第59話 悪党の血
新しい香の実験台となったのはまたしてもコヴだった。小指の先ほどの香を分けて取って燃やし、ほのかに立ち昇る煙を嗅ぐ。しばらく経ってコヴが「頭がふらふらしてきた」と訴えると、ようやくバーティも満足した様子で頷いた。
「今度は本物のようだな……さて、後はこいつを、親父のテントの前で焚いてやりゃあいいわけだが」
「あ、言っとくが、今度は俺は付き合わねえぜ」
キャラバが先手を打ってぴしゃりと言う。
「俺の図体はこっそり動くのにゃ向いてねえんだ。影でも見つかったら一遍でバレちまう。さっきので、俺は完全に『敵』として認識されたらしいしなあ」
顎を掻くキャラバを頭のてっぺんからつま先まで眺めまわし、バーティモフームと唸った。
「ま、確かにキャラバ大先生は邪魔になるだけかもな。荒事する予定もねえし……となりゃ、あんたはここに居てもらおう。コヴ、こちらの先生のお相手はお前がしろ。ほれ、お前の得物だ」
まだ朦朧としかかっている様子のコヴにクロスボウを押し付けて渡し、バーティは改めて一行を見回した。
「とは言え、あの体を運び出すのはちと骨だな。俺とあともう一人くらい人手がいる。そこの嬢ちゃんを連れてっても大して力にゃならんだろうし、アンジーを連れてったら人質2人にコヴ1人で2対1になっちまう。すると……」
バーティは、帽子の下からディンゴに視線を向けた。ディンゴは妙な成り行きに困惑して左右を見回したが、助け舟を出す者はない。バーティは微笑み、口の端に葉巻をぶら下げたまま声をかけた。
「一緒に来てくれるかね、若先生。なに、こっそりテントの前まで行って香を焚いて、テントの中が静かになったら、眠っている年寄りを運び出すだけさ。簡単な仕事だ」
「あァ、それがいい、それがいい」
ディンゴが何か言う前にキャラバが大声で答え、ディンゴの背中を豪放にばしばしと叩きながら笑った。
「何しろこのディンゴは、今でこそこうして行儀良くしてるが、元々は遺跡を荒らしまわった追いはぎ医者だからな。押し込み強盗まがいの仕事にゃうってつけだろうぜ」
「ヒトの心を傷つけるようなことを平気で言ってくれるよな、おっさん……いつまでもそんな昔の過ちを蒸し返さなくたっていいだろう?」
ディンゴは顔をしかめて口を尖らした。キャラバは大口を開けて笑いながらその肩を抱き込み――耳元で低く囁いた。
「出来るだけ、奴の注意を逸らしといてくれ。こっちはこっちで、聞きたい話がある」
「おっさん、何を……?」
ディンゴはハッとして、キャラバの四角い顔を見上げた。が、その時には既にキャラバは顔を離し、バーティに向かってディンゴの背を押し出していた。
「さ、患者を連れ出しに行ってこい。俺たちゃこっちで大人しく待ってるからよ」
「……あ、ああ。行ってくらァ」
まだよく呑み込めぬ様子ながらも、ディンゴは頷き、バーティと共にテントの方へと歩き出した。
後にはキャラバとユノー、そして2人を挟み込むような形で武器を突き付けているコヴとアンジーの兄妹が残される。キャラバは強張った顔でこちらを睨んでいるアンジーを横目で窺い、ことさらに呑気を装って首の後ろで腕を組んだ。
「さて……と。連中は上手くやるだろうかね?」
地面にべたりと胡坐をかき、くだけた調子でキャラバは声をかける。アンジーはちらと目を上げ、真意を測りかねると言った具合に2,3度まばたいた。
「そりゃあ……なんで上手くいかない事がある? 兄貴はいつだって上手くやる男さ」
「そうさな、確かにあいつは上手くやる奴だ。あのバーティ・バッキーって男はな。自分のやりたい事、欲しい物は何だって手に入れる、そういう種類の男だ」
表情だけはさりげない風を装いつつ、キャラバは意味深な言葉を投げかけた。狙いたがわず、アンジーは食いついてきた。
「……何が言いてえんだ、さっきから?」
「あいつに欲しいと思われたら、何だろうと奪われちまうってことだよ。親父さん、遺産は渡さねえって喚き散らしてたけどよ。シャイクスの親父がどれだけ隠し立てしたところで、奴の目は胡麻化せねえだろうなァ。
……お前さん、見たんじゃねえのか。親父さんが何か隠してるとこを」
