第175話 父の領地へ
「残りの荷車は、これだけか」
ロデリクの前で、家臣が一覧の端を押さえた。
「軍へ出した分が、まだ戻っておりません。避難した者へ食料を運ぶ分と、荷揚げ場から倉へ回す分も必要です」
穀物を積んだ船を襲われてから、ほかの船へ荷を振り分けている。船が着いても、運ぶ荷車が足りなければ荷は港に残る。
ロデリクは空いた欄へ指を置いた。
「修理が済んだ荷車から、港へ戻せ。兵の持つ私物は後回しにしろ」
戸口でアドリアンが立ち止まった。
手にしているのは、父から届いた文だった。
*
ユリウスは、逃げた竜の民の家族を捕らえたと書いていた。
戻ってこなければ処分する。
アドリアンは、読み返した文を机へ置いた。
「私が帰っても、拘束した人を返すとは書いていません」
「おまえを捕らえれば、ソレインまで押さえられると思っているのかもしれん」
ロデリクは、部屋の外へ聞こえないよう声を抑えた。
「一人で戻るな。先に、捕らえられた者の居場所を確かめる」
その日のうちに、国境の兵から知らせが入った。
アウレリス領の倉から逃げてきた者がいるという。
*
竜の民の男は、片方の靴を失っていた。
隣には、天馬の民の荷運び役がいる。男は膝の上で手を組み、来た道を思い返すように話した。
「荷を移すときに、外へ出しました。荷台へ隠して、検問を抜けて……途中で気づかれて、追われました」
「なぜ、逃がそうと思った」
ロデリクが尋ねる。
荷運び役はすぐには答えなかった。
「仕事で会ううちに親しくなった竜の民の村の者が、大勢いたんです……あの人たちを閉じ込めて、町の荷まで止めて。何のためにこんなことをするのか……」
隣の男が顔を上げた。
「妻は、まだ中です。俺たちは、弟が逃げた代わりに連れていかれました」
声が詰まる。
「俺だけ逃げたと分かったら、妻が……」
アドリアンは文を握り締めた。
父が書いた「処分する」という文字が、その女へ向けられていた。
*
偵察から戻った兵は、倉の配置を図へ描きおこす。
西の門には守備兵が多く、南の建物に拘束者がいる。東の門は、城へとつながっていた。ユリウスも、まだ倉にいる。
「救い出すとして、そのあとはどうしますか?」
ロデリクの家臣が尋ねた。
「空いている荷車をすべて出せば、こちらの町へ運ぶ食料が遅れます」
ロデリクは図の脇へ、荷車の一覧を置いた。
「兵の運搬に使っている分を回す。歩ける兵は歩かせる」
「食料は?」
「まず領内の備蓄から出す。捕らえられた者の人数は、まだ分からん。こちらへ避難する者が増えることも、倉を預かる家臣へ伝えておけ」
言い終え、アドリアンへ顔を向けた。
「助けたあとも、腹は減る。村へ帰りたい者も、すぐには帰れんかもしれない」
アドリアンはうなずいた。
父の命令を止めても、領内の人々がすぐに元の暮らしへ戻れるわけではない。
「……私も、帰れる村があるか空から確かめます」
*
アウレリス領へ拘束した人々を解放するよう求める使者を送り、四家へも事情を知らせた。
インディルへ届いた知らせを受け、ポルフィラとオブシディオンがアズレインへ来たのは、数日後だった。
その間に戻った使者は、ユリウスの返答を持っていた。
逃げた者とアドリアンを先に返せ。そちらが兵を領内に入れたら、拘束した者達を処分する。
ポルフィラは、倉の図にある南の建物を見た。
「そこには、外へ出られる窓もあるんですか?」
「板を打って塞いでいるらしい」
アドリアンが答えた。
ロデリクは西と南を指した。
「西から兵を向け、守備兵たちを引きつける。別の一隊が南から入り、戸を開ける。出てきた者は、塀の外へ逃がす」
ポルフィラは東の門へ目を移した。
自分たちが近づけば、馬が暴れるかもしれない。竜が降りられる場所も、逃げる人が走る道も、同じ狭い図の上では判別できない。
「先に、私から父へ話します」
アドリアンが言った。
「ソレインからは降りません。捕虜を返せば我々は引くと、もう一度伝えます」
*
草地へ戻ると、オブシディオンが頭を寄せた。
ポルフィラは図で確かめたことを、一つずつ伝えた。
〈屋根の下にいる人は、見えないんだね〉
〈見えん。町中へ降りれば、建物ごと潰すことになる〉
〈味方の兵たちが戸を開ける。その間、その人たちに弓を射る兵がいたら、止めてほしい〉
竜の目が彼女を見た。
ポルフィラは角の根元へ手を添える。あの丘で炎を見たときの熱が、手のひらへ戻る気がした。
〈できるだけ、みんなが逃げられるようにしたい〉
〈ならば下をよく見て、おまえに見えるものを私に伝えろ〉
彼女はうなずいた。




