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オブシディオン  作者: 空飛ぶワイン
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140/231

第140話 竜のそばに立つ娘

王都の外で待つ人々が、空を見上げた。


ヴァルテルは椅子から立った。

弟も兵も、竜はノクスよりはるかに大きいと報告していた。

空を覆う翼を見たとき、弟たちが何を言っていたのか、ようやく分かった。

こんなものが、いるのか。

長い首の先に、小さな人影が見えた。娘が乗っている。その姿がなければ、竜の大きさを捉えられなかった。

王は椅子の背へ手をついた。


隣でユリウスが後ずさった。足が椅子へ当たり、木の軋む音がした。リュシエンヌは顔を上げたまま、半開きの口を閉じられずにいた。


オブシディオンが高度を落とした。


草地にいた兵たちの列が乱れた。顔を腕で覆う者、そばの兵をつかむ者がいる。

「持ち場を離れるな!」

王側の指揮を任された家臣が叫んだ。その家臣自身も、竜の真下を避けるように足を動かしていた。


巨体が人のいない所へ降りた。

衝撃が足裏へ伝わった。風が草を倒し、王の外套を大きくあおる。


ユリウスが腕で顔をかばった。リュシエンヌの手袋が地面へ落ちたが、拾うために顔を下げることもできなかった。


思わず剣へ手を伸ばした王の兵へ、指揮の家臣が命じた。

「抜くな! 手を離せ!」

王の前に立っていた兵が、一度ヴァルテルを振り返った。守るよう命じられていても、何をすれば守れるのか分からない顔だった。


ヴァルテルは、竜の口を見ていた。

あそこから黒い火が出たという。

今、自分へ向けられたら。

首の後ろへ汗が流れた。


竜は首を地面へ下ろした。

角へつかまり、鱗を伝って娘が降りてくる。地面へ足をつけた娘が振り返ると、竜は鼻先を寄せた。


ユリウスは、娘がその鼻先へ手を置くのを見ていた。

指先がまだ震えていた。竜の顔が少し動くだけで、膝が逃げようとする。

それでも、目が離れなかった。

あの竜が欲しい…

ソレインを連れていった息子へ、帰れと命じても戻らなかった。王に頼った兵も、結局は三人を返してこなかった。

あの竜を自分の家へ取り込めれば…

他家へ頼らず、従わぬ者を押さえられる。息子にソレインを使わせるより、はるかに大きな力になる。

ユリウスは竜から娘へ目を移した。

どうすれば、あの娘を自分の側へ置ける?


その横で、ヴァルテルも同じ娘を見ていた。

王の名で動く兵と、最も強い黒い天馬。それを退かせた力が、今は王の命令の及ばぬ所にある。

娘を従わせれば、竜も王のために動くのか。

ノクスを凌ぐ力を王家のものにできれば、三家も今のようには逆らえなくなる。

王は椅子へ置いた手を、強く握った。

娘をここへ呼んだ以上、話を聞くだけで帰したくはなかった。


*


クラウスがポルフィラを迎えた。

「配置は変わっていない。王の兵も、外側にいる」


ポルフィラは周囲を見た。

レオノーラとテオバルトが近くへ来た。少し離れた所にロデリクもいる。王とほかの領主たちの後ろには、王都の壁が見えた。

「オブシディオンは、ここにいていいんですね?」


クラウスはうなずいた。

「約束どおりだ」


オブシディオンはポルフィラの後ろへ伏せた。頭を下げても、顔は人々の背より高かった。

その目が王の方へ動いた。王のそばにいた家臣が、持っていた文を胸へ引き寄せる。


ロデリクは竜の顔と兵の列を見比べた。レオノーラも、衣の袖から出た指を握り直していた。

誰も竜へ声をかけなかった。

ポルフィラは王の方へ向き直った。


〈私はここにいる〉

声が届いた。小さくうなずき、竜の首へ添えていた手を離す。


王は竜から目を離さず、もとの椅子へ腰を下ろした。立ち上がっていた領主たちも席へ戻り、クラウスはポルフィラの近くに用意された椅子へ座った。

ポルフィラも、竜のそばに置かれた自分の椅子へ座った。

王の供をする家臣が一人、記録のために文と筆を持って控えた。紙を押さえる手が、震えていた。


王が口を開くまで、少し間があった。

「ポルフィラだな」


「はい」

自分の声が、いつもより細く聞こえた。


「その竜と、話ができると聞いた」


「はい。私には、彼の声が聞こえます」


「王の兵を退かせたのは、おまえの命令か」


ポルフィラは指を握った。

「助けてと頼みました。兵が剣を抜いて、誰も止まらなくて」


王の家臣が書き留める音がした。


「竜に人を襲わせるつもりはあったか」


「ありません。誰も死なせたくないと伝えました」


王は彼女の後ろを見た。

竜の目が、王へ向いていた。

ヴァルテルは言葉を止めた。椅子の肘掛けへ置いた手に力が入る。

娘を脅しても、あれは従わない。目の前の牙を見ながら、王はようやく次を尋ねた。

「私の兵へ、今後も同じことをするのか」


ポルフィラはすぐには答えられなかった。

「争いは望んでいません。でも、兵を使って竜の民を力ずくで従わせようとするなら、その人たちを守りたいです。そのために、またオブシディオンへ助けを求めるでしょう」


ユリウスが口を挟んだ。

「従わねば、また竜を出すと言うのか」


ポルフィラの肩が動いた。


クラウスがユリウスへ顔を向けた。

「今、王が本人の話を聞いている」


王が手を上げた。ユリウスは口を閉じたが、娘から目を離さなかった。


*


ヴァルテルは住まいの申し入れに話を移した。

あの竜を他家に頼らせたままにはできない。まず娘と家族を王都へ置き、王の保護なしでは暮らせぬようにすれば、遠ざけるより従わせやすくなる。

竜を直接従わせる方法は、まだ分からなかった。だからこそ、娘を手放したくなかった。

「王の保護を受ける気はないと聞いた」


「父と母を王都へ移すのは、怖いです」


「なぜだ。家族の暮らしも守ると言っている」


ポルフィラは一度息を吸った。

「私が命令を断ったとき、父と母を村へ帰さないと言われたら、従うしかなくなります」


王の顔が強張った。

「家族を人質にすると思っているのか」


「その心配があるから、今はお受けできません」

言い終えると、指先が冷たくなっていた。ポルフィラは膝の上で手を握り、続けた。

「もう一つ、聞きたいです。私の家族だけが村を出て王都で暮らしてもよいのは、オブシディオンがいるからですか」


「そうだ。その竜と繋がった者を、普通の村人と同じには扱えん」


ポルフィラは顔を上げた。

「私は村で育って、友達と同じように働いていました。竜に出会っただけで、町に住んでもよくなるんですか?」


王は彼女の後ろにいる竜を見た。

「竜と繋がったおまえには、特別に許す。ほかの村人が村を出ることまで、認めるつもりはない」


ポルフィラは口を閉じた。

王が村を出ることを許そうとしているのは、竜と繋がった自分と、その家族だけだった。村人たちには同じ許しを出さないと言っている。


すぐ後ろで、オブシディオンの息が草を揺らした。


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