのですか」


「今すぐには出さん。だが、こちらから品物を売り続けて、敵を助けることもせぬ」

王は書記へ命じた。

「アズレイン、ヴェルディア、オランデル、インディル。それにアドリアンが支配するアウレリスへ、王領から商品を運び出すことを禁ずる。すでに出発した荷も、関所で差し押さえよ」


書記の筆が動いた。


レオンハルトが一歩進む。

「武器や兵糧だけでなく、商人が売る品も、すべてですか」


「そうだ。足りぬ物をこちらから届けてやる必要はない」


「王領の商人も、向こうへ品を売りに行きます。売った代金で魚や麦を買って戻る者もいます。その荷まで止めれば、王領へ入る食料も減ります」


「買って戻ることは禁じておらぬ」


「売るための荷を取り上げられれば、買い付けの金もなくなります」


ヴァルテルの顔が険しくなった。

「では、ユリウスを殺した竜と手を組む者たちへ、今までどおり物を売れというのか」


「軍が使う物を止めることには反対しません。ですが、王領の商人まで荷を失う命令は、お考え直しください」


フェリクスは黙っていた。

自分を領主に認めた王へ、異を唱える気はなかった。


ヴァルテルが椅子から立った。

「足りなくなる分は、今も私に従う領主から買え。それでも足りなければ、ほかの国から運ばせよ。レオンハルト、その手配はおまえに任せる」


レオンハルトは父を見た。

買い付け先を変えれば済む話ではない。まず相手を探し、量と値を決め、荷を運ぶ船や車を用意しなければならない。

その間にも、関所では商人の荷が止められる。


王はもう、書記に命令の文を読み上げさせていた。


*


数日後、王領からアズレインへ向かう街道の関所で、一台の荷車が止められた。

荷台には鉄の鍋や釘、農具が積まれている。手綱を持つ男は、王領の町で店を営む天馬の民の商人だった。


「アズレインへ出す荷は通せない。荷台から下りろ」

王領の兵が告げた。


商人は通行を許された文を出した。

「昨日、役所で確かめてもらった荷だ」


「今朝、王の命令が届いた」


別の兵が車輪の前へ木を置く。

商人は振り返った。工房へ金を払い、買い揃えた品だった。アズレインの町で売り、その金で干物と塩を仕入れる予定だった。

「通れないなら、店へ戻る。道を空けてくれ」


兵は首を振った。

「荷を差し押さえる。ここで下ろすように命じられている」


商人は兵の顔を見た。

「売りに行くのはやめると言っているんだ。それでも取るのか」


「アズレインへ運び出した荷は、すべて調べる。返してよいかは、上の判断だ」

兵が馬の手綱へ手を伸ばした。

商人は咄嗟に引き戻したが、隣の兵が剣の柄を握るのを見て、動けなくなった。


「手を離せ」


指を開くと、馬が兵に引かれて道の脇へ寄せられた。

荷台を覆っていた布が外され、釘の箱が下ろされる。

商人は車から下りた。

止めに入れば、今度は自分が捕らえられる。

それでも、積み上げられていく箱から目を離せなかった。

「私は、王の兵と戦ったことなどない」


兵は答えなかった。

関所の役人が商人の名を尋ね、取り上げた品の数を書き留めていた。


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