第104話 目の前の証言
山へ向かう朝、ロデリクはヴェスペラを見上げていた。
レオノーラが騎乗の台を指し、同乗する場所を示す。少し離れたところではリゼリアがシルヴァの支度をしていた。
ロデリクが尋ねた。
「竜は、我々が行くことを知っているのか」
「ええ。会う約束をしてあるわ」
「襲われる心配は?」
「危害を加えるつもりはないと聞いているわ。でも、初めて見れば驚くと思う」
ロデリクは黙って台へ上がった。
二頭が飛び立つと、ポルフィラはオブシディオンへ呼びかけた。
〈今から向かうよ〉
〈待っている〉
ポルフィラは前を飛ぶヴェスペラへ目を向けた。ロデリクは顔を前へ向けたまま、背を支えるものを握っていた。
*
山の斜面に黒い影が見えた。
岩の間にあったものが首を上げる。ロデリクは目を凝らし、次の瞬間に身体を固くした。
レオノーラが声をかけた。
「手前の岩棚へ降りるわ。竜は離れた斜面で待っているから」
ロデリクはうなずくことしかできなかった。
背から下りても、黒い姿から目を離せない。翼を畳んだ相手のそばで、天馬が小さく見えた。
シルヴァから下りたポルフィラが竜を見た。
〈来たな〉
〈ロデリク様も一緒だよ〉
ポルフィラは彼へ向き直った。
「オブシディオンです。エルディオと繋がっていた竜です」
ロデリクは言葉が出なかった。
三家が何かを企んでいると疑っていた。しかし竜の話は作り話ではなかった。
レオノーラが隣へ来た。
「少し座る?」
「いや、大丈夫だ」
ロデリクは息を整えてからポルフィラを見た。
「聞きたいことがある」
*
「アズレイン家も、エルディオがまとめ役を頼んだ一族から分かれたのか。それを聞いてくれ」
ポルフィラが問いを送ると、オブシディオンはロデリクへ目を向けた。
〈そうだ。八家は同じ一族から分かれた〉
返答を聞いたロデリクは斜面を見た。
「二つの民が一緒に暮らす集落で、祖先は人々の争いを収めていたのか」
〈そうだ。どちらの民かで扱いを変えず、争っている者たちの話を公平に聞いていた〉
ポルフィラが伝えるとロデリクは口を閉じた。
教えられてきた歴史では、祖先は竜の民を従わせる側だった。目の前の竜が語る役目は違う。
レオノーラが言った。
「私たちも、それを聞いて考え直したの」
「分かった。だが、昔のやり方をそのまま今へ戻せるとは思わん」
「私たちも同じよ。今の暮らしをどう変えるかは、これから考えなければならないわ」
ロデリクは竜へ目を戻した。
「王は、この竜のことを知らないのだな」
「はい」
ポルフィラが答えた。
「知れば、三家が王に逆らうために竜を利用しようとしていると考えるだろう」
「だから、慎重に考えているんです」
ロデリクは二頭の天馬と、斜面の竜を見た。
この相手がいると知っただけで、王と領主の力関係まで違って見える。三家はそのことを承知で、自分をここへ連れてきたのだ。
「ポルフィラ。王に竜を見せて、要求を受け入れさせるつもりなのか」
「オブシディオンにどう力を借りるかは、まだ決めていません。今は領主の方々にも、ご自分の領地の人たちの暮らしを考えてほしいです」
ポルフィラはロデリクを見た。
「竜がいなくても、命を軽く扱っていいはずありませんから」
ロデリクは黙った。
竜を見せる前に彼女が自分と話したいと望んだ理由が、分かった気がした。恐れたから要求を聞くのではなく、何が間違っているかを自分で考えるよう求められていた。
*
やがてロデリクが言った。
「竜のことは王へ伝えない。報告するなら、そのあとに何が起きるか考えてからにする」
レオノーラがうなずいた。
ロデリクはポルフィラへ向き直った。
「身分を変えることには、まだ賛成できない。だが、竜の民なら何をされてもよいという扱いは見直したい」
ポルフィラは彼を見た。
「自分の領内で、どんな扱いを受けているか確かめる。役所の報告だけでなく、村で暮らす者の話も聞く」
「話した人を罰しないでください。言えばひどい目に遭うと思っていたら、本当のことは話せません」
「ああ。そのことも伝える」
解放の約束ではなかった。それでもロデリクは、領内で何をするかを自分の言葉で答えた。
ポルフィラはオブシディオンへ伝えた。
〈領内の人がどう扱われているか、自分で確かめるって〉
〈悪い扱いが分かったら、どうする〉
ポルフィラがその問いを伝えると、ロデリクは少し考えた。
「理由もなく殴ることや、関係のない家族まで罰することはやめさせる。私の命令として出す」
ポルフィラはうなずいた。
「お願いします」
ロデリクは竜へ顔を向けた。
「まだ、すべてを信じたわけではない。だが、今の扱いを変える必要はあると思った」
ポルフィラが言葉を伝えると、オブシディオンは静かにロデリクを見ていた。
*
帰り支度が始まっても、ロデリクは斜面へ目を向けていた。
「国の始まりのほかにも、昔のことを覚えているのか」
「はい。聞けていないことも、まだあります」
「私も、また聞きたい」
ポルフィラはうなずいた。
ヴェスペラの背へ上がる前に、ロデリクがレオノーラへ言った。
「今日ここへ来たことは、ユリウスには知らせないでくれ」
「分かったわ」
二頭が山を離れると、ロデリクは黒い姿が見えなくなるまで振り返っていた。
竜を見たことで、王に知らせるかどうかという判断も自分へ返ってきた。三家の動きを疑っていたときのように、外から眺めているだけではいられなくなっていた。




