第72話 アグネイユの憂鬱
ローブの襟を締め上げられたママローニは、細い喉をぜいぜいと鳴らす。
「な……何をするか……こ、このごろつきめが」
「俺がごろつきならてめェは何だ、ペテン師か!? 冷てえ床に怪我人を転がして、それで魔法みてえに治ると思ってやがるバカ野郎か!?」
押し殺した叫び声が、食いしばった歯の間から漏れ出た。放っておいたら老医師の細首などへし折ってしまいそうな勢いだ。と、そのディンゴの襟首を、さらに大きな手が引っつかんで吊り上げた。
「いい加減になさい、ディンゴ! 状況が見えませんか!?」
掴んだ腕が高々と上がり、ディンゴは首を支点に頭一個分ほど宙に持ち上げられて目を白黒させた。首根っこを引っつかんで彼を止めたのはザインだ。覆面の奥の眼は、厳しくしかめられている。
「ザ、ザイン……」
苦しい息の下から呟くと、ザインはため息をつきながら腕をぐるりと回し、ディンゴの身体を後ろへ向けた。その拍子に腕がママローニの襟首から離れ、解き放たれた老医師はげほげほと咳き込みながらその場にうずくまる。
「ほら、ご覧なさい」
ザインは厳しい口調で語りかけ、背後を指し示した。居並ぶのは険悪な表情をした冒険者の群れ。その手には、鈍く輝く銃口をこちらに向けた長銃が何丁か。
「あ……しまった」
流石に顔色を変えたディンゴに、ザインはもう一度ため息をつくと、持ち上げていた彼の身体を床に投げ出して後ろに呼ばわった。
「ご心配をおかけして申し訳ございません! ちょっとした行き違いでして……先生に怪我はありません! 仲間には、よく言って聞かせますから……何とぞご容赦のほどを!」
ザインの説得を聞き入れ、冒険者たちは不審そうな顔をしながらものろのろと各々の仕事へと戻っていった。ザインは三たびため息をつき、今度は床に尻もちをついて荒い息をついているママローニの方へ駆けよった。
「申し訳ございません、先生……うちの者がとんだ失礼を」
「失礼にも、ほどが、あるわい、まったく」
顔を真っ赤にして咳き込みながらママローニは言い、助け起こそうとするザインの手を払いのけて立ち上がった。顔の赤らみは、咳のためと言うより怒りのためだろうか。
「この小僧、わしを絞め殺しかけたあげく、バカ者などと呼びよった! 救いようのないごろつきよ、まったく……」
「バカをバカっつって、何が悪い! 大体てめえがこんなトンチキな治療法をだな……」
またも口論が始まりそうな雰囲気に、ベラッティとザインが慌てて2人を止めにかかった。ベラッティは老医師のローブを直してやり、猫なで声で言いくるめにかかる。
「なあ先生、そもそもこんな連中に構ってるヒマはないんじゃないスかね。確かアイケルのために『薬』を用意してくれるってえ話だった筈ですが、それはまだなんで?」
「おお、そうそう。薬よ薬」
ママローニはぽんと手を打ち合わせると、一転して上機嫌になった。
「そうであった、そういう約束であったな。これはわしが悪かった。わしの薬を飲めば、どんな病もたちどころに治る。こやつの魔力創とて同じことよ。
こうしちゃおれん、すぐに薬を用意してやらねばな。そこのごろつきどもが入ってこなければ、とっくに完成しておるところだが……ま、待っておれ。調合はほぼ出来ておる。後は仕上げだけであるによってな」
ママローニは顔の皺をさらに深くしてニタリと笑うと、ディンゴに一瞬だけ挑戦的な視線を投げ、大慌てで野営のテントの方へと戻っていった。ディンゴとザインは、ぽかんとしてその豹変を見送った。ベラッティが苦笑いしながら言う。
「先生にずっと居座られたら、あんたらが診察しにくいと思ってさ。『薬』のこととなったら夢中なんだ、あの先生は。少なくともしばらくはこれで時間が稼げるよ。
しっかし、あんたもムチャクチャやるよね。そりゃ俺もママローニ先生にはムカつくことあるけどさ、胸倉掴み上げるまでは行かないよ」
「いや、面目ねえ……つい我を忘れちまってさ」
ディンゴは恥ずかしそうに頭を掻いた。ザインはやれやれといった風にその姿を見下ろしている。眼には呆れと、それより遥かに大きな憐みの色が浮かんでいた。
