第183話 開いた門の向こう
町の西の関所で、横木が外された。
納付倉から来たアズレイン軍の隊長は、部下を門前に止め、アウレリス側の家臣へ声をかけた。
「御者を出してくれ」
脇の建物の戸が開く。
連れ出された男を見て、粉屋が駆け寄りかけた。隊長が手で待たせる。
男の足取りは頼りなかったが、自分で歩いていた。
「縄を外せ」
アウレリスの家臣が命じた。
御者の両手が離れ、ようやく粉屋が前へ出た。
「すまなかった。俺が頼んだせいで……」
男は首を振り、擦れた手首を胸へ寄せた。
関所の兵が動くたびに、怯えた目がそちらへ向く。
隊長は二人を自分の部下のそばへ移し、建物の裏へ回った。
押収された馬と荷車が置かれていた。麦の袋も残っている。
数を確かめ、御者へ馬を見せる。
男は馬の鼻先へ手を触れ、初めて長く息を吐いた。
*
城では、持ち出す荷の確認が終わろうとしていた。
ロデリクの了承を得たアズレイン兵が引き渡しに立ち会い、アドリアンとともに備蓄の倉へ入る。
穀物の袋が壁沿いに積まれ、帳面が机に残されていた。
「鍵は、これですべてか?」
アドリアンが尋ねた。
城の倉を預かる役人が、震える手で鍵の束を置いた。
「はい。ほかの保管場所も、こちらに」
役人が指した頁へ、隊長の部下が印をつける。
御者の解放と関所の開放は、先に確認されていた。城の兵を門から下げ、備蓄と記録を渡す。
全て確認してから、フェリクスを出立させる手順だった。
中庭へ戻ると、弟はすでに馬車へ乗っていた。
従う家臣と身の回りの荷を積んだ車が、後ろに続く。
フェリクスは窓から顔を出した。
「本当に、追ってこないんだろうな?」
「約束したとおりだ」
アドリアンが答えた。
弟の手には、安全を保証した文が握られていた。王都へ向かう間、兵に襲わせず、竜にも追わせない。
「父上のことを、王に話す」
フェリクスが言った。
「兄上が、竜を連れてきたことも」
アドリアンの喉が動いた。
「私は、ここで何があったかを伝える」
フェリクスは顔を引っ込めた。
御者へ出せと命じる声がして、馬車が動き出す。
城から離れた草地で、ポルフィラはその列を見送った。
オブシディオンは伏せたまま、首だけを動かした。
馬車の窓の奥に顔が見え、すぐに引っ込む。彼女は立ったまま、後ろの車が通り過ぎるまで待った。
*
フェリクスが去ったあと、アドリアンは城に残った弟の家臣たちを集めた。
頭を下げる者も、彼の後ろのアズレイン兵を見ている者もいた。
「逃げた者の家族を捕らえる命令は、取り消す。ほかにも拘束されている人がいるなら、場所と名を出せ」
返事がなかった。
アドリアンは一人ずつ顔を見た。
一人の家臣が、ようやくうなずいた。
アドリアンは机の帳面を開く。
「町へ出す麦も確認する。村の食べる分と種を残した上で、運べる量を出してほしい。荷を運ぶ者を捕らえた関所の扱いも、調べる」
*
王都でエナを迎えに来た兵は、戸の前でしばらく待った。
彼女が立ち上がれなかったからだった。
足へ力を入れる。
膝が震え、壁から手を離すと体が傾いた。
兵の一人が腕を支えた。
「歩けるか」
エナはうなずこうとして、息を吸った。
うまく空気が入らなかった。
それでも、戸口まで一歩を踏み出した。
外は明るかった。
廊下の先に見えた空を、目を細めて見上げる。
仕事へ行く朝にも、こんなふうに日が差していた。抱いた娘の重みを思い出し、口元がゆがんだ。
連れられていく先に、人が集まっていた。
王弟を殺した女だと、誰かが言う。
エナは顔を上げなかった。
自分の足元と、両脇を歩く兵の靴だけを見ていた。
刑場の柵の向こうに、洗濯場の若い男がいた。
同じ村から生き残った男だった。
目が合ったかどうかは分からない。彼は何か言おうとし、口を閉じた。
エナも、言葉がでなかった。
役人が、罪を読み上げる。
王弟セヴェランを殺し、アルディスの命も失わせたこと。
言葉が続く間、エナは夫と娘の名を口の中でひたすら繰り返した。
膝をつくよう命じられた。
体を下ろすと、震えが全身に広がった。
震える指で土を掴もうとするが、うまく掴めない…
息が速くなり、頬を涙が伝った。
「……怖い………!」
声になったのは、それだけだった。
夫が来るわけでも、娘が手を伸ばすわけでもない。
エナは目を閉じた。
剣が振り下ろされる直前、若い男は顔を伏せた。
握りしめていた柵が、手の中で軋んだ。
*
洗濯場へ戻ると、足を傷めた年配の女が待っていた。
男の顔を見ると、何も尋ねなかった。
座っていた椅子の脇へ手を伸ばし、そこにあった布を握る。
男はそばへしゃがんだ。
「………終わった」
女がうなずく。
涙が落ちても、拭こうとしなかった。
二人の向こうで、洗った布が風に揺れている。エナがいつも使っていた場所にも、次の仕事が置かれていた。
*
アウレリスの町では、麦を載せた荷車が関所を通った。
粉屋の前で袋が下ろされると、待っていた職人たちが集まった。
パン屋も来ていた。袋の数を見て、粉屋へ顔を向ける。
「明日は、どれだけ出せる?」
「分からん。出来る限り挽く。今夜、取りに来てくれ」
男たちは荷を運び入れた。
臼の動く音が、開いた戸から通りへ漏れ始める。
城の前で町の役人と話していたアドリアンのもとへ、その報告が届いた。
まだ種を返されていない家がある。捕らえられた家族の名も、記されてあった。
*
エナの処刑を知らせる文がポルフィラのもとへ届いたのは、それから数日後だった。
王都から知らせを受けたロデリクが、彼女へ伝えてきた。
処刑された……
短い言葉を読み終えても、文を閉じられなかった。
遠くで荷車が通る。
町へ麦を運ぶ道は、開放された。
ここでは人が助けられた。でもその助けはエナまで届かなかった。
ポルフィラは文を膝へ置いた。
何度も思い直して欲しいと、その顔を思い浮かべた。
また会って話ができたらと願っていた…
彼女は口元を手で覆い、肩を丸めた。
泣き声が漏れると、オブシディオンが静かに頭を寄せた。




