第69話 時ならぬ銃声
壁に貼りつけられた巨大な帆布には、第10大隧道の遺跡の地図が描かれている。冒険者からの緊急シグナルが発信されると、この地図上に光点が現れて要救助者の居場所を示すのだ。
今地図上で点滅している光点の色は黄色。外傷を表すシグナルだ。
「ほう……結構深いとこだな。ちょいと妙だ」
キャラバは光点の位置をひと目見て首をひねった。
一般的に、遺跡の中でも深層まで潜る大規模なパーティというのは、医療ギルド後任の治癒魔導士を一人は連れているものである。わざわざ紅蓮獅子団に救援要請をするような冒険者は、それも出来ぬような小パーティか、あるいは個人冒険者が中心だ。そういった連中は実力的にも、外周部をうろつくのが関の山である。今現在救援要請が出ているような深層までは、足を踏み入れることさえも出来ないのだ。
「よっぽど運のいいバカなのか、それとも大パーティが何かの都合で医者を連れて行けなかったか……ま、何にしろこっちにゃ関係ないね。どっちにしたって、私らは助けに行くだけさ」
追いついてきたアラムが後ろから声をかけると、キャラバも軽く頷いた。
「それで、どうする? 外傷だし、やっぱり俺が行っとくか?」
「いや、ここは俺に任しといてくれよ」
割って入ったのはディンゴだった。妙に逸った様子で、早くも冒険の身支度にかかろうとしている。
「おっさんは書き仕事で疲れてるだろうし、そろそろ俺も仕事を任してもらっていい頃合いだろ? 卒業試験みたいなもんでさ」
いやに乗り気なディンゴに、キャラバはしばらくの間黙って考えていたが、やがて不意に腑に落ちた風でぽんと手を打った。
「お前さては、ここで仕事に出たらそのドサクサで昼飯食わなくても済むと考えてるな?」
「ええ? いやァ、そんなことは……」
たちまちにうろたえて額を掻くその身振りが、「図星です」とあからさまに伝えていた。キャラバが呆れた風に肩をすくめたその時、ザインが遅れて居間へ入ってきた。覆面は既に普段の金襴模様のものに付け替え、手には何やら木かごを提げている。
「どうも、遅れまして……ああ、シグナルは外傷ですね。それでは、私が行きましょう」
「いや、今、俺が行くって言ったとこで……」
口を挟もうとするディンゴを手で制し、キャラバが割って入った。
「面倒だ、お前ら2人で行ってくりゃいいだけの話さ。ザインの止血術は手術の役に立つだろうし、ザインにとってはディンゴの勉強の成果を実地で確認できるいい機会だ。『卒業試験』だってんなら、見事合格してみせろよ、ディンゴ。
ザインも、それで構わねえよな? ……つうか、そのバスケットは何だ、ザイン? ピクニックの準備か?」
キャラバに問われ、ザインは覆面の奥の目を笑み歪めると、かごに掛けてあった布を取り除けて中身を手に取って見せた。
「丸パンに、先ほどの包み煮を挟んでみました。移動中でも食事が出来るように――と思いまして。空腹では仕事も上手くいきませんから……どうかしましたか?」
ザインはふと首を傾げ、横を向いて肩を震わせているキャラバとアラム、そしてその傍らでがっくりと肩を落としているディンゴに物問いたげな目を向けた。
「いや、何でも、何でもねえよ。
分かったよ……食えばいいんだろ、食えば」
観念したような口調でディンゴは言い、外出用のマントをコート掛けから取って乱暴に引っかぶったのだった。
* * *
いつも通り坑道跡からブレードホーンの曳く荷車に乗り、ディンゴとザインは暗黒壁面内へと入った。御者台に上るのは、家畜の扱いに長けたザインだ。
地図に従い、出来るだけ安全な道筋を辿って問題の場所へと向かう。呼び出しがあったのは、暗黒壁面の踏査済み領域のうちでも比較的深部に位置する場所だ。大抵の魔物や猛獣はブレードホーンの大きさに恐れをなして近づいてこないが、それでも未踏査の領域を通れば罠などの危険がある。ザインは注意深く周囲を見回しながらも、手際よく手綱を捌いて荷車を進めていった。
