第94話 やりたいようにやればいい
~3日後、空中市場外周部・竜列車駅 ~
第7大隧道ゆき、下り竜列車が停まったプラットホーム。
列車を曳く黒鱗種の大型竜が出発を待ってまどろんでいる様を、大柄な男がぼんやりと眺めていた。背には荷物をパンパンに詰め込んだ背嚢、両手には大きな旅行鞄。年季の入ったドクイバラのコートを見るに、明らかに冒険者である。
三等客車のドアへ向かいかけ、リオンナード・キャラバは一度だけ振り返って空中市場の方を見た。彼としたことが、柄にもなく少々感傷的な気分になっていた。空中市場は彼の生活の拠点であり、冒険の始まる場所にして終わる場所でもあった。苦楽を共にした知り合いも暮らしている。そこを今、たった一人で離れようとしているのだ。たった一人で……
「ちょいと、そこのデカい人! そんな所に辛気臭い顔で立ってられると、邪魔なんだけどね!」
突然後ろから声をかけられ、キャラバの物思いは断ち切られた。飛び上がりそうになりながら振り向くと、トランク一つだけ提げた旅装の女が一人。右手に嵌めた重たげな革の手袋が目を惹く――アルラマールだった。
「な、なんだ……お前、もう退院したのか? キズはいいのかよ……っつうか、お前のその格好、どっか出かけんのか? 病み上がりで……」
何から尋ねていいやら分からぬ様子のキャラバがさらに言葉をつづけようとしたその時、ホームにベルの音が響いた。発車の合図だ。アルラマールは、目を白黒させるキャラバの背を押すようにして竜列車の搭乗口へと進んだ。
「さ、何をグズグズしてるんだね。乗った、乗った! 早くしないと列車が出ちまうよ!」
キャラバは押し込まれるようにして三等客車に乗り込み、アルラマールも後ろからヒョイと飛び乗った。とほぼ同時に警笛が鳴り響き、運転手が竜の背に鞭をくれた。列車はごろごろと唸りを上げながら、第7大隧道に向かって螺旋形の道を進み始めた。
アルラマールとキャラバはひとまず空いたコンパートメントの一つに入り、荷物を置いて一息ついた。
「……で、何でお前がここにいるんだ? エルの病院で養生してるとばっかり思ってたが」
キャラバが眉間に皺を寄せながら尋ねると、アルラマールはとぼけるような表情で窓の外を眺めながら、逆に聞き返した。
「そんならこっちも聞かせてもらうけどさ、あんたこそ何でこんな列車に乗ってるワケ? 第7行きの列車に一人きりだなんて、まさか観光旅行に行こうってんでもあるまいし。見送りだって一人もいないじゃない。まるで夜逃げだよ」
「夜逃げはひでェな。まだ真っ昼間だってのに」
キャラバは四角い顎を撫で、ちょっと居心地悪そうな顔をした。アルラマールはここぞとばかりに言葉を継ぐ。
「大体、誰にも言わずに出てこうなんて了見が気に入らないよ。兄貴だとか私だとかはともかく、マーレ先生にさえ挨拶もしないで出てくんだから」
「訪ねた方がかえって迷惑かと思ったんだよ。今じゃ俺は、バザールの鼻つまみ者だからな。ゼンティだって、俺みてえなのに関わりあってちゃ出世できねえぞ。会ったらそう伝えといてくれ」
キャラバは悟りきったような顔で肩をすくめた。アルラマールは小さくため息をつく。
「……やっぱり、あの一件のせいなんだね。私のことがあって、空中市場に居づらくなったから」
「ま、こっちじゃ仕事が見つかりにくくなったってのもあるにはあるがな。バザールにはすっかり睨まれちまったし」
キャラバはつとめて気楽な様子を装って両手を広げた。
「けど、本当の本当は、俺自身の問題なんだよ。冒険の最前線へ行って、イチから修行をし直してえ。
今までの俺は、年季と場数を多少踏んだくれえで、充分いっぱしの冒険医を気取ってた――それが思い上がりだったってことに、この間気づかされたよ。攻撃魔導士としても医者としても、俺はヘマばかりだった。冒険者としてはもっと抜け目なくタフに、医者としてはもっと確かな技術を身につけなきゃあ、俺はこれからもまたあんな失敗を繰り返すことになる」
