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第68話 ウズミマメと干しツチドリの香草包み煮

「では、斜線2本の上から横線1本引いたマークの意味は?」


「水魔術による二重止血法」


「大血管を損傷している魔力創の処置における、残留魔力の判別方法は?」


「特別な設備が無い状況なら、ゼッケルマン法――魔導泉から抽出したばかりの水を創面の近くで糸状に垂らし、動くかどうかを見る」


「最も古い市販洗浄薬の一種、『グレンワースの万能薬』の主成分は?」


「白樺樹皮と這いずり茸の抽出物、そのため酸に触れると変質し失効する恐れがあるので要注意……と!」


 アラムが出す問題に、ディンゴはすらすらと答えていった。ここは紅蓮獅子団事務所の応接室兼居間。来客用のソファとテーブルに向かい、アラムとディンゴは斜めに並んで座っていた。


「へェ、やるじゃないの。教育の成果だね」


 アラムはひゅうッと口笛を吹き、率直な賛辞を口にした。ディンゴは少し照れたような笑顔で応える。


「言葉を知らねえだけで、こっちだってまるっきり素人ってワケじゃねえからな。一度理屈が分かっちまえば、後はスルッと入って来たよ。ザインの言った通りだった」


 ザインによる「教育」が始まってから数十日、時折挟まる実地研修の甲斐もあって、ディンゴはめきめきと医学の知識をつけていた。今まで軍医と『追いはぎ医者』で磨いていた技術を、本の知識で裏打ちした具合である。教師たるザインも、この分なら卒業までいくらもかからないと太鼓判を押してくれていた。

 次の問題はどうしようか、とばかりにアラムが参考書をめくっていると、上階に続く階段から疲れた様子のキャラバが降りてきた。両まぶたは腫れぼったく垂れさがり、指にはインクの汚れが黒々とついている。


「やれやれ、結局半日仕事になっちまった……何だ、くつろいでやがンなあ、お前らは」


「やあ、リオ。お疲れだね。顔を見ないと思ったら、締め切りに追われてたってとこかね?」


 アラムがニヤつきながら言うと、キャラバは恨めしげな一瞥を投げ、吐息をついた。


「ああ。カルテの清書がようやく終わったとこなんだ。ここんとこ出動が多かったんで、すっかり溜めこんじまったぜ」


 首をごきごきと鳴らし、キャラバは大欠伸をした。アラムは微笑んで、新たな珈琲石と湯を用意するためにポットを持って戸棚へ向かった。ディンゴはふと不思議そうな顔をし、キャラバの方へ体を向ける。


「カルテの清書って……いっぺん書いたカルテを、また書き直す必要があるのかよ?」


「あ? ああ、まあな。ウチだけでしか使ってねえ符丁もあるし、外へ出すとなると補足の資料を入れなきゃいけないような箇所もあるもんだからよ。

 と言って、外界行きの便は今日出ちまうしな。急いで仕上げちまわなきゃならなかったんだ」


「外界へ?」


 きょとんとするディンゴに、アラムは笑って手を振る。


「そう言えば、教えてなかったっけね。キャラバは昔っから、外界の医療界と連絡を取りあってるんだ。ザインが外界アカデミーに通信教育を受けてたころからのコネなんだけど、アカデミーでやってる医学研究の情報を定期的に受け取ってるんだよ。

 無論、世の中タダでものを受け取りっぱなしじゃいられない。こっちからは、大竪穴の冒険最前線で得られた貴重な臨床データを送ってやってるのさ。ここにしかない動植物から採れる毒や薬の作用に、魔物や罠から受けた傷の呈する症状と経過……向こうからしたらこっちは、資料の宝庫だからね」


「医学アカデミー、か……」


 ディンゴが複雑な表情になる。彼が大竪穴に来たのは、元はと言えばその医学アカデミーに入る学資を稼ぐためだ。さらに遡れば、それは育ての親を殺した外界アカデミー出の医者の頭でっかちな医療を、自分がアカデミー出の医者になることで駆逐しようと思ったからである。アカデミーに対して抱く感情は屈折し、矛盾していた。


「そんな顔するもんじゃねえぜ、ディンゴ!」


 キャラバは磊落に笑い、大きな手のひらでディンゴの肩を乱暴に叩いた。


「お前さんも、ずっと勉強してきて分かったろ? 先人たちは実に多くのことを発見し、発明してきている――お前さんが使う手術針や糸、洗浄薬に麻酔薬だって、机の上での学問がなけりゃ完成しなかった。そしてこれからも、机の上の研究者は新しいもんを生み出していくだろう。

