第73話 ママローニの秘薬
「ば、バッカじゃねえの!?」
思わずディンゴは大声を上げ、立ち上がりかけた。ザインは慌ててその手を掴み、引き戻す。後ろでは銃を提げた男たちが、声に驚いて何事かとこちらを見ていた。ディンゴは膝立ちのまま無理に微笑み、「何でもないよ」とばかりに片手を振って見せた。そっと背を曲げ、声を潜めながらも、納得がいかぬと言った表情でディンゴは続ける。
「だって、明らかにおかしいじゃねえかよ……そんな鉱石なんかに魔力が全然籠もってねえことくらい、手で触れりゃすぐに分かることだろ?」
「魔術の四大元素というのは実際の魔力ではなく、あくまでものの例えというか考え方ですから」
頭を抱えるディンゴに、ザインは頷いて同感の意を示しながらも、悲しげに応える。
「言ってみれば、魔術世界の法則を物質世界にまで敷衍しようという試みなのです。人の『魂』から4つの『魔力』が生じるのと同じように、人の『肉体』も4種類の『物質』から構成されていて、その調和によって健康が保たれている。それが四大元素説の骨子ですからね。
およそ荒唐無稽な話ではありますが、一応見かけ上の理屈らしきものは成り立っているので、こういった疑似医学はなかなか絶滅しないのですよ」
横でベラッティは眉間を押さえて目をつぶり、ぐったりと首を振った。
「あんたの気持ち、分かるよ。『バカみてえ』だよな。実際、あの先生が銅から作った『特効薬』を飲んでひどい下痢をしただとか、口が痺れるばっかりで何の効き目もなかっただとかいう話はチラホラ聞いてるんだよ。
けど、何しろ医療ギルドから派遣されてきた専門家だろ? おまけにあの頑固さときてる。逆らえる奴なんかいやしない。だからってこんなに弱ったアイケルにヘタなもん飲ませたら、ホントに命取りになりかねない。それで思い余って、あんたらを呼んだってワケなのさ」
瞑目して横たわっているアイケルの肩を軽く叩いてやりながら、ベラッティは深いため息をついた。ザインは考え深げに覆面の下の顎を捻る。
「銅治派は既に、外界医学界では実効性に乏しいとして廃れつつある学派なのですが、民間療法レベルではまだまだあちこちに根強く残っている考え方なんです。四大元素説という『理論的な』説明がつくということと、銅が全ての病の特効薬というシンプルさが人気なのでしょうね。
しかし弱りました……ベラッティさんのおっしゃる通り、銅を加工して作った薬品には有害なものも沢山あります。ママローニ先生がどのような薬を作るおつもりかは知りませんが、材料と製法によってはとんでもないものが出来上がることも……」
「こりゃ、貴様ら、何をしておるかーッ!」
と、ザインの物思わしげな声を塗りつぶして、素っ頓狂な叫び声が背後から飛んできた。見ると、問題のママローニ先生が真っ赤な顔で駆けてくる。手には何やら小さな青い壺を大事そうに抱えている。どうやらあれがご自慢の『薬』らしい。
「おお、何たることを! 折角巻いた包帯をこんなにしおってからに」
ママローニはディンゴを突き飛ばす勢いで患者に駆け寄り、つんのめるようにしてその傍らにひざまずいた。その辺にごちゃっとつくねて放り出してあった包帯を手早くクルクルと巻き上げ、ママローニはディンゴの方へ険悪な視線をぶつけた。
「まったく、油断も隙もないわ。患者に手を触れたであろう? 素人が余計な手出しをすれば、かえって命を縮めるようなものぞ」
ディンゴは唇を噛んだまま何も言い返さなかった――口を開いたが最後、罵声の爆弾が何百発と破裂しておさまりがつかなくなると思ったのだろう。震える肩をザインがそっと掴み、後ろへ引き戻す。ママローニはフンと息をつくと、気を取り直して薬壺を床に置いた。
「さてアイケルよ。薬はこのとおり出来上がったで、安心するがよい。これを塗り込めばお主の体に残った魔力も打ち消され、傷も治るようになるであろう」
悦に入ったママローニの言葉に、ディンゴの背がまたビクリと震え、飛びかかっていきそうになる。その体を太い腕で押しとどめ、ザインが滑るように前へ進み出た。
「それが先生の秘薬ですか、膏薬とは存じませんでした。差し支えなければ後学のため、どのような処方かを教えていただくわけにはまいりませんか?」
あくまで丁重な物言いに、ママローニはしばらく片眉を吊り上げ、猜疑心と虚栄心を秤にかけているようだったが、やがて小さく頷くと、咳ばらいをして語りだした。
「それは秘伝中の秘伝……と言いたいところだが、憚りながらこのママローニ、やたらに勿体ぶり秘密めかして己を大きく見せようとするこけおどしの万能薬売りとはわけが違うでな。よろしい、教えて進ぜる。
