第60話 遺跡の掃除屋
「おい! どういうことだ、そんな大勢で来ちゃあ、親父に気づかれ……」
声を上げかけたバーティは、キャラバたちの後ろに目をやって言葉を飲み込み、代わりに喉の奥から響くようなぐッという音を鳴らした。ディンゴもまた、半ば立ち上がりかけた姿勢のまま言葉を失って立ちすくむ。
キャラバたちの後ろから、何かがぶよぶよと蠢きつつ追って来ていた――『何か』としか言いようがない。天井裏の薄暗さを差し引いても、『それ』の正体はあまりに謎めいていた。不定形の赤黒い何者かが、形を変えながら波のように押し寄せてくる。
「グロブスターか……!」
バーティは低く呟き、帽子のつばを上げながら立ち上がった。ディンゴはまだ事態が良く呑み込めぬ様子で、銀の皿の前に呆然としゃがみ込んだままだ。
「グ……何?」
「畜生ッ! 寄るんじゃねえよッ!」
と、叫び声を上げてアンジーが立ち止まった。うねうねと形を変えながら迫ってくるゼリーの小山に向き直り、手にした銃を構える。バーティがハッと息を呑む。
「止せ、アンジー! 無駄だ!」
「この野郎ーッ!」
兄の叫びも聞き入れず、アンジーはゼリーの塊に向かって立て続けに引き金を引いた。轟音と共に閃光が闇を切り裂く。ぼそッ、ぼそッと、肉塊に弾丸のめり込む音が響いた。光と音にひるんだかのごとく、迫る肉塊の動きが不規則になってぶるぶると揺れた――が、それだけだった。
揺らぎかけた輪郭を再び落ち着けると、肉塊は立ち止まったアンジーへ覆いかぶさるように迫った。
「うッ、うわああああっ!」
銃を構えながら後じさりした拍子に、アンジーは石の角に足を取られて仰向けにひっくり返った。その上へ、赤黒い肉の塊が降りかかる。ひどく緩慢な動きだが、それゆえにかえって確実な死を予感させた。アンジーの喉から、金切り声がほとばしる。
「くそッ、あのバカ……!」
舌打ち交じりに叫ぶと、バーティは床を蹴って駆け出した。羽織っていたポンチョを奔りながら脱ぎ、左腕を芯にしてぐるぐると筒状に巻きしめる。
「アンジー、どけッ! 這いつくばってでも逃げろ!」
地面に倒れたアンジーにひと声叫んでから、バーティはポンチョで包んだ左腕を突き出した。くわえた葉巻をぷッと吹き出し、葉巻の火をポンチョの先端に移す。たちまち明るいオレンジ色の炎がポンチョの先に灯った。
「この……おらッ! 焼けちまうぞッ! 向こうへ行けってンだ!」
喚きながらバーティは炎を振り立てる。と、覆いかぶさろうとしていた肉塊の波が怖気づいたように震え、退き始めた。バーティの振り回す炎の軌道を中心に、水が引くように後ずさってゆく。
ひとくさり炎を振り回した後、バーティは巻いたポンチョをほどいて地面に投げ出した。広がったポンチョはめらめらと燃え、床の上に炎の線を描く。その一線を越えかねて、肉の塊は震えながらためらうように左右に揺れた。
「今のうちだ、走れ! テントに向かえ!」
バーティの叫びを号令代わりに、キャラバたちはシャイクスのテントへ向かって駆けた。騒ぎを聞きつけ、よたよたとシャイクス老がテントから這い出してくる。乱れた髪を汗でべとべとにし、目の焦点も合っていないが、拳銃だけはしっかりと右手に握っていた。
「な、何でェ、今度はまた、束になって来やがって……」
「どいてくれ、爺さん!」
ろれつの回らぬ舌でもごもごと呟き、拳銃を上げかけるシャイクスに、キャラバは体ごとぶつかっていった。玉つきのボールもかくやという勢いで、シャイクスは後ろへふっ飛ばされた。ぶ厚い肩を突き出し、体重を乗せた体当たりだ。病人でなくともひとたまりもなかっただろう。
「痛かったか、爺さん? 悪いな……だが、死にゃしねえさ!」
キャラバは早口に言いながらテントの中へ押し入り、奥の壁に背中をぶつけて呻いているシャイクスを太い両腕で押さえつけると、右手から素早く拳銃をもぎ取った。
「よし、癖の悪い爺さんは大人しくなったと……入ってきて大丈夫だぜ」
後ろに向かって叫ぶと、言われるのも待たずにコヴとバーティが駆け込んできた。バーティは組み敷かれた自分の父親を目にし、顔をしかめる。
「手荒な真似はしたくねえって言ったろ! 病人だぞ……まったく、計画がメチャクチャだ」
「しょうがねえだろ、緊急時なんだから」
悪びれた様子もなく、キャラバはシャイクスにのしかかったまま肩をすくめ、拳銃を右手のひらの上に乗せて突き出して見せた。
「爺さんの病気は、とりあえずまだ命を奪うところまでは行ってねえ。ところがこの小っちゃな火薬仕掛けの病気は、いとも簡単に人の命を奪う――どっちが大ごとか、頭のいいお前さんなら分かるだろう?」
「……ん? まるで、親父の病気が何なのかもう分かったような口ぶりじゃねえか、先生?」
バーティはふと気づいた様子で問いただしにかかった。が、答えを聞く前に後続の連中がテントに駆け込んできて、会話は一時中断となった。ユノーとディンゴ、そして最後に足を引きずりながらアンジーがテントの中に転がり込んでくる。7人もの人間が詰め込まれ、テント内はにわかにぎゅうぎゅう詰めとなった。
アンジーが入り込むのと同時に、バーティが布を下ろし、テントの入り口を塞ぐ。
