第83話 新人冒険者アルラマール
「大層な意気込みだぜ、銀竜卿の兄さまはよォ」
鼻白んだ様子でキャラバは言い、ぎこちなくなった空気を振り払うかのようにエールのジョッキをぐいと呷った。
「気が早いんだよ、大体お前は……頭が良すぎるんだなあ。たかが医療ギルドの理事見習いになったばっかりだってのに、もう大竪穴全体をどうこうする話をしてやがる。
仮にもてめえより幾らか年食ってる人間として言っといてやるがな、バザールってのは手ごわい相手だぞ。色んな人間の思惑と欲がひっ絡まり合って出来た、でっけえ怪物みてえなもんだ。指一本でも触れたら、知らねえうちにその込み入った機構が動き出す。気づいた時には抜き差しならねえ破目に追い込まれてるって寸法よ。
分かるか、善いとか悪いとかじゃねえんだ。ただデカすぎるのさ。動きの鈍い巨大な獣ってのは、どうしても命令が全身に回るまで時間がかかっちまう。お前さんがいくら気張ったところで、バザールのケツが軽くなるわけでもなし……ひと晩で何もかもガラッと変わる、なんて風には行かねえさ」
「手段ならある……あるはずだ」
かすかに体を傾げ、ゼンタールは呻くように言った。手にしたグラスを揺らし、もうひと口ウィスキーを含む。
「冒険医はパーティの命を握る仕事だ。責任は重いが、責任はそれそのものが一つの権利でもある。
考えてみたことはないか? 医療ギルドが本当に組織を固め、団結して事を起こせば、何が成し遂げられるか。冒険の現場で、負傷者を治療する者がいなくなったら、どうなると思う?」
「……おい、やっぱりお前、ちょっと酔っぱらい過ぎてンな」
話がそこまで来たところで、エールのジョッキを眺めていたキャラバがふと顔を上げた。その目がいやにぎらぎらと輝いているのは、どうやら酒のためばかりではないらしい。
「あんまり穏当じゃねえ言葉が聞こえた気がしたが、それとも酔ってんのは俺の方か? てめぇ……冒険者の命を人質に取って、バザールを脅そうってか?」
「脅しではない。必要に基づいての、正当な要求だ」
ゼンタールは一歩も退かず、かえって喧嘩を吹っ掛けるようにキャラバの目を見据えた。
「どうせ今の冒険医と医療ギルドに、冒険者の命を預かる力はない。それを真っ当な形にまで育て上げるためなら、行動を起こすことも厭うべきではないと私は思う……医療ギルド所属の医師が連帯し、冒険への同行を止めでもすれば、流石に連中も多少は思い知るのではないか?」
「言いやがるな、言うべきじゃねえことをペラペラと……!」
キャラバはとうとう椅子から立ち上がった。テーブルが揺れ、ジョッキに残ったエールがふた口分ほど零れる。マーレは慌てて自分のカクテルのグラスを手で守った。
「仮にも医者を名乗ってるもんが、助けられる患者を助けねえで眺めてようってのか! 俺ァな、そういうやり口が一番嫌ぇなんだよ……てめえの技をダシにして、苦しんでる人間の弱り目につけこんで駆け引きフッかけようって根性がよ」
「ならばこのまま漫然と、目先の患者だけを治して暮らせというのか!?」
売り言葉に買い言葉で、ゼンタールの口調も荒くなる。今や、彫像のように静かな顔にもアルコールと憤怒が影響を及ぼしはじめていた。額にはひと筋血管が浮き出し、目元はほんの少し指先でこすったほどの赤らみが見て取れる。
「何度言えば分かるのだ、もっと広い視点でものを見ろ。多少荒っぽい手段に出なければ今のバザール体制は変えられん。医療ギルドがずっとこのままならば、医者の質も上げられん……これから先、助けられたはずの命をどれだけ失うか分からんのか!」
「だからってなァ、お前は急ぎすぎなんだよ! お前のその、アタマで考えた理屈でどんだけの人間が振り回されることになるか、それこそ分からねえのかって話だよ!」
「おいおい、止しなっての……みんな見てるでしょうが。まったく、どうして君らは顔突き合わせるってえと最後にはこうなっちゃうのかねェ」
やれやれといった顔つきで頭を掻きながら、マーレが2人の間に入って仲裁を始めた、ちょうどその時だった。
「ああ、居た居た……兄貴ィ!」
入口の戸が開き、声が響いてきた。酒場には不釣り合いな若々しい娘の声だ。3人は思わず顔を見合わせ、示し合わせたように入り口の方を向いた。