外界にいた頃、ディンゴが親とも師匠とも仰いでいた老軍医は、四大元素説を妄信する外界医師による迷信まがいの治療によって命を落とした。ママローニが述べ立てた怪しげな理論に、烈火のごとく怒りだしたのも仕方のないことではあった。
「しかし、ああいう行動に出るのはいただけませんよ、ディンゴ。『後ろから撃たれる』危険があると言ったのは、あなたではないですか」
「だから、反省してるよ……あまりにも考えなしだった。あんなことは二度としねえ。約束する」
ディンゴは恐縮しきりで首を垂れた。と、ベラッティは咳払いをし、一同の注意を引き取る。
「まあ、過ぎたことはどうでもいいとして、さ。せっかく爺さん先生がヨソへ行ってくれたんだ、今のうちに診察を済ませちまってくれよ」
ベラッティの申し出に、ディンゴとザインは顔を見合わせ、頷き合った。
「そうだな、それがいいや……しかし、今のでちょっと分かったぜ。何であんたがわざわざ俺たちを呼んだのか。俺だって、あんな爺さんに命預けたかァねえよな」
しみじみと呟くディンゴに、ベラッティは苦い笑みを浮かべるばかりだった。
「いやァ、まだ理由の半分も分かってないと思うけどね……まあいいや、とにかく、患者を診ておくれよ」
言うなり、ベラッティは壁際に寝ころんだ男の方へ駆け寄って屈み込み、耳元に声をかけた。
「おい、聞こえるか、アイケル? 医者だ。ママローニ先生じゃなく、外から呼んだ医者だぜ。診察を受ける体力は残ってるか?」
怪我をした男は、あるかなきか程度の細い声を上げた。聞き取りづらいが、否定の返事ではなさそうな響きだ。ついで体をごろりと転がし、ディンゴとザインの方に顔を向ける。面長の顔は苦痛のためにやつれ、より一層やせ衰えて見えた。
口を利くのも億劫そうな患者に代わって、ベラッティが代わりに自己紹介をしてやる。
「挨拶も出来なくって悪いね。こいつの名前はアイケル。俺と同じように魔導士なんだが、さいぜんの戦闘で傷を負っちまってな。
俺とはガキの頃からのツレだもんでね。何とか治してやりてえんだが、このままじゃそのうち弱り切ってぽっくり逝っちまうんじゃないかと、気が気じゃなくってさ」
ベラッティの言葉に合わせ、アイケルと呼ばれた痩躯の男は弱々しく首を上下させた。いかにも頼りない動きに加え、その顔面は蒼白だ。ディンゴは顔をしかめ、マントを翻して患者の傍へ駆け寄った。
「明らかに血が足りてねえじゃねえか……あのヤブ医者、ちゃんと処置してんのかよ?」
ぼやきつつ、ディンゴは素早く患者の着衣をかき分け、包帯を解きほぐしにかかった。ベラッティが慌ててその背後に駆け寄る。
「ちょ、ちょっと! あんまりヘタに手出しすると、また先生に怒られるぜ?」
「ンなこと言ったって、傷口も見ねえで診察ができるかよ」
忠告を意に介する様子もなく、ディンゴは包帯を剥がして傷口を露わにした。傷は肋骨のあたりを斜めに渡り、みぞおちの近くまで届いている。生々しくも新しい縫い跡は、少々傾きがちではあるもののきっちりと繋ぎ合わされていた。ディンゴは指を這わせるようにして傷跡を閲していった――そのうちに、当てが外れたように怪訝そうな表情となっていく。
「あのインチキ爺い、理屈のほうはデタラメ言いやがるくせに、手わざはちゃんとしてるじゃねえか。縫合も割といい線いってるし、何より相当手早い。手馴れてやがるな」
ディンゴが渋々ながら認めると、ベラッティも傍らで頷いた。
「先生の名誉のためにも一応言っとくけどさ、俺だって何も擦り傷切り傷に対するママローニ先生の治療技術に不満があるってわけじゃないんだよね。結構な歳だけど、手先の方は流石に年の功ってやつで、まだまだ捨てたもんじゃない」
「だったら、何でまた……」
腑に落ちない顔をするディンゴの横で、ザインも大きな体を曲げ、両手のひらを患者の上にかざしながら傷口を覗き込んだ。契約印が刻まれた両腕を体の上にかざすことで、水の流れすなわち血流の状況を読むことが出来るのだ。
「体内で、わずかながら出血している気配があります。そう言えば、縫合はキチンとしていますがその割にまだ血が滲んでいますね。手術をしたのはいつの事です?」
