第44話 冒険者の掟
「へえ、ホントに地図通りそのまんまの位置だぜ。キャラバのおっさん、苦労しただけのことはあったな」
ブレードホーンの背から降りつつ、ディンゴは感嘆の声を上げた。その視線は、横たわる患者のすぐ脇に注がれている。血だまりから少し離れた地面に、赤、青、黄の三色に塗り分けられた指先ほどの三角形が突き刺さっている。
これが、紅蓮獅子団の配っている発信機『コール・ピック』だ。三角形の内部には魔力が蓄積されており、頂点を地面に刺すことで魔力を流し込み、紅蓮獅子団事務所の受信機に連絡することが出来る。
頂点ごとに違った魔導回路が内蔵されているため、刺す頂点を変えることで状況によって信号の種類を使い分けることも出来る。黄色い頂点は外傷、青い頂点は毒や病気、赤い頂点ならとにかく大至急の緊急事態、といった具合だ。受信機の側は、信号の違いを光点の色で表示する――今回灯った光の色は「赤」。ピックも赤い頂点を刺してある。緊急事態の印だ。
「感心するのもいいが、まずは患者だよ。見たところキミの管轄らしいしね、外科医さん」
アラムも続いて地面に降り立ちながら、油断なく周囲を見回す。遺跡において患者がいるということは、その周囲に患者を作った原因がある――あるいは、居る――可能性が高い。罠か? 魔物か? しかしそのいずれも、今のところ目の届く範囲には見当たらなかった。
患者らしき男は、手足を力なく広げて血だまりの中に仰向けに倒れていた。体じゅうに殴られたような傷がついているが、出血のほとんどは右腕からのもののようだ。
「おい、あんた! 大丈夫か? ……うッ、こりゃひでェな」
駆け寄ったディンゴがたちまち顔をしかめる。右腕は複数個所で折れておかしな形に変形し、服の上からでも骨が突き出しているのが見て取れた。他の傷に比べても、右腕の損傷度合いは異常だった。まるで悪意のある何者かに執拗に痛めつけられたかのようだ。
ディンゴの足音を聞きつけ、男は腫れあがったまぶたを開いてぼんやりと2人を見上げた。年のころは40くらいかと思われたが、血と汚れで表情はほとんど読み取れない。
「あ……あんたら、紅蓮獅子?」
ズタズタに避けた唇で、なんとか絞り出すように男は呟いた。ディンゴは頷くと、すぐ横に屈み込んで手早く診断を始めた。
「呼んだのはお前だな。あんまり無理して喋るな……大丈夫だ、治してやる。カネは頂くけどな」
声をかけてやりながら、ディンゴはまず相手の右脇に腕を入れて持ち上げ、マントの下から布切れを取り出すと、脇の下に巻きつけて締め付けた。腕の止血である。
「ザインがいりゃあ、もっと手っ取り早いんだが……ま、あいつに頼りっきりってわけにも行かねえしな。血を止める程度だったら、これで十分用は済む」
てきぱきと処置を行うディンゴに、患者の男は朦朧とした意識の中ですがるような視線を向けた。
「頼む、助けてくれ……助けて……」
「分かってらァ! そのために来たんじゃねえか!」
ディンゴは我知らず叱りつけるような口調になりながらも、相手を優しく床へ横たえなおした。その表情は硬い。
「ともあれ、こりゃァかなりマズいぜ。他はともかく右腕がひでえ。ザッと見ただけでも複雑骨折が3つ、骨も完全に露出してやがる。出血は止めたが、汚染もあるし……この腕は、もう保たねえ。
おい、お前。命が助かりてえってんなら、右腕とはおさらばってことになるが、それでいいか? 良くねえっつってもこっちゃ切るしかないんだけどよ、一応覚悟決めといてもらわないとな」
ディンゴが顔を近づけて声をかけると、男は力なく頷きを返した。
「何でもいい、とにかく、早く助けてくれ……命だけは」
すすり泣くような声で訴える男に、ディンゴは頷いてマントの下から魔導杖を取り出した――その時だった。
「……ちょっと待った」
後ろで苦い顔をして見守っていたアラムが、不意に口を開いた。
「あんた、背中を見せてみてくれないかな」
「はあ?」
手術の支度をしかけていたディンゴが顔を上げ、怪訝そうな目でアラムを見上げる。
が、より大きな反応を示したのは患者の男だった。先ほどまでほとんど閉ざされていた両目は今や大きく見開かれ、瞳には明らかな恐怖の色が浮かんでいた。
「せ、背中がどうしたってンだよ……俺は何も……」
もつれる舌で必死に抗弁しようとする男をよそに、アラムはつかつかと歩み寄って男の肩の下に腕を差し入れ、体を持ち上げた。
「いいから……ほら、背中だ」
男は弱々しく逆らうようなそぶりを見せたが、所詮は無駄な抵抗だった。ぐいと上体を起こされ、体の裏側になっていた背中が露わになる。ディンゴは思わず体を捻り、そちらを覗き込む――服は引き裂かれ、背中の肌がむき出しになっていた。その肌には、何か鋭利な刃物で刻みつけられたらしい傷が付いている。かぎ裂きのようにくねり曲がった傷がホウキ状に、合わせて5本。
「何だぁ、この傷? 服も破けてるし、何やったらこんなことになるんだ?」
首を傾げるディンゴに対し、アラムは重いため息をつくと、患者の体を静かに横たえて立ち上がった。
