第15話 持ち帰った文字
ガルは、父親が選んだ木を鍛冶場へ運んできた。ポルフィラが反対側を持つと、二人で壁際へ下ろす。父親はドランと木の長さを確かめていた。
ガルが声を落とした。
「うちの父さん、下の階段も直すんだってな」
ポルフィラはうなずいた。
「うん。シオンのお父さんも、一緒に」
ガルは父親の方を見た。
「なのに、おれはまだ読んじゃ駄目なんだ」
ポルフィラは何か言おうとして、口を閉じた。自分の父が読ませてくれるからといって、ガルの父にも許してほしいとは言えなかった。ガルは、足元に落ちた木くずを靴の先で寄せた。
父親が息子を呼んだ。
「ガル。もうひとつ、手を貸してくれ」
ガルはすぐには動かなかった。
「直したら、おれも行ける?」
父親は木から手を離した。
「下へは行かせん。上の部屋も、今は誰も入らないようにしてある。直して物置に使えるようになっても、おまえにあそこで本を読ませるつもりはない」
ガルが言った。
「父さんは、ポルフィラが読むために直すんだろ」
父親は息子の前へ来た。
「階段が欠けたまま、ドランたちを下りさせるわけにはいかん。手を貸すのは、そのためだ。おまえに本を読ませるかは、別のことだ」
ガルは顔を上げた。
「おれだって、続きが知りたい」
父親はしばらく息子を見た。
「字を読めると知られたら、おまえを連れていかれるかもしれん。そうなったら父さんたちでは助けられん」
ガルはうつむき、何も答えなかった。ポルフィラも、ガルに「また一緒に読もう」とは言えなかった。二人が黙っていると、ドランがそばへ来た。
ドランが、二人で持てる長さの板を指した。
「これは上の床に使う。そこまで運んでもらえるか」
ガルは板を持ち上げた。ポルフィラも反対側を持つ。さっきより少しゆっくりと、二人で運んだ。
*
三人の父親は、それぞれの仕事の合間に材料をそろえ、産屋跡の補修を進めた。上の床板を替え、屋根の傷んだところに手を入れる。地下では欠けた段を補い、天井を支える木を据えた。子供たちは連れていかなかった。
補修を終えた日、ドランとシオンの父親は、灯りを持ってもう一度下りた。二人で足元と支えを確かめてから、石板の前へ進む。
シオンの父親が言った。
「妻には、俺が字を写す手伝いをすると話した。息子が読むときは、今までどおり、母親のいるところだけだ」
ドランはうなずいた。
「ああ。うちも、娘だけでは読ません」
ドランは、平らに削っておいた木片を布から出した。文字を書ける面をそろえ、最初の一枚を手に取る。シオンの父親が石板へ灯りを寄せた。
名前のところから、刻まれた形を写し始める。娘に見せてもらった字はあったが、自分では読めない。ドランは石と木片を何度も見比べた。
シオンの父親が指を止めた。
「その字をひとつ、飛ばしている」
ドランは石板へ顔を寄せた。隣の字と近すぎて、一つに見えていた。木片の続きを書く前に、抜けた形を写し直す。
「助かった。一人だったら、そのまま持って帰るところだった」
一行を写し終えると、二人で初めから確かめた。木片の裏には、順番が分かるよう短い切り込みを入れる。どこまで写したかを確かめてから、次の一枚へ移った。
石が欠けたところでは、ドランの手が止まった。
「ここは、どう写せばいい」
シオンの父親は灯りの向きを変えた。それでも、失われた部分は見えなかった。
「残っているところだけにしよう。欠けたところまで、俺たちで足してはいかん」
ドランはその場所を空け、見える形だけを書いた。あとで娘にも、空いている理由を伝えるつもりだった。
二人の絵のそばにも、その下にも、文字は続いている。初めの一枚だけでも、娘が持つ写しより先まで書けた。だが、最後まではまだ遠かった。
灯りが小さくなると、シオンの父親が言った。
「今日は、ここまでにしよう」
ドランは残りの行を見た。それから、書きかけの木片をほかと分けて包んだ。
「ああ。続きは、明日だ」
翌日も二人で下りた。前日に写した最後の行を確かめ、それに続けて書いていく。最後の一行まで写し終えたあとも、すぐには片づけなかった。木片を順に並べ、石板の文字ともう一度比べた。
シオンの父親は、最後の木片から目を上げた。
「ここまでだな」
ドランも石板の下まで確かめた。
「ああ。見える字は、全部写した」
二人には文字を読むことはできない。石板と見比べて確かめたが、写し間違いが残っているかもしれない。
ドランは木片を布で包み、胸元に抱えた。シオンの父親が先に階段を上がり、後ろから来るドランの足元を照らした。
*
帰宅すると、ポルフィラが父の手元を見た。
「写せたの?」
ドランは戸を閉めてから、食卓へ包みを置いた。ミレアが窓の覆いを確かめる。娘は父が布をほどくのを待ち、重なった木片を見て目を丸くした。
「こんなにあったんだ」
父は一枚ずつ、順番に並べた。
「見えるところは全部だ。欠けているところは、空けてある。字の形も、二人で確かめたが、間違いがないとは言い切れん」
ポルフィラは自分の写しを持ってきた。最初の木片を隣へ置くと、父が写した名前のところへ指を添えた。
「エルディオは、この村の子として生まれ……」
そこまでは、前に読んだところだった。教科書を開きかけて、父へ顔を向ける。
「父さん、シオンとセラと一緒に、この続きを調べてもいい?」
ドランは答えた。
「シオンの家には、写せたことを伝えてある。セラの家にも俺から話す。来てもよいかは、父さんや母さんに決めてもらおう」
ポルフィラはうなずき、次の木片へ目を移した。自分たちの写しにはない文字が、そこにも、その次にも並んでいた。続きを手に入れれば読めると思っていたが、まだ知らない字が多かった。
ミレアが娘のそばへ座った。
「少しずつね。今夜、全部読む必要はないわ」
ポルフィラは教科書を開いた。
「うん。まず、知ってる字を探してみる」
父が写してくれた文字の中には、読める字もあった。けれど、それだけでは何が書いてあるか分からない。ポルフィラは知らない字をひとつ選び、教科書に同じ字がないか探し始めた。
ドランは隣で、娘が今見ている一枚を残し、ほかの木片を順番どおりに重ねた。窓の外で足音がすると、ミレアが顔を上げる。道を通る音は、そのまま家の前を過ぎていった。
ポルフィラは手を止め、母を見た。ミレアがうなずくのを待ってから、教科書へ目を戻す。
エルディオがこの村で生まれたと、誰かが石に書き残した。そのあとに続く言葉も、今はここにある。ポルフィラは、最初の木片の続きを、自分の手元へ寄せた。