根拠はなかった。当てずっぽうでカマをかけてみただけだったが、アンジーの反応はその憶測が正しかったことを如実に表していた。
「てめェ……さっき、見たのか!?」
キャラバのコートの胸倉を掴み上げ、アンジーは叫んだ。キャラバは答えず、どうとも取れるように軽く肩をすくめるだけだった。数呼吸の睨みあいの後、見かねて間に割って入ったのはコヴだった。
「お、おい、止せよ……そいつァ大事な人質だし、兄貴が親父を連れてきたら、診察もしてもらわなきゃならねえんだ。雑に扱ったら、また兄貴に怒られるぜ」
たしなめられ、アンジーはゆっくりとコートの襟から手を離し、拳銃を構えなおした。銃口をキャラバに突き付けながら、ためらいがちに口を開く。
「お前……兄貴が、親父に何かすると思うか?」
「おい、何言ってんだ、アンジー!」
目を見開くコヴをよそに、アンジーはじっとキャラバの目を見つめた。キャラバはハッタリを掛けたことを悟られぬよう胸を張ってその目を見返し、思惑ありげに顎を捻って見せた。
「ま、あの弱った親父なら、その気になりゃ自分で何とでも出来るだろう。だのにわざわざ俺たちを呼んだってことは、治してほしいってのは本心なんだろうぜ。それでも、目的がどっちなのかは隠してるもの次第だろうな。本当に親父の命を救いたいのか、それとも隠してる財宝が目当てか?」
「……やっぱり、隠してるのか。財宝を」
アンジーが呟くように言うと、コヴもハッと息を呑んだ――が、先ほどのように言い返しはしない。キャラバはそれと分からぬよう片目を細めた。コヴも驚いてはいない。してみると、コヴもうすうす感づいてはいたというわけだ。シャイクス・バッキーが何かを隠していることに。
「お前さん、親父の世話をしていたんだろう? ブツを見てねえのか?」
キャラバが尋ねると、アンジーは視線を落として首を振った。
「テントに入ることは入ったけど、寝床にだけは手をつけさせてくれなくってさ。その中に何か隠してるような雰囲気はあったけど、聞けなかった。
元々、この頃親父の動きが妙だなとは思ってたんだよ。仕事の時だって、フッと目を離すと居なくなってたりさ。最後の『仕事』の時も、親父がしんがりを務めたんだが、妙にだらだらと遅くまで残ってたんだよな。せめて少しでも獲物を持って帰ろうと粘ってるんだろう、と思ってたんだけど……その後ここへ戻ってきて、奪った宝をまとめて勘定したけど、親父が持ってきた宝は増えてなかった」
「つまり、グズグズしてる間に親父が宝を拾って、それを家族の稼ぎの中に入れずに自分の懐へ入れたと……そういう具合か。それがシャイクス・バッキーの遺産ってわけか?」
キャラバが水を向けると、アンジーは迷いながらも頷いた。
「時々、テントの前まで近づくとさ。親父が酒呑みながら独りで何かぶつぶつ言ってるのが聞こえんだよ。内容は分からねえんだけど、何かに語りかけてるような調子でよ。で、入ってくと慌てて何かを隠すような動きをするんだ。
身内を疑うのは嫌だから、今まで黙ってたけどよ……もし兄貴がそのせいで親父のこと怒ってるんだったら、親父が危ねえと思って」
「何言ってやがるンだ、アンジー! 兄貴はそんな……」
コヴが躍起になって遮るが、アンジーはさらに大きな声で言い返した。
「分かるもんかよ! 兄貴は……兄貴は、そりゃ偉い男だよ。強いし、頭も回る。けど……だから怖えんだ、あたしゃあ。
あたしにとっては大事な兄貴だけど、親父だって大事な親父だ。どっちもなんともなって欲しくねえんだよ……」
アンジーの言葉は、最後には低いつぶやきとなって消えた。腕を組み考え込むキャラバの後ろで、ユノーがぼそりと皮肉な呟きを漏らす。
「勝手なものね。他人の命はどうなってもいいのに、自分の身内だけは絶対に傷つかないでほしいなんて」
「なッ……この、小娘!」
たちまちいきり立つアンジーに、キャラバは広い手のひらを向けた。
「まァ、落ち着け、姉ちゃん。お陰さんでだいぶコトの成り行きが見えてきた。ことによると、親父さんの病気の正体も……な」
「ええッ!? ど、どういうことだよ!」
アンジーは思わず身を乗りだし、その拍子に拳銃の銃口がキャラバの脇腹に食い込む。低く唸って顔をしかめるキャラバの横で、それまでむっつりとしていたユノーがふと呟いた。
