第74話 見えない病巣
「だから申したでしょうが、あのような者どもを引き入れれば、ろくなことはないと!」
ママローニの怒鳴り声が広間に響き渡った。隊長のウィンゲルは困ったような顔で顎髭を撫で、ザインたちが立てこもった荷車の方に目をやった。
幌に覆われた荷車の周りは、既にパーティの中から動ける者を動員して包囲してある。四方から銃も向けられ、いつでも撃てる状態にはなっていたものの、問題は中の様子がまったく分からないことであった。
「すっかり静かになってしまいましたね、出てくるつもりもないようで……どうします、撃ってみますか?」
狙撃手の一人が隊長にお伺いを立てる。が、その提案は横合いからママローニによって一蹴された。
「バカ者! 患者が中にいるのを忘れたか! 下手に撃ちかけようものなら、命取りになるぞ!」
「ま、それもそうだ……どっちにしろ、中が『静か』というのは連中が何かハデなことをするような気配もないということだし、何もなければこのまましばらく静観ということで、いいんではないのかね」
状況の割に呑気な口調でウィンゲルは言う。いよいよ腹を立てたママローニが、何やら烈火のごとく言い返そうとした丁度その時だった。
「あ、あれを!」
冒険者の一人が荷車の方を指さした。見ると、閉ざされていた幌がゆっくりと開き、奥から巨猪人が姿を現した。包囲網をなす冒険者たちはにわかに色めき立ち、それぞれ銃を構えなおして引き金に指をかけた。
「いつでも撃てますが……どうします?」
興奮した口調で判断を仰いだ狙撃手に、ウィンゲル隊長はしかし、「待て」というように手を挙げた。
「そうもいかんね、あれでは……よく見ろ」
出てきた巨猪人――ザインは、傍らに人影を伴っていた。ベラッティだ。太い腕が、彼の丸っこい肩をがっちりと抱きすくめている。狙撃手たちは慌てて銃口を起こした。いくら的が大きいとはいえ、こうも密着されては巨猪人だけを正確に撃ち抜くのは不可能だ。
一同がたじろいでいると、ザインは包囲網をぐるりと見渡してから咳払いをし、片腕を挙げて呼ばわった。
「はい失礼……どうぞご静粛に! このような騒ぎを起こしてしまったことは深くお詫び致しますが、どうぞ今はご清聴ください」
殺気立った場には似つかわしくない、穏やかなテナーが響いた。冒険者たちは毒気を抜かれたようになり、銃を構えたまま一瞬凍りついた。その間に乗じて軽く一礼した後に、ザインは喋りはじめた。
「まず、このような行動に出ることは我々としても本意でない、ということはご理解ください。我々は誰も傷つけるつもりはございません。むしろ命を助けるための行動なのです。
さて、それを踏まえたうえで……患者のアイケル殿と、付き添いのベラッティ殿は私どもで預かり、治療させていただきます。ご心配、お構い立ては無用ということで、よろしくお願いいたします。無理に手出しをなさろうと言う場合は……不躾ながら、こちらの2人の安全を保障できぬような事態も起こりうるということを、どうぞご諒解いただきたいと存じます。
では、治療に入らせていただきます。ご清聴ありがとうございました」
* * *
一礼してザインがテントの中に入ると、布の外はにわかに騒がしくなった。怒号と鎧の擦り合わさる音が、革布を通してありありと聞こえる。何事もなかったかのような顔でアイケルの傍らにしゃがみ込むザインに、ディンゴは呆れたような顔を向けた。
「俺のこと、誰かが『荒っぽい』って言った気がしたんだけどよ。多分アレ、不当な中傷ってやつだったと思うんだよなあ」
「結果として背中から撃たれることはなかったのですから、まずまず予定通りといったところですよ」
憎らしいほどに落ち着いた調子で応えるザインに、ディンゴはいよいよ渋い顔になった。傍らで見ていたベラッティが思わず吹き出す。
「いや、悪い。こんな時に笑うってのも何だけどさ。でも俺、いわゆる人質ってヤツになってるわけかい? 驚いたな。狂暴な巨猪人に捕まって脅されたなんて、こりゃ酒場で自慢できるぜ」
