第157話 竜のいない領地へ
ロデリクが引き渡しを拒んだ返書は、王都へ届けられた。
ヴァルテルは読み終え、机へ置いた。呼び集めた家臣とユリウスが、次の言葉を待っていた。
「四家は、王の兵を襲った者をかばうのだな」
「そのように、公にお知らせになるべきです」
ユリウスが進み出た。
「竜の民の望みを聞いた結果、王兵が焼かれた。領民にも、誰が争いを招いたか分かりましょう」
ヴァルテルは彼を見た。
「おまえの息子は、まだロデリクの所か」
ユリウスの口元が強張った。
「呼び戻します」
「戻らぬまま、また私の兵に向かってくれば、息子だからと見逃すわけにはいかぬ」
ユリウスは深く頭を下げた。息子をかばう言葉は出なかった。
王は、兵を動かす準備をしていた家臣へ向き直った。
「西へ出る。ノクスも連れていく」
「陛下も、おいでになるのですか」
「竜はアズレインで護送を襲った。まだ東にいるうちに、クラウスの兵を退かせる」
王は、前にノクスが黒い炎から逃げたことを忘れていなかった。竜とぶつけたいわけではない。その留守に、従わぬ領主の守りを崩すつもりだった。
自分が赴けば、王兵も、向こうの領民も、王への反抗を続ける重さを知るはずだった。
「セヴェランにも命じよ。西の進軍に合わせ、オランデルの道を開けさせる。竜が現れたら、戦うために兵を密集させるな。所在を知らせ、距離を取れ」
家臣が命令を書き留めた。
竜がどちらへ向かっても、もう一方の軍は止まらない。その形を作ろうとしていた。
出陣を前に、王は息子のレオンハルトを呼んだ。
成人した王太子は、父が留守の間、王都の政務を預かることになっていた。家臣たちの前で一礼し、父の言葉を待った。
「補給を滞らせるな。王都の守りも、おまえが家臣と確かめよ」
「承知しました。兵糧を出したあと、町に残る食料も調べます」
「出兵への不満を広める者にも気をつけろ」
レオンハルトは、少し間を置いた。
「兵を出す家族からも、問い合わせが来ています。戦地からの報告は、私にもお送りください」
王はうなずいた。
レオンハルトは王の出兵に反対しなかった。だが、父の軍へ物資を送りながら、残された人々へ答えるのは自分だった。
書き留める家臣へ向き直り、留守中に自分へ報告する者を確かめた。
*
王の使者がアズレインを去ってから、ポルフィラたちは退避所を移す支度を進めていた。
領境に近い天幕へ負傷者を置き続けることはできない。歩けない人から荷車へ乗せ、医師も付き添って内陸の町へ向かわせた。
丘から助けた王兵も、その一人だった。
ポルフィラは離れた所から荷車を見送った。王兵はこちらを見なかったが、医師が掛け直した布を、傷のない手で引き寄せていた。
そこへ、クラウスの使者が着いた。
王領の野営地へ新しい兵が集まり、黒い天馬も戻っている。王旗が掲げられ、王自身が来たらしいと、砦の見張りから報告があったという。
ロデリクは文を広げたまま、そばにいたアドリアンへ尋ねた。
「こちらの境はどうだ」
「アウレリスの兵が増えています。今朝も、道を確かめに来ました」
「父上からは」
「戻れと。王へ詫びれば、今なら取りなせると書いてありました」
アドリアンは返書を懐へ戻した。
「ニコも、逃れてきた家族も、どうなるか書かれていませんでした。私は戻りません」
ロデリクはうなずき、ポルフィラを見た。
「西へ向かってほしい。クラウスの兵だけでは、ノクスを止められない」
ポルフィラは、天幕の少なくなった草地を見た。まだ荷車を待っている人がいる。ニコも、村から来た人たちと荷物を運んでいた。
「私が離れたあと、ここへ兵が来たら……」
「私たちが守ります」
アドリアンが答えた。
「ソレインと、ロデリク様の兵が残ります。逃げる道も、前より増やしました」
彼も、誰も死なせないとは言わなかった。
ポルフィラは草地の奥へ歩いた。オブシディオンが頭を下げ、彼女を見ていた。
〈ノクスが、西へ戻ったって〉
〈聞こえていた〉
〈また、人がいる所で風を使うかもしれない〉
〈ならば、急ごう〉
「西へ行きます。こちらで何かあったら、クラウス様へ知らせてください」
「分かった。向こうのことも、私に知らせてほしい」
ロデリクが答えた。
オブシディオンの首が持ち上がった。
ポルフィラは鱗へ足を添え、翼が動く前に体を低くした。怖さが消えたわけではない。それでも、飛び立つ揺れを前より受け止められた。
草地で、アドリアンがソレインの手綱を支えていた。薄灰色の天馬は身を硬くしながらも、その場に留まった。
ポルフィラは二人を振り返り、前方へ目を戻した。
暮れ始めた空へ、黒い翼が上がった。