「……ねえ、何か聞こえない?」
小声だったが、一同の注意をひくほどの音量はあった。反射的にキャラバらは顔を上げ、辺りを見回しながら耳を澄ます――聞こえるのは、ぽたり、ぽたりと水の滴り落ちる音。じめついた穴倉の天井から、水滴が落ちる音だ。
「水音だな。ここらは湿気がやたらと多いから……」
「おい、今、何か動いたぞ!」
キャラバの声を、コヴの叫びがかき消した。コヴの掲げた魔導灯が、部屋の奥の暗闇を照らし出す。白い光がじめついた闇をかき分け、石組に覆われた広間をあらわにする――と、『それ』は不意に視界の中に飛び込んできた。
「うッ……!?」
誰のものともなく、低く呻く声が上がった。キャラバは腰を浮かし、無意識のうちにコートの中を探った。魔導杖を探して――しかし、杖は既に取り上げられていた。
「おい、おい、おい……ちょっと待てよ、おい!?」
* * *
~ 一方、テントへ向かったバーティとディンゴは…… ~
「……よし、この辺りから燻してやりゃあいいだろう。あんまり近すぎても気配でバレちまうしな」
バーティはテントから数歩ほど離れたところに銀皿を置き、潜めた声で呟いた。後に付き従うディンゴは、テントの中を透かし見ようとするように睨む。
「今のところ動きは見えねえな……ひょっとして爺さん、俺らが何するまでもなくもう酔っぱらって寝入っちまってるんじゃねえのか?」
「そうだったら有難えがな。こちとら、そう幸運を期待するわけにも行かねえ」
火のついていない葉巻を唇の上で転がしつつ、バーティは小声で応えた。
「万に一つも、失敗は避けてえんだ。こんなしょうもないことで実の親子が殺し合うだなんて、ぞっとしねえからな。荒事はナシで穏やかに親父を運び出してえ」
「相変わらず、お優しいこったぜ。悪党のくせに」
横を向き、くぐもった声で吐き捨てるように言ったディンゴに、バーティは面白がるような視線を向けた。
「歳のわりにスレてると思ってたが、まだまだ悪党って生き物の生態にゃ疎いようだな、若先生」
「ああ?」
ディンゴは眉を寄せて顔を上げる。バーティは銀皿の上に屈み込みながら、葉巻をくわえた口の隙間から喋った。
「ワルってのァ、いつも他人の隙を狙っている生き物だ。人殺しも裏切りも屁とも思わねえ。自分がそんなだから、他人もどうせそんな具合だろうと考える……状況が変わればだれでも敵になるし、立場が変われば昨日の友に背中から撃たれてくたばることになる。確かなものが周りになんにもねえッてのが、悪党の暮らしなのさ。
そんな中で血縁ってのァ得難いもんだ――考えてもみてくれや。シャイクス・バッキーがバーティ・バッキーの親父だっていう事実は、天地がひっくり返ろうと変わらねえ。俺とアンジーとコヴが兄弟だって事実もな。そりゃ、身内でいがみ合ったりカネのトラブルを起こしたりってことも無いじゃあないが、大抵のワルは一線をわきまえてる。最後の最後に頼れるのは身内くらいしかいねえってことを、本能的に知ってるからだ。
分かるかい、若先生? 悪党ほど身内には優しいもんさ、得てしてな」
「はッ、そういうモンかね……」
さして感心した様子もないディンゴに、バーティは自嘲するような苦い笑みを向けた。
「そういうモンさ。さて、そろそろ始めるとするか。何か煽ぐものを持ってるか?」
「ま、マントの裾でいいだろ……そうだ、煙を吸わねえようにマスクをしとこうか。単なる布だけど、気休めくれえにはなるだろう」
「ああ、俺はいいや。葉巻が吸えなくなるし、どうせ俺の魔術がありゃ、煙を吸うこたァねえしな」
ディンゴの差し出す布を断り、バーティは懐からマッチを取り出した。靴のかかとでこすって火をつけると、まずはくわえた葉巻に火をつけてひと吸いし、それからそっと屈み込んで銀の皿へ火を近づける。
と、その時だった。
「ん……何だ、どうしたんだ?」
声を潜めるのも忘れ、ディンゴが呟いた。視線は後ろを向いている。バーティもマッチを持ったまま、振り向いた――そして、目を見開いた。指からマッチが落ち、床に落ちて消えた。
キャラバを先頭に、残してきた4人が必死の形相でこちらへ駆けてこようとしていた。




