第56話 病める古狸
「ひと一人治してほしいと言うために、わざわざこんな大騒ぎをしやがって……ガキじゃあるまいし、医者がそんなに怖いのかよ?
大体、さっきから言ってるその『患者』ってのはどこの誰なんだよ? まさかお前ってことはねえだろう?」
後ろで武器を構えているコヴとアンジーに横目を使いつつ、ディンゴは声を上げた。答えようとしたバーティを遮り、キャラバが鼻息をひとつついて喋りだした。
「患者が誰かなら聞く必要もねえ、大体のとこは察しがついてる。
バッキーの連中がいみじくも誰かを助けたいと思うなら、その誰かは家族以外にありえねえ。で、今のところ家族の中で姿が見えねえのは親父だけだ」
「流石、医者の先生は頭が良くて助かる」
バーティは半ばほどまで燃えた葉巻を噛み、相好を崩した。その顔はミルク色の煙の靄に包まれてぼやけている。と、おもむろにバーティは手にした魔導杖を上げ、顔のまわりで軽く振った。たちまち葉巻の煙が綿くずか何かのように固まり、ガラスの中に封じ込められたようになって地面に転がった。
「煙をふかす時ゃこうして、他人の迷惑にならねえようにしなきゃあな。大竪穴のマナーだ」
得々とするバーティを無視し、キャラバは真面目な顔で話を続ける。
「バッキー一家の腐れ大黒柱――確か、シャイクスとか言ったか、あのジジイは。奴はどこにいる? 古狸の野郎、病んでやがるのか?」
「まァな……ま、あんたらもプロだ。自分で見た方が早いだろ。ついて来い。
コヴ! アンジー! お客様をご案内しな。くれぐれも、粗相のないようにしろよ」
バーティはちびた葉巻を床へ落とし踏みにじって火を消すと、先頭に立って魔導灯を高く掲げ、ついて来いというふうに手を振りながら歩き出した。アンジーとコヴはそれぞれの武器を上げ、キャラバたちの後ろから狙いをつける。キャラバは舌打ちし、床を一度蹴るとバーティの後に従った。
「早く、兄貴の言った通りにするんだよ。もう分かっただろ、兄貴の怖さは」
歩き出しかねているユノーとディンゴへ、アンジーが嵩にかかって命じる。歯ぎしりをしてそちらを睨みつけるユノーの肩に手をかけ、ディンゴは静かになだめた。
「落ち着けよ……こうなっちまったら、カリカリしたって始まらねえ。患者が向こうにいるってんなら、どうせついて行かなきゃならないわけだし」
「……触らないでくれる?」
不機嫌に言い返すユノーの肩をポンと一度叩いてから、ディンゴはユノーの背を押すようにして歩き出した。コヴとアンジーは武器を下ろさず、数歩の距離を置いて最後尾にぴったりとつく。
じめじめと湿った天井裏を、一行は口も利かずに黙々と歩いた。間断なく天井のどこかから水滴がしたたり落ちる音が聞こえる。窓もなければ魔術による換気設備もなく、室内は籠もったような悪臭と湿気に息もできぬほどだった。
「おっと、そこ気ィつけてくれよ。危ねえから」
バーティが思い出したように振り向き、一行から見て左側へ魔導灯の光を向ける。と、鋭い金属光沢が魔力の光を跳ね返してキャラバたちの眼を射た。
青黒い金属製の槍が数本、無造作に重ねて積み上げられている。3枚の返しを持つ先端は鋭く磨き上げられていたが、それより何より目を引いたのはその大きさだった。穂先だけでも大人がやっと抱えられるかどうかといったところだ。
「この天井裏はな、罠の仕掛けの格納スペースなのさ。外敵が通路を歩いてるとこのデカい槍が一遍に落ちてきて、串刺しって寸法だ。あんたらが上がって来た穴も、槍の落とし口だったのさ。今はこうして俺たちが仕掛けを片付けちまったんで、無害な隠れ家になってるけどよ」
魔導灯を前に向けなおし、バーティはにたりと笑った。
「下の道を行く冒険者の連中は、俺たちに感謝してくれたっていいんだ。俺たちのお陰で安全に通れてるんだからな」
「よく言いやがる……この穴倉に潜んでるのは、そういう連中を食い物にするためだろうが。アリかハチみてえに、獲物を溜めこみやがってよ」
キャラバは両手を広げ、ぐるりと四方を指し示した。見ると、華美な装飾を施された剣やら宝石をちりばめた首飾りやらがそこかしこに無造作に転がされている。魔導灯の乏しい明かりの中で目を凝らすと、乾いて黒ずんだ血がべっとりとこびりついているものも見て取れる。
「こんなとこに引っ込んで暮らしてやがるから、俺が知らねえうちに商売替えして配管工にでもなったのかと思ったが……どうやら、そういうことでもねえらしいな」
「おおきにお世話様、だ。生憎と俺たちゃこれしか生きるすべを知らねえんでな」
バーティが涼しい顔で応える。
「そら、もう着くぜ。親父はあの中だ」
掲げた魔導灯が、部屋の奥を照らし出した。壁際の一角に、荷物を入れたずだ袋やら魔導泉やらが転がっている。その中に、革製のテントが一つ、潰れかけたような形で佇んでいた。
テントと言ってもちょっとした小屋くらいの大きさはあり、キャラバでも背を屈めずには入れそうだ。入り口には四角い一枚布が垂らしてあり、扉の代わりになっている。革布の継ぎ目からは魔導灯のものらしき光が漏れている。床に細く漏れた光が小刻みに揺れるのは、中で何者かが動いているためか。
「さて、それじゃあ先生がた、一緒に来てもらおうか。
