第12話 知らなかった部屋
朝、ポルフィラは、昨日セラが見せてくれた「子」の字を、本の中でもう一度探す。短い文なら読める。けれど、石板から写した字は、まだ言葉としてつながらなかった。
鍛冶場へ出る前に、ドランがそばへ来た。
「昨日の続きを見ているのか」
ポルフィラは木片を指した。
「うん。この名前のあとが読めたら、誰のことを書いてるか分かると思うんだけど」
父は娘の指先を見た。エルディオという名のあとに、読めない字が続いている。
「急がず、確かめていけばいい」
ポルフィラは顔を上げた。
「シオンとセラにも、また見てもらいたい。来てもいいか、お母さんたちに聞いてもらうね」
ドランはうなずいた。誰かが来る日には、先に家へ知らせることになっている。娘は本へ目を戻したが、父はその横に置かれた木片を、もう少し見ていた。
*
昼の仕事が一段落すると、ドランはミレアへ、村長に地下のことを話したいと伝えた。妻は洗った椀を伏せ、夫を見た。
「前に行ったときは、産屋の話だけだったわね」
ドランが答えた。
「ああ。だが、子供たちの親には知らせた。あの建物も、調べるまでは使わせない方がいい。物を取りに入る者もいるからな。俺が子供を止めるだけでは済まん」
ミレアが尋ねた。
「ほかの父親たちにも、建物が傷んでいることは話したの?」
「ああ。階段の欠けと、下の天井の割れ目は伝えた。上の床や屋根も、皆で確かめたいと思ってる。その前に村長へ、下の部屋と、子供たちが字を調べていたことを話しておきたい」
妻はしばらく考えてから、うなずいた。
「そうね。子供たち以外にも、あそこへ出入りする人がいるものね」
ドランは村長の家へ向かった。道では村人が籠を運び、畑の端では子供が草を集めている。産屋跡へ続く道を横目に見ながら、そのまま歩いた。
村長は窓のそばに座っていた。ドランを招き入れたあと、椅子へ腰を下ろすのを待った。
「今日は、どうした」
ドランは戸の外を確かめてから閉めた。
「先日、産屋のことを聞きに来ましたが、まだ話していないことがあります」
老人はドランへ顔を向けた。
「聞こう」
ドランは、壁の奥に階段が見つかったことと、その先に小さな部屋があることを話した。そこまで聞くと、村長が口を開いた。
「壁の向こうに、下りるところがあったのか」
ドランがうなずいた。
「はい。子供たちが見つけて、六人で下りていました。俺が聞いたのは、帰ってきたあとです。それから俺も見てきました」
村長は背を椅子に預けず、聞いていた。
「下には、何があった」
ドランは石板の大きさを両手で示した。
「石に文字と、二人の絵が刻んであります。娘たちはそれを写して、教科書で字を探していました。まだ文全体は読めません」
老人はしばらく黙った。やがて、ゆっくり首を振った。
「わしは知らん。あの建物に下の部屋があるとは、聞いたこともなかった」
ドランは、村長が若いころに湯や薪を運んだと話していたのを思い出した。
「入口のある壁は、物を置いていたところです」
村長が答えた。
「布や器をしまっていた辺りか。人が出入りする部屋だったが、その壁を開けたところは見ていない」
あの建物の昔を知る人なら、何か聞いたことがあるかもしれないと思っていた。村長にも分からないのだ。
老人が尋ねた。
「今、誰が知っている」
ドランは顔を上げた。
「六人の子供と、俺とミレア。それから、ほかの五人の父親と母親です。家によって聞いていることが違っていたので、皆に説明してきました。下へはもう行かせないと話しています」
村長は戸へ目をやった。
「そのほかの者には、まだ話していないんだな」
ドランが答えた。
「はい。管理者にも知らせていません」
老人は小さくうなずいた。
「文字を写して調べていたと知られれば、本のことまで分かってしまう。あの管理者が黙っていてくれても、ほかの者に聞かれれば、それでは済まん」
村長はドランを見た。
「建物は、どれほど傷んでいる」
