第136話 帰ってきた娘
三人を乗せた荷車が、宿舎を出た。
世話役の女性は、見送りに来たポルフィラへ頭を下げた。
「帰って、家族の顔を見てくるよ」
「はい。足も、無理をしないでください」
怪我をした男性が、荷台から手を上げた。ロデリクの家臣が付き添い、村で待つ王の調べの者へ三人を送り届ける。
ポルフィラは、車が道の先へ消えるまで見送った。
*
クラウスからの返事が届くと、リゼリアは先に帰りの着地場所を確かめた。
村から離れた、森の外の草地だった。オブシディオンが翼を広げられる広さがあり、近くで働く者へも知らせが出された。
ポルフィラが帰ることは、家族にも伝えられた。
ロデリクへ礼を言い、出発の日を迎えた。
角を手掛かりに頭へ登ると、前よりは迷わず足を置けた。それでも体が起き上がれば、角を抱く腕には力が入った。
〈苦しくないか〉
〈しがみつきすぎてるような気がする〉
〈足も使え。少し緩めてみろ〉
鱗へ掛けた足を確かめ、指の力を少し抜いた。
オブシディオンは待ってから歩き出した。
*
リゼリアとシルヴァが先を飛んだ。
ポルフィラは角の間へ低く座り、地上を見ていた。川沿いの倉が遠ざかり、畑や森が広がる。
途中で翼の動きが変わった。
背中側から伝わる力に気づき、角へ身を寄せたところで、オブシディオンの声が届いた。
〈向きを変える〉
〈うん〉
緩やかに体が傾いた。今度は、先にオブシディオンの動きが分かった。
それだけで、少しうれしかった。
*
着地した草地には、クラウスの家臣たちがいた。
オブシディオンが降りると、皆が予定していた場所よりさらに下がった。顔を上げたまま固まる者もいる。
ポルフィラは頭を下ろしてもらい、鱗を伝って降りた。
家臣の一人が、ようやく近づいてきた。
「村までは、ご案内します」
「道は分かります」
答えると、家臣はうなずいて脇へ退いた。
ポルフィラは竜へ手を触れた。
〈家へ行ってくる。ここで休んでいてくれる?〉
〈ああ。村へは近づかん〉
リゼリアも館へ向かうと言った。
ポルフィラは自分で荷物を持ち、村への道を歩いた。
*
最初に気づいたのは、畑から戻る村人だった。
顔を見て足を止め、それから鍛冶場の方へ声をかけてくれた。
ドランが戸口へ出てきた。
ポルフィラの顔を見ると、何か言いかけた口が止まった。
「……帰ったか」
「うん。ただいま」
返事をすると、ドランが近づいてきた。肩へ置かれた手が、そのまま背中へ回る。
ポルフィラは荷物を下ろし、父の服をつかんだ。
慣れた、鉄と炭の匂いがした。
「父さん」
「ああ」
「帰ってきたよ」
「分かってる。顔を見せてくれ」
少し離れると、ドランは娘の顔を見た。頬へ触れ、ようやく息を吐く。
ミレアも外へ出てきた。
ポルフィラが振り向く前に、両腕で抱きしめられた。
「お帰り」
母の声が耳元で震えた。
「無事だって聞いていたけど……」
その先は続かなかった。
ポルフィラは母の背へ腕を回した。母も父も、いつもの場所にいた。そのことがうれしくて、うまく声が出なかった。
*
家に入って座ると、ミレアはポルフィラの手を握った。
「痛い所はない?」
「うん。怪我はしてない」
「そう」
ミレアは手を離したが、隣から動かなかった。
ドランが向かいへ座った。
「竜に、乗って帰ってきたのか」
「うん。少し練習してから、乗せてもらった」
「本当に、おまえを乗せて飛ぶんだな」
ポルフィラはうなずいた。
「大きいから、最初は立ち上がっただけでも怖かった。でも、私が落ち着くまで待ってくれるんだ」
ドランは娘の手元を見た。
「王の兵が来たときも、怖かったろう」
ポルフィラは少し黙った。
