第58話 眠り香とケジメ
「何にしたって、あのジジイをテントから引きずり出さないことにはどうにもならねえや」
ディンゴが飽き飽きした顔で口を挟む。
「俺たちだってこんなとこ、いつまでも居たくないもんな。さっさと診てさっさと治して、帰らしてもらうぜ」
「それが出来るんだったら、俺たちとしても願ったり叶ったりなんだがな、若先生」
気に障る慇懃さでバーティは応え、帽子のひさしを親指でクイと上げた。
「しかし、具体的にはどうする? 相手は病人のうえ年寄りだ。あんまり手荒なマネをしてもらっても困るぜ」
「何でェ、身内に対しちゃ随分とお優しいじゃねえかよ……その心遣いを、てめえらが手にかけた連中にもちっとは分けてやりゃよかったのによ」
噛みつくように言うディンゴに、後ろに立つアンジーは血相を変えて右手の拳銃をぐいと突きつけた。が、バーティは手を挙げて彼女を止め、鷹揚に笑う。
「生憎と患者はまだ生きてるもんでね。説法よりは処方が欲しいもんだ」
「どうやってあのジジイを大人しくさせるか、ってか? 簡単だ。ウチにゃ、うってつけのスタッフがいる……な、ユノー」
くるりと振り向いて微笑むディンゴに、ユノーは不興げな視線を返した。
「自信ありげに言っちゃって、結局ひと任せなんじゃない……言っとくけどあたし、こんな奴らのために働くなんてゴメンだから」
「このガキ、まだ自分の立場が分かってないのかい!?」
またも色めき立って拳銃を構えるアンジーにユノーは負けじとしかめ面を向ける。ディンゴは慌てて間に割って入った。
「だから、無茶はするなって言っただろう! 俺たちの仕事は患者を助けることなんだ。こんな連中でも、助けを求めてきたってことだけは本当だ……ここは堪えて、協力してくれよ。お前の麻酔だったら患者を傷つけずに武器を奪えるんだから」
「おっと、若先生。そいつはちょっと困るな」
魔導杖を振りながらバーティが口を挟んでくる。先端の鎖がじゃらりと重たい音を立てた。鼻筋を掻きながら、用心深い目をユノーへ向ける。
「麻酔とやらを使うには、例の籠手を返してやらなきゃならないんだろう? その、古代魔術使いの娘に……そりゃちょっと、危なっかしくていけねえな。俺たちにとっちゃよ。
あれを返したらこちらのお嬢さん、また暴れ出さねえとも限らねえ。渡した途端俺たちみんなを眠らせて逃げ出そう……とか思ってそうなツラだぜ、そちらさん」
「ンなことは……」
ディンゴは言い返しかけ、口を閉ざした。傍らで唇を引き結んでいるユノーの表情は、どう贔屓目に見ても「そういうこと思ってそうなツラ」だったからだ。
「……とは言え、眠らせて担ぎ出すってのは悪いセンじゃねえやな。何とか利用できねえか……」
葉巻の煙を吹かしつつバーティは考え込んでいたが、やおら顔を上げるとコヴの方へ向き直った。
「そう言えば、嬢ちゃんから籠手を取り上げたのはお前だったな。あれ、見せてみろ」
「あ? ああ、こいつか」
コヴは小脇に抱えていたユノーの籠手と、同時に奪っていた金属筒の弾帯をバーティに手渡す。バーティは2つを両手に持ち、ためつすがめつ細かく調べ始めた。
「あんたたちには無理よ、使えないわ」
嘲るようにユノーは逝ったが、バーティは目線も上げなかった。
「成程な、このシリンダーを付け替えて、中身を火皿で焚くわけか……」
筒を一本一本耳元で振ってみたり、中身を手のひらに開けてみたりしながら、バーティはぶつぶつと呟いていたが、やがて金属筒を帯へ戻し、ユノーへ目をやった。
「そうだな、こういうのはどうだ? 見たところこいつは単なる香で、魔術や何やらが絡んだものじゃあないらしい。調合さえできりゃ、俺たちは火をつけるだけでいいわけだ。
そこでだ、嬢ちゃん。ちょっくら俺たちのために、よく効く眠り薬か何か調合しちゃくれねえか?」
「なッ、誰が……!」
食って掛かろうとするユノーを、危ういところでディンゴが押しとどめる。