まず蜜と発酵乳を半々に練り合わせる。これは膏薬の粘り気を持たせるとともに、傷に栄養を与えるためよな。加えて止血作用のある薬草を何種類か摺りつぶして入れ、大地の精気を吸わせるために敷石の下で寝かせる。ふた晩ほどが理想的だが、此度はそう悠長なことも言っておられぬゆえ、ひと晩で取り出してきた。
そして、最も重要なのがこの輝きよ……」
ママローニは小壺の蓋を開け、内容物を手に取ってみせた。ねっとりとした膏薬が指先から糸を引き、太陽苔の光を跳ね返して黄金色にきらきらと輝いた。くすんだ乳白色の粘液の中に、金の微粒子がみっしりと浮いているのだ。ザインはぐっと目を細める。
「ベラッティさんから、あなたが銅治派だということは伺いました。とすると、この金色の粒は……」
「左様、黄銅鉱である」
ママローニは得たりとばかりに頷き、水を流す如くに滔々とまくしたてた。
「『うちびと』には分からぬ話であろうが、そもそも銅治派の名は外界語の古語で銅を意味する『アグノー』から来ておる。四大元素の偉大なる調和をそれそのもので体現する銅は、すなわち如何なるバランスの乱れに対しても調和を取り戻さしめる働きをする万能薬。しかるべき処方と精妙なる技をもってすれば、治せぬ病はない。
此度の傷は風魔物につけられたものゆえ、風を鎮める大地の力をもって癒す。それこそがこの黄銅鉱……見よ、炎と出会い溶ければ赤き炎の色と化す銅が、黄金と見まごう輝きに色づく神秘! これこそ天然自然の偉大なる理、魔力の描く円環の顕現なり!」
語るうちに調子が出てきたのか、ママローニは膏薬をぐるぐると練りながら芝居がかった口調で謳い上げた。そのすきにベラッティがザインの傍へ寄り、小声で囁く。
「なあ、あれ塗られたら、どうなるかな?」
心配そうな顔で見上げてくるベラッティに、ザインは低く唸って顎に手をやった。
「そうですね……黄銅鉱そのものに強い毒性があるなどといったことはありませんし、その他の素材もまあまあ無難なところですね。あれを傷口に塗ったとしても、悪くすれば多少沁みるかもしれませんが、劇的な効果のようなものは出ないでしょう。それはつまり、いい方に症状が動くこともないということですが」
ひそめた声でそこまで言って、ザインはふと小首をかしげた。
「それよりも問題は、軟膏が塗られ傷口が閉じられてしまうことです。そうなったら、改めて詳しい診察をすることが難しくなる。ママローニ先生も、今度はそう簡単に患者に触れさせてはくれないでしょうし。
しかし、彼の容体はどうも気になりますね。風の魔力だのという話はさておき、血が一向に止まっていないのは奇妙です。先ほど魔力で検査した時も、一瞬ですがおかしな気配を感じましたし。このまま放っておくのは少々不安ですね」
「するってェと、どうする? あのジジイ、ブチのめしちまうか」
やる気満々と言った顔つきでディンゴが囁く。ザインは顔をしかめ、たしなめるように舌を鳴らした。
「そうやってすぐ荒っぽいことを言うのが、あなたの悪い癖ですよ、ディンゴ。長銃のことを忘れましたか?」
言われてディンゴは思わず背後を振り返った。先ほどの騒ぎからしばらく経って、長銃を提げた冒険者たちはそれぞれあちこちに散ってはいたが、事あるごとに確かにこちらをちらりと窺う様子を見せている。騒ぎを起こせばたちまち寄ってくるだろう。
「おっと、つい長口舌を振るってしまった。患者もすっかり待ちかねとるであろ」
ディンゴたちの葛藤もよそに、ママローニはいそいそと膏薬を壺から掴みとり、アイケルの傷口へ塗り込む準備を始めた。ディンゴは舌打ちし、マントの奥に吊るした自分の魔導杖に手を伸ばした。魔力を光に換えて対象物を焼き切る『光のメス』――武器としては心もとないシロモノだが、彼の心のよすがでもあり、追い込まれた時などには思わず手が伸びるのだった。
「どうするんだ、ザイン? このままあいつに患者を任せといていいのかよ?」
ディンゴはザインの方を仰ぎ見て――ぎくりとした。
ちょっと見たところは、立膝に座っているだけのように見える。刺青に覆われた太い腕をむき出しにして、顔はかすかにうつむけて瞑目し、静かに息を吐きだしている。が、魔術の心得のある者であれば気づいたはずだ。刺青に沿ってわずかな魔力が還流していることに。
そしてまた、十分に近寄った者には、息遣いの奥に隠れた呟き声も聞こえたことだろう。
「……す水……ゲム=マフルク……指広げ……」
「お、おい、ザイン……!」
声を上げかけるディンゴに指で「静かに」のジェスチャーをし、ザインは振り返って少し離れた場所を指さした。