 机の上での学問をただ嫌うだけじゃ、時代に取り残されるばかりだぜ」


「……分かってんだよ、ンなことは。だから勉強だってやってるじゃねえか」


 顔をしかめてむくれるディンゴに対し、アラムがコーヒーをすすりながら笑みを投げる。


「ま、子供というのは、親に勉強しろと言われるのをことさら嫌うものだからねえ」


「だァれが、誰の、親だよッ!」


 ムキになって立ち上がりかけるディンゴに、アラムはとうとう我慢できず口を開けて笑いだした。


「はは……ただねぇ、冗談ごとじゃなく、私らも結構マジメに考えてるんだよ。勉強しなきゃならないってことはさ。

 前にも言ったかもしれないが、大竪穴の医療は外界に比べるととかく遅れがちだ。ただ目の前のキズやら病気やらに対処することばっかり考えて、ひとつひとつの症例を体系立てて考えていない。おまけにみんな実地専門の職人みたいなもんだから、とかく新しいもんを毛嫌いする。外界じゃ新しい薬や治療用魔道具が色々出来てるってのに、それを持ち込もうともしない。マーレ先生みたいな新しもの好きはハッキリ言って変わり種でね。

 そういう流れに反発しようってのも、この『紅蓮獅子団』結成の理由の一つだからね」


 アラムの顔は相変わらず微笑んでいたが、その眼には真剣な光が宿っていた。キャラバも重々しく頷く。ディンゴは渋々ながら腰を下ろし、ふと思い出したような調子で付けくわえた。


「そう言えば、医学アカデミーとのコネはザインが作ったって話だったな。俺はてっきり、ザインがあんたらに頼んでアカデミーとの話をつけてもらった、って順番だと思ってたんだけど」


 ディンゴの疑問に、アラムは鉱石珈琲をひと口すすったのち、成程という風に頷いた。


「彼はねえ、元々生まれた部族の治癒魔導士だったのよ……彼の部族では、治癒魔導士は代々同じ一族のものが引き継ぐしきたりになってた。『うちびと』の治癒魔導士って言ったら、幼いころから全身に契約印を刻まなきゃなんないからね。

 で、医者一族の若き見習い魔導士として修業を積んでたんだけど、そこに冒険者時代のリオのパーティが辿りついてさ。色々喋ってるうちに、すっかり『そとびと』の医療技術に入れ込んじまってね。とうとう村を出て、外界医療を学ぶため上層に行っちまったのよ。

 折しも第3の考古学アカデミーは、研究に協力的な『うちびと』を探してるとこでね。しかも彼の持つ古代医療魔術の知識は、彼らにとって垂涎の的だった。で、外界の医学知識と深層の医学知識を交換しようって契約が成り立ったワケだね」


「それで第3のアカデミーまで登って、通信教育か……すげェ行動力だよな、考えてみれば」


 今さら感心したように腕を組んで唸るディンゴに、アラムはくすくすと笑った。


「下から上へ行くのが珍しいかね? キミだって、医術のためにわざわざ上から下に降りてきたんじゃないか。それも、こんな深みまで」


「いや……ああ、そうか。なんか、『うちびと』がわざわざ上層に上がってくるってイメージが無かったもんだから」


 アラムの指摘に、ディンゴは思わず額を掻く。と、そこでキャラバがふと首をもたげ、周囲を見回した。


「そう言や、そのザインはどうした? てっきり授業をしてるもんとばかり思ってたんだがよ」


 キャラバの言葉に、アラムとディンゴの顔がたちまちのうちに曇る。


「……な、何だ、その反応は?」


 ぎょっとするキャラバに、アラムが重い息をつきながら答えた。


「忘れたのかい、リオ……ザインは今日、食事当番だ」


「あっ……そうか」


 ひと声上げたキャラバの表情も、みるみるうちに険しくなってゆく。何か避けられない破局に立ち向かおうとでもいうような、悲壮な顔つきだった。


「ユノーのやつは、薬を仕入れに行くっつって昼前に出てったきり、戻ってないんだよな」


 ディンゴが恨めしげに呟く。キャラバも、呻くような声を喉の奥から漏らした。


「逃げやがったな、勝手な奴め……団員があっちこっちで別々にメシを食ってるんじゃ不経済だし、何より外食ばっかじゃ栄養面での偏りが……」


「皆さん! 食事の準備ができましたよ!」


 キャラバの愚痴を遮り、あくまで朗らかな声が台所から響いてきた。覆面にエプロン姿のザインが、台所の扉から顔を出す。いつもの金襴模様ではなく無地の白覆面だ。なんでも、調理用なのだという。ディンゴたちは顔を見合わせ、ため息をつくと、覚悟を決めたようにゆっくりと椅子を立った。


「仕方ねえ。食うのも仕事のうちだ。ザインのことだ、少なくとも栄養は完璧なハズだ」


「栄養はな、栄養だけは……」


 ぼそぼそと小声で囁き交わしながら、ディンゴら3人はザインのさし招くままに食堂へと入っていった。

 紅蓮獅子団事務所が完成してからというもの、団員はコール・ピックによる緊急呼び出しに対応するため事務所内を住居とし共同生活を営んでいた。掃除洗濯に加え、食事の支度も当番制で回していたのだが……これが思いもよらぬ苦行を産んだ。正確には、ザインの食事当番が、であるが。


