第82話 少しばかり昔の物語
さほど昔とは言えぬほど以前のこと。
第6と第7大隧道のちょうど間あたり、大竪穴そのものにぴったり蓋をするようにして、巨大な円盤型の構造物が浮かんでいた。壁面から生えた木々の太い枝々を土台とし、無数に掛けられた橋と足場が地面を形作って、いつしか自然に築き上げられた空中の大地。
そこでは深層から持ち帰られた遺跡の秘宝が、外界や上層からもたらされる貨幣と交換され、巨大なカネの流れを産んでいた。冒険産業が富を造り出す場所、『そとびと』と『うちびと』が出会う場所、あらゆる種類の希望と欲望が交差し混じりあう場所。
人はそこを、空中市場と呼んでいた――
~ 空中市場外縁部 酒場『踊る黒猫』 ~
「やっと来たか、おォい! こっちだ、こっち!」
酒場の中ほどに据え付けられたテーブルで、大柄な男が腰を浮かせて手を振り、入り口に向かって大声で呼ばわった。ちょうど入ってきた男に向かい、しきりに自分のテーブルを指さしている。
「そんな大声で呼ばなくたって、聞こえてるよ……まったく」
入ってきた小太りの男は、苦笑いしつつも真ん中のテーブルを目指して歩を進めた。ごった返す人の波をかわし、時に肩や膝をぶつけた相手に詫びながら歩いてゆく。まだ宵の口だというのに、酒場は平生よりずいぶん繁盛していた。第7大隧道への大規模な冒険行が成功した影響かも知れない。
「おう、随分と待たしてくれたじゃねェか、エル……お陰でこっちゃァすっかり出来上がってるってなもんだ」
小太りの男が目の前に腰を下ろすと、大柄な男はそう言って締まりのない笑みを浮かべ、エールのジョッキをぐいと呷った。四角くゴツい顔は赤らみ、テーブルの上には既に空のジョッキがいくつも置かれている。「出来上がってる」と自称した言葉に嘘はないようだ。
大柄な男の向かい側、小太りの男から見ると右側には、細面の若者が独り座り、小さなグラスから琥珀色の液体を舐めていた。鋭い目と通った鼻筋は、他の2人より一回りほどは若そうだが、唯一その印象を裏切るのは髪であった。若者の髪は、金属のようにさえ見えるほどの銀髪だったのである。
「ったく、ヒトをこんなに待たせるなんてのァ罪だぜ、エル。つれねえよなァ。バザールのお偉方相手に開業医なんてやってると、こうも人間堕落するもんかね」
エルと呼ばれた小太りの男が席についてからも、大柄な男は唇を舐めながらぐちぐちと喋りつづけた。若白髪の男が眉をひそめ、たしなめるように言う。
「いつまでも責めるものじゃない、リオンナード。私たちの仕事というのは、いつどんな面倒ごとが持ち上がるか分かったものではない。それくらいお前だって知っているだろうに」
「何だよ、ゼンティ……面白くねえ奴だな」
リオンナードと呼ばれた男――キャラバは鼻白んだ様子で、ほとんど中身の残っていないエールのジョッキを傾け、わずかに残った澱を舐めた。
「ほんの冗談だってンだよ。ただちょっと、マーレ先生もからかってみただけさ。何せ御大、もう自分の診療所を持ったってェんだからな。やっかみの一つも言いたくならァな」
「そんなこと言われたって困るよ、キャラバの大将。言っとくけどね、自分の診療所を持つってのもこれはこれで大変なんだぜ?」
エル――エルクラップ・マーレは、当惑顔でそう言って広い額を掻いた。白髪の男ゼンティ――ゼンタール・マグナ=ヴィランダンは、思いやるような調子で頷いた。
「それはそうだろう、エルクラップ。開業医には開業医の苦労がある。冒険医に冒険医なりの苦労があるのと同じようにな。それが分からんか、リオンナード?」
ゼンタールはグラスを持ったまま、鋭い目をキャラバに向けた。キャラバは空になったジョッキをテーブルの隅に放り、肩をすくめる。
「俺個人のことだったら、別にどうだっていいがよ。今日はゼンティ、おめえの祝いの日じゃねえか」
幅広い手のひらで、斜向かいに座ったゼンタールの肩を叩いた。ゼンタールは眉一つ動かさず、グラスを口元へ持っていく。