「どいつもこいつも、呑気なこと言ってくれちゃってンだから、もう」
ディンゴは吐き捨てるように言い、髪の毛をくしゃっと掴んだ。ザインはふと眼を鋭く細め、アイケルの傷口へと右手をかざした。
「……そう、確かに、状況はあまり呑気にしてられるようなものでもないかもしれませんね。
外の方々のことをどうこう言ってるわけではありません。説明は後でいくらでも出来ます。ですが、それも私たちが患者を治せてこそです。人質騒動を起こした挙句何もできませんでしたでは、それこそ単なる暴行犯ですからね」
「自分で言うなよ、自分で」
ディンゴが混ぜっ返し、魔導杖を取り出しながらザインの隣へ座る。
「だから、早いとこ処置しちまえばいいんだ。傷が塞がらないったって要するに、あのジジイの縫合がマズかっただけの話だろ? だったらこのディンゴ様がひとつ、本物の手術のウデってやつをお目にかけて……」
早くもメスに光を灯そうとするディンゴを、ザインは首を振って制止した。
「そんなに簡単なものでないことは、先ほどあなた自身も気づいたでしょう。ママローニ先生の処置自体は正しいものでした。水魔術で一旦出血を抑えてから、傷口を縫合する。それなのに、まる一日経っても傷から出血しつづけている」
ザインは口の中でぶつぶつ呟きながら目を閉じ、両腕を傷口へと近づけて指を緊張させた。かすかな魔力が指先から放射され、患者の体内に生じた『水の流れ』を追いかけてゆく。やがてザインは深く息をつき、目を開いた。
「思った通り、皮膚の下に血が溜まっているようです。これは……体内で血が流れ続けていますね」
「何!? 傷が塞がってないってのか?」
横で神妙な顔をして見守っていたベラッティが、思わず口を挟む。ザインは険しいまなざしをアイケルの傷に向けながら、小さく頷いた。
「患者を奪い取ってまで治療を急いだのも、この心配があったためなんです。外皮は縫合されているのに、内側で血が流れ続けている。見た目よりもこの傷は遥かに厄介ですよ。
体の外だけでなく中にまで流血しているというなら、流れ出した血の量も当初の計算よりだいぶ多いことになります。外出血の量だけ考慮した治療を続けていたら、知らぬ間に命を落とすところだったかも」
固く厳しい口調に、その場の雰囲気も自然と強張っていった。荷台の上に仰向けで寝かされたアイケルは、ぐったりと顔を横向けたまま目をつぶって動かなかった。苦痛はないようだが、体を起こせないらしい。
ザインはまず、広く分厚い両手のひらを優しくアイケルの胸元に置き、魔力を両腕に集中させた。皮膚の奥で渦巻く血液の流れが、魔力を介して指先に伝わる。しばらくザインは手をさまよわせ、皮膚の上から患者の体内を『手探り』して回った。が、おもむろに嘆息し腕を引く。
「ちょっと診たところでは、異常も見つかりませんでした。やはり生き物の体というのは魔力が通りにくい。皮膚の奥深くまでは細かく見通すことができませんね……どちらにしろ、傷を開けてみないことには様子が分からないようです。
ディンゴ、お願いできますか? 縫合を解いて、探り針を入れてみてもらいたいんですが」
「そりゃま、道具は持ってきてるけどよ」
ディンゴは『光のメス』を懐にしまい、代わりに小さな道具箱を取り出して開いた。中から銀色の長い針をつまみ上げ、そのままの姿勢でちょっと首をかしげる。
「これだけ衰弱してるとこへ、手術はちょっと危ねえ気もするな。切ったらどうしたって血は出るし、これ以上の出血は命取りかも知れねえんだろ?」
「そこはそれ、私がサポートします」
ザインは両腕を上げ、契約印をうねるように輝かせて見せた。
「人体には魔力が通りにくいですが、一点に集中させれば多少のコントロールは効きます。『光のメス』ではなく探り針で手術をしろというのは、一つには傷口を小さく留めて出血を抑えるためですが、もう一つには私の水魔術とあなたの炎魔術が反発しあわぬようにするためなのですよ」
「今回の仕事じゃ、『光のメス』の出番はナシか。気に喰わねえが、ま、仕方ねえな」
