第158話 橋の向こうに残る人
クラウスは、川にかかる橋の西側で、町から逃げてくる人々を迎えていた。
町は対岸の東側にある。住民は橋を渡り、ここから領内の奥へ続く道を進んでいた。
その町へ、王の軍が迫っていた。
領都の城は、息子で後継者のエミールに任せてきた。エミールは家宰とともに避難者の受け入れを進め、食料や荷車をこちらへ送っている。
だが、届く荷車よりも、逃げてくる人の方が多かった。
王領との境にある砦から、使者が駆け込んできた。
「門を破られました。ノクスの風で、門の上にいた兵も落ちました」
クラウスは使者へ向き直った。
「残った兵は、逃げられたか?」
「裏口から退いています。ただ、砦を迂回した王兵が、こちらへ向かっています。砦から退いた兵より先に、町へ入るかもしれません」
クラウスは、そばの家臣を呼んだ。
「町に残っている兵へ伝えろ。家を一軒ずつ回っている時間はない。通りで避難を呼びかけながら、橋まで退け」
家臣は馬に乗り、橋を渡っていった。
橋には、荷を抱えた天馬の民の人々が並んでいた。近くの村から来た竜の民も交じっている。
町の方から叫び声が上がった。
「王兵が来た! 急げ!」
橋を渡ろうとする人々が、一斉に前へ押し寄せた。
橋の途中で荷車が傾き、積んでいた袋が道へ落ちる。
「荷は端へ寄せろ! 歩ける者から通せ!」
クラウスの兵が袋を引きずった。竜の民の男が傾いた車を支えると、天馬の民も手を貸した。
車を脇へ寄せると、人々はその横をすり抜け、また西岸へ進み始めた。
町側の橋の入口では、ヴェルディアの守備兵が盾を並べた。
まだ橋へたどり着いていない住民を、王兵から守るためだった。
王兵の指揮官が、守備兵へ叫んだ。
「武器を捨てろ! 王の軍を止める者は斬る!」
守備兵の隊長が答えた。
「まだ住民がいる! 渡り終わるまで待て!」
王兵は止まらなかった。槍が盾へ突き出され、守備兵も押し返した。
クラウスは西岸に控えていた兵の一隊を、橋へ向かわせた。
「盾の列に加われ。住民が通る道は空けておけ!」
兵たちは、逃げてくる人を避けながら対岸へ走った。
西岸へ着いた天馬の民の女が、橋の方へ戻ろうとした。兵が引き留めると、女はその腕へすがった。
「母が店に残っているんです。父が迎えに戻ったまま、出てこなくて……」
片足には靴もなかった。
話を聞いたクラウスは、家臣へ告げた。
「店の場所を聞いて、町に残る兵へ知らせろ。王兵が入っていない通りなら探してほしい。ただし、囲まれる前に戻れと伝えろ」
家臣が女を橋の脇へ案内した。
クラウスは、両親を助けられるとは言えなかった。町へ戻っていく兵を見送り、逃げてくる人々へ道を空けた。
町の屋根の向こうに、黒い天馬が現れた。
ノクスだった。背には王ヴァルテルが乗っていた。
王の姿を認めた守備兵の間に、動揺が広がった。
ノクスが川の上へ低く下りてきた。
ヴァルテルは西岸に立つクラウスを見つけ、声を張った。
「クラウス! 兵を退かせ、我が軍を通せ!」
クラウスは岸辺へ出て、叫び返した。
「先に領民を逃がしてください! まだ橋を渡っています!」
「武器を捨てれば、兵を追わせぬ!」
「住民が渡り終わるまでは、兵を退かせられません!」
ヴァルテルの顔が険しくなった。
王はノクスを町側へ向け、橋の入口を塞ぐ盾の列を指した。
黒い翼が大きく開いた。
風が守備兵を打った。
盾を構えた兵が倒れ、橋の手前にあった荷車も横倒しになった。木片が橋の上まで飛び、人々が悲鳴を上げて伏せた。
西岸にいたクラウスも、家臣に腕を引かれて身をかがめた。
顔を上げると、町側の入口で一人の守備兵がもがいていた。倒れた荷車に脚を挟まれている。
仲間の兵が引き返し、二人で車を持ち上げた。脚が抜けた兵を支え、橋へ連れてくる。
その後ろでは、王兵が倒れた車を回り込み始めていた。
「立てる者は渡れ! 怪我人には手を貸せ!」
ヴェルディアの隊長が叫んだ。
兵が盾を構え直し、王兵を押しとどめた。その間に、住民たちが橋を渡った。
血を流す兵が西岸まで来ると、クラウスも肩を貸した。
家臣と二人で道の脇へ運び、待っていた手当ての者へ預けた。
対岸では、竜の民の女が倒れた男のそばにしゃがみ込んでいた。
「夫が動かないんです! 誰か、手を貸してください!」
近くの男たちが戻り、荷車から外れた板へ夫を乗せた。女も板の端を支え、橋へ向かった。
呼びかけても、夫の体は動かなかった。
橋を渡り終えた人の中には、家族を待って立ち止まる者もいた。道がまた狭くなっていた。
クラウスは、西岸の誘導を任せた家臣へ命じた。
「渡った者を先へ進ませろ。家族を待つ者は道の脇へ案内しろ。怪我人を運ぶ場所を空けるんだ」
そのとき、川の上に重い羽音が響いた。
ノクスが首を上げた。王兵も、橋にいる人々も、空を見た。
水面へ巨大な影が広がった。
クラウスは、空を見上げて止まった人々へ叫んだ。
「止まるな! 橋を渡って、先へ進め!」
竜が来た。
それでも、対岸にはまだ、逃がさなければならない人がいた。




