第101話 父の望む力
アウレリスの城へ戻ったユリウスは、外套を脱ぐ前に息子を呼ばせた。
アドリアンは天馬のいる広場から来た。淡い金髪を後ろで束ね、細い顔には父のような愛想のよい笑みがない。戸口で一礼すると立ったまま父を見た。
「王都で何かあったのですか」
「六家で話をした。おまえにも知っておいてもらいたい」
ユリウスは家臣へ外套を渡した。王への申し出と会合の様子を話した。
アドリアンは黙って聞いていた。
「ロデリクは三家へ同調しかねん。リュシエンヌも、王家に口を出すことを覚え始めている」
父が言うとアドリアンは顔を上げた。
「二人とも、竜の民の身分を変えることに賛成したのですか」
「そこまでは言っておらん」
「では、何に同調したと?」
ユリウスは机へ手を置いた。
「私の話に、いちいち異を唱えた。王の判断を支える席でだ」
アドリアンは目を伏せた。
父の話に賛同しなければ、一族に逆らうと言われ、父にとって都合の悪いことを確かめようとすれば、一族のために働かない息子だと言われる。
「私を呼んだのは、その話をするためですか」
ユリウスは椅子へ座った。
「ソレインに乗って、ロデリクの城を訪ねてもらいたい。使いを出して日時は決める。こちらからの挨拶としてな」
「何を伝えるのです」
「我が家は陛下を支持していると。それだけでよい」
アドリアンは父を見た。
「手紙で伝えられることを、なぜ私が行くのですか」
ユリウスの口元に笑みが戻った。
「天馬のいない家には、目で見た方がよく分かることもある」
アドリアンの顔が固くなった。
「ソレインを見せて従わせたいのですね」
「誰もそんなことは言っておらん。名のある家の息子が天馬で訪ねるのは、珍しいことでもない」
父は椅子の背へ身体を預けた。
「勝手に怯えるなら、向こうの問題だ」
言い方まで、いつもの父だった。
「私は行きません」
ユリウスの笑みが消えた。
「一族のための用だぞ」
「挨拶なら家臣を送ってください」
アドリアンは答えた。
「ソレインで何かをする必要があるなら、私に何をさせたいのか、はっきり言ってください」
ユリウスは息子を見据えた。
天馬と繋がった息子は一族の大きな力だった。だが自分が望むときに、望むようには使えない。力を持つことの価値を教えてきたはずなのに、息子は父の言葉を聞くたびに顔を曇らせる。
「おまえは誰のおかげで、この城に暮らしている」
アドリアンは答えなかった。
父から離れたいと思うことは何度もあった。それでも一族を見捨て、城を捨て、自分の暮らしを一から作る決心まではできない。その迷いを父はよく知っていた。
「少し考えて、改めて返事をしろ」
ユリウスが手を振った。
アドリアンは一礼して部屋を出た。背後で父が家臣を呼ぶ声がしたが、振り返らなかった。
*
ソレインは広場の奥にいた。
明るい灰色の身体が木々の間に見える。翼を畳んでいても大きく、近づくアドリアンの足音に首を巡らせた。
〈戻ったか〉
声が届くとアドリアンは肩の力を抜いた。
〈待たせたな〉
ソレインが首を下げた。アドリアンは鼻先へ手を置く。温かい息が指にかかり、城の部屋で固くしていた手が緩んだ。
〈どこかへ行くのか〉
〈父はロデリクの城へ行かせたいらしい〉
〈おまえは〉
〈行きたくない。おまえを見せて相手を黙らせたいだけだ〉
ソレインは少し首を上げた。
〈何のために黙らせる〉
アドリアンは父から聞いた会合の話を伝えた。竜の民の扱いを改めたい三家と、それに反対する王。ほかの領主を王の側へ揃えたい父。
〈俺は父の争いに加わりたくない〉
〈そうか〉
ソレインの返事は短かった。
三家を助けるべきだとも、王に従うべきだとも言わない。アドリアンが来れば共に飛び、戻ればここで過ごす。ソレインとの関係はそうした静かなものだった。
アドリアンは鼻先から手を離した。
〈少し飛ぼう〉
〈ああ〉
騎乗の支度をして、広場の台からソレインの背へ上がった。
翼が広がると周りの木々が揺れた。地面が遠ざかり、城の屋根が下へ沈む。アドリアンは風を受けながら城とは反対の方へ目を向けた。
ここでは父の声を聞かずに済む。
けれど飛んで戻れば、同じ部屋で同じ返事を求められる。父のやり方を嫌っていても、その外で生きる道は考えられなかった。
*
城へ戻る途中、街道の脇の作業場でソレインが身体を傾けた。
下では荷車のそばにいた人々が建物へ駆け込んでいる。緑や茶色の髪が見えた。竜の民の働き手だった。
アドリアンは進む向きを変えた。
〈近づかなくていい。そのまま戻ろう〉
ソレインは翼を打ち、城へ向かった。
振り返ると一人が荷車の陰から空を見ていた。手には作業の道具を握ったままだった。
ソレインに襲わせるつもりなどなかった。
それでも彼らは、天馬を見ただけで仕事を放り出して逃げた。
父がロデリクへ見せたいと言った力を、自分はすでに人々へ見せつけていたのだ。
広場へ降りて背から下りるとアドリアンはソレインを見上げた。
〈驚かせてしまったな〉
〈逃げていた〉
〈ああ〉
それ以上の言葉が出なかった。
竜の民が天馬を恐れることは知っていた。今日だけのことでもない。これまでは通り過ぎれば忘れ、ソレインとの時間へ戻っていた。
今日は父の言葉が残っている。
勝手に怯えるなら、向こうの問題だ。
アドリアンは鼻先へ手を伸ばしかけて止めた。
自分も怯えるのは民の問題だと、そのまま通り過ぎていた。
城へ戻ると、父の家臣が廊下で待っていた。
「旦那様から、ロデリク様への訪問の用件をまとめるよう申しつかっております。若君もご確認を」
差し出された紙へアドリアンは目を落とした。
「私は行くと答えていない」
家臣は紙を下げなかった。
「ご検討いただくためのものです」
父は自分の承諾を待たずに話を進めている。アドリアンが黙っていれば、引き受けたものとして扱われるだろう。
「父に伝えてくれ。ソレインを連れた訪問は引き受けない。私がそう答えたことを、そのまま伝えるんだ」
家臣はためらってから一礼した。
アドリアンは部屋へ戻った。
それで竜の民の扱いが変わるわけではない。三家の申し出を支持すると決めたわけでもなかった。
ただ、父が望むままにソレインの力を使わせることを、今日は拒んだ。




