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第85話 不穏な予感

「そんなに戻るのか、ここまで来ておいて!」


 隊長は思わず声を上げた。部下のギルド員たちまでが集まってきて、自分たち同士で何やら相談を始めている。


「今から戻って、そこでジャンピンジャックを退治して、となると……行軍を再開できる頃には夜が来てしまうぞ」


「いったん野営して、夜明けを待つのか? ただでさえ余計な時間を食っているというのに……物資も一食分余分に消費してしまう」


 空というもののない大竪穴ではあるが、外界と同じ『夜』は来る。隧道内を照らしている太陽苔は、外界の日の出・日の入りと全く同じ周期で光を明滅させるのである。ひとたび太陽苔がその光を消せば、訪れるのは星も月もない夜――夜行性の魔物どもの時間である。とても進軍を続けることなどできない。

 何やら否定的な議論が交わされる様を蚊帳の外で見守りながら、キャラバは苛々と足踏みをした。


「そりゃ、多少時間のロスにはなるがよ。安全と分かってる場所で腰を据えて敵を処理できるんだ。後々のことを考えたら、そっちの方が結局は楽だろうと俺は思うがね」


「ううむ……」


 セバルは渋い顔で後ろを向き、荷車に乗った別のギルド員たちの輪に加わって話し合いはじめた。

 ややあって、隊長は再びキャラバの方へ向き直り、咳払いをしてから喋り出した。


「あー、助言はありがたいんだがね、キャラバ先生。こちらで相談した結果、やはり先を急ごう、ということになったよ。物資にも限りがあるし、ただでさえ行程に遅れが出ているんだからね」


「あんたの言う事には一理あるかもしれんが、結局、冒険のことは冒険者が決めるのが当然なんだ。あんただって、医者の仕事に俺たちから口出しはされたくなかろう?」


 隊長の後ろからギルド員が、付け加えるように言ってきた。キャラバはぶすっとしたしかめ面で、その言葉を聞いていた。


「リオ……?」


 今しも飛びかかって来た野犬を土の盾で跳ね返しながら、アルラマールが怪訝そうにキャラバの顔を見つめる。磊落な顔に浮かぶ表情は、彼女もあまり見たことのないものだった。

 未踏査領域への調査行においては、記録できたルートの長さ・深さ、また発見された遺跡の有用性に応じて、冒険者ギルドから褒賞が出る。何しろ、その踏査の結果を元に後続の冒険者は冒険を行うのである。虚偽や誤りには厳しい罰が与えられたが、その分だけ成功した際に得られる実利と名声も大きかった。調査団はこぞって、少しでも深い階層へ潜ろうとしのぎを削りあっていた。

 冒険者あがりのキャラバもそれは重々承知のうえだ。しかし――冒険者あがりだからこそ、その危険性も分かっている。欲の皮の突っ張るままにもう少しもう少しと深入りし、自ら死神の胸の中へ飛び込んでゆく輩の、何と多いことか……。


「……さっきも言ったが、あくまでボスはあんただ。俺は従うだけだがね。だが俺も、もと冒険者としての実用的なアドバイスをしたつもりなんだがな」


 渋るキャラバだったが、背後からまたも悲鳴が上がりはじめたのを耳にし、ハッと振り向く。黒い影が、隊列の狭間にまた降り注ぎはじめていた。


「喋ってる間も惜しいや……こうしてる間にも、重傷の怪我人が出かねねえからな。

 仕方ねえ、俺は魔術で連中を片付ける。あんたらは進むも戻るも勝手にしやがれ!」


 キャラバは毒づくと魔導杖を振りかざし、まずは最後尾の敵を片付けに駆け出した。


「そういうわけだ、アルラマール。すまんが君は、先陣へ行ってこのことを伝えてきてくれ。キャラバ先生が魔術で山犬どもを遠ざけるから、その隙を狙って一気に谷間を駆け抜ける――とな」


「任しといてよ、隊長……おっと!?」


 行列の先頭へ向かおうとしたアルラマールは、不意に叫んで足を止めた。ジャンピンジャックがまた一匹、今度は隊長たちの乗った荷車を曳くアナグラバッファローの背に飛びかかったのである。毛皮に爪を立てられ、鈍感なアナグラバッファローもたまらず暴れ出した。錆びついた喇叭のような唸り声は他のバッファローたちも駆り立て、荷車を激しく揺らす。


