第176話 屋敷へ運ぶ布
王都の洗濯場で、破れた布が積み直されていた。
いつもなら裁ち直し新しく用意するのだが、破れた布を繕って使うという。糸を分ける天馬の民の女へ、働き手の一人が尋ねた。
「新しい布は、まだ来ないのですか?」
「荷が遅れてるんだ。軍へ回した分もあるそうだよ」
女は、糸を余分に引こうとした手を止めさせた。
「ここまで。ほかにも使うから」
エナは受け取った糸をまとめた。
隣では、足を傷めた年配の女が針へ糸を通している。村から生き残った三人のうちの一人だった。
もう一人の生き残りの若い男は運び出す荷を結び、別の一団が王弟の屋敷へ届ける寝具を揃えていた。
こちらには、傷みの少ない布が選ばれている。
「屋敷では、新しいのを出せと言うだろうね」
年配の女が、声を落とした。
エナは答えず、畳んだ布を抱き上げた。
*
セヴェランは、身を起こされるたびに顔をゆがめた。
胸と腕の痛みが引かない。医師は休めと言い、使用人は何をするにも、まず傷に障らないかとためらう。
飼育場のアルディスも落ち着かず、物音に驚いて翼を広げるという。
「弟は、竜に追われたのか」
見舞いに来たヴァルテルが、屋敷の家臣へ尋ねた。
「はい。天馬の背で体勢を崩され、落ちられました」
「指揮官からは、退くよう何度も伝えたと聞いている」
家臣が頭を下げる。
セヴェランは寝台から王を見た。
「兵が勝手に退いたのです。あそこで退けば、領主どもは……」
「私が退けと命じた」
部屋が静まった。
セヴェランの唇が動いたが、言葉にはならなかった。
王は寝台の脇へ立つ。
「今は治せ。軍のことは私が決める」
屋敷を出るとき、軍務の家臣が王へ追いついた。
王都へ戻した兵の食料と、次に用意できる荷について尋ねる声が、廊下に低く続いた。
壁へ寄っていた働き手たちは、二人が通り過ぎるまで頭を上げなかった。
*
エナも、その中にいた。
顔を上げると、案内する使用人がこちらへ手を振った。
「中へ。置く場所は、前と同じよ」
寝具を運ぶのは二度目だった。
王弟が戻ってから仕事が増え、エナともう一人の働き手は、屋敷の使用人について寝室まで布を運ぶよう言いつけられている。
四家との争いで、多くの天馬の民が徴兵され、王領でも人手が足りなくなっていた。
領内の生活を何とか維持するために、竜の民の労働力が町中で必要とされていた。
扉が開いた。
寝台にいる男の顔を見た途端、足が止まりかける。
あの村へ来たときと、同じ顔だった。
娘を抱いた夫が、こちらを振り返った姿が重なる。
「そこへ置いて」
使用人の声に、エナは息を吸った。
言われた場所へ布を下ろす。セヴェランは手元の物を使用人へ渡し、顔をしかめた。
「いつまでかかる」
「すぐに終わります」
エナは寝台のそばから下がった。
男の目は一度、自分の顔を通った。何の反応もなかった。
自分だけが、この顔を忘れられずにいた。
*
夕方、エナは洗い上げた布を掛け直していた。
娘が服の裾を引いた気がして、振り返る。
そこには、風で揺れる布しかない。
年配の女も、若い男も、もう仕事の道具を片づけている。エナは手元の布を伸ばした。
あの屋敷では、明日も誰かがあの男の世話をする。
敷布を替え、傷を診て、食事を運ぶ。
夫と娘に明日がないことを、あの男は知らないままだ。
*
アウレリスの納付倉では、南の建物の窓へ最後の板が打ちつけられた。
ユリウスは、門から入ってきた使者を建物へ近づけさせなかった。
ロデリクの解放要求を読み、家臣へ突き返す。
「兵を入れるなら、中の者を処分すると答えろ」
「人を返さねば、村の仕事も戻りません」
家臣が言った。
「町へ出す食料をいつまで止めるのかと、役所からも……」
ユリウスは男をにらんだ。
「ならば、逃げた者を戻せ。私に従えば済むことだ」
外で、御者が馬車を東の門へ寄せていた。
ユリウスに危険が迫った時すぐ逃げ出せるように、城へ続く道をふさぐ荷車を兵が脇へ追いやっている。
ユリウスはそれを確かめ、部屋の戸を閉めさせた。




