第162話 四家の約定
使者が各領を行き来する間も、橋では見張りと避難の誘導が続いた。
やがて、アズレインの荷揚げ場を襲った兵のことも、西のクラウスへ伝えられた。
船と穀物を失い、死傷者が出た。アドリアンとソレインが止め、残った船は警護をつけて移すという。
クラウスは、橋の守りを続けるポルフィラにも文を読んで聞かせた。
「アドリアン様は、怪我をしていないんですか?」
「していないと書いてある。ただ、敵にも死者が出た。父親の兵だったそうだ」
ポルフィラは、黒炎にのまれた人影を思い出した。
彼に何を言えばいいのかは分からない…
クラウスは別の文を広げた。
「四家で、守り方を決め直している。今までは、それぞれの領地へ攻められるたびに、助けを求めていた。それでは兵も物資も、間に合わない」
草地の端に机が置かれていた。オブシディオンのいる方へ向けて、地図と数通の文が並べてある。
「レオノーラから、共同で兵を動かす取り決めが届いた。私とテオバルトからも意見を送り、ロデリクの返事を待っていた」
クラウスは、届いたばかりの返書へ指を置いた。
「ロデリクも同意した」
四家は、王へ竜の民の自由を認めるよう求め続ける。
その要求を取り下げさせるための武力行使には、ともに対抗する。兵と食料を融通し、避難する者を四家の領境で止めない。
竜の民というのが理由に、四家の領内で保護や手当てを後回しにしないことも記されていた。
「守りに加わりたい竜の民は、どうなるんですか?」
ポルフィラが尋ねた。
「天馬の民と同じように、本人の意思を聞いて受け入れる。竜の民だからと無理に兵徴することも、武器を持たせないと決めることもしない」
クラウスは地図へ目を戻した。
「西の町も、まだ王兵がいる。これからは、この約定に従って実際に人と物を動かす」
テオバルトは、インディルの兵の一部を南へ送る支度を始めていた。
領都で家宰のマティアスと準備を進めるのは、成人した息子のコンラートだった。父の命令を受け、出せる兵と、領内へ残す兵を各地の担当者に確認させていた。
インディル家の後継者は、天馬と繋がるリゼリアと決まっている。実子のコンラートも含め、一族全員がその決定に賛同していた。
リゼリアは、まだ腫れの残る腕で戦い続けるのを医師に止められていた。シルヴァも休ませ、当面は後方に留まるという。
代わりに、北から来る家臣が領地の守りを引き継ぐ。西へ来る兵と荷車は、その家臣の指揮で迎え入れることになった。
オランデルの領都でも、レオノーラの娘で後継者のイレーヌが家臣たちと働いていた。
彼女は、母が戦場へ出る前から留守を任されている。南からの避難者を迎える一方、戦地へ送る食料も確保しなければならない。
ヴィオレスタを通る輸送について、リュシエンヌの家宰へ手順を問い合わせる文を出していた。
クラウスは二人から届いた報告を、戦地の文とは分けて机へ置いた。
ポルフィラが尋ねた。
「レオノーラ様は、持ちこたえていますか?」
「詰所を明け渡した所から、兵を集め直している。避難先へ続く道は、ヴェスペラと守っているそうだ。今度は、そこへ増援を送る」
ポルフィラはうなずいた。
*
リュシエンヌのもとへも、四家の文と輸送の申し入れが届けられた。
ヴィオレスタでは、すでに逃れてきた人と負傷者を受け入れていた。さらにオランデルの穀物をアズレインへ届けるため、自領の道と荷車を使わせてほしいという。
家宰が文を読んだあと、尋ねた。
「兵を送らずとも、物資を運べば王から責められましょう」
「……そうね」
リュシエンヌは、受け入れ先の報告も開いた。寝床が足りず、納屋を片づけている所もあった。
「でも、食料を積んだ船まで襲われている。それを見過ごせば、今度うちの領が襲われたときに誰が手を差し伸べてくれるの?」
「輸送をお認めになりますか?」
「認めるわ。こちらの荷車と護衛を出す。道筋と荷を記録し、運び手にも危険があることを伝えて。引き受けてくれる者へは、働きに見合う代価を払いなさい」
家宰が一礼した。
リュシエンヌは、四家との共同出兵にまでは同意しなかった。それでも王の顔色を窺って、四家の輸送を止めることはしない。
その判断は、王へも隠さず届けさせた。
*
四家の取り決めは、それぞれの領地で読み上げられた。
ヴェルディアの宿場でも、役人が竜の民と天馬の民の前で文を読んだ。
聞き終えても、拍手は起きなかった。王に逆らって大丈夫なのかと尋ねる者がいた。兵に加わりたいと言う者も、家族を連れて奥へ逃げたいと言う者もいた。
役人は答えられることを伝え、分からないことは書き留めた。
舟の仕事をしていた竜の民の男は、川上の道案内へ戻った。先の戦いで一緒に岸を塞いだ天馬の民の兵が、その隣を共に歩いた。
ポルフィラは二人を見送り、橋へ目を向けた。
〈西の町に、まだ帰れていない人がいる〉
オブシディオンが首を動かした。
〈王の兵がいる〉
〈うん。橋を守るだけじゃ、あの人たちは帰れない〉
ポルフィラは、町から逃れた竜の民の女を思い出した。連れを失った女は、運ばれた先でもその手を離さなかったと聞いた。
亡くなった人を取り戻すことはできない。家へ帰すことさえ、今はできていなかった。
〈次に兵を退かせるときも、誰かが死ぬかもしれない…〉
〈ああ〉
ポルフィラは、しばらく黙って鱗へ触れていた。
その返事を聞くたび、怖くなるし、人が傷つくことに慣れたくもなかった。
草地の向こうから、クラウスの家臣が来た。西岸の守りが整い始めたので、対岸の王兵の位置を空から確かめてほしいという。
クラウスも、町を取り戻すための作戦を始めるつもりだった。
ポルフィラはオブシディオンを見た。彼が頭を下げる。
角へ手を掛け、足を添えた。
首が上がるのに合わせて腰を落ち着けると、彼女は川の向こうを向いた。
「見てきます。戻ったら、私にも町の人たちの話を聞かせてください」
家臣がうなずき、翼の届かない所へ下がった。
ポルフィラは体を低くした。
オブシディオンが、二つの岸を隔てる川の上へ飛び立った。