やがて車は、とある大規模な神殿の構内へと入っていった。きっちりと舗装された広い道路の両脇に、ネジのようにうねる模様を刻まれた飾り柱がずらっと並んでいた。道すがらザインが語ったところによれば、この辺りはかなり神格の高い大地の魔神を祀った神殿なのだという。
「最盛期には、この通りに市が立ったと主張する学者もいます」
荷車を操りつつ、ザインは説明した。
「アカデミーの歴史学者からの受け売りですがね。もっと上層に、似た構造の街の遺跡があるそうで……もっとも、神殿の中にそういう都市構造があったという例は、流石に大竪穴でも他には見つかっていませんが」
「改めて考えても、妙な場所だよな。第10大隧道ってのは。土の中にこんな大規模な神殿都市があるんだもんな」
例の煮豆のサンドイッチを苦心して呑み込みながら、ディンゴが呟いた。荷台から身を乗り出し、通り過ぎてゆく遺跡の威容をしみじみと眺める。ザインは御者台で厚い肩をすくめた。
「大竪穴で生まれた私が言うのもなんですが……ここでは、信じられないことだったら何だって起こるのですよ。ことに、深層においてはね」
「ふゥん……」
分かったような分からぬような顔で頷くディンゴに、笑みのこもった視線をちらと投げた後、ザインは再び手綱を握り直しブレードホーンを操った。今日車を曳くのは、紅蓮獅子団で飼っているつがいのうちメスの方のアドラだ。連れてきた当初は銃弾を受けた傷が元で歩くことさえままならなかったが、今ではザインとディンゴ2人を乗せた荷車を軽々と曳けるまでに回復している。
「さて、そろそろのはずですね。地図によればこの通路を抜けて、神殿の入り口に当たる大広間が目的地です」
ザインが口にすると、その言葉を裏付けるかのように、行く手に広い空間が見えてきた。広い通路は豪壮なアーチへと繋がり、そこからぐっと広がって広間へと続いている。広間の天井には若干太陽苔が厚く生えているらしく、通路から見るとかなり明るく感じられた。その明るい室内に、ひと群れの人だかりが黒く浮かんでいる。
「あいつらかなァ、俺たちを呼んだの」
目の上に手のひらをかざし、ディンゴは荷台の上から広間の一団を窺い見た。逆光と距離のためにぼんやりとしか見えなかったが、広間では2,30人ほどが野営をしているようだった。冒険のパーティとしては、まずまずの規模だ。治癒魔導士だってきちんと連れていそうなものだが――ディンゴが首を傾げたその時だった。
「Baarrr!」
脇目もふらずに車を曳いていたアドラが、突如嘶いてほとんど棹立ちになる。嵐のような息をつき、盛んに首を振り立てるさまは、どう見ても只事ではない。
「おいッ、どうしたんだよ! 急に……こら、落ち着け、アドラ!」
転ばぬよう荷台の縁に捕まりながら、ディンゴは必死に叫んだ。だが、刀角獣アドラは聞き入れる様子もなく、蹄を打ち鳴らし唸り声をあげて身を跳ね上げるばかりだった。
「アドラ、グルロール、オル、グララグル……グオール、グオル! グオル!」
ザインも、巨猪人流のまじないを囁きかけながら必死に手綱を引き絞る。巨猪人の腕力で首は押さえつけたものの、アドラはなおも苛々と足踏みを続けた。
「ちぇッ、急に何だってんだ、一体……!」
舌打ちして呟きかけ、ディンゴはハッと息を呑む。揺れる荷台の上から、視界の端に一瞬だけ光るものを捉えたのだ。あの光沢には見覚えがある。
「ヤバい、ザイン! 車を柱の陰へ!」
「な……何ですって!?」
何事かも分からず左右を見回すザインを押しのけ、ディンゴは手綱を奪ってひと振りする。押さえつけられていた首根っこが自由になり、アドラが一散に走りだす。とほぼ同時に、はるか前方から火薬の炸裂音が響き、間を置かず近くの石壁に何かが衝突して鋭く跳ね返った。石の塊がえぐれ、破片がぱッと飛び散る。
「銃だ! 撃ってきやがったァーッ!」
