第95話 空中市場大乱
――空中市場崩落
疑いもなく、大竪穴冒険史上空前にして絶後の大災害である。
事の発端は、大竪穴を『うちびと』の手に取り戻さんとする宗教結社『メイユレグ』過激派による、同時多発的な反乱であったと言われている。空中市場内に潜伏していた『うちびと』が一斉蜂起し、一次は市場全体を占拠するに至った。反乱軍とバザール・外界政府連合軍は、空中市場全体を戦場とし激しい市街戦を繰り広げた。
崩落の詳しいプロセスは未だ謎に包まれているが、一説によれば戦闘の過程で、メイユレグ側が未知の大規模魔術を使用したためと言われている。大竪穴の内壁から生え、空中市場を支えていた大樹の幹が完全に切断され、支えを失った空中市場はほぼ完全な姿を保ったまま奈落の底に落下していった。落下した空中市場本体がどれだけの深さにまで到達したかは不明であるが、現在に至るまでに踏査された限りでは、その基底部の破片さえも発見されていない。
自然、崩落前に脱出した一部の住民を除き、空中市場内の人間は全て犠牲となったと考えられている。行方不明者は当時の住民の3分の2にものぼると言われ、物的・人的な損害からも史上最大の悲劇であったことは論を俟たない。
そしてまた、大竪穴貿易における最大の要衝であった空中市場およびそれを支配するバザールが事実上解体されたことは、歴史的に見ても重大な分岐点であった――
※ 空中市場中心街 マーレ診療所
「そうか……ようやくバザールの連中も、重い腰を上げましたか」
診療所の奥の応接間で、鉱石珈琲のカップを間に置き、マーレは疲れた顔をしたゼンタールを迎えた。『銀竜卿』の異名の元たる銀髪は変わらず艶やかだったが、10年の歳月は、彼の端正な顔に新たな皺をいくつか刻んでいた。
「バザール内での詳しい協議を経て、実施は来年から、という返事だったがね」
ゼンタールは目を細め、鉱石珈琲をひと口すすった。
「どうせまた、細かな条件を何やかやとつけてくるのだろうが……とにかくひとまず、冒険者保険による冒険医への報酬補償については言質を取って来た。薬草・薬種の価格安定のため、採取目的の冒険も増便してくれるそうだ。こちらは口約束に過ぎないがな」
「いや、助かります。何しろこのごろの問屋ときたら、こちらの足元を見てるのかやたらに吹っ掛けてきますからね」
相変わらず丸々と太った頬を無邪気に緩めるマーレを見て、ゼンタールはふと寂しげに微笑んだ。
「エルクラップ、もう何度目かになるがな……そう他人行儀な話し方は止してくれないものか。確かに私は医療ギルドの理事長だが、別段君の友人であることを止めたつもりはない。昔のように、気安く話せないものか?」
「いやァ……そりゃあ、あなたのためにも良くないでしょう」
マーレは笑みを残したまま、ゆっくりと首を振る。
「こういうことにはケジメが大事ですからね。かつての仲間だったからと言って特別扱いするようなそぶりを見せたら、あらぬ疑いを持たれかねない。
そういうつまらない揚げ足取りで足をすくわれたらいけない人なんですよ、あなたは……バザールを相手取って駆け引きの出来る人間なんて、そうは居ない。あなたにコケられたら、僕をはじめ空中市場の医者はみんなお手上げだ」
「買いかぶってくれたものだ、まったく」
苦笑いを漏らしながら、ゼンタールは肩をすくめた。
「バザールは多頭の怪物みたいなものだ。ひとつの頭を宥めすかしている間に、体じゅうを別の頭に噛まれている。今になって思い出されるよ、誰かの言った言葉が。バザールは巨大な怪物だ、そう簡単に動かすわけには行かないと」
ゼンタールの言葉に、マーレは記憶をたぐるような眼差しで宙を見つめた。
