第150話 自分たちで伝える
王都へ戻ったノクスを見て、ヴァルテルは自ら厩舎の外へ出た。
黒い天馬は落ち着かず、翼を開きかけては閉じた。
首へ手を置くと、ようやく王の方を見た。
西の砦から戻った使者が来るまで、何が起きたのかは分からなかった。
竜が空へ黒い炎を吐き、ノクスは砦から離れた。
兵の列も崩れ、領境を越えて後方の野営地まで退いたという。
王は使者を見た。会談で目にした竜の口を思い出す。威嚇で吐いた火でさえ、王の軍をそこまで退かせたのか。
使者の報告を聞いた王は、拳を握った。
「砦は、取れていないのだな?」
「はい」
「オランデルは?」
「そちらも、詰所の手前で止まっております」
ユリウスが進み出た。
「竜が王兵を退けたのです。三家が王に武力で逆らったと、各領へ知らせるべきでしょう」
「最初に領境を越えたのは、私の兵だ」
「王の命令を実行しただけです」
ヴァルテルはユリウスを見た。
ユリウスは頭を下げたが、言葉を継いだ。
「三家が従っていれば、怪我人も出ませんでした。その点は、はっきりさせる必要があります」
王はしばらく黙っていた。
あの娘がいなければ、ノクスがシルヴァを退かせ、砦は落ちていた。
それでも、竜は王都へは来なかった。退く兵を焼きもしなかった。
どこまで守ろうとし、何なら手放すのか。
ヴァルテルは家臣へ命じた。
「両方の指揮官から、詳しい報告を取れ。兵は待機させる。新しい命令が届くまで、再び進むな」
引き渡しも砦の明け渡しも、取り消さなかった。
*
オランデルの避難先で、竜の民の一行が、レオノーラと直接話すことを申し出た。
家宰が事情を聞き、代表して話す二人の面会を整えた。レオノーラは、家臣に書き取らせた希望を手元に置いて二人を迎えた。
男は、避難の途中で天馬の民の商人と荷車を押し、倒れた王兵を運んだ者だった。隣には、王領からともに逃れてきた竜の民の女が座っている。
「働く場所と住まいを探してほしいと、聞いているわ。家臣にも調べさせているところよ」
レオノーラが言うと、男は頭を下げた。
「助けていただいたことには、感謝しています。でも、仕事を頂きに来ただけではないんです」
男は膝へ置いた手を握り、続けた。
「どこで暮らすか、何をして働くかを、自分で決めたいです。村に残りたい者も、出たい者もいます。どちらも、自分で選べるようにしてほしい」
女もうなずいた。
「家族と一緒に暮らすことも、出かけることも、何かを学ぶことも。悪いことをしていないのに、竜の民だからというだけで罰を受けるのは、おかしいと思います」
レオノーラは二人を見た。
「ここで暮らす間は、あなたたちの身を守るわ。王領へ引き渡すつもりもない」
「でも、それはレオノーラ様が守ってくださる間だけですよね」
女の問いに、レオノーラは言葉を止めた。
「次の領主様が駄目だと言ったら、また暮らせなくなるんでしょうか?別の領地へ行ったら、捕まるんでしょうか?」
隣の男が顔を上げた。
「私たちにも、天馬の民と同じように、自由に生きる権利があるはずです。誰かに気に入られた者だけが、自由になれるのではなくて」
家臣の筆が止まりかけた。
レオノーラは自分の手元にある文を見た。住まいと仕事を手配することはできる。許可を与え、家臣へ守るよう命じることもできる。
だが、その許可を取り上げられる立場に置いたままでは、二人の求めているものにはならない。
「……私が許したから自由になる、というだけではいけないのね」
「はい」
男は答えた。
「私たちのことは、私たちにも決めさせてください」
レオノーラはゆっくりうなずいた。
「分かったわ。これは、仕事と住まいを用意すれば済む話ではなかった」
彼女は書き留めていた家臣へ向き直った。
「今の言葉を、二人に読み上げて。違うところがあれば直してもらってから、クラウスとテオバルトにも届けてちょうだい」
*
レオノーラの文が届いたとき、クラウスは西の砦の報告を確かめていた。
王兵は後方の野営地へ退いている。門の補強と負傷者の搬送は進んだが、近くの町から逃れた人々を、まだ全員戻すことはできなかった。
彼は報告を脇へ置き、レオノーラの文を読んだ。
自由に生きる権利があるはずだ。
その言葉を、クラウスはもう一度読んだ。
竜の民も自分たちと同じ人間だと教えるよう求めてきた。役人の接し方を改め、不当な罰を調べさせてもきた。