 問題は、巨猪人オークの味覚が人類のそれとはかなりかけ離れているということに合った。彼の作る巨猪人オーク部族の郷土料理というものは、主として香辛料漬けの乾燥肉とマメ類を軸にしているのだが、非常に刺激の強い独特の匂いと味を持っている。おまけに人間の脆弱な歯で噛み砕くことを想定していないため、歯ごたえも少々強烈すぎるとくる。

 ザインもその辺りは心得ていて、食卓に並ぶ料理は香辛料を抑え柔らかめに作った「人類用」のバリエーションなのだが、それでもなおか弱い人類にはちょっと平らげかねるシロモノなのだった。


 ちなみに、団内で料理が最も上手いのは意外にも凝り性のキャラバで、その下にアラム、基本的に戦場流の煮込み料理しか作れないディンゴが続く。ものぐさなユノーの腕も大概ではあるが、ただ焼いただけ、茹でただけの雑な料理ばかり作るため、食べられないようなものが出来上がることは稀だった。


 さて、この日も食堂へ入るや否や、人類3人はたちまち軽く眉をひそめた。コンロの上にかけられた大鍋からは、とても料理のそれとは思えぬ奇妙な香りが漂っている。


「今日は、ウズミマメと干しツチドリの香草包み煮というのを作ってみました」


 鍋を食卓に下ろしつつ、覆面の下でザインが笑顔を作る。明るさと、ほんの少しの不安を混ぜ合わせたような表情だ。


「切って、包んで、火にかけるだけでできるので、私の故郷では簡単な日常食のレシピとして重宝されているんですが……さて、お口に合いますかどうか」


 丁寧に解説しながら鍋の中身を皿に取り分けていくザインだったが、食卓の誰一人としてその話をまともに聞いていないらしかった。一同の眼は、白い皿の上に盛られたどろどろの塊に向けられていた――何か巨大な獣の血液を思わせるような赤紫色の煮汁に、何の成分がどう反応したのか分からないがペールピンクに染まった大きな葉っぱの包みが浮かんでいる。皿から立ち上る湯気は、濃く煮詰めたハッカと辛子を混ぜたよゆな臭いを放っている。何か非現実的なものでも見たかのような顔で、ディンゴが周囲を見回している。


「……やはり、これでも少々皆さんの味覚とはズレてますでしょうか?」


 一同の沈黙から色々と察したらしいザインは、申し訳なさそうに問いかけた。アラムは咳払いし、言葉を選びながらためらいがちに答える。


「いや……うん、まあ、そうね。多少その、食物を連想させない種類の香りがついていることは、否めないというか……」


「ガタガタ言っても仕方ねえや。いただこうぜ」


 キャラバがうなるように言い、フォークとナイフを掴んだ。


「俺らが食事を作る時ゃ、人類流の味覚をザインに押し付けてんだ。そりゃ、そのうち合わせてもらいたくはあるが……こっちばっかり好き勝手要求するのは、身勝手ってもんだぜ」


「いや、巨猪人オークの味覚というのは雑なものでして、私の方は別にそれほどの不便を感じているわけでも……」


 ザインは慌てて手を振ったが、そんな取りなしを聞くこともなくキャラバは香草包みの端をナイフで切り取って、えいやッとばかりに切れ端を口へ放り込んだ。

 途端に、太い眉毛がピンと吊り上がり、眉間に深い皺が寄る。奥歯でさらにひと噛みすると、ごきりという鈍い音がして眉間の皺がさらに深くなった。3人が心配そうに見つめる中、キャラバは顎を2,3度動かすと、ごくりと喉を大きく鳴らして口の中のものを呑み下した。深い息をつき、額の脂汗を拭うと、キャラバは低い声で呟いた。


「……うん、そんなに悪くもねえじゃねえか」


「強がるにしても限度ってもんがあるだろ……」


 ディンゴは小声で言い、目の前の皿に盛られた包み煮を試みにフォークの背でつついてみた。ピンク色の香草はちぎれたが、中に詰まっている小石のような丸っこい物体は潰れない。


「かなり煮込みの時間を伸ばしてみたんですが、やはりウズミマメを人類の口に合うように調理するのは、無理なんでしょうかねえ」


 物憂げにザインは言い、自分の分の包み煮を一遍切り取ると、覆面の口元を上げて口の中に放り込んだ。頑丈な顎が上下に動き、ぽつり、ぽつりと小気味よい音を立てて豆を噛み砕いていく。


「ウズミマメというのは、歯ごたえが命ですからね」


 残念そうに首を振るザインに、ディンゴが思わず天井を仰いだ時だった。

 ふいに居間の方から、けたたましいベルの音が聞こえた。一同は食器を置き、一斉に席を立つ。


「メシ時に生憎だが、どうやら、お仕事の時間らしいな」


 キャラバはフォークとナイフを置くと、大股に食堂を出て居間に張られたスクリーンのもとへ向かった。

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