「私は別に、祝ってほしいなどといった覚えはないぞ、リオンナード。何やかやと理屈をつけて、どうせお前が勝手に呑みたいだけなのだろうが」
「どうしてそうお前ってやつは、ヒトの好意を素直に受け取れないかねェ!」
大仰に両手を広げるキャラバに、マーレはくすくす笑いを漏らした。
「そうそう。ゼンタール、ギルド理事就任おめでとう。君の若さで、しかも冒険医という立場でありながら正理事に任命されるなんて、あんまりないことだよ」
運ばれてきたミント入りカクテルのグラスをゼンタールのグラスへかちりと当てるマーレに、ゼンタールは軽く頭を下げた。
「とは言え、所詮はヒラの理事だ……しばらくは見習いの扱いだし、発議権も与えられていない。バザールにものを言えるようになるまで、まだまだ道のりは長い」
バザールという言葉が出た瞬間、キャラバは太い眉を跳ね上げ、マーレの笑みはほんの少し輝きを失った。
『バザール』とは、空中市場に存在する各業種のギルドがそれぞれ委員を送り込んで運営している一種のギルド複合体である。商取引のルールを定め、商売の円滑化を図るだけでなく、独自の兵力をも有してギルド法の執行まで担う。経済的な規模から言っても、ほぼ小国家のようなものである。
バザールの運営委員会には、産業・商業の各ギルドから規模に応じて委員が送られる。が、実質的にその運営を牛耳っているのは、大竪穴の経済を支える深層開発と冒険産業を一手に握った冒険者ギルドであった。経済力の他にも、バザール私兵団には冒険者上がりの者が多く、冒険者ギルドの強い影響下にあった。空中市場を硬軟両面で実効支配しているのは、ほとんど冒険者ギルドだと言ってもよかった。
「御政道のことをあんまりとやかく言うと、後の祟りが恐ろしいよ。それでなくとも君にとっては、これからが大事な時なんだから」
さりげなく周囲に目を配りつつ、マーレが忠告する。ゼンタールは無表情を保ったまま、グラスに残った酒を呑みほした。
「心配しなくとも、こんな街はずれにまで聞き耳を立てているお偉方は居ないさ。冒険者ギルドのお歴々は、もっと中心街の方で夜をお過ごしになるんだ」
「なんだ、俺の馴染みの店をバカにしたような言いぐさだなァ」
手ぶりでエールのお代わりを要求しつつ、絡むような口ぶりでキャラバが言う。が、ゼンタールはまるで無視し、少し上の方へ目線を向けながら語り出した。
「誰が目の前に居ようとも変わりはない。言ってやるさ……今の冒険医の待遇というのは、ひどいものだ」
ぴしりと言い切ったその眼は、剣のように鋭い。キャラバは口をすぼめてひゅうと息を吹いた。
「おっしゃるねェ。いいぜ、一席ぶってみなよ。冒険医がどうだって?」
「お前もよく分かっているだろう、キャラバ。冒険者からわざわざ医者になったお前ならな。医者とパーティの他の構成員との間には、見えない壁が存在する。
冒険の報酬はそれぞれの働きに応じて出されるものだが、この報酬体系そのものが医者には不利に出来ている。医者が働く時というのは、怪我人が出た時だ。どんなに上手く行った冒険であっても、怪我人が出なければ貢献はゼロ、報酬も雀の涙となる。逆に怪我人が多すぎれば、冒険そのものが失敗することもある。そうなれば実入りはゼロだ」
「怪我人が出ても貧乏、出なくても貧乏、と――確かに、サギだよな、こいつは」
キャラバは歯をせせりながら愚痴っぽく呟いた。
「冒険者ギルドの連中に言わせれば、医者の仕事なんてのァ楽なもんだそうだ……けが人が出るたびに小っちゃな杖振り上げて駆けつけ、さんざんいじくり回したあげくに難しい顔で首を振りゃ、それで終わりって仕事なんだとよ」
不興げに首を振るキャラバに、カクテルのグラスをちびちび舐めながらマーレが応じる。
「ま、そう言いたくなる気持ちも分からんではないね。冒険の現場で負った怪我による死亡率は相変わらず高い。ちゃんと統計を取った奴はいないが、もしかしたらずいぶん昔からほとんど変わってないんじゃないかな?