入ってきたのは、黒髪を長く垂らした若い女だった。年のころは18くらいだろうか。細身の体に、まだあどけなささえ残る顔立ち。しかしその装いはいかにも冒険者らしく、動きやすい麻のシャツにドクイバラのジャケット、足元はアナグラバッファロー革の頑丈なブーツで固めていた。すッと通った鼻の上には、銀縁の丸眼鏡が乗っかっている。
キャラバはフンと鼻を鳴らし、椅子に腰を下ろすと、ゼンタールの方へ顎をしゃくった。
「口喧嘩も水入りってとこだな。妹君がお出でだぜ、ゼンティ」
ゼンタールは歩み寄ってくる娘の顔にちらりと一瞥をくれた後、瞑目して深く息をついた。
「さて、どうだかな……呼びに来たのは案外、お前の方かも知れんぞ」
「なんだ、リオはともかく兄貴まで、随分呑んでるみたいじゃないの……あっ、マーレ先生。お久しぶり。どう、調子は?」
くるくるとテーブルの面々の顔を見比べながら、娘――アルラマール・マグナ=ヴィランダンは快活に笑った。
ゼンタールの妹アルラマールは、昨年冒険者としてのキャリアをスタートさせたばかりだったが、既にいっぱしの攻撃魔導士として名を売り始めていた。土や石などの無機物を変形させて固め武器とする魔術を得意としていたが、剣技をはじめとした体術にも優れ、魔導士というよりは物理戦闘を行う剣士に近いような役割を担っていた。
「僕の方は相変わらずだよ。街にいる限り、魔物やら罠やらにどうかされる気づかいはないからね。君らと違って。
そうそう、そう言えば、また深層へ踏査団が出るんだって? 君もメンバー入りしているそうだが」
「あっ、それそれ!」
アルラマールは思い出したようにぽんと両手を打ち合わせ、テーブルを回り込んでキャラバの元へ駆けよった。
「私が連れに来たのはあんたなんだけどね、リオ。隊長に頼まれてさ……忘れたわけじゃないだろうね、第7の踏査は明日だよ? あんたも冒険医としてついて来る約束でしょうが。結構深いとこまで行く予定だから、あんまり深酒させないようにしてくれって隊長が……もう、遅いかもだけど」
「なんだよアラム、俺を誰だと思ってやがる」
キャラバは床を蹴り、椅子から巨体を持ち上げた。体をやや左右に揺すぶりながらも、すっくと仁王立ちして声を張る。
「天下の赤獅子、リオンナード・キャラバさまよ。このくれえの酒、呑んだうちに入らねえってンだ。大体よ、お前の兄貴のめでたい日だってのに、これで呑まなくて男が立つかってのよ、こんちきしょう……」
若干呂律の怪しい口調で吼えると、周りの客たちの間から囃し立てる声が起こった。指笛を吹く者までいる。キャラバは両腕を鷹揚に上げて歓声に応えると、満足げに再び椅子に腰を下ろした。アルラマールは舌打ちし、さらにもう一杯呷ろうとするキャラバの腕を掴んだ。
「ちょっとちょっと、何座ってンだよ……もう帰るの! 確かに連れて帰るって隊長に約束したんだから!」
「おい、何すんだ! 引っ張るなって! だいたい、こんなとこで中座したんじゃ2人に迷惑だろうが!」
椅子から引きずり降ろされそうになり、キャラバは助けを求めるようにマーレとゼンタールを見た。ゼンタールはしらばっくれるように目を閉じ、ウィスキーのグラスを嗅ぐばかりだった。
「いいから連れていけ、アルラマール。このままここで騒がれたら、そっちの方が迷惑だ。
リオンナード、ここは奢りにしておいてやる。お前はもう帰って寝ろ……仮にも医者だろう。明日の仕事を適当にやるようだったら、承知せんぞ」
「なッ……てめえ! 今日はてめえの祝いの日だろうが! 祝う相手に奢られるなんて、そんなみっともねえマネが出来るかよ! そんなことで男が……」
「はいはい、時間切れ! 続きはまた今度、ゆっくりお話ししなさいな」
アルラマールは容赦なく言い放つと、テーブルの上に置いてあった空のグラスをひょいと取り上げ、もう片方の手でジャケットの下のホルスターから魔導杖を取り出した。人の肘ほどの長さで、先端はスティレットと見まごうばかりに尖っている。
アルラマールはキャラバの右手にグラスを乗せ、相手が目をぱちくりさせているうちに魔導杖をグラスへ打ち付けた。たちまちグラスの輪郭がゼリーのようにうねうねと揺れたかと思うと、音もなくどろりと溶けてキャラバの右手首に巻き付いた。さながらガラスの手錠だ。