ドランは階段の欠けと、地下の天井にある割れ目を説明した。
「崩れる恐れがあるのか、俺には判断できません。上の部屋も、床や屋根をきちんと見ておく必要があります」
「では、調べるまでは入らせない方がよいな。子供だけではなく、物を取りに来る者にもだ」
ドランが尋ねた。
「ほかの村人には、どう伝えましょう」
「古い建物を調べるので、しばらく入らないようにと。必要な物があれば、おまえに言ってもらおう。危ないところがあるのは、本当のことだ」
ドランはうなずいた。
「戸を閉めて、入口にも分かるようにしておきます」
村長は続けた。
「床や屋根を確かめたら、様子を教えてくれ。手を借りるなら、まず、下の部屋を知っている父親たちに相談するとよい」
「はい。ただ、本を読ませるのをやめたいと言っている家もあります。建物を見てもらうことと、字を調べ続けることは、分けて話さなければと思います」
村長はうなずいた。
「建物が使えるようになっても、本を読ませてよいかは、別のことだからな。それぞれの親が決めることだ」
ドランは少しためらってから続けた。
「俺は、下へ入れるようになったら、石板の文字を全部写して持ち帰りたいと思っています。娘には、家で続きを調べさせたい。ただ、それを手伝ってもらえるかは、まだ誰にも聞いていません」
村長が尋ねた。
「おまえは字が読めんが、写せるか」
ドランが答えた。
「見える形を、一行ずつ写すつもりです。手伝ってくれる者がいれば、石板と見比べてもらいたい。読めないからといって、娘を下へ連れていくわけにはいきません」
村長はドランを見た。
「では、その話もして、相手の考えを聞いてくるんだな」
ドランはうなずいた。
「はい。ほかの子に写しを見せるときも、その家の許しを得てからにします」
村長はうなずき、窓のそばに置いてあった水を飲んだ。
「昔から使っていた建物でも、知らんことが残っているものだな」
ドランは、暗い部屋で灯りを近づけた石板を思い浮かべた。子供たちが壁を調べなければ、今も誰も知らずにいた。
「それまでは、今ある写しで調べさせます」
老人が答えた。
「ああ。続きを見たいと言っても、今は下りさせられんな」
ドランは礼を言って立ち上がった。村長は見送りに立とうとはせず、戸を開けるドランの背へ声をかけた。
「子供たちには、下りなかったら上の部屋は使える、と思わせんようにな」
ドランは振り返った。
「帰ったら娘に話します。ほかの家にも、伝えておきます」
*
家へ戻りドランは二人へ、産屋跡をしばらく使わせないことになったと伝えた。
娘は父を見た。
「上の部屋も?」
ドランが答えた。
「ああ。床や屋根を調べるまではな。物を置いている家にも知らせる。おまえも、友達とあそこで待ち合わせるんじゃないぞ」
ポルフィラはうなずいた。本を出さずに皆で話すくらいなら、また行けると思っていた。あの部屋を使えなくなるのは寂しかったが、父と下りたときに見た天井の割れ目も覚えている。
ドランは娘に続けた。
「下へ入れるようになったら、石板の文字を全部写してきたいと思ってる。手を貸してもらえるかは、これからほかの父さんたちに聞いてみる」
ポルフィラは父を見た。
「今、写しがないところも?」
父が答えた。
「ああ。だが、先に建物を確かめないとな。すぐには行けんぞ。それに、写してこられても、皆で読むときには、それぞれの家の許しが要るからな」
ポルフィラはうなずいた。写してこなかったところまで見られたら、今は読めない言葉の続きも分かるかもしれない。
ミレアが夫に尋ねた。
「村長は、下の部屋を知っていた?」
ドランは首を振った。
「聞いたこともないそうだ。産屋へ通っていたころも、入口が開くのを見たことはなかった」
ポルフィラは父母の顔を見た。
「村長も、知らなかったんだ」
ドランが答えた。
「ああ」
村長も知らなかった部屋に、あの文字が残っていた。何が書かれているのか知りたい気持ちが、また強くなった。