既にポンチョは燃え尽き、肉塊は追跡を再開していたが、布が下ろされた途端にその動きは止まった。ぐじゅぐじゅと水っぽい音がテントを取り巻いてあちらこちらから聞こえてきたが、音は一向に近寄ってこないのである。
「助かった……グロブスターめ、『見失って』くれたな」
バーティが呟き、ほっと息をつく。眉をひそめたディンゴに、キャラバが解説してやった。
「グロブスター……あの、ゼリーみてえな奴にはな、目や鼻ってもんがねえんだ。ただ魔力を使って肉のありかを感じ取ってるだけ。そっちの感度もあんまり良くねえ。
だからこうして、革布一枚でも隔ててやると、向こうは俺たちの命の気配を感じ取ることが出来なくなって、途方に暮れちまうってワケさ。生物由来の素材は魔力を遮断するからな」
「魔力、ってえと……あれも、魔物の一種なのかよ!?」
勢い込んで尋ねるディンゴに、キャラバはゆっくりと顎を撫でながら応える。
「魔物か……そうさな、そうだとも言えるし、そうでないとも言える」
「何じゃ、そりゃあ」
呆れ顔になるディンゴに、キャラバは弁解するように腕を広げて見せた。
「だって、そう言うより仕方ねえんだよ! 研究者の間でも、定説と呼べるものがねえんだから……。
いいか、グロブスターにはな、脳ミソも筋肉もねえんだ。主要な臓器らしきものは全くなくて、ただ魔力器官と肉と水があるだけ。ある意味じゃ、ゴーレムに近いともいえる。アレは契約印から発する魔力で動く土人形だが、グロブスターはそれを肉ゼリーの塊に換えたもんだ。自然発生する肉のゴーレムだな」
「あんなのが、どっからともなく湧いて出るってのかよ?」
目を丸くするディンゴに、キャラバは重々しく頷いた。
「耳を疑うのも無理はねえが、実際そうなんだから仕方ねえ。グロブスターはダンジョンの掃除屋だ。魔物の死体やら糞やらを分解して食らい成長し、そのうちくたばると水と土に戻って溶けていく。ダンジョンが死体でいっぱいにならないのは、連中がせっせと仕事をしてくれるからだと言われている」
「とは言うけど……俺も半年くらい遺跡で暮らしたが、あんなの見たことねえぞ?」
口を尖らすディンゴに、顎を捻りながらバーティが答えた。
「グロブスターが生活できる場所の条件は2つ――食い物となる死骸がふんだんにあることと、あと水だ。水が無けりゃ奴らは生きていけねえ。遺跡の中でもこういう、湿気があって太陽苔が少ない穴倉みてえなところでないと暮らしていけねえんだ。
しかし、あそこまでデカくて狂暴なやつがよりによってここに棲息してるたァ、俺たちも知らなかったぜ」
バーティが身震いしながら呟くと、キャラバは考え深げに頷いた。
「考えてみれば、ここはグロブスターの生育にはうってつけだ。水は言わずもがな、死骸だって定期的に用意される……ほれ、お前らが片付けた槍の罠だ。あれに掛かった冒険者や魔物をエサにあそこまで肥え太ったんだろう。
『狂暴』って部分も、それで説明がつく。グロブスターはあくまで掃除屋であって、生きた獲物を積極的には狙わねえはずなんだ。よっぽど飢えてるか、何か刺激を受けない限りはな」
「飢え……そうか、罠を片付けちまったから、エサである死骸の供給も止まったんだ」
ぱちりと指を鳴らしながらバーティが呟く。と、ここでおもむろにユノーが皮肉な調子で口を挟んだ。
「『刺激』の方も、ふんだんに与えられたと思うわよ。あのゼリー、床の隙間から出てきたんだもの。誰かさんが私の調合した香を捨てたあたりの床からね」
冷ややかな視線は、コヴの禿げ頭を射すくめていた。眼をぱちくりさせるコヴに、バーティの押し殺した声が刺さる。
「てめぇ、コヴ……最初に嬢ちゃんが調合した催涙香を片づける時、ちゃんと火は消したんだろうな?」
「だって、兄貴……俺は、何も……消えたと思ったんだよ。そりゃ、もしかしたらまだくすぶってたかも知れねえけど」
しどろもどろになりながらコヴはひたすら弁解する。バーティは帽子の上から頭を押さえ、頭痛にでも襲われたかのように首を振った。
「それで分かった……食事が用意されなくなってもお行儀よく床下に隠れてたグロブスターが、何だってこんな大事な時に飛び出してきやがったのか。俺たちがわざわざ煙を立てて燻り出したんじゃねえか。まったく、世話ァねえやな」
「だって、しょうがねえだろ!? 火事が起きるような量でもなかったし……こんなことになるなんて想像できやしねえよォ!」
「分かった、分かった! 何もお前に責任を押し付けようってンじゃねえや! 騒ぐなよ、悪かったって……」
バーティは手を振り、情けなさそうな顔で懐に手を入れ、葉巻を一本取りだした。火をつけようとしたところで、周りの連中にじっと見つめられていることに気づき、しばしのためらいの後にそそくさと葉巻を懐へ戻す。
「……こんな狭いとこで煙を立てるバカもいねえもんだな。自分で自分を燻してるようなもんだ。燻し出されるのァ、グロブスターだけで十分だ。
さて、どうしますかね、と来たもんだ。孤立無援の遺跡ン中で、人喰いゼリーに取り囲まれて、おまけにこっちにゃ病人ひとり抱えてるとくる。こっからどうやって助かるか、まあ乗りかかった船だ。先生がたもせいぜい知恵を貸してくれや」