ディンゴは肩をすくめると、手早く身支度を済ませ、無風ランプを作動させた。荷車の中に球形をした空気の塊が広がり、ザインとディンゴを押し包んでゆく。魔力で囲われた空間からは荷車内の埃っぽく湿った空気が排出され、代わりに澄んだ空気が満ちる。
「ベラッティ、あんたは隅っこに引っ込んどいてくれ。動きの邪魔になるし、何よりこれからあんたの友達を斬ったり突いたりしようってんだ。あんまり気持ちのいい見世物じゃないだろ」
ディンゴに促され、ベラッティは慌てて身を引くと、酒樽の脇に引っ込んで縮こまった。
「ああ、プロの仕事はプロに任せるさ……その代わり、ちゃんと治してくれよ。5万ゾルっつったらそう安い金じゃないんだから」
「言われるまでもねえや。こっちゃそのために穴倉深くまで来てんだ」
ディンゴはマスクの下から答えると、銀色の針を握りなおしてアイケルの体に向かった。薬酒を傷口へ注ぎかけて麻酔とし、シギのくちばし状に曲がった針の先を手早く下ろしてゆく。鋭い刃に研ぎあげられた先端が、瞬く間に糸を断ち切り、吊り上げて引き抜いていく。
やがて縫合が開くと、傷口からは待ち構えたように黒ずんだ血が流れだした。マスクの奥で、ディンゴはザインに目くばせを送る。すかさずザインは右手をかざし、覆面の下でもそもそと古代呪文を唱えた。たちまち、粘り気の強い血液は意志を持った軟体動物のように体内に戻ってゆく。
ディンゴはそっと息を吐きだすと、再び探り針を入れにかかった。創面を必要以上に傷つけぬよう、そっと肉を押しのけて診断を進めてゆく。針があちこち動き回るにつれ、ディンゴの目に困惑の色が現れ始めた。
「どこと言って、問題は見当たらねえな。気づかないくらい奥の血管でも切れてるかと思ったんだが、傷口はここで行き止まりだし……」
当てが外れたような声を上げるディンゴに、ザインも覆面の下で顔をしかめる。
「私も、露出した傷口を探査してみましたが……血管の断裂による大きな出血は見当たりません。ただ、縫った部分の血が固まらず、いつまでも流れ出しつづけているだけ。
それと、時折体の中でおかしな動きがあるような気もしますが……」
首をかしげながらザインが言いかけた、その時だった。
静かに瞑目して横たわっていたアイケルが、突如唸り声を上げたかと思うと、背を弓なりに反らして暴れ出したのだ。顔には苦悶の表情が浮かび、両腕は何かを掴み取ろうとするかのように宙をひっかきまわしている。ディンゴは慌てて探り針を放り出すと、患者の両腕を押さえにかかった。
「おい、やめろ、やめろってば! 切ってる最中に動き回る奴があるかよ! まだ麻酔が切れるような時間じゃねえだろ!?」
放っておけば、開いた傷口を掻きむしってしまいそうだ。ザインは慌てて身を起こし、太い両腕でアイケルの体を押さえつけにかかった。
「動きは私が止めておきますから、ここは一旦縫合しましょう! このまま手術を続けては危険です!」
「畜生ォ、ユノーの奴がいりゃ楽なんだけどな……」
ぼやきつつもディンゴは道具箱から縫合糸と針を取り出し、飛ぶような速さで傷口を縫い合わせはじめた。と、その時だった。
「お、おい、あんたら!」
部屋の隅から、妙にくぐもった叫び声が上がる。ベラッティだ。こちらを怯えたような顔で睨んでいる――ディンゴは手を動かしながら、ちょっとバツが悪そうに応えた。
「ああ、今はちょいと予定外のことが起こってるんで、不安かもしれねえがよ。治すって約束はウソじゃねえ……しばらくそこで大人しくして、黙って見ててくれよ」
「そ、そうじゃない……騒がしい! 騒がしいんだ!」
押し殺した声で言うベラッティに、ディンゴは少々苛立ってきた様子で叫び返す。
「だから、こうやって騒いでンのは一時的なことだって! じきに手術は再開するから、それまで……」
「ああもう、そうじゃない!」
業を煮やしたようにベラッティは声を高め、立ち上がった。
「騒がしいのは、外だ! 外でなんか始めたらしいんだよ! この荷車の周りでゴソゴソやってる、音が聞こえるんだ!」