「ああ、もう! お前が怒ると話がややっこしくなンだよ! こいつらに脅されなくたってどうせあの爺さんは治療するんだし、あの爺さんを治療するためにはどうせ大人しくさせなきゃならないんだ。ここは奴らの言う通りにしとこう、な」
ディンゴに言い聞かせられ、ユノーの肩から少しずつ力が抜けていった。まだ口をひん曲げて不満をあらわにはしていたが、とにかくバーティの方へ手を突き出し、「薬を渡せ」の身振りをする。バーティは肩をすくめ、右手に提げた弾帯だけを放ってよこした。
地面に投げ出された弾帯にユノーは飛びつき、手繰り寄せる。と見るやその両手は既に弾帯の中から必要な金属筒を選りだしはじめていた。
「皿か何か持ってきて、出来れば金属の。上で火を燃やしても大丈夫なやつ……早く! あたしだってこんな仕事、とっとと終わらせたいんだから!」
「おやおや、怖いねェ。そいじゃとっとと終わらせてもらおうじゃねえの」
バーティは低く口笛を吹くと、そこらに転がっていた宝の山から無造作に銀の皿を一枚取り、ほとんどユノーの顔目掛けて放ってよこした。ユノーは物も言わずに空中でそれを受け取り、一度ぎろっとバーティのにやけ顔を睨んだ後、黙々と金属筒を開き、中身を皿に開け始めた。
ものの数分で、皿の上には混交された粉末の香がひと握りほどの山になって出来上がっていた。ユノーは目を上げ、皿をバーティの方へぐいと押しこくる。
「出来たわよ、これ」
「ほう、早いね。大したもんだ」
バーティは薄い唇を曲げて笑みを作りながら、皿の上に乗った香をとっくりと眺めた。と、おもむろに皿を持ち上げ、コヴの目の前に突き付ける。
「お前、こいつを試してみろ」
「え、俺?」
「……!」
きょとんとするコヴの後ろでユノーはびくりと肩を震わせた。バーティはそれを横目で確かめ、皮肉な笑みを深くする。
「いいから、ほれ、これ持っとけ。クロスボウは俺が預かる」
言いながらバーティはコヴの手に銀皿を押し付け、代わりにコヴの構えていたクロスボウを取り上げると――その鏃を、ぴたりとディンゴの眉間に向けた。
「お……おい! 何のマネだよ!」
「何のマネかは、そっちのお嬢ちゃんに聞きな」
バーティはそっけなく答え、葉巻の煙をひと吹きすると、銃を持たない左手で葉巻をつまんだ。先端の火を、コヴが捧げ持っている銀の皿へと近づけてゆく。
「こいつが本当にお嬢ちゃんの言うような眠り薬で、コヴがさっきみてえに眠り込んだらそれでよし。だが、何かもっと別のけしからねェ薬だったりしたら……悪いが若先生、脳天がちょいと涼しくなるぜ」
「……ッ!」
ユノーが唇を噛むのを見て、ディンゴの顔色が変わった。
「……おい、ユノー、お前……」
「そォら、火が点くぜ、先生がた。どういう煙が立ち上るか、ひとつ拝見と参ろうじゃねえか」
高らかに言い、バーティは葉巻の先を香の中へ突っ込む……と同時に、ユノーの体が跳ねた。あっと言う間もなくバーティの前に駆け出すと、クロスボウの鏃を押しのけ、同時にコヴの手から銀の皿を叩き落す。香は地面に落ちて飛び散った。片目をすがめて見下ろすバーティに、ユノーは息を喘がせながら言った。
「……分かったわよッ! ちゃんと作ればいいんでしょ、作れば!」
「初めからそう言ってくれりゃ、お友達をこんな危ない目に遭わせずに済んだんだ。素直さってのァ人生を善く生きるカギだぜ、嬢ちゃん」
バーティはクロスボウを下ろしながら、片目をつぶって見せた。その後ろでコヴは叩き落された銀の皿を拾おうとし、突如物凄い勢いで咳き込みだした。
「ぐえッ……兄貴ィ! 目が……目が!」
涙と鼻水を垂らしながら床の上をのたうつ弟を見下ろして、バーティは歯を剥きだした。
「催涙作用か……煙幕を張っといて、そのスキに逃げよう、ってか。いやはや、油断も隙もないお嬢ちゃんだねェ。うちのアンジーだってそんくらいの歳の時ゃ、もっと大人しかったぜ」