「ベラッティさん、あそこに幌つきの荷車がありますが、あの中には何が?」
ベラッティはきょとんとなりながらも、ザインの指さした方に目をやった。壁からほど近い一角に、一台の荷車が停められている。オオツチドリか何かに曳かせるものなのだろうが、今は牽引する獣の類も繋がれておらず、車輪に車止めを噛まされてその場に固定されていた。
「ああ、あれか。ありゃ確か、酒樽だとか食料だとかを積んだ車だよ」
「酒に、食料ですか……まあ、問題はないでしょう」
ザインは何やら一人で納得したように頷くと、おもむろに巨大な体を起こした。足音を忍ばせるようにしてのっそりと歩いていく先には、最後の仕上げに膏薬を練るママローニの姿がある。
「それでは……と。ママローニ先生!」
両腕の刺青をむき出しにしながらも、ザインは慇懃な調子を崩さずに話しかけた。老医師は振り返りすらせず、白い眉を少しばかりひそめただけで応える。
「何だ、まだ何ぞ用があるのか? 見てのとおり、わしは忙し……」
「先に申し上げておきます。誠に、申し訳ございません」
ザインは深々と一礼しながら、丸太のような両腕を振るった。黒い刺青から水色の光がほとばしる。ママローニもようやく異変に気づいたらしく、膏薬を練る手を止めて顔を上げた。
「……何だ?」
答えは無かった。代わりに、ザインの腕からミルク色に輝く霧が滝のごとく噴き出し、たちまちのうちに辺り一円を包み込んだ。先ほど、アドラの曳く荷車を覆い隠したのと同じ――いや、それよりも濃く強い魔力が込められている。水の魔力が霧の水滴からこぼれだし、ほとんど光を放っているようだ。
「な……何を!?」
「おい、ちょっと、ザイン!?」
ママローニのみならず、ディンゴとベラッティまでもが唖然として立ちすくんだ。その姿もカーテンのように熱く濃い霧に覆われ、かき消されていく。
騒ぎを聞きつけ、他の冒険者も集まってくるような気配が感じられる――モタモタしてはいられない。ザインは霧に紛れてアイケルの方へ駆けよると、その体を巨猪人の怪力で紙切れのように担ぎあげた。
「ディンゴ、ベラッティさん! 早く! あの車の中へ!」
霧のとばりの向こうから響く声に導かれ、何が何やら分からぬままに2人は駆け出した。白い靄の中に黒く浮かび上がっているザインの巨体が、格好の道しるべとなる。
「おい、聞いてねえぞ! 何のつもりでこんなこと……!」
追いつくや否や文句を言いだすディンゴだったが、その言葉をかき消すようにして霧の外から怒鳴り声が聞こえてくる。
「何だ、何だ!?」
「さっきの医者たちか? うッぷ、この霧ときたら……」
「そやつらを捕まえろ! 患者を、アイケルを奪われた!」
金切り声が後方から響く。霧に撒かれてすっ転んでいたママローニ先生だ。その鬼気迫る声に、外の雰囲気がにわかに緊張を帯びる。銃を構えているらしい気配も感じられた。ディンゴが走りながら叫ぶ。
「ほらァ! 撃たれるぞ、どうすンだよぉ!」
「ひとまず、荷車の中へ避難します……皆さん、目を塞いでいてください!」
ひと声叫ぶや、貫頭衣の下からザインは何かガラス製の物を取り出した。幅の広い傘のついたガラス球――無風ランプだ。
ザインは霧に向かってランプのつまみを捻った。傘から風の魔力が放出され、空気の塊が展開してゆく。清浄な空気の塊を周囲に展開し、ゴミや埃の入らない環境を作って簡易手術室とするのが『無風ランプ』の機能だが、それが魔力の霧の中となれば……。
広がった風の魔力は、水の魔力をたっぷりと含んだ霧に触れ、けたたましい炸裂音と共に白い火花をはじけさせた。閃光が明滅し、周囲にふりまかれる。
「うッ……」
「ぐわあッ!」
外の狙撃手たちが、口々に呻き声を上げる。閃光に眼を射られ、思わず銃を取り落とすものもいる。
「さあ、今のうちです! 走って!」
その隙にザインたちは、霧の道を通って荷車へ駆けこんだ。幌をまくり上げると、ザインはまず背負ったアイケルの体をそっと奥へ滑り込ませ、ついで後から走って来たベラッティとディンゴを放り投げるようにして車の荷台に上げてやった。その後、上がった2人に助けられて自分も荷台の上に上がる。
霧はほとんど晴れかけていた。銃手たちもそろそろ閃光のショックから立ち直りつつある。ザインは全員が無事に荷車へ辿りついたことを今一度確かめると、幌の合わせ目を直して荷台を閉ざした。これで、外からは内部の様子が窺えなくなった。
「……さて、これでひとまず、後ろから撃たれぬように立ち回るというのには成功したわけですね」
ザインは息を切らしながらも言い、覆面の上からでも分かるほどに大きな笑顔を作った。