「そうさな、もう、まる一日前のことになるかね」
ベラッティが何気なしに答えると、ディンゴの目が大きく見開かれた。
「一日? そりゃまた、随分前じゃねえか。俺はもっと新しい傷かと思ったぜ……そうだな、繋ぎとめてから一日も経った傷だと考えると、確かにこりゃ血が出すぎだな。あの爺さんも、止血は試みたんだろ? 水の魔導士らしいし」
ディンゴが不思議そうに顎を掻きながら問うと、ベラッティは同意の印に深々と頷いた。
「水の魔力で血を固めて、皮膚を縫い合わせてな。それで一旦は血が止まるんだが、しばらくすると包帯の下からじくじく赤い染みが広がっていきやがるのさ。それでアイケルのやつ、可哀想にすっかり弱っちまってよお。先生に言わせりゃ、『マルノコガザミの持つ風の魔力が傷口に残って水魔術に干渉し、傷の塞がりを遅らせているのだ』ってことになるらしい。
それで先生、あんまり傷の治りが悪いんで、『こりゃ薬を飲ませねばならん』なんて言いだしちゃってさァ。あんたらも、さっき聞いたと思うけど。
実を言うと、それだけは勘弁してほしいからあんたらを呼んだんだよね」
頭を抱えんばかりの憂いようで語るベラッティに、ディンゴは首をかしげた。
「薬が問題ってのがどうも分からねえな。傷が重いのに全然相手にしてもくれねえってんなら、俺たちを呼ぶ理由も分かるけど……薬まで用意してくれるってのに、それが何でまた不満なんだ?」
「薬は、かえってヤバいんだよ! 血を止めるとか包帯巻くとかだったら、こっちだって心配しないんだけど……あの人の薬はなあ」
処置無しといった顔で首を振り、ベラッティはディンゴの顔を憂鬱そうに見つめると、何やら秘密でも打ち明けるような小声でぼそぼそと告げた。
「あの爺さん先生、アグネイユなんだよ……医者の先生なら分かるよな、当然?」
ディンゴは何やら喉の奥でうッという声を漏らすと、視線を斜め上に向け、小声でもぞもぞと応える。
「あ、ああ……アレだ、アレだろ? うん、分かる……」
「おっと、そうですね。授業をつけたとは言え、こういうことについてはあまりお教えしませんでしたね」
見かねて横合いからザインが助け舟を出す。
「知ったところであまりタメになる話でもないもので、授業のカリキュラムからは外していたのですが……銅治派とは、外界近代医学における学派のひとつです。考え方、と言ってもいいかもしれませんね」
「考え方……ってえと、さっきの『四大元素』がどうとかってタワゴトと、なんか関係があんのか?」
ディンゴが呟くと、ザインは覆面の下で目を細め、深く頷いた。
「まさにその通りでして……銅治派は、四大元素説を原義通りに突き詰めていった学説なんです。理屈はいろいろとありますが、一番重要な骨子はつまり『全ての身体異常は、銅を使って治すことができる』というものです」
「銅……って、あの銅か? 金属の?」
きょとんとするディンゴに、ザインはまたも深く頷いた。横でベラッティも同意の印と思しき低い唸り声を漏らす。
「いやいやいやいや……つったってお前、それはいくら何でもおかしいだろ。そりゃ、四大元素説もデタラメではあるけどよ、魔術の考え方を応用したって理屈は一応つくぜ。
けどお前、銅が万能薬って……」
納得いかない表情で反論するディンゴに、ザインは牙の突き出た口から重い息をつくと、首を振って説明にかかった。
「銅治派の考え方の根底に四大元素説、すなわち『世界の森羅万象は全て4つの元素で構成されている』という思想があるというのは先ほども言いましたが、彼らはそれをさらに進めて『自然界のすべてをその身に顕出する唯一の物質は銅である』との結論に至ったんです。
まあ、考えてもみてください。銅というのは様々な色や形に変化します――炉から出たばかりの真新しい無垢の銅は赤く輝き、錆びれば鮮やかな緑色の緑青を生ずる。青く透き通った硫酸銅の形を取ることもあれば、黄金の輝きを持った黄銅鉱の姿でも発見される。つまり、四大元素を表す赤・緑・青・黄の全ての色を自分の中に持っている……と、こう考えたんですね」