「うん。あんなことになると思っていなかった。剣を抜いて、止まれって声も聞かなくて」
ミレアの指が、もう一度手に触れた。
「オブシディオンが止めてくれたの。私が呼んだ」
「そうか」
ドランは静かにうなずいた。
ポルフィラは両親を見た。
「心配かけたね」
「そりゃ、心配する」
ドランは言って、少しだけ顔を緩めた。
「だから今は、ここにいてくれ。ゆっくり話そう」
ポルフィラはうなずいた。家の中の音を聞きながら、ようやく肩の力を抜いた。
*
夕方、リナが来た。
ポルフィラを見た途端に足を速め、両肩をつかんだ。
「本当に、どこも怪我してない?」
「うん」
リナは顔を確かめ、それから強く抱きついてきた。
「よかった。無事だって言われても、会えないと分からなかった」
ポルフィラも抱き返した。
少しあとにガルとセラが来た。トーマとシオンも仕事を終えて顔を出し、皆で家の裏手へ移った。
ガルが最初に尋ねた。
「竜って、今どこにいるんだ?」
「森の外。村から離れた草地で待ってもらっている」
「天馬より、ずっと大きいんだろう」
「うん。顔を下ろしてもらわないと、触れないくらい」
ガルは草地のある方を見た。
「それが本当にいるんだな……」
セラが尋ねた。
「名前はあるの?」
「オブシディオン」
セラは、その名を小さく繰り返した。
ガルたちも、草地のある方へ目を向ける。話に聞いた竜が、今は自分たちの村から歩いて行ける所にいる。
シオンが口を開いた。
「話ができるのか」
「私には、声が聞こえる。ほかの人には聞こえないけど、私の言うことも分かってくれる」
「どんな竜なんだ?」
トーマに聞かれ、ポルフィラは少し考えた。
「私が何か迷っていても、答えを急かさず待ってくれる。でも危ないと思ったら、はっきり止める」
「怖くないの?」
リナが尋ねた。
「大きさには、今も驚く。火を吐いたときは、私も知らなかったから、びっくりした」
「火?」
ガルの声に、ほかの四人も顔を上げた。
「黒い炎だった。空へ向けて吐いたんだ。そのあと兵に向かって吠えたら、みんな下がった」
ガルは口を閉じた。セラも、膝の上で両手を握っている。
ポルフィラは慌てて続けた。
「人も家も焼いていないよ。でも、私もあの炎を見たときは、言葉が出なかった」
トーマが尋ねた。
「それでも、そばへ行けたんだな」
「うん。来てくれたと思ったら、離れられなくなった」
ポルフィラは目を伏せた。
「怖くて、しがみついて泣いたんだ。離れたら、また兵が来るような気がして」
リナが隣へ寄った。
「怖かったよね」
「王の兵がいたんだろう。俺だって、同じようになる」
ガルの言葉に、ポルフィラは顔を上げた。
皆はまだ驚いていた。竜の方を気にしているし、何を聞けばよいか迷ってもいる。
それでも、今までどおり隣に座ってくれていた。
リナが言った。
「もっと聞きたい。でも今日は、帰ってきてよかったって、それが一番」
「うん」
ポルフィラは笑った。
「私も、みんなの顔を見たかった」
*
翌朝、近所の家へ顔を出すと、以前から知っている女性が戸口で手を止めた。
「何か、ご用かい」
「帰ってきたから、挨拶に」
「ああ。そうだったね」
女性は笑おうとした。
「竜は……村のそばには来ないんだろう」
「離れた所で待ってもらっています」
「そうか。それなら…」
その先は続かなかった。
ポルフィラも、長く立ち話はせず帰った。
家の戸を開けると、朝の仕事を終えたミレアが振り返った。
「もう少し食べる?」
ポルフィラはうなずき、いつもの場所に座った。
〈オブシディオン〉
〈どうした〉
〈帰れて嬉しい…〉
〈そうか〉
静かな返事を聞いてから、ポルフィラは食卓へ向き直った。