それでも、竜の民が何をしてよいかは、こちらが決めていた。本人たちの言葉を聞くようになっても、最後に許すかどうかを選ぶのは領主だった。
草地に面した部屋へ来ていたポルフィラに、クラウスは文を渡した。
ポルフィラは読み進め、二人の言葉の所で止まった。
「この人たちが、自分で言ったんですね?」
「ああ。レオノーラと話したときの言葉だ」
ポルフィラは文から顔を上げた。
「私も、そうなってほしいです。町へ行きたい人も、村にいたい人も、自分で決められるように」
クラウスはうなずいた。
「私たちが守ると言っても、守る者が代われば自由を失う。それでは、安心して生きられない」
クラウスは窓の外を見た。庭の先ではオブシディオンが休んでいた。
「竜がいなければ、君の家族は王都へ移れないと王は言った。王も領主も、相手に価値を認めたときだけ自由を許す。その仕組みを変えなければならない」
ポルフィラは紙の端を押さえた。
自分が竜と繋がったから、父と母も特別に扱われる。それが怖くて、悔しかった。
二人は、そのことを自分たちの言葉で伝えていた。
*
テオバルトから返ってきた文にも、同じ判断が記されていた。
北へ避難する者のために建物を空け、食料を用意している。それは今すぐ必要なことだ。しかし、竜の民が逃げ込める場所を増やすだけでは、逃げなければならない暮らしは終わらない。
私たちの許可がなければ自由に生きられないままでは、十分ではない。
竜の民にも、天馬の民と同じ権利があると認める必要がある。
クラウスは文を読み終え、三家が王へ送る申し入れを書き直した。
竜の民は、領主の持ち物でも、命令された仕事のためだけに生きる者でもない。生まれた民の違いを理由に、その自由を奪ってはならない。
住む場所、働く先、家族との暮らし、学ぶこと。その一つ一つを、誰かの特別な許しに頼らず、自分で選べる権利を認めるよう求める。
ポルフィラは、その文を読み返した。
「王は、認めないと言いますよね?」
「そうだろう。村を出ることさえ認めず、兵を向けたのだから」
「それでも、求めるんですね」
「ああ。竜の民の自由を認めない決まりそのものを、変えるために」
クラウスは彼女へ向き直った。
「これから私たちが守るのは、保護している一行だけではない。竜の民が、自分たちの人生を決める権利だ。そのために王と対立することになる」
ポルフィラはすぐには返事ができなかった。
王兵の前に立つオブシディオンと、傷ついたリゼリアを思い出した。この申し入れが、次の争いの理由になるだろう…
それでも、誰かが優しくしてくれる場所を探し続けるだけでは、村に残る人々の暮らしは変わらない。
「村の人たちにも、知らせてください。この人たちが何を求めたのか、三家が何を変えようとしているのか」
クラウスがうなずいた。
「領内の町にも伝える。天馬の民の反発もあるだろう。私たち自身が、理由を説明していく」
同じ内容をレオノーラとテオバルトへ送り、三家の名で王へ申し入れる支度が始まった。
王兵の撤退を求める文とは別に、竜の民の言葉を添える。彼ら自身が何を求めているのかを、王にも各領の人々にも伝えるためだった。
ポルフィラは庭へ出て、オブシディオンのそばへ座った。
〈この人たちは、私に守ってほしいと頼んだのではないの〉
〈聞こえていた〉
〈自分で決めて、生きたいって〉
オブシディオンは、彼女の手元の文を見た。
ポルフィラは顔を上げた。
〈私もそうしたい。私の村の人たちにも、自分で選べるようになってほしい〉
口にすると、また怖くなった。竜の力を持っていても、王兵が来ることも、人が傷つくことも止めきれない。
それでも、二人が伝えた言葉を、聞かなかったことにはできない。
*
王都の洗い場で、エナも返事を聞いた。
訪ねてきたオランデルの家臣は、ポルフィラが託した言葉を読んだ。
殺す約束はできない。それでも、あなたの話を聞きたい。
エナは黙っていた。
「会う方法については、まだ相談中です。今ここで、移動できるとはお約束できません」
家臣が言った。
エナは干された布を見た。
またあの男は戻ってくる。自分の夫と娘は戻ってこない。
「話したら、何か変わるんですか?」
「そうなると、私から断言はできません」
エナは家臣へ目を戻した。
「それでも、会えるなら会います」
家臣がうなずいた。
エナは、セヴェランを許すとは言わなかった。
今も王家のための布が、頭の上で風に揺れていた。




