第180話 届いた知らせ
納付倉は、城下町の西に離れた、川沿いにあった。
東門の石橋を渡り、街道を進むと町の西の入口へ出る。その入口の関所と、町の向こうにある城は、どちらもフェリクスの兵が押さえていた。
麦を積んだ荷車が、関所の前で止まった。
粉屋は少し手前の木陰で待っていた。御者が送り状を確かめてもらう間、狭い門前で邪魔にならないよう、荷車を離れたのだ。
御者が、見張りのアウレリス兵へ声をかける。
「町の粉屋へ運ぶ麦だ。送り状もある」
アドリアンの名の入った文を差し出した。
それを読んだ兵の顔が変わる。
「倉から来たのか」
「ああ。町へ回せる分を出してもらった」
御者の返事を聞くと、兵は荷車の前へ回った。
別の兵が馬の手綱を取る。
木陰から見ていた粉屋は、ようやく通してもらえると思った。
「荷を調べろ。御者を下ろせ」
声の意味が、すぐには分からなかった。
兵の手が御者の腕へ伸びる。男が振りほどこうとすると、反対側からもつかまれた。
粉屋は木陰から踏み出しかけた。
関所の兵が槍を構え、立ち止まって見ていた通行人たちへ怒鳴る。
「道を空けろ!」
粉屋も、その場から押し退けられるように下がった。
御者は道へ引きずり下ろされた。
膝をついたところで腕を背へ回され、縄を掛けられる。送り状は地面へ落ち、兵の靴に踏まれた。
「ただ、麦を運んだだけだ!」
男の声に、兵を率いる家臣が振り向いた。
「領主の倉を奪った者の荷を運んだのだろう。誰に頼まれたか、中で聞く」
粉屋は声を上げかけた。
町へ届ける麦だ。運ぶよう頼んだのは自分だ。
だが、御者へ向けられた槍を見て、喉が塞がった。
家臣は荷台を指した。
「麦も馬も車も、フェリクス様のお預かりとする」
関所の奥へ、荷車が引かれていく。
御者は脇の建物へ連れていかれた。
粉屋は道の端に立ったまま、それを見ていた。捕まった男が一度こちらを向いた。その顔を見て、足が動いた。
町へ入るのをやめ、来た道を引き返す。
関所が見えなくなるまで歩き、それから走った。
*
納付倉へ戻った粉屋は、息を切らして東門へ駆け込んだ。
「荷を取られた! あの人も、捕まった!」
呼ばれたアドリアンが、御者の名を確かめた。
粉屋は膝へ手をつき、何度もうなずいた。
「俺がいつも運搬を頼む相手だ…」
西門を奪ったアズレインの救出隊長も来た。
「御者は、関所に残されたのか。城へ連れていかれたのか?」
「関所の建物へ入れられた。その先は、分からない」
隊長は近くの部下を呼んだ。
「二人で関所を見てこい。街道へは出るな。捕らえられた御者や荷車を移すようなら、すぐ知らせろ」
アドリアンは、粉屋の肩へ手を置いた。
何か言おうとして、口を閉じる。
自分の名を記した文を持たせれば、町への荷だと認めてもらえると思った。
あの関所の兵には、父を殺した側から届く文だったのだ。
「護衛もつけずに、送り出してしまった」
声に出すと、粉屋が顔を上げた。
アドリアンはその目を見た。
「取り戻すために動く。分かったことは、あなたにも知らせる」
粉屋は唇を噛み、うなずいた。
*
倉の一室で、アドリアンは地図を広げた。
関所から町を抜け、その先へ進めば城がある。弟はそこから、街道の兵へ命令を出している。
「私が関所へ行けば、御者を返すだろうか」
隊長はすぐに首を振った。
「あなたまで捕らえようとするでしょう。ソレインがいれば、戦いになります。御者がどこにいるかも、まだ確かめていません」
アドリアンは椅子の背へ手を掛けた。
握った指が痛んだ。
父が死んでも、町へ麦の一袋さえ届けられない。送り出した男まで、取り戻さなければならなくなった。
ポルフィラは机の脇で話を聞いていた。
「御者さんと、こちらにいる兵を交換できませんか」
隊長は窓の外を見た。
武器を取り上げたアウレリス兵を、救出隊が見張っている。
「向こうが応じれば、ですが。申し入れることはできます」
アドリアンは紙を引き寄せた。
御者を無事に返してほしい。そのために、こちらが捕らえている兵との交換を話し合いたい。
書き終えると、隊長へ渡した。
「負傷していないアウレリス兵の一人に、これを持たせて戻そう。まず御者が生きているか、返事を求める」
「戻す者には、こちらからも話をします」
隊長が文を受け取った。
アドリアンは紙から手を離し、地図へ目を戻した。
「それと、町へ別の道から荷を入れられるか調べたい。このままでは、残った麦も届けられない」
隊長は、街道から南へ分かれる細い道を指した。
「村と畑を回る道があります。荷車を通せる幅か、地上から確かめます。ただ、町へ出る所にも城の兵がいるかもしれません」
ポルフィラはその道を目で追った。
アドリアンは隊長へ顔を向けた。