語るうちに、飄々としていたキャラバの語り口は次第に熱を帯びていった。その熱に当てられるようにして、聞き入るアルラマールの瞳も光を湛えはじめる。
「これから俺はな、冒険医として冒険者パーティの後をついてまわるだけじゃなく、あちこちにある『うちびと』の村なんかを回って、医術の修行をしてみようと思ってンのよ。
大竪穴の医者にとって、大竪穴固有種の薬草や毒を扱うスキルは重要だ。だが、世間の冒険者ってやつァ金銀財宝にゃ興味があるが、学問的な興味ってもんには全く食指を動かさねえ。活用出来りゃ、深層に眠る未知の固有種がそっくりそのまま薬屋の倉庫になる――それこそ千金の価値があるってのによ。
今も大竪穴の各地に残る『うちびと』の村には、そういった知識が脈々と受け継がれてるんだ。俺はそれを掘り起こしてやりてえ。そうすりゃ、多少なりとも救われる人間が増えるってもんよ」
アルラマールは目を見開き、キャラバの計画に聞き入っていた。無謀と言えば無謀である。たった一人で深層を巡り、『うちびと』の元を訪れながら医術の研究をするなどと……道のりは険しく、それでいて得るところは普通の冒険よりも遥かに少ない。
「でも……『たった一人』じゃないだけマシかもね」
アルラマールは一人呟き、くすりと笑った。キャラバがふと口をつぐみ、怪訝そうな顔になる。
「何だ、俺の言うことはそんなにおかしいか?」
「いやァ、別におかしかないんだけどね」
言いながらも、アルラマールは意味深なにやにや笑いを隠せなかった。
「ただ、あんたが最初の質問を忘れてるのが気になってさ。確か『何で私がここにいるのか』って聞いてたよね?
それは……私が、冒険医の徒弟になることを決めたからさ。弟子入りするんだ、リオンナード・キャラバに」
しばし、沈黙があった。
キャラバは言われたことが理解出来ないといった顔つきで片眉を跳ね上げ、目を細めてうつむいた後、がばりと顔を上げた。
「お……お前、何言ってんだ!?」
「何だ、私の言うことはそんなにおかしいかね?」
先ほどのキャラバを真似るようにしてアルラマールはおどけた。
「あんたも言ってくれたじゃないか。私は冒険医向きだって。ね、連れてってよ、リオ。後悔はさせないからさ」
軽い口調で言うアルラマールに、キャラバはぐっと表情を引き締め、首を横に振った。
「いかん……考え直せ、アラム。
俺がどうこうじゃねえ。お前さんが後悔するってンだ。冒険医ってのはそんなに軽々しく考えられるような仕事じゃねえ。痛い目も見るし、辛い思いもする。自分のやってることが正しいのかどうか、分からなくなる時もある。
そういう道をお前に歩ませたんじゃ、何よりお前の兄貴に申し訳が立たねえ」
兄――ゼンタールのことが話に上ると、アルラマールの顔も強張った。
「兄貴のことは、この際関係ない! ここに来る前に、家を捨てる覚悟くらい決めてきたさ。今の私は単なるアラム・ヴィランダン――それで結構、いい気分だよ。もっと早くこうなってたら良かったんだ」
「お前、そんな簡単に、一時の気の迷いでだなァ……」
呆れたように首を振り、相手の両肩に手をかけようとするキャラバを振り払って、アルラマールはきッと顔を上げた。その眼はキャラバの瞳を真っ直ぐに捉えていた。
「気の迷い、なんかじゃない。腕を失って、何かにもう一度打ち込めるだろうかって考えた時……一番はあんたについてくことだって思ったんだ。
どっちにしたって、この命はあんたにもらったもんだ。色々考えたんだけどさ、あんたに使ってもらうのがスジなんじゃないかって……あんただけ空中市場から追んだされて、私がのうのうとバザールの下で仕事するってのも、なんか寝ざめ悪いしね」
