第135話 竜と飛ぶ
三人への罰を取り消すという王の命令が届いた。
元の報告にも、村で聞き取った話にも、反抗や暴力の事実はなかった。怪我で働けなかったことと、罰をやめてほしいと頼んだことを理由に処罰してはならない。
引き渡しの命令も取り消され、王の兵は帰還することになった。ユリウスには、同じ件で三人や家族を責めないよう改めて命じられた。
ロデリクの家臣が読み終えると、世話役の女性は尋ねた。
「帰っていいんですね」
「はい。帰りの道は、こちらで付き添います。村の方でも、迎えるよう知らせます」
怪我をした男性が、足へ目を落とした。
「家まで、荷車に乗せてもらえますか?」
「用意します」
男性はうなずき、隣の村の係を見た。係も、ようやく小さく息を吐いた。
ポルフィラはその顔を見ていた。
帰れる。
彼らはもう、家族のもとへ帰っていける。
*
帰りの支度が始まると、ポルフィラはリゼリアに言った。
「私も、家へ帰りたいです」
「クラウス様へ知らせましょう。帰り道も相談しないとね」
ポルフィラは窓の外へ目を向けた。
オブシディオンが首を起こしている。
「今度は、彼に乗って帰れないでしょうか」
リゼリアも竜を見た。
「あなたたちがよければ。ただ、村のすぐそばへ降りるのは避けたいわ。着地する場所は、先にクラウス様と決めましょう」
ポルフィラはうなずいた。
「まず、乗せてもらえるか聞いてみます」
*
〈私も、あなたに乗って帰りたい〉
広場で伝えると、オブシディオンは顔を下げた。
〈よいぞ。エルディオは、いつも私に乗っていた〉
〈どこに座っていたの?〉
〈角の根元の間だ。おまえも、そこへ乗れ〉
ポルフィラはその頭を見上げた。
角は頭の左右から後ろへ伸び、先端が外側へ開いていた。根元は太く、その間から首へ続く所が浅くくぼんでいる。
乗れそうな場所はある。けれど、そこまでが高かった。
〈どうやって登ればいい?〉
オブシディオンは体を伏せ、長い首を地面へ伸ばした。顎をつけ、頭を少し横へ傾ける。
片方の角の根元が、手の届く高さまで下がった。
〈角を持て。足は、その下の鱗へ〉
ポルフィラは両手を掛けた。角の根元はしっかりしていて、力を掛けても動かなかった。
片足を頬の後ろの鱗へ載せる。
重なった鱗の縁に、靴底が掛かった。思っていたより滑らない。腕で引き上げ、もう片方の足も載せると、地面が離れた。
角を握る指に力が入った。
〈そのまま待て。頭を戻す〉
〈うん〉
オブシディオンがゆっくり頭の傾きを戻した。ポルフィラは角に体を寄せ、鱗の段差を一つずつ確かめながら、頭の後ろへ移った。
角の根元の間は、近くへ来ると広かった。
低く座り、首へ続くくぼみに腰を落ち着ける。足を置き直すと、左右とも鱗の縁へ引っかかった。
〈そこだ。エルディオも、その鱗へ足を掛けていた。首を挟もうとせず、足で体を支えろ〉
ポルフィラは言われたとおりに膝を曲げた。手近な角の根元へ両手を掛け、少し身を伏せる。
下からリゼリアの声がした。
「落ち着いて座れた?」
「はい。足を掛ける所もあります」
返事をしたところで、オブシディオンが尋ねた。
〈起きるぞ〉
〈待って〉
ポルフィラは角を握り直した。
〈……いいよ〉
首が持ち上がった。
地面にいたリゼリアが、急に遠くなった。続いてオブシディオンが体を起こす。宿舎の屋根が目の下へ沈んだ。
ポルフィラは慌てて身を伏せた。
〈まだ飛んでないよね〉
〈立っただけだ〉
足元を見ないようにして、角へ抱きついた。
オブシディオンは動かずに待った。
*
ポルフィラの初めての騎乗飛行は、海沿いの開けた場所からにした。
ロデリクにも伝え、近くの道から人を離してもらった。ポルフィラは乗ったまま、オブシディオンが歩く揺れも確かめた。
彼が足を運ぶたびに、振動が伝わってくる。それでも頭が激しく振られることはなかった。
エルディオを長く乗せていた竜だった。ポルフィラが足を置き直すときには待ち、姿勢が落ち着くと歩き出した。
〈飛ぶときは、もっと低く伏せろ〉
ポルフィラは角の根元へ腕を回した。両足を鱗の段差へ押しつけ、体を低くする。
〈こう?〉
〈ああ。慣れるまでは、ゆっくり飛ぶ。向きを変える前にも知らせる〉
大きな翼が左右へ広がった。
頭の後ろから、風を打つ音が響いた。足元の体がぐっと持ち上がり、ポルフィラは目を閉じた。
体が浮いた。
角を抱く腕と、鱗に掛けた足へ力を込める。
次の羽ばたきが来た。大きな体が、さらに上へ進む。
〈ポルフィラ〉
〈うん〉
〈顔を上げられるか〉
少しずつ目を開けた。
海が見えた。
陸へ寄せる波が、白い筋になって続いている。港も城も、少しずつ遠ざかっていた。
シルヴァに乗ったときと、見えるものは同じはずだった。けれど、すぐ下にはオブシディオンの鱗があり、腕には角の硬さがある。
自分はもう、オブシディオンとどこへでも飛んで行けるのだ。
〈少し右へ向く〉
体がゆっくり傾く。足を掛けた鱗の縁が支えになり、腰はくぼみに収まったままだった。
〈大丈夫か〉
〈うん。ゆっくりなら〉
オブシディオンは緩やかに海の上を回り、陸へ向き直った。
風に涙がにじんだ。ポルフィラは顔を伏せたが、今度は怖さだけではなかった。
〈私、あなたに乗って飛んでるんだね〉
〈そうだな〉
短い返事が届いた。
ポルフィラは角を抱く腕を少し緩め、もう一度海を見た。
*
着地の前にも、オブシディオンは声をかけた。
ポルフィラが身を伏せるのを待ち、翼を広げて高度を落とす。足が地面を踏んだときには体が揺れたが、掛けていた手足は離れなかった。
降りるときは、また首を地面へ下ろしてもらった。
角を手掛かりに、鱗の段差を伝う。最後の一歩で地面へ降りると、膝が少し笑った。
ポルフィラは角の根元から手を離し、頬の鱗へ触れた。
〈乗せてくれて、ありがとう〉
ポルフィラは、角の間をもう一度見た。
〈エルディオとも、飛ぶたびにこうして話していたの?〉
〈慣れてからは、いちいち知らせることもなかった。私が向きを変えれば、あいつも体を合わせた〉
〈急に動いても?〉
〈動く前の気配を覚えていた。私も、あいつの体の動きで、どちらへ向きたいか分かった〉
ポルフィラは飛んでいるときの揺れを思い返した。今は知らせてもらわなければ分からない。
〈私にも、分かるようになるかな〉
〈乗り続ければな。おまえが私の動きを覚え、私もおまえの動きを覚える〉
ポルフィラはうなずいた。
次はもっと力を抜いて、伝わってくるものを感じようと思った。
〈帰るときも、乗るか〉
〈うん〉
ポルフィラは笑い、まだ低い所にある彼の顔を見た。
〈でも、村の近くでは、先に知らせてから降りよう。みんな、びっくりするから〉
〈降りる場所を決めたら教えろ〉
〈分かった〉
家へ帰れる。
その道を、今度はオブシディオンと飛んでいける。