冒険医もずいぶん増えたが、命にかかわるような負傷に対してはなかなか手が出せないからね。せいぜい血止めをするか、麻酔をかけるかくらいだ。モルフォコウモリをはじめとする大竪穴産の新薬のお陰で、麻酔技術だけはやたらと進歩したけどね。冒険医のことを『水色ローブの麻薬売り』と呼んでる連中もいるくらいだ」
「言ってくれるな、エル……空中市場にケツを落ち着けてバザールの連中ばっかり相手してるうちに、毒気に当たって根腐れしたか?」
キャラバはふざけ半分に凄んでみせた。が、そのやりとりをゼンタールはむっつりとした顔で眺めていた。
「私も、冒険医の一員として心外ではある――が、そう言われても仕方ない部分があるということも、否定はできない。医者の質が悪すぎるのだ」
「あァ!?」
今度は7割がた本気で、キャラバは酔いの色の浮かぶ目でゼンタールの顔にひと睨みをくれた。しかしゼンタールは怖じる様子もなく、さらに一杯のウィスキーを注文しながら話を続けた。
「何もお前のことを言ってるんじゃない、リオンナード。もっと広い話、冒険医全体の話だ。能力にバラつきがありすぎるのだ。
今の医者というものは他の職工と同じく徒弟制だが、弟子をいつ独り立ちさせるかは師匠の胸先三寸ひとつだ。加えて、その免許自体も極めていい加減なものだ。冒険者ギルドでも医療ギルドでも特に形式に決めごとをしていないから、鑑定のしようがない。ちょっと気の利いた者なら容易く偽造が出来てしまう。屋敷の奉公人がニセの推薦状を自分で書くのとほとんど変わらない。キズの手当ても覚束ぬ者までが医者を名乗れるというのが、偽らざる現状だ」
次第に熱を帯びる口調でゼンタールは言うと、給仕の手から新しいグラスとついでにボトルをひったくった。炎魔導士の描かれたビンは、大竪穴で醸造されたウィスキーの『ファイア・スターター』。この界隈では最もポピュラーな銘柄だ。
「分かるか、この理屈が。医者の立場が信用されていないからこそ、冒険者は医者にカネを出すのを渋る。カネにならないとなれば、好きこのんで冒険医などになる者はいなくなる。成り手が少なければ、医者の質など上げようもない。となれば、信用も上向きはしない――悪循環だ。
そういう状況だからこそ、まともに冒険医をやって食って行こうとすれば、攻撃魔導士と医者を兼任するというワケの分からんことまでする破目になったりするのだ」
「……やっぱり俺のことをけなしてるように聞こえるな、ゼンティ?」
白い目で睨むキャラバに、ゼンタールはウィスキーを手酌でグラスに注ぎ足して呷ったのち、睨み返した。
「そっちこそ、話を聞いているのか? お前のことじゃない。もっと広い話をしているのだ、広い話を。
このまま放っておいたところで、自然に事態が好転したりはしない。冒険医は貧乏暮らしが約束づけられた下級職で、医療ギルドのバザールにおける立場だって低いままだ。
誰かがこの鎖を断ち切らねばならん……今から医者を教育しなおすには時間がかかるし、費用だって必要になる。だったらまずは力だ。冒険のたび、冒険者ギルドに小銭を恵んでもらうようなやり方に先はない。こちらで報酬を決められるようにならねば……それには、医療ギルド自体の組織をもっと強固にする必要がある。バザールとやり合っても渡っていけるほどに」
安ウィスキーの香り漂う息を吐き、ゼンタールは演説を一旦途切らせた。その蒼白な顔に、酔いの影は見えない。ただ、彼をよく知る者ならば、その語調の速さに泥酔の兆候を読み取ることが出来ただろう。
キャラバはその兆候を読み取れる数少ない友人の一人だった――心得たりといった表情で頷き、応える。
「気持ちは分かるがなァ、ゼンティ。そう先を急ぐもんじゃねえや。急いで走ると転びやすくなる、ってもんでよ。黙ってたってこの中じゃ、お前が一番出世しそうなんだ。俺たちの分までずんずん上へ登ってってもらわなきゃ困るぜ……おっと、穴ン中で『上へ登る』ってのも変かな?」
「それより、『俺たち』ってのは僕も入ってるのかね? ひどいなあ……キャラバ御大と違ってね、僕はまだギルド内での出世を諦めたわけじゃないからね。憚りながらこれでも、僕の診療所は中心街でもそれなりに評判をだね……」
言い合いながら、酒席の冗談に紛らして笑うキャラバとマーレだったが、ゼンタールは乗ってこなかった。『ファイア・スターター』を今ひと口すすり、相も変らぬ仏頂面を崩さずに低い声で呟く。
「何と言われようと、私はやってみせる……大竪穴の医療を根元から変える! 我がヴィランダン家は、大竪穴の礎を築くことでその名を飾られ、それを誇りとしてきた。私も祖先に倣うのだ、医療ギルドという場所で!」




