第84話 黒い山犬
~ 第7大隧道 未踏査領域の入り口 ~
岩山の間をくねくねと走る切通しの道を、冒険者の一団が魔導灯をかざしながら進んでいた。
隊列は大まかに分けて、先陣・本陣・後詰めの3隊に分かれて行動していた。盾や鎧で身を固めた剣士たちが先鋒を担い、隊長を中心として食料などの物資を積んだ荷駄が本陣、その後ろから魔導士が後詰めとして付き従い、魔術の射程で全隊をカバーする。これが、第7大隧道未踏査領域の調査団であった。
第7大隧道はまさに開拓の真っただ中といった土地で、竜列車駅の前などは既に大通りが整備され、繁華街も出来始めていたが、奥地にはまだまだ未踏査の遺跡が眠っていた。
今日調査団が辿っているのは、大隧道の奥にそびえる地底山脈の狭間に存在する道である。発見当初は単なる自然の裂け目だと思われていたその谷間が、壁面の調査により人工の通路だと判明したのである。何らかの家畜のものと思われる蹄の跡まで発見された――家畜が物資を運び込んだ先に、大規模な街が存在した証である。その遺跡を目指し、調査団は進んでいるのだった。
調査団の本陣は、隊長含め冒険者ギルドの主要構成員が乗る荷車を中心として、食料や魔導泉といった物資を積んだ荷車数台で構成されていた。新参のアルラマールは隊長付きという立場で本陣に、キャラバも一応は冒険医として半ばあたりに陣取っている。
荷車は、飼いならされたアナグラバッファロー数頭に曳かれていた。今回のように舗装されていない山道をゆく冒険には、速さに優れるオオツチドリよりも体格と頑丈さに秀でたアナグラバッファローが向いている。
アナグラバッファローは大竪穴に固有の野牛で、長く強靭な毛と頑丈な脚を持った温和な生き物である。今回のように労働力としての役割もさることながら、肉は食用としても珍重され、毛は織物の材料になり、なめし革は非常に頑丈で長持ちする。大竪穴では捨てるところのない家畜として『うちびと』の時代から重宝されている。
そのアナグラバッファローに時々肘をもたせかけながら、医療器具を詰めた背嚢を背負ったキャラバはこめかみを押さえて呻いた。
「あーあ、畜生め。昨日の酒が残るようになってきゃあがったな……俺も歳か。おい、済まねえがもう一杯水くれねェか? 喉が渇いていけねえ」
キャラバは物資の荷駄に向かって声をかけた。その口の端には、道中に折り取った香木の枝が酔い覚まし代わりにくわえられていた。
「ダメだね、魔導泉だって無限に水出せるわけじゃないんだから。二日酔いのおっさんのために貴重な水をムダ遣いするわけにはいきません、と」
荷駄の陰からアルラマールが出てきて、からかうような笑みをキャラバに投げつけた。キャラバは何か言い返そうとしたものの、言い返すのも億劫になったものと見え、ただ歯を鳴らしてごろごろと喉の奥から唸り声を発しただけだった。
アルラマールは岩を踏み越えてのそのそと歩くアナグラバッファローに目をやり、わざとらしく欠伸を噛み殺しながら呟いた。
「けど、何だねえ。深層ってやつも、思ってたより退屈だね。魔物の一匹も出てくるわけじゃなし……これだったら、上の階層で潜った遺跡の方が面白かったよ」
横を行くキャラバは、太い眉をしかめてたしなめる。
「そういう油断が一番危ねえんだよ。未踏査領域ってのは、何があるのか分からねえから怖いんだ。今自分の踏みしめてる道が、神殿の参道だったのか繁華街の表通りだったのかさえ分からねえ。何を警戒していいかも分からねえ。
魔物だってそうだぜ。未踏査領域の探索では、毎日1つのペースで未知の種が発見されているとも言われている。目の前に出てきたやつがどんな魔術を放ってくるのか、あるいはどんな毒を持ってるのか、どんな爪や牙を持ってるのか……まるで分らねえとなったら、対処のしようもねえだろ?」
「おやおや、キャラバ先生は授業中か。精が出るねえ」