「あッ……てめえ!」
「はいッ、引き綱の一丁上がりと。ほら、行くよ、リオ!」
手錠型になったグラスの反対端を握ったまま、アルラマールは歩き出した。キャラバの右手もそれにつられて引っ張られる。それでもぐずぐずと渋っているキャラバを見て、アルラマールは眉をひそめると、もう一度ガラスに魔導杖を当てた。
魔力がほとばしり、グラスが再び形を変える――手錠の輪がすぼまり、キャラバの手首を締め付けだしたのだ。たまらずキャラバは呻き声を上げた。
「痛てててェッ……おい、加減しろよ! 外科医が利き手をいわしちまったら、元も子もねえだろうが!」
「そうなりたくなかったら、素直に歩くこったね」
アルラマールは悪辣な笑みで応えると、テーブルの方へ向き直ってぺこりと会釈した。
「それじゃマーレ先生、兄貴も、ごゆっくり。私はこの大型犬を散歩に連れてって、犬小屋に寝かしつけなきゃいけないから」
「そういう物の言い方はやめろ、アルラマール」
苦虫を噛みつぶしたような顔でゼンタールは応じた。
「いつもいつも言っているだろう……がさつな冒険者連中と付き合うのは、そりゃまあ仕方ないがな。何も相手の振る舞いを真似て家の中にまで持ち込むことはないんだ。先祖代々受け継いできた『マグナ』の名が泣くぞ」
「ちぇッ、兄貴はいつもそれだ。こちとら、欲しくってもらった名でもないってのに」
気にする風もなくアルラマールは言い、それ以上話すつもりはないとでも言いたげにくるりと背を向けた。背中越しに白い手のひらをひと振りすると、ガラスの手錠を引きずったまま歩き出す。引きずられて仕方なしに歩くキャラバが、その後に続いた。
「それじゃあ、俺はこれで帰るけどよ! 忘れンなよ、お前の出世祝いはまだ済んでねえんだ! さっきの話の続きも含めて、帰ってきたらまた呑みに行くぞ! 今度は俺が奢るからな! そうしねえと、お前、男が……」
キャラバの胴間声が酒場の外へ出てゆき、段々に小さくなっていって、やがて酒場の喧騒の中に消えた。マーレとゼンタールはふと顔を見合わせ、すっかり静かになったテーブルの間で笑みを交わした。
「しようのない奴だ。先ほどまで言い争っていたというのに、もうあんなことを言っている」
そう言うゼンタールの目はしかし、先ほどまでの鋭さを失って、わずかに笑みすら湛えていた。マーレもくつくつと笑う。
「君の妹がいいところに現れてくれたよ。彼女はどうもキャラバとはウマが合うようだから」
「私よりもむしろ奴の方が血の繋がった兄貴らしいなどと、人は言うがね」
少しばかり自嘲するような調子で、ゼンタールは言う。
「荒っぽい事にばかり憧れて、困ったものだ。あれでは嫁の貰い手もない」
ゼンタールは肩をすくめ、グラスをそっと口元へ持って行った。その口元から緊張が取れているのを目ざとく見つけ、マーレは微笑んだ。
「まあ、大竪穴に産まれたからには、何らかの形で冒険に関わりたいってのが普通の考え方じゃないのかね。産業にしても文化にしても、この土地の基盤はすべて冒険だ。一攫千金を夢見て、未だに外界からわざわざ降りてくる連中も後を絶たない。ましてこの土地で開拓者の家系に産まれたとあっちゃ、こりゃもう産まれながらの冒険者ってやつさ」
「調子のいい事を言ってくれる……私の気も知らないで」
ゼンタールは困ったように眉をひそめた。彼としては珍しい表情だ。『怒り』よりもなお珍しい。
「あんな調子で、いつか大怪我でもするんじゃないかと心配でならん。多少魔術の心得があって、剣の腕が立つと言っても、あれはまだ子供だ。無謀さと思いあがりが服着て魔導杖を持ってるようなものだ。
しかも深層の、未踏査領域への冒険と来ては……まったく、気が気ではない」
「まあ、今度の冒険に限っちゃ大丈夫でしょう。他の有象無象だったらともかく、今度の冒険医はキャラバ大先生だ。そうメチャクチャなヘマは起こらないよ」
マーレは励ますように言い、まだ半分ほども残っているカクテルのグラスを持ち上げて見せた。ゼンタールは力なく笑い、返事をするようにウィスキーのグラスを上げる。
「そうだと、いいのだがな……」