「キャラバですか……そう言えば確かに、あいつならあなたにも、遠慮のない口を利いたでしょうなあ」
「今頃どうしているのか、な……歳をとるたびに、奴のことがはっきり思い出されるようになってくる。奴と医療ギルドの未来について議論を交わしたのが、昨日のことのようだ」
「年寄くさいですな……あなた、僕より若いでしょうに。そんな色の頭をしてると、中身まで早くフケ込んじまうもんですかね」
苦い笑みを鉱石珈琲で飲み下すゼンタールに、マーレは鉱石珈琲のカップを鼻の下でくるりと回し、微笑んだ。
「昔のことが昨日のことのように思えるなんて、年寄りの言うセリフですよ。過去は遠い昔、未来はすぐ明日――大昔にそんなことを、誰かから聞いた覚えがあります。あれも、キャラバの奴からだったかな……」
懐かしげにマーレが呟き、鉱石珈琲をもう一杯啜ろうとした、その時だった。
どォん――と、重い音が外で響いた。テーブルが揺れ、コーヒーカップの琥珀色の水面に波紋がざわめく。ゼンタールは怪訝そうな顔で首をもたげた。
「外からだったな、今の音は……何かあったのだろうか?」
「四ツ角で鳥力車の衝突事故でもありましたかね? 最近増えてるんですよ……」
言いながら、外の様子を確かめようとマーレがドアに手を掛けた瞬間だった。乾いた音と共に、そのドアが打ち破られてこちらへ飛んできた。
「動くな! 全員後ろを向いて、壁に手を突け!」
大型の散弾銃を構えながら部屋に飛び込んできたのは、青い羽根を後頭部に生やした鳥人だった。ドアに伸ばしかけた手を慌てて引っ込めて目を丸くするマーレに二連発の銃口を押し付けると、鳥人は改めて大声で叫んだ。
「空中市場は我ら、メイユレグが占拠した! 貴様らは人質として連行する! 速やかに……おい! 貴様、何をしている!?」
脅迫の言葉をがなっていた|鳥人(バードマン9は、不意に銃口を上げて部屋の奥に向けた。壁際に立ったゼンタールが、ローブの胸ポケットからペンのようなものを取り出したのである。自らの胸元に向けられた銃口にも怯む様子を見せず、ゼンタールは無造作に右手の『ペン』を上げた。
「そういう物を使うのは止してくれ。ここは病院だ」
「貴様ッ、何のつもりだ……!」
鳥人はいきり立ち、引き金にかけたカギ爪状の指先に力をこめた。金属の擦れる音が虫の声ほどに響き、あと少し力を加えれば炸薬が破裂し、弾丸がばら撒かれるかと見えた。
その、まばたきの間にも満たぬほどの一瞬――『ペン』の先から糸のような魔力が放射され、銃床を握る鳥人の右手首へと走っていった。ミニチュアサイズの青い稲妻のような魔力は、鳥人の手首の近くで渦を巻き、空気中から瞬間的に水分を集めて、爪の先ほどの小さな氷片を作った。
そして――氷片は手首へと食い込み、肉をえぐった。
「ぐッああ……ああッ!?」
鳥人は曲がったクチバシを一杯に開き、苦痛の叫び声を上げる。意に反して右手の握りが緩み、開いた手のひらから散弾銃がこぼれ落ちた。横合いで縮み上がっていたマーレは、それを見てボールが弾むように素早く駆け出し、鳥人が追いつくよりも早く散弾銃を手にすると、逆さに握って銃床で鳥人の頭をしたたかに殴りつけた。
「……!!」
声にならない声を上げて鳥人はその場に倒れ、それきり動かなくなった。マーレは息を弾ませながら散弾銃を下ろし、禿げあがった額の汗を拭ってゼンタールをかえりみた。
「流石、魔術のキレは衰えていないようで……」
「手首の腱を斬ってやった。さほど深手ではないが、しばらく銃は握れんだろう」
『ペン』――実際は、ペンほどの長さと細さを持った極小サイズの魔導杖――を胸ポケットに戻し、ゼンタールは涼しい顔で応えた。