横合いを進む荷車の上から声が降ってきた。見ると、ころころと固太りした壮年の男が一人、荷車の衝立仕切りの縁に身をもたせかけて笑っている。冒険用のドクイバラ繊維のコートを羽織っただけの軽装だが、頭にだけは鉄製の兜をかぶっていた。
これが今回の冒険団の団長、名をセバルという。剣士上がりで、功績と呼べるほどの功績もないが、ただ人柄の良さと実直さでバザール内の立場を確保してきた冒険者だ。
「その調子で色々と教えてやってくれよ。何しろ、マグナ=ヴィランダンのとこの娘だからね。雑に扱っちゃ俺の面子も立たないし、何より『銀竜卿』にどやされる」
「またそうやって、苗字のことを言うんですから、隊長は……」
不機嫌にアルラマールは応え、深いため息をついた。
「冒険に出ちまったら、私は私。兄貴のことも、顔も知らない先祖のことも関係なし。ただの攻撃魔導士アルラマール、ってことでいいじゃないですか」
「いや、そうも行かんのだよな、何しろギルドの付き合いってもんがさ……」
と、弁解めいた口調でセバルが言ったその時だった。
「うああッ!」
「な、何だァ!?」
荷車の向こう側で、何やら冒険者たちの悲鳴が上がった。車を護衛する本陣付きの剣士たちだ。アルラマールとセバルは顔を見合わせ、身構えた。背中を荷車の方へ向け、車をかばうようにして腰を低く構えたアルラマールが、魔導杖を取り出しながら周囲を見回す。
と、道を挟んで聳え立つ山の岩陰から、黒い影が駆け下りてきた。大きさは犬ほどだろうか。ほっそりとした流線形の体と、針のように真っ直ぐ伸びた四肢を持つその獣は、起伏に富んだ山肌を跳ねるように下って、荷車へと飛びかかって来た。
「この……!」
アルラマールは魔導杖を振り、その先端で足元に一本の線を描いた。まるで相手と自分との間に仕切りを描くように――すると、たちまちその線が白く輝きだす。次の瞬間、光は真上に向かってずッと伸び、土で出来た薄板をアルラマールの眼前に出現させた。彼女が得意とする魔術、無機物に魔力を流し込んで形状を変化させ、武器として使う魔術だ。
黒い獣は突如出現した壁に驚き、空中で少しばかり身をしならせる。が、勢いは止まらず、肩口から壁面へ衝突することとなった。獣は細長い鼻面を振り、苦痛の呻きを漏らすと、壁を蹴ってゴムまりか何かのように後ろへ跳び、そのまま再び岩陰へと消えていった。
「山犬か?」
兜の下から周囲を窺いつつ、セバル隊長が尋ねる。アラムは魔導杖を振るい、『盾』を変形させて広げながら答えた。
「ジャッカルの一種だと思います。一瞬でしたけど、尖った耳と鼻面が見えました。けど、体じゅうが真っ黒で……」
「ジャンピンジャックか、面倒だな」
セバルは顎を捻り、今の襲撃でやや乱れた隊列を見やった。行動できぬほどの傷を負った者はいないようだが、爪や牙にかかった者から地面に押し倒された者、ただ驚いてすっ転んだ者まで、相当数の怪我人が出ている。
いつの間に移動したのか、キャラバが道具箱を背に負傷した者たちの周りを忙しく立ち回っている。二日酔いもどこへやら、その手際は恐ろしく素早かった。
「ジャンピンジャック――岩場を跳ねて移動するのが得意なジャッカルだが、一匹一匹はそこまで手ごわい相手じゃない。魔物ってわけでもないし、体もそんなに大きくないからな。だが奴らは群れで獲物を襲う。自分よりデカい獣だろうと、こういう狭いところへ追い込んでおいて、岩陰なんかを利用して襲っては隠れ襲っては隠れしながら体力を削いで仕留めるんだ。ずる賢い連中だよ」
隊長の説明を聞き、アルラマールは成程という顔で隊列を見やった。黒い獣があちこちから、落石のように襲いかかってきている。冒険者たちの抜く剣や魔術の光が、薄暗い山道を照らし出した。が、仕留められた獣はほとんどいなかった。この岩だらけの山道が射線を塞いでしまうのだ。
「つまりここは、ジャッカルの――ジャンピンジャックの狩場というわけですね。確かに、厄介な場所に足を踏み入れてしまった……」
「まあ、それもそうだが、もう一つ厄介と言うか気になる点があってな」