ディンゴの叫びに応えるがごとく、広間からは次々に銃声が轟き、鉛の弾が唸りを上げて飛んでくる。アドラは身を翻して弾丸をきわどくかわし、太い飾り柱の陰へと逃げ込んだ。飾り模様が数発の弾丸にえぐり取られてゆく。
「くそッ、どういうこった! あいつらが患者じゃねえのか!? それとも、またこの間みてえな罠だったのかよ!?」
荷台の陰に身を伏せ、ディンゴは頭を押さえて呟く。太い石の柱が盾になってくれるお陰でひとまず弾に当たる心配はないが、こう撃ちかけられたのでは向こうに近づくことはおろか、柱の陰から出て逃げ戻ることも出来ない。どうしたものかと考えていると、ザインが御者台から飛び降りて決然と参道に降り立った。
「お、おい、ザイン! 危ねえぞ!」
思わず叫ぶディンゴに振り向くこともなく、ザインは両腕を勢いよく上げて貫頭衣を跳ね上げた。露わになった両腕の皮膚には、青い幾何学模様がぎらぎらと浮かび上がっている。体に刻まれた魔神との契約印、ザインの魔力の源だ。
「揺蕩い舞う水霊、ゲム=マフルクカ、その衣垂るるところ、その歌充たせ……」
ぶつぶつと呪文を唱えると、その契約印がうっすら青く光りだし、そこから靄のようなものが漂いだす。見ているうちに靄はどんどん濃くなり、道全体を真綿の詰め物のごとくにすっぽりと覆い始めた。
荷台の上のディンゴは、ぽかんと口を開けてその光景を見守っていた。霧はミルクよりもなお濃くなり、最早自分の手のひらさえも定かには見えぬほどだ。
射撃の音が次第にまばらになり、とうとう止まった。標的が霧の中に隠れて見えなくなったためだろう。耳を澄ましてみると、何やらいぶかしんでいるような人声も聞こえてくる。
霧の向こうで、魔術の光の輪郭しか見えぬ姿のザインが振り返った。
「ディンゴ、とりあえずあちらも落ち着いたようです。今なら話も聞いてくれるでしょう。声をかけてみてくれませんか?」
「あ、ああ……そんなに上手く行くかねェ?」
半信半疑ながらもディンゴは荷台から飛び降り、錐の中をおっかなびっくり手探りで進むと、広間の方だと思われる方角を向いて力いっぱい怒鳴った。
「おォい、撃つなァ! こっちゃ敵じゃねえ! 紅蓮獅子団……医者だァ!!」
と、たちまち霧の彼方でどよめきが起こった。口々に何かを話し合った入るが、その声には驚きと戸惑いの響きがあった。
「医者……?」
「何だ、あいつらは……何を言ってる?」
依然として状況は見えないが、どうやら既に敵意はないらしい。ディンゴは小首をかしげて肩をすくめた。その気配を感じ取ったのか、ザインも両腕を静かに下ろす。魔力が消え、霧も徐々に晴れていった。
広間の中の様子もはっきりしてくる――何人かが、まだこちらに向けて長銃を構えているが、実際に撃とうとするような気配はない。腰を浮かせて、むしろこちらのことを観察しているような様子だ。ディンゴは道の真ん中に立って、害意がないしるしのつもりで両腕を大きく振って見せた。
「俺たちゃ、この辺に用があって来ただけだ! あんたらの邪魔はしねえ! 広間に入っても構わねえか?」
尋ねてみると、向こう側ではまた何やら相談が交わされているようだった。しばらくゴソゴソとしていた後、人垣の間から背の高い人物が進み出てた。薄い金属鎧の上から冒険用コートを羽織り、右目に黒い眼帯を掛けた厳つい顔の男だ。身振りや格好から見るに、どうやら向こうのリーダーらしい。
見ていると、その「リーダー」はこちらに向かってすっくと仁王立ちし、両腕を後ろで組むと、とんでもない胴間声で呼ばわった。
「両腕を挙げ、ゆっくりと入ってきなさい! そちらの巨猪人もだ! ただし、魔物は外で待たせておけ!」
ディンゴは振り返り、こちらもきょとんと眼を見開いているザインと顔を合わせた。
「……あんなこと言ってるけど、どうする?」
「……まあ、こちらとしては通報場所に行ければいいわけですし。断る理由もありませんね」
困惑した口調でザインは応える。ディンゴはひとつため息をつくと、同意の意味で軽く肩をすくめ、広間へ向かって歩き始めた。