「流石に深層には潜らなくなって久しいがな……今でも日々の鍛錬は怠っておらぬし、時折は執刀もする。銀竜の牙は、抜けてはおらんということだ」
『赤獅子』キャラバに対して『銀竜卿』ゼンタールありと並び称されたゼンタール・マグナ=ヴィランダンの得意魔術は、あらゆる水分を氷結させて小さな刃を作ることだった。魔力の量自体は小さいものの、離れた場所にも自由自在に出現させることが出来、また精密な操作も可能だった。
こういった魔術においては、魔力の小ささがかえって武器になる――凍りつく水の体積が小さいということは、氷片が薄いということ、すなわち鋭利だということである。加えて、ゼンタール自身の医学知識が、相手の急所をピンポイントで切開し、一瞬にして致命的なダメージを与えることを可能にしていた。
無論、止血や切開手術などといった冒険医本来の仕事に使うこともあったが、魔物などに対する攻撃魔術としても充分に使うことが出来た。『量』のキャラバに対して『質』のゼンタールと、好対照を成していたのが並び称された理由でもある。
「しかし、こいつをどうしたもんですかね。メイユレグ、とか言ってましたが」
マーレは気絶した鳥人の頭を散弾銃の尻でこつこつ叩き、思案の体で首をひねった。ゼンタールは何やら深刻そうな顔で細い顎をさすり、低く唸る。
「このところ話題になっている、反動的『うちびと』秘密結社の名だな。頻発する『うちびと』反乱や得体のしれない事故は全て、連中が裏で糸を引いたものだと――低俗な安新聞の下らぬ陰謀論かと思っていたが、少なくともここに一人、本物が居たわけだ」
「……空中市場を占拠した、なんて言ってましたよね。そんな、バカげたことが……」
口調だけは冗談めかしていたが、マーレの表情はぎこちなかった。そうでなくてもこのところ、空中市場には妙な雰囲気が漂っている。外界政府とバザールは徒党を組んで、『うちびと』反乱に徹底抗戦の構えを示しているし、『うちびと』は『うちびと』でちょくちょく憲兵隊と小競り合いを起こしては、新聞を賑わしている。
そこへもってきて、この散弾銃、それから先ほど外で聞こえた不審な物音――ゼンタールも顔をしかめ、破られたドアの方へ歩き出した。
「何にしても一旦外へ出よう。この男が押し入ってきたということは、受付の職員の身にも何かあったのかも知れんし……」
と、言い切らぬうちにドアの向こうから足音が響き、数個の人影が部屋を覗き込んだ。
「いつまで手間取っている? 人質を連れて、さっさと次の家へ……!?」
覗き込んだ顔が一様に凍りつく。猿人、矮鬼人、地底小人……いずれも見てくれからして『うちびと』の血をひく者たちだ。
「貴様ッ! よくも……」
仲間の鳥人が倒れているのを見て、激高した猿人が腕を上げる。その手には大口径の雷管式拳銃――だが、ゼンタールの魔導杖の方が遥かに速い。
水の魔力が鞭のように行きかい、新手の3人の間を駆け抜けた。と、一拍子置いて、3人の首筋から血が噴き出す。頸動脈に傷をつけたのだ。声にならぬ悲鳴を上げながら、3人は鏡像のごとく同時に床の上へへたり込んだ。
「それぞれ、勝手に血止めをしておけ。急げば命は助かるかもしれん」
無慈悲に言い放つと、ゼンタールは大股にドアをくぐり、呻いている3人の『うちびと』の間をすり抜けて外へと向かった。マーレも慌てて駆け出し、ゼンタールの後ろに隠れるようにしてついていく。
「どうやら、空中市場に何かが起こっているのは確かなようだな……」
仮面のような無表情を保ち、つかつかと大股に歩いていくゼンタールだったが、その額には汗の糸がひと筋、不吉な前兆のように滴っていた。