セバルは腕を組み、同乗しているギルド員たちの顔をちらりと見た。パーティの中でも幹部というべき面々だが、いずれも不安げな面持ちで隊長の顔を見返す。
「先ほども言ったとおり、ジャンピンジャックは狡猾な生き物だ。地の利を駆使して獲物を仕留めるが、うかつに手を出せないほど強い相手には決して近づかない用心深さも兼ね備えている。それが、いくら狩場に足を踏み入れたからとは言え、我々を襲っているのだ。これだけの大パーティたる、我々をだ」
「つまり、こういうことですか? 我々は山犬ごときにナメられていると!」
ムッとするアルラマールに、セバルはたしなめるように指を振った。
「言い方はアレだけどね、向こうにそれだけの力があると考えるべきだろうねえ。つまり、今襲ってきてるジャンピンジャックの群れは、この大人数を相手に狩りが出来るほどの規模だってことさ。奴らには勝算がある……そうでないと、こうも大胆に仕掛けては来ないはずなんだ」
「……!」
隊長の深刻な表情に、アルラマールはにわかに気を引き締めて周囲を見回した。最初の一撃からしばらく経ち、山犬の襲来は今や小休止の状態に入っていた。しかし、耳を澄ましてみると依然として岩陰には複数の生き物の気配が感じられる。誰かが魔導灯を灯し、山肌を照らしているが、その丸い光の輪郭の中には時折、尖った黒い影が顔を出す――あれはジャンピンジャックだろうか、それとも岩の影が長く伸びただけだろうか?
「あン畜生どもめ、切通しを通るために陣形が縦に伸びるのを見越して、食料の荷駄を狙ってきやがったんだな。ハナが利きやがる!」
怒鳴るようにぼやく声が、荷車へ近づいてきた。追加の包帯と膏薬を背嚢から取り出しながら、キャラバが早足に通りかかるところだった。ちょうど荷車の横を通り抜けようとした時、セバル隊長は身を乗り出して声をかけた。
「キャラバ先生! 医者の仕事もいいが、今は攻撃の方に回ってくれないか。今の所こっちには決定打がないんだ。あんたの魔術なら、数の多い敵を追っ払うのにうってつけなハズだ」
「うん……そうさな。いくら治しても治すそばから怪我人が増えてくんじゃ、やってられねえしな」
キャラバは立ち止まると、薬の小瓶をコートのポケットにねじ込み、代わりに懐から自分の魔導杖を取り出した。棍棒と見まがうような、見るからに強力そうな得物だ。
「俺の『噴火』の魔術でその辺を軽く炙ってみらァ。イヌ公どももちったァビビるだろ」
「だといいがね……もし攻撃が止むようなら、その隙をついて一気にここを走り抜けたい。伝令を回して、各班に伝えさせよう」
隊長の言葉に、キャラバの顔がふと曇った。
「この状態で、先に進むってのか?」
「何かマズいことでもあるかね、キャラバ先生?」
聞き返すセバルに、キャラバはむっつりと腕を組んで太い眉を寄せた。
「そりゃ、ボスはあんたであって、俺はその決定に従うだけだがよ。だが、冒険医として俺の意見を言わしてもらえるなら、このまま先へ進むのは分のいい賭けじゃねえと思う。
隊列は乱れてるし、わずかだが怪我人も出ている。無理に進もうとすれば今以上に隊列は伸びて、その分脆弱になる。前に待ち受けてるのは、何があるかも分からねえ未踏査の領域なんだぜ。ハダカで合戦場へ跳び込むようなもんだ。
それに、ジャンピンジャックだってこっちが逃げたら追ってくるだろう。隠れ場所の多いこの地形じゃ、魔術や物理弾で全滅させるってわけにも行かねえ。運が悪けりゃ、前には未知のバケモノ、後ろからは血に飢えた山犬の群れっていう、最悪の挟み撃ちになりかねねえ」
「うむ……じゃあ、どうしろと?」
口を曲げ、不満げに首をかしげる隊長に、キャラバは腕を広げて手ぶりを交えながら説明を始めた。
「車を反転させて、いったん来た道を引き返すんだ。先鋒の盾持ちをそのまま後詰めにして追撃を防ぎながら、開けたところまで戻る。そこで改めて隊列を組みなおしてから、充分なスペースを確保した状態でジャンピンジャックを迎え撃って追い払えばいい」