「観念しなよ、兄貴を騙そうったって無理さ。兄貴は魔術の腕だけじゃなく、頭もキレるんだ」
キャラバの後ろで銃を突き付けているアンジーが、バカにしたように言った。バーティはそれを聞き、かえって気分を害したような顔で首を振る。
「ほら、これだ。分かるだろう、先生? こいつらの頭の程度ときたら、何せこの俺を世界で一番頭のいい奴だと思ってるくらいだ。この、俺をだぜ。生まれてこのかた、教育なんてものは受けたこともねえこの俺をだ」
さもうんざりしたと言わんばかりの顔で肩をすくめ、バーティはキャラバとディンゴの顔を交互に見やった。
「ちょっと前にもよ、第9大隧道で人相書きが出回った時なんか傑作だったぜ。書いてあるのは俺のことなんだが、当の俺はその文章が半分も読めねえんだ。笑っちまうだろう? そんなのが俺、バルサトリウス・バッキーだってのさ」
「……何が言いてえ?」
ここまで腕を組んで成り行きをじっと見守っていたキャラバが、低い声で問う。バーティはちょっと眉をひそめ、首を振った。
「俺はそんな大層な人間じゃねえってことさ。自分の親父を救うにも、見ず知らずのあんたらの手を借りなきゃならねえ程度のな。頼りにしてるんだ、あんたらを。そこだけは分かってくれ。
おい、コヴ、いつまでも芋虫みてえに這いずってるんじゃねえや。その香をどっかへ片づけて、早いとこ皿を寄越せ。もう一遍、お嬢ちゃんに香を作ってもらわにゃあな」
まだ涙が止まらぬ様子のコヴから皿を受け取ると、バーティは突っ立ったままのユノーにそれを渡した。ユノーはしばしの逡巡ののち、ひったくるようにして皿を受け取る。
「そいじゃ、分かってるな、嬢ちゃん。俺たちを出し抜けるなんて考えは、そろそろ捨ててくれると嬉しいぜ」
にこやかに言うバーティにもうひと睨みくれてから、ユノーは弾帯の方へ戻って座りこみ、再び目にも留まらぬ速さで香を混ぜ合わせ始めた。傍らにディンゴが座り、言い聞かせるように穏やかな口調で声をかける。
「なあ、お前がムカつく気持ちは分かるよ、ユノー。俺だってこの扱いには腹が立ってるさ。けどよ、いつまでもイライラしてたって始まらねえだろう? 今大事なことは、向こうに苦しんでる患者がいるってことだ。治せる患者がいるなら行って、治してやる――俺たちは、そういう医者だろう?」
「何も、患者を治さないだなんて言ってないわよ」
香から目を離すこともなく、ツンとした調子でユノーは応える。
「ただ、それはこいつらのためじゃない。治すべき患者がいることと、いけ好かないならず者どもがこっちの頭に銃突きつけてくるのは、まったく別問題よ。逃げるだなんてさっき言ってたけど、まったくの見当違い。
あたしは、まずこいつらを全員ぶちのめして地面に這いつくばらせてから、改めて患者を診察するって言うのが本来の筋じゃないかって言ってんの。それがケジメってものでしょ?」
しれっと言ってのけるユノーに、ディンゴはしばし開いた口が塞がらないという顔でその場に固まっていた。横合いからバーティがからからと笑い声を投げてくる。
「いやはや、本当に大した嬢ちゃんだ。そうさな、正論だぜ、それは」
「ホメてくれる気があるんなら言葉をくれるより、いっそその辺の壁に頭をぶつけてカチ割ってくれたら喜ぶわよ、あたし」
刺すような口調でユノーは言い、銀皿を掲げてみせた。新しい香がまたひと握り、調合されている。
「今度はホントのホントに眠り香。色や香りが濃すぎるとバレちゃうからそんなに強くはしてないけど、体の弱った老人には十分でしょう。テントの近くで焚いて中に煽ぎこめば、すぐに効き目は表れるはずよ」
「やれやれ、やっとか……これで、親父を治しに行けるってワケだ」
バーティはしかめっ面をするユノーの肩を魔導杖の先でポンと叩き、新しい葉巻を懐から取り出してくわえた。