「このッ! 離れろ……ッ!」


 アルラマールは叫び、暴れるバッファローの蹄を巧みに避けながら、魔導杖を振るった。細く鋭い杖を中心に土の塊が集まり、凝集して黒曜石色の刃を造り出す。アルラマールは真っ直ぐなその刃を、バッファローの背にしがみついたジャンピンジャックへ突き立てた。

 ヒトのものに幾分か似た、ぎゃッという叫び声が上がる。ジャンピンジャックは肩のあたりを刺しえぐられ、バッファローの背から転げ落ちた――と見るや、黒い山犬は落ちる勢いのままに地面を蹴り、跳ねるようにしてアルラマールに襲いかかった。


「くッ……!」


 とっさに剣を横なぎに払ったが、ジャンピンジャックの牙はその下をくぐり抜け、杖を握ったアルラマールの二の腕に食いついた。ドクイバラの強靭な繊維を貫き、皮膚にまで鋭い牙が食い込む。

 アルラマールは顔を歪めながらも、杖に魔力を込めた。刃を形成していた土の塊が魔力を受けて輝き、形を変化させてゆく。真っ直ぐに伸びていた刀身がバネのように曲がり、山犬の首に巻き付いて締め付けた。ごろごろと濁った声を上げ、ジャンピンジャックが顎の力を緩める。

 その瞬間、アルラマールは思い切り腕を振るった。山犬の首に食い込んだ螺旋形の刃がうち振るわれ、どッ、という湿った音とともに首が斬り落とされた。頭部は勢いのままに宙を舞って山道の端に落ち、残った体は血を噴き出しながら力なくその場にくずおれる。


「ア……アルラマール! 大丈夫かね!?」


 騒ぎで頭からズリ落ちかけた兜を直しつつ、荷車の中から隊長が呼びかける。アルラマールは魔導杖を振って刃を土くれに戻すと、こわばった顔で笑みを作った。


「何てことはありません。ちょっと噛まれましたけど、かすり傷ですから……薬草と包帯ありますか?」


「そりゃ、物資の中にあるが……医者に診せなくて大丈夫か? キャラバ先生を呼び戻しては……」


 心配そうに言うセバルに、アルラマールは笑って左手を振った。


「そんな、大したことないですって! ツバつけときゃ治るようなキズですよ? いちいちリオを呼び戻すことはないですよ。それでなくたって、予定が遅れてるんですから。

 さあ、私のことは気にしないで、出発の準備をしましょう!」


 つとめて元気よく振る舞うアルラマールに、セバルも曖昧に微笑みながら頷くしかなかった。



 さて、そのキャラバはというと――最後尾に位置する魔導士の部隊のところへ辿りつき、合流したところであった。魔導士たちはそれぞれの魔導杖を振るい、得意な魔術を撃ち放ってジャンピンジャックを仕留めようと躍起になっていた――が、素早く跳ね回る小さな野犬を、ごつごつと突き出た岩場を避けて撃ち落とすのは至難の業だった。


「あんたか、『赤獅子』キャラバ! 助かるよ……しかし、何だって攻撃魔導士アタッカーやめて医者なんぞになったんだい?」


 リーダー格の魔導士は喜色を浮かべてキャラバを出迎えた。キャラバはぞんざいに頷き、肩をすくめる。


「別に攻撃魔導士アタッカーの方も店じまいしたわけじゃねえ。兼業してんだ。

 それより、イヌ公どもの様子はどうだ? 早いとこ連中を追っ払って一気にこの谷間を抜けちまおうってのが、隊長どののお言葉だが」


「そうだな、そう出来ると助かるよ」


 魔導士は腕を組み、谷あいを眺めながら頷いた。


「何しろ間断なく山犬どもが降ってきて、爪や牙を立ててくだろう。人間の被害は全然大したことないんだが、バッファローどもがすっかり震え上がっちまってね。荷車を置いて暴走しそうな勢いで、押しとどめとくのにもひと苦労なんだ。いっそ駆け抜けちまった方が幾分か楽だろうよ」