コヴ、アンジー、お前らは後ろから見張ってろ。お客様が逃げようとしたら容赦なく撃ってやれ。出来るだけ足を狙って、動きを止めるのが良いが……まあ、くたばっちまっても、それはそれだ」
バーティが残忍な笑みを浮かべて言うと、隣のキャラバは対照的に渋い顔になった。
「何を言ってやがる。患者を前にして逃げだすなんて医者がいるもんかよ」
キャラバの文句にも、バーティはテントの入口へ進みながら軽く肩をすくめるだけだった。
「どうかな……さて、行くぞ。
親父ィ! 俺だ、医者を連れて来た。入るぜ……」
バーティが扉代わりの布に手をかけ、それを脇へ押し開こうとした、その時だった。
「うっ……!?」
くぐもった声を上げたかと思うと、バーティは体ごと勢い良く後ろへ飛びのいた。ほぼ同時にテントの奥から炸裂音が響き、ボソッという音と共に扉代わりの布に穴が開く。
一連の動きが風を巻き起こし、垂れ布がよじれて入り口に隙間が出来た。鋭角三角形の隙間からキャラバはテント内を覗き込み――ハッとして身を引いた。
鈍く光る銃口が、中からこちらを真っ直ぐ狙っている。
「来るんじゃねえ!」
喉に絡んだダミ声が、テントの中から飛んできた。キャラバは扉の脇まで退いて、隙間から声の主を窺い見た。
破れ布団やら酒瓶やらが雑多に転がる中に、銃を右手に握った太った男が寝そべっていた。歳のころは六十ほど、ぶよぶよとたるんだ頬と顎が、顔全体を圧し歪めているかのような顔立ちだ。その中で細く切り立った鼻と、落ちくぼんで隈に縁どられた目だけが、全体のだらしない印象を打ち払って狷介な表情をその顔に与えていた。砂色のべとついた髪には、どことなく汚らしい具合で白髪の房が混じっている。
これが、シャイクス・バッキーであった。
「可愛い息子を出迎えるのに物も言わねえで鉛玉たァ、そいつはあんまりだぜ、親父」
キャラバの後ろで、バーティが帽子をかぶりなおしながら立ち上がった。シャイクスの血走った眼が大きく見開かれる。
「動くんじゃねえーッ! 出ていけ、バーティ! 俺に構うな!」
「そう気を立てねえでくれよ、親父……ほら、医者を連れてきたんだ。その体を治してもらえるぜ。テントに入れてやって、診てもらいなよ」
「医者ァ?」
シャイクスの片目が疑りぶかそうにすがめられる。口の端には白い泡が浮いていた。キャラバはためらいながらも一歩進み出て、シャイクスの前にその身を晒した。
「あー、こいつの言うことは本当だぜ、一応。俺はリオンナード・キャラバ。紅蓮獅子団の団長で、あんたの息子に呼ばれた医者……」
言い終わらぬうちに銃声が轟いた。立て続けに2発。キャラバは慌てて身を引こうとした――が、その前に、バーティの魔導杖が輝いた。鎖が弧を描いて飛び、キャラバの前の空間を横切る。魔力を受け、空気が凝固して透明な壁となる。発射された2発の弾丸はその壁に衝突して勢いを失い、つぶれてぽとりとその場に落ちた。
「ひでェことするなよ、親父ィ!」
バーティが叫んだ。笑みは消え、頬骨の当たりに汗が一筋流れている。
「身体がつれェんだろうが? もう起き上がれもしねえじゃねえか。大人しく診てもらえってンだよ」
「うるせェッ!」
シャイクスはバーティの言葉をさらに大きな声で遮り、拳銃を闇雲に振り回した。
「くそ野郎の、こん畜生の、極道息子めが! こんな野郎を寄越しゃあがって……俺の命を奪ろうってんだ」
「親父、そういうことを言うもんじゃないぜ、冗談にもよォ」
バーティは両手を大きく広げ、傷ついたような調子で声をかけた。
「むしろその逆だ。俺たちゃあ親父を心配して、わざわざ外から医者を……」
「俺の遺産は渡さねえぞ! この、揃いも揃ってロクデナシの、悪たれガキどもが!」
シャイクスは唾を飛ばして叫び、拳銃の引き金を立て続けに引いた。火薬が炸裂し弾丸が飛ぶ。が、今度のは何かを狙っての射撃ではなく、ただ怒りにまぎれて闇雲に引き金を引いただけのようだ。弾丸は見当はずれの方角へ飛び、はるか向こうの天井に当たって金属音を立てた。
「分かった、分かった……邪魔ァしねえよ。また来るぜ」
バーティが叫び、扉の布を足で蹴って入り口を塞ぎなおす。布の奥から、喉を絞るような大声が響き渡った。
「二度と来るんじゃねえ、このくそ野郎!」
またも銃声が響きそうな気配である。バーティは肩をすくめ、右腕を後ろに向かって振った。「一時退却」の合図らしかった。言われるまでもなく、一行は這いずるようにしてテントの傍を離れ、銃の狙いの届かぬ距離までほうほうの体で逃げた。
「……すまねェな、俺の不見識だった。いるもんだな、患者を前にして逃げだす医者ってのも」
荒い息をつき、地面にしゃがみ込みながらキャラバは言った。同じくぜいぜいと喉を鳴らしながらバーティは帽子をかぶり直す。
「いいってことよ。それで、どうだ? あんた、あの患者をどう診る?」
新しい葉巻を懐から取り出しつつ、バーティは問うた。キャラバは天を仰いで息を落ち着かせ、しばし考えてから答えた。
「俺の見立てか? そうさな、俺に言わせりゃあ……ありゃ一遍、医者に診せた方がいいぞ」
「……ああ、俺もまったく同じことを考えてたよ」
バーティは、苦りきった顔で葉巻を噛んだ。




