第106話 戦うということ
ポルフィラは窓の前に座り直した。
〈戦わずに変えられるようにしたい〉
オブシディオンは答えた。
〈それは、おまえの望みだ。相手も同じように考えるとは限らない〉
〈そこまで進むのは怖い〉
〈王やユリウスが力で止めようとしたら、どうする〉
ポルフィラは黙った。
竜を見れば相手も話を聞くかもしれない。けれど、それで終わるとは限らない。国を変えようとする領主へ兵を向けられることもあるのだろう。
〈守りたいと思う〉
ようやく答えると、オブシディオンの声が届いた。
〈その戦いで、家族や友達が死ぬかもしれない。エルディオがセレフィアを失ったように、おまえも大切な者を失うかもしれない〉
ポルフィラは家の中を見た。
父は仕事道具の手入れをしている。母は明日の支度をしていた。どちらも、いつもと変わらない夜を過ごしている。
〈そんなことにはしたくない〉
〈エルディオも、妻を失いたくはなかった〉
ポルフィラは目を伏せた。
〈おまえ自身が誰かを殺すこともあるかもしれない。私の力で人を死なせるかもしれない〉
オブシディオンは間を置いて続けた。
〈その覚悟はあるか。それでも国を変えるために進むのか〉
ポルフィラは膝の上で手を握った。
村人を殺した者への怒りはある。目の前で誰かが襲われたら、止めたいとも思う。だが、その相手を殺してしまうことまで考えたことがあっただろうか。
倒したい敵にも、帰りを待つ家族がいるだろう。
大切な者を奪われた人の苦しみは、竜の民だけのものではない。それでも相手が殺そうとしてくれば、黙って殺されるわけにもいかない。
〈今すぐ、覚悟があるとは言えない〉
ポルフィラは答えた。
〈殺したくないし、父さんたちを失うのも怖い。そうなるかもしれないと知っていて進めるのか、まだ分からない〉
〈考えろ〉
〈あなたは、それでも進めと言う?〉
〈決めるのはおまえだ。私は知っていてほしいだけだ〉
返事を聞き、ポルフィラは握った手をほどいた。
〈少し時間をちょうだい〉
〈ああ〉
*
翌日、ポルフィラは村の仕事を手伝った。
畑のそばで荷を運んでいるとガルが来た。
「そっちを持つ。二人でやろう」
持ち上げた荷を下ろすと、向こうからリナが声をかけた。籠の中に傷のついた果物がある。
「持って帰って。先に食べてほしいの」
ガルが手を伸ばすとリナは籠を引いた。
「洗ってからだよ。その手で取らないで」
「分かってるって」
笑っている二人を見て胸が痛んだ。
この暮らしを守りたくて動き始めた。けれど自分たちが動いた先で争いが起きれば、二人も無関係ではいられないかもしれない。
ガルがポルフィラを見た。
「どうした?」
「少し考え事をしてた」
「重いものは一人で運ぶなよ」
彼はそう言って、残った荷の方へ歩いた。
ポルフィラは自分が正しいと決めて進む道が、皆にとっても同じなのかは分からないと思った。
仕事を終えて家へ戻ると父が戸口にいた。母へ頼まれたものを取りに、物置へ行くところだった。
ポルフィラはその背を見送った。
自分が止まれば、戦いを避けられるのだろうか。
村が壊されたとき、そこにいた人々は国を変えるために何かをしたわけではない。家族を助けようとして殺され、普段の暮らしをしていた人まで奪われた。
何もしなければ必ず守れるとは言えなかった。
けれど、そのことだけで戦う覚悟ができるわけでもない。誰かを殺すかもしれないと聞いたときの怖さは、消えていなかった。
自分が危険を引き受けると決めても、家族や友達も同じように決めたことにはならない。その人たちの命まで、自分の決意だけで賭けてよいのだろうか。
父が物置から戻ってきた。
「果物をもらったのか」
「リナがくれたの。先に食べてって」
「母さんに渡しておいてくれ」
ポルフィラはうなずいて家へ入った。
父を失うかもしれないと考えたあとで聞く、いつもの声だった。顔を見るほど、その可能性を受け入れることはできなくなった。
*
その夜、ポルフィラはオブシディオンを呼んだ。
〈まだ答えが出ない〉
〈ああ〉
〈みんなの暮らしを変えたい気持ちは変わらない。でも、戦いになっても進むとか、誰かを殺すことになっても守るとか、今の私には言えない〉
言い終えても、オブシディオンは続きを急がせなかった。
〈今日、ガルやリナと仕事をした。二人と笑っていたら、失うかもしれないことが、もっと怖くなった〉
ポルフィラは膝へ目を落とした。
〈父さんも母さんも生きていてほしい。私が始めたことのせいで殺されたら、国が変わったからよかったなんて思えない〉
〈エルディオも、セレフィアを失ったことをよかったとは思わなかった〉
〈それなのに、覚悟があると言えばその悲しみに耐えられるようになるのかな〉
〈ならない。失った苦しみは消えないだろう〉
ポルフィラは黙った。
〈おまえを戦わせたいのではない。守りたいと願っていても、失うことがある。ほかの者の命を奪うこともある。それを考えずに進んでほしくない〉
〈うん〉
〈すぐに覚悟ができたと答える必要はない〉
ポルフィラはゆっくり息を吐いた。
〈答えられないまま、暮らしを変えたいと話し続けてもいいのかな〉
〈暮らしを変えたいと願うことが間違っているとは思わない〉
〈でも願ったために争いにつながるかもしれないんでしょう〉
〈そうだ。だから、おまえだけで決めず関わる者とも話せ〉
それで怖さがなくなるわけではなかった。誰かが一緒に考えてくれれば、命を失う可能性が消えるわけでもない。
ポルフィラは顔を上げた。
〈もっと考えたい。怖いからやめるとも、怖くても進むとも、今はまだ決められない〉
〈分かった〉
家の中から母が呼んだ。
「ポルフィラ、食事にしましょう」
「今行く」
ポルフィラは立ち上がった。
今夜も両親と食卓を囲める。母の声が聞こえ、父がそこにいる。
両親や友達と生き続けたい。理不尽な扱いもなくしたい。けれど、それを変えようとして誰かを失うことになったら、自分はどうするのか。答えは出ていなかった。