 その言葉を聞き、キャラバの眉間に刻まれた皺がいっそう深くなった。


「……どうも妙だな。そう大型の獣じゃないとはいえ、あれだけ鋭い牙と爪を持つ獣に襲われてるんだ。もっと深い傷を負う奴がいたっていいハズなんだが。

 小さい人間じゃなく、デカいアナグラバッファローの方を優先して狙うってのもどうも解せねえ。弱くて仕留めやすそうな方から狙うのが、狩りの定石ってやつじゃねえのか?」


「単純に、デカくて狙いやすかったからじゃないのかね? そんなことより、早いとこあんたの魔術を使ってくれよ」


 魔導士は待ちかねたような調子で言った。この場で議論する気はないらしい。キャラバは納得いかぬげな顔をしながらも、右手に握った魔導杖を構えなおしながら列の最後尾を睨んだ。


「それじゃ、まずは後ろから行くぜ。谷間へ炎を噴きかけながら前へ進んでくから、あんたらは炎の下をくぐってとにかく前へ進んでくれ。多少焼石が降ってくるかもしれないから、気ィつけてな」


「ああ。あんたも気をつけてくれよ、キャラバ先生!」


 リーダー格の魔導士が部隊を先へ進めるのを見届けると、キャラバは谷の両側を交互に見上げた。部隊が先へと進みだしたのを感じ取り、岩間のジャンピンジャックたちもそれを追って走りはじめている。キャラバは歯を剥き、巨大な魔力を魔導杖の先端に集めた。


「さァて……ちっとばかし驚いてもらおうかい、イヌども!」


 杖の先には今や、ひと抱えほどもある深紅の光が煌々と灯っていた。岩の陰から粗い息遣いと、身をすくませるような気配が感じ取れる。ジャッカルたちも気づいているのだ。その魔力の巨大さ、危険さに――だが、もう遅かった。


 キャラバはおもむろに腕を上げ、高々と魔導杖をかざしたかと思うと、谷を横切って岩肌をなぞるようにしてそれをうち振るった。先端に灯った魔力の光が炎の奔流となり、うなりを上げて噴き出す。瞬間、谷あいは真夏の昼間よりもなお明るくなった。

 魔導士部隊を追おうとしていたジャッカルたちは、慌てて岩陰に隠れようとした。が、炎の激流は容赦なく岩肌を駆け回り、氾濫した大河が小さな岩を飲み込むごとくに彼らを包み込んだ。運悪く身体を晒していたジャッカルたちは、悲鳴を上げる間もなく高熱に晒され、焼け焦げた死骸となってゆく。


 「命」も一種の強い魔力であるため、命持つものに対し魔力自体は大きな影響力を及ぼせない。炎の魔力を当てたところで、生き物の体が燃えだすわけではない。が、空気や岩といった命ないものは別だ。キャラバほどの巨大な魔力を持つ魔導士ならば、炎の魔力の奔流で周囲の空気を熱し、間接的に生き物の体を焦がすことも不可能ではなかった。


(……よし、あらかた片付いたかな?)


 キャラバは心の中で独り呟いた。何とか岩陰に隠れて魔力の放出を避けたジャンピンジャックは、ほうほうの体で彼方へ逃げてゆく。最早パーティを追う気力もあるまい。キャラバは追わず、先行したパーティを追いかけて更に魔術を放つべく先を急いだ。


 と――その足がふと止まった。


「これは……?」


 キャラバは道端に妙なものを見つけ、顔をしかめてそちらへ屈み込んだ。白く太い、棒切れのようなものが半ば地面に埋まった状態で転がっている。何か巨大な獣の骨らしい。随分と前に死んだものらしく、肉片や毛の欠片ひとつ付いていない。大きさから言って、スキッパー(山岳地帯に生息する大型偶蹄類の魔物)の一種だろうか。

 キャラバが目を留めたのは、大腿骨と思しき骨の一本だった。太い骨が粉々に砕け、ささくれた断面を晒している。状態から見て、どうも骨になってから砕けたものではないらしい。このスキッパーは、生きている時に足の骨を砕かれ、そしてここで死んだのだ。


 キャラバは妙な胸騒ぎを覚え、さらにじっくりと骨の断面を調べた。先を急がねばならないことは分かっていたが、どうにも気になったのだ。骨が古いために断定は出来ないが、骨折の具合がどうも尋常ではない。崖から滑り落ちて骨を折ったとか、そういった折れ方ではないのである。むしろ外部から何か強い力を掛けられ、へし折られたと言った方がいいような……。


「まさか……!」


 キャラバは不意に顔色を変え、立ち上がった。

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