「次の荷車は、町まで入れると確かめてから出す。戻った兵の報告を、私にも聞かせてくれ」
*
ポルフィラが外へ出ると、オブシディオンが首を寄せた。
彼女は、荷と御者が戻らないことを伝えた。
〈あなたが関所へ近づいたら、御者さんを盾にするかもしれない〉
口へ出さずに伝えても、胸が詰まった。
昨日、倉で見た人々の顔が浮かぶ。
閉じ込められた人を救ったばかりなのに、今度は麦を運んだ人が捕らえられた。
〈どこにいるかは、分かるのか〉
〈まだ。兵の人たちが見に行った〉
オブシディオンは街道の方へ顔を向け、それから彼女を見た。
ポルフィラは鱗へ手を当てた。
返事を待つしかない時間が、長かった。
東門の向こうで足音がすると、そのたびに顔を上げた。
*
ユリウスの死を記した文がインディルへ届いたのは、数日後だった。
ロデリクからテオバルトへ宛てられた報告には、救出隊が倉へ入った経緯と、現場の隊長から聞き取ったことが添えられていた。
家宰のマティアス・フェルナーは、領主の前でその文を読んだ。
ユリウスが拘束者の殺害を命じたこと。
解放を口にしたあとも、再び殺せと叫んだこと。
そして、ポルフィラが竜に焼くよう頼んだと、自分で話したこと。
最後の行へ目が戻った。
読み間違えてはいなかった。
「娘は、怪我を……」
「無事だとある。今も、倉に残る人々を助けているそうだ」
テオバルトの答えを聞き、マティアスは息を吐いた。
そのあと、次の言葉が出てこなかった。
ユリウスが死んだ。
領主の一人を、娘が炎で焼かせた……
王へは、どう伝わるのだろう。どうしてそうなったのかを聞こうとするだろうか。
マティアスは文を机へ戻した。
「王が討伐の理由にするかもしれません」
「ああ。ロデリクには、捕らえられていた者と兵の証言を残すよう返す。救出を命じた者が誰かも、曖昧にはさせん」
テオバルトは、マティアスを見た。
「これからの警戒については、ほかの家とも話す。娘のことは、エステリアにも伝えておけ」
マティアスは頭を下げた。
文を持ち上げると、紙の端が指の間で震えた。
両手で揃え直してから、部屋を出た。
*
エステリアは、マティアスの顔を見ると手を止めた。
人のいる廊下では尋ねず、部屋へ入って戸を閉める。
「ポルフィラに、何かあったの」
「あの子は無事です…」
先に、それだけを伝えた。
エステリアの肩が下がるのを見てから、マティアスはユリウスのことを話した。
叔母は、椅子へ腰を下ろした。
膝に置いた手が、強く組み合わされる。
「……あの子が、焼いてほしいと?」
「はい…」
エステリアは目を閉じた。
前に会ったとき、ポルフィラは王の兵を死なせたと話した。膝の上で指を組み、なかなか顔を上げられずにいた。
あの話のあとで、今度は一人の領主を。
「人を殺せと言う声を、すぐそばで聞いたのね」
マティアスはうなずいた。
「止めようとしたとき、あの子に何が見えていたのか……報告だけでは、分かりません」
あの子に、また尋ねなければならないのだろうか。
何をしたか。なぜ、そうしたか。
帰ってきた娘の顔を見る前から、まるで責めているかのような問いを用意している。そのことが苦しかった。
エステリアは、組んだ手をほどいた。
「ユリウスがしたことを聞いても、あの子が人を焼かせたと知るのは、つらいわ」
声がかすれた。
「でも、あの子が心配で会いたいわ。それだけは、あの子に分かってほしい」
マティアスは机の隅を見た。
書きかけの文が置いてある。
ポルフィラに頼まれてから、戦い以外のことも書こうとしていた。城へ戻った兵のことだけではなく、自分やエステリアの暮らしを。
昨夜は、エステリアが繕った衣服を受け取った家族の話を書いた。
その続きを、今、どう書けばよいのか分からなかった。
娘はまだ、焼けた橋の近くにいる。
「私も、会いたい」
口に出すと、喉が詰まった。
マティアスは椅子へ座り、しばらく両手で顔を覆った。
生きていると分かった。それを喜びたい。
なのに、次に娘の名が届くとき、何を聞くことになるのかが怖かった。
エステリアが、書きかけの文を彼の前へ置いた。
「私からも、書かせて」
彼は顔を上げた。
叔母の目も赤くなっていた。
*
二人の文は、ロデリク宛ての返書とともに送られた。
ユリウスのことを聞いた。
無事でいると知り、ほっとしたこと。
次に会ったとき、話せることがあれば聞かせてほしいこと。
そして、帰ってきたら会いたいという願いを記した。
エステリアは、最後に一行を書き添えた。
会いに来るとき、何を話せばいいか分からなくても、そのまま来てね。
文を閉じてからも、マティアスはしばらく手を置いていた。
使者へ渡すと、窓の外で荷車の出る音がした。
城の仕事は、明日も続く。
彼は娘へ送った文の行き先を思い、机に残った報告を開いた。