最後は冗談めかし、アラムは眼鏡を直しながらかすかに笑った。キャラバは腕を組み、座席に背をもたせかけながら、深い息をついた。ひどく疲れたような表情だった。
やがて、肩の間に首を埋め、半ば眠ったように目を閉じて、キャラバは低い声で言った。
「しゃあねえ。よく考えてみりゃ、お前のやりたいようにやれと言ったのは俺だしな。けど、覚悟だけはしておけよ。ちょっとでも足引っ張るようなことがあったら、すぐ所書き書いて小包にして兄貴ンとこへ送り返すからな」
* * *
「おい、後ろ見てみろ! ツチザメもこれだけ居ると壮観だなァ! 背ビレだけ地面から突き出して、まるで黒い草むらが追っかけてくるみてェだぞ!」
「何を面白がってるのかね! どうするんだよ、この状況! 追いつかれたら、骨も残らないぞ!?」
「なァに、何とかなるって! 俺を誰だと思ってる?」
「ああ……ホントに、ついて来るんじゃなかったよ、こんな男にさあ!」
* * *
「だから、血管についてはこういう横線で表すわけだ。でもってこの斜線はだな、えーっと、アレだ……」
「水魔術による二重止血法、だろ? そりゃ昨日教えてもらったばっかしだよ。大丈夫なのかね、このヒトは……」
「るせェな、ちょっとド忘れしただけだ! この辺までは来てたんだよ、この辺までは! さ、次行くぞ!」
* * *
「へェ……巨猪人の医術ってのも面白えもんだな。外界じゃこんな発想は出来ねえ。とはいえ、製剤技術って点から言やあ全然なっちゃいねえな。薬草を生のままか、手を加えるにしたって乾燥させるくらいだってンだから。
そうだ、一つ取引と行かねえか? お前は俺に、深層の薬草のことを教える。その代わり、俺はお前に外界の医療技術を教えてやろう。何だったら、外界の医学アカデミーにツテを探してやってもいいぜ……あ、アカデミーっつっても分からねえか。要するにだな、全世界の医者が寄り集まって、いい薬やら手術法やらを編み出そうと頭ヒネってる所があってだな……」
「おいおいおい、リオ。そんな調子のいいことばっかり並べたてちゃって、大丈夫なのかね? あんた、アカデミーなんかに知り合い居るのかよ。
それに巨猪人としちゃ、自分の村の秘伝を他人に漏らすのは嫌だろう。無理強いするもんじゃないよ」
「だァい丈夫だって! 俺に任せとけ! お前も、頼りにしてくれていいぞ。何せ俺はリオンナード・キャラバよ。
……ところでお前、名前は何て言ったっけ?」
「……ザインです。水魔導士の、ザインと申します」
* * *
「こいつは驚いたねェ……あの事故で、生き残りが居たなんてね。この村でずっと育ててきたのかい? あんたらにとっちゃ、『そとびと』の子供だろうに」
「『そとびと』も『うちびと』も、そちらが勝手に決めた区分ね。我々、ヒトの姿かたちに区別ない。鳥人も猿人も巨猪人も、みな同じく暮らし同じく交わるものよ」
「そりゃそうだ、ちげえねェ。それが分からねえのは俺たちヨソ者だけってことだな。
それで、こいつの名前は何てェんだ?」
「これ、ここに書いてある……上の世界の文字には疎いが」
「ユ、ノー……ユノー・リステッロと読めるね」
「それ、この娘の体くるんでた布ね。この子の持ち物、今残ってるのそれだけよ」
* * *
嵐のような10年が過ぎた。キャラバとアラムのコンビは、フリーランスの冒険者兼医者として深層で再び名を売り始めた。時にバザールと対立し、小競り合いを繰り返しながらも、2人はしたたかに生き延びた。空中市場に戻ることは、2度となかったが……。
ゼンタールとマーレは空中市場にとどまり、医者を続けた。ゼンタールはじきに医療ギルド内で昇進を重ね、深層への冒険へ同行することもめっきり減り、代わりにバザール相手の政治に精を出すことが増えた。自然、アラムたちとじかに会うこともなかった。が、心のうちでは常に妹を気遣っていた。
そうした日々がずっと続いていくかに思われた。
しかし――




