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オブシディオン  作者: 空飛ぶワイン
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第178話 黒い炎の下で

「アズレインの兵が入ったら、残った者を殺せ!」

父の声に、アドリアンは鞍から飛び降りた。

地面を踏んだ足へ衝撃が走る。剣を握ったまま、南の建物へ駆け込んだ。


最初の部屋では、救出隊が竜の民を外へ出していた。

その奥の戸口には、ユリウスに従うアウレリス兵が立っている。男は救出隊を剣で牽制し、閉じ込めた人々の方へ戻ろうとしていた。


「その剣を下ろせ!」

アドリアンは男の前へ飛び出した。

顔を知っていた。子供のころ、剣の持ち方を何度も直された相手だった。


「若様、どいてください。殿のご命令です」


「中の者を殺すつもりか!」


それでも男は剣を振り上げる。アドリアンはその剣を自分の剣で受けた。

剣戟の音が響き渡る。

戸の内から悲鳴がした。


「戸を開けてくれ! この男は私が止める!」


アドリアンが救出隊へ叫ぶ。

斧を持つアズレイン兵が、二人の脇を抜けようとした。アウレリス兵の剣がそちらへ動き、アドリアンは両腕に力を込めて押し留める。

足が滑り、肩が壁へぶつかった。


建物の外では、ソレインがアウレリスの増援を近づけまいと翼を開き足を踏み鳴らしていた。

背後の通用口からは、救出された竜の民が出ていく。ここで風を放てば、その人々まで巻き込んでしまう。

アドリアンは剣で押し合ったまま、戸の板が割れる音を待った。


*


ユリウスは馬車を捨て、東門の外へ出た。

排水の溝に架かるこの石橋を渡り、道を進めば関所があり城内へ続く街道がある。

護衛達を従えて橋を渡りかけたとき、その先の道が震えた。


橋の終わりの道へ黒い竜が降りていた。

後脚が道を踏み、翼の鉤爪が地面へ食い込む。巻き上がった土埃の向こうから、長い首がユリウス達へ向いた。

角の後ろに、ポルフィラがいた。


「今すぐ、命令を取り消して!」


ユリウスは護衛の腕をつかんだ。

剣を持つ男を自分の前へ押し出す。

「守れ! 竜を近づけるな!」


護衛は剣を上げかけ、竜の開いた顎を見た。

足が橋の縁へずれる。別の護衛が先に武器を捨て、溝の脇へ逃げた。

つかんでいた護衛の腕がユリウスの指から抜ける。

一人が逃げると、残りも橋から逃げ出した。


「待て! 戻れ!私を守れ!」

誰も戻らなかった。

ユリウスは欄干へ手をつき、ようやくポルフィラを見上げた。

「分かった。人は返す。王に従っただけなのだ。私も逆らえなかった」


ポルフィラの顔が熱くなった。

さっきまで、何のためらいもなく人を殺せと叫んでいた。

今は自分が怖くなって、王の命令だったと言う。


「殺せと言ったのは、あなたでしょう!」

思わず怒鳴ったことに自分でも驚く。

ユリウスが口を開きかける。それより先に、言葉が飛び出した。

「あの人たちを閉じ込めて、逃げようとしたら殺す。助けが来ても殺す! 人を何だと思っているの!」

角を握る手が震えた。

南の通用口へ走っていた女の姿が浮かぶ。その前で、荷運び役が矢に倒れた。

生きて外へ出たいだけの人たちが、まだあの建物にいる。


「命令を聞かぬ者に、罰を与えただけだ」

ユリウスは言い返しかけ、竜の喉から響く低い唸り声に喉を詰まらせた。


「だから殺してもいいっていうの⁈」

ポルフィラは叫んだ。

「自分だけが助かるために、ほかの人の命を利用しないで!」

息が足りなかった。

目の奥が熱く、顎が震える。それでも、橋にいる男から目を離さなかった。

「人を返すと言ったなら、今、兵に伝えて!あの人たちを殺すなって!」


ユリウスは倉へ振り向いた。

南の建物の前では、アドリアンが自家の兵と剣をぶつけ合っている。

「アドリアン! 父を助けろ!」


息子は振り向きもしなかった。

父の命令を受けた男を、戸口から離そうとしていた。

ユリウスの指が、石の欄干を掻いた。


*


西門を奪ったアズレインの救出隊長は、中庭まで進んでいた。

武器を捨てたアウレリス兵は塀際へ座らせ、救出隊の部下に見張らせる。まだ抵抗する守備兵には盾を向け、南の建物へ援護を送った。