「やっぱり……無駄足だったね、今度も」
「無駄足……って、どういうことだよ?」
思いもかけない言葉にディンゴは声を上げた。目の前に死にかけた患者がいるというのに、アラムの態度はまるでこのまま帰るつもりでいるかのようだ。それに、ふと見ると患者の様子もおかしい。背中の傷を見られた途端に顔色が変わり、がたがたと震えだした。顔が青いのは、どうも怪我や出血のせいとばかりも言えないようだ。
アラムは軽蔑的にその顔をちらと見据えた後、ディンゴに向かって重々しく声をかけた。
「こいつを助けるワケには行かない。その背中の傷――それは、曲がった指のしるしだ」
「曲がった指……?」
確かに、5本の曲がった傷が並んだ様は、何かを掴もうと指を曲げた手のようにも見えた。体じゅうについている殴打の痕とは違い、その傷だけは刃物でわざわざ刻み込んだようだったので、奇妙だとは思っていたが……ディンゴは納得のいかぬ面持ちで、さらに問うた。
「それだけ言われても分からねえよ。何で背中に傷がついてたら無駄足なんだ? あの傷は、一体何なんだよ?」
「ま、そういうことも『勉強』だよね。大竪穴の」
アラムは一つため息をつくと、涙声で喘いでいる男の方を見ないようにして淡々と語りだした。
「こいつは追放者だ。何かやらかして、所属してたパーティに爪弾きにされたのさ。背中の傷は、それが一目で分かるようにパーティの連中につけられたもんだ」
「追放者?」
オウム返しにディンゴは呟き、初めて見るもののように男の顔を見下ろした。男はぐったりと顔を横向け、視線から身をかわそうとする。アラムは構わず続けた。
「冒険者の間には、不文律ってやつがある。言葉にされない暗黙の了解……どんな時でもコレだけはやっちゃいけないってルールがあるんだよ。
限られた物資、限られた人数で長期間潜る深層の冒険では、一人の勝手な行動がパーティ全体を危険に晒すこともザラだ。そういうことが起こらないよう、パーティの秩序を著しく乱すとされた者は、パーティの中から排除されるのが常だ」
「こいつがその、『秩序を乱す者』だってのか? そのせいで私刑を受けてこうなったと……」
「『処刑』は行われない――実行する側に負担が大きすぎるからね。肉体的にも、精神的にも」
アラムは肩を軽くすくめた。
「曲がりなりにも今まで仲間としてやってきた相手を殺すってのは、予想以上に心に堪えるもんさ。
その代わりに、冒険者は『大竪穴に委ねる』という言い方を使う――こういう具合に、足腰が立たなくなるほどぶちのめしたうえで、遺跡の中に放り出していくんだ。偶然見つけた人間が助けないよう、背中に『構い立て無用』を現すマークを刻み込んでね」
ディンゴはハッとした。出入り口に近く、遺跡管理局まで這っていくなり行きずりの相手に助けを求めるなり出来る位置でありながら、男がどちらの手も取らなかったのは、それが理由だったのだ。
「暗黙のタブーは、仲間殺しやら嘘の道案内やら色々あるが、このマークは『曲がった指』の刻印。手癖の象徴……つまりこいつは、パーティ全員で見つけたお宝を着服しようとしたのさ。
冒険者は宝のためにこそ命を張る。宝は命なんだ。命を侮辱した罪は重い――外界の人間には想像もつかないほどにね」
「だ、だからって……見捨てていいなんて訳があるかよ!」
たまらずにディンゴは叫んだ。
「ブレードホーンの……ガラダの時と何が違うってんだ!? 助けられる命なら救うって、あんたも言ってたじゃねえか!」
「分かってないのはキミだ。ブレードホーンの時とはまったく話が違う」
激するディンゴに対し、アラムはあくまで冷徹に言い切った。
「あの時は、単に私たちだけの問題だった。私らがブレードホーンに踏み殺される危険を冒す覚悟を決めるかどうかの話だったんだからね。
だが、今度の場合は――よく考えてみたまえ。誰も助けないからこそ、刑罰なんだ。
私らが今ここでこいつを助けたなら、「紅蓮獅子団は追放者であろうとも命を助けて逃がしてやる」という前例が出来てしまう。となれば、私刑を受けて追放されたヤツはみんな私らを呼んで、助かろうとするだろう。それが当たり前になったらどうなる? 追放刑を恐れるヤツなんていなくなる。冒険の秩序が保てなくなるんだぞ」
「そ……そんな……そんなことァしねえ。あんたらに助けられただなんて、誰にも言わねえからよォ! 俺ァくたばるわけにいかねンだ!」
かすれた声で、患者の男が叫んだ。叫びとも言えぬほどの、切れぎれの息をようやっとつなぎ合わせたような哀れっぽい声だ。アラムの眉がかすかに動く、が、その瞳は石のように冷たい色を変えず、ディンゴの方に向いたままだ。
「こいつは盗っ人だからまだいい。だが、例えば仲間殺しだったらどうする? そいつは生き延びてまた同じことを繰り返すかもしれない。昔から守られてきた不文律には、それ相応の役割があるんだ。
こいつ一人の問題じゃない。これからの紅蓮獅子団のことを言っている――原則ってやつのことを言ってるんだ、私は」