その横を、ユリウスの家臣が領主のいる東門へ走り抜けようとした。

アズレイン兵が腕を捕まえる。

「止まれ! 持っている物を置け!」


石畳へ、赤い布を巻いた棒が落ちた。

捕らえられた家臣は、橋のユリウスへ顔を向ける。

隊長がその視線を追った。

「何のための棒だ?」


家臣の唇が震えた。

「殿が、これを上げたら……南の建物へ火をかけろと」


隊長は南へ振り返った。

アウレリスの守備兵が、松明を持って建物の脇へ回ろうとしている。

「松明を止めろ! 人が中にいる!」


近くのアズレイン兵が走り出した。

ユリウスは橋からそれを見ていた。

合図の棒は奪われ、家臣も押さえられている。捕らえた竜の民まで、自分を置いて逃げていく。

ユリウスは肩の外套を引きはがした。

欄干へ片足をかけ、南の建物へ向けて振り上げる。

「殺せ! 一人も出すな!」


*


ポルフィラにも、持ち上げられた松明が見えた。

火が、板を打ちつけた窓へ近づく。


返すと言ったばかりなのに……!


目の前の男は、まだ人を殺そうとしていた。

ポルフィラは歯を食いしばり、角を握り直した。


橋に残っているのはユリウスだけだった。

護衛は溝の外へ逃げ、東門の内にいる救出隊の兵も橋へは出ていない。

オブシディオンが首を横へずらす。橋を狙う鼻先から、倉の門は射程から外れた。


ユリウスは外套をまだ振っている。

中の人を焼くために……

怒りでポルフィラの視界が赤く染まる。

〈オブシディオン。橋の上の、あの人殺しを焼いて〉


オブシディオンの胸から何かが渦巻くゴゴゴゴという低い音がして、大きな喉が膨らんだ。


竜の方から響く聞き慣れない音に、ユリウスが振り向く。

その口が大きく開き、恐ろしい牙の奥に渦巻く黒炎が見える……

思わず両手が前へ出た。開いた口から何か叫びかけるが、声を発する前に黒い炎がその体にぶつかった。


熱が顔へ押し寄せた。

ポルフィラは角へしがみつく。炎の中の人間は手を上げたままの姿で、棒立ちになっている。

さっきまで自分の口からあふれていた言葉が、全部止まった。

炎が途切れる。

欄干に引っかかった布は跡形もなくなり、痕跡から煙が上がっている。

石の上へ崩れた体は、真っ黒に焦げていた。


*


南の建物で、松明を持つアウレリス兵が橋を見た。

その隙に、追いついたアズレイン兵が腕へ飛びつく。

松明が地面へ落ちた。

別の救出隊の兵が上着を被せ、火を踏み消した。


戸口でも、アドリアンと戦っていた男の剣が止まった。

男は東へ顔を向けユリウスの末路を見て、口を開いたまま立ちつくした。

アドリアンはその剣を払い落とした。

「もう、やめろ……」


男はフラフラと膝をついた。

駆け寄った救出隊の二人が、男の腕を押さえる。

アドリアンは剣を下げ、開いた奥の部屋へ入った。

壁際に、竜の民が震えて身を寄せ合っていた。

その手前で、一人の女が夫の体を抱いている。腹へ押し当てた布が赤黒く濡れていた。


「医師を呼んでくれ!」

アドリアンの声に、救出隊の兵が外へ走った。

女は夫の頬を撫で続けていた。名前を呼んでも、目は開かない。

ほかの人々を外へ案内する間も、女の手は止まらなかった。


*


建物を出ると、東門の先が見えた。

橋に、焼け焦げた父が倒れている。


アドリアンはそこへ歩いた。

父を止めるために来た。

父のやり方に反発し、竜の民の命を何とも思っていない父を憎んだ。

その父の結末は、自分の行いが招いたことだ…

しかし橋へ近づくほど足が重くなった。


竜は道の脇へ退いていた。

ポルフィラが地面に立っている。

彼女の手は、まだ握り締められていた。

「私が……焼くように頼みました……」


アドリアンはすぐには答えられなかった。

怒鳴っていた父の声が、もう聞こえない。

この静けさを望んでいたのに……なぜか息が詰まった。

「今は……何も言えない……」


ポルフィラはうなずいた。

互いに、かける言葉が出てこない。

アドリアンはアズレインの兵から外套を借り、橋へ進んだ。


父のそばへ膝をつく。

布を掛けようとすると、風に端が持ち上がった。

彼は両手で押さえ、父の体を覆った。

ポルフィラはその背中をただ見つめていた。

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