第45話 血の匂い
アラムとディンゴはしばしその場で睨みあった。ディンゴの瞳はかつてないほどに――いや、かつての『追いはぎ医者』だった頃のように剣呑な輝きを帯びていた。右手がゆっくりと伸び、マントの内側に入ってゆく。マントの下で例の魔導杖、光のメスを握っているのだろう。アラムの眉間の皺が深くなる。
「……納得できない、って顔してるね。あくまで抗うつもりなのかね」
「納得なんか、出来るワケねえだろう! 今処置すりゃあ、助かる命なんだぞ!?」
アラムを睨み据えながら、ディンゴはじりじりと患者の傷ついた右腕の方へにじり寄った。
「血は止めてあるけど、このまま放っといたら骨から腐っていずれは死んじまう。手術をしなきゃならねえんだ。
キャラバのおっさんも言ってたじゃねえか、生きてることが正義だって! 追放者だろうが何だろうが、生かしてやるんでなきゃ医者やる甲斐がねえだろう?」
「また……聞いた風な口を利くんじゃないよ、ディンゴ」
アラムの声がかすかに震えた。左手の指が、右手を覆う黒手袋にゆっくりと掛かる。
「リオの名を持ち出して……そう、確かにリオンナード・キャラバならそう言っちまうだろうさ。あいつはこういう時いつだって、後先考えず突き進もうとする。
だが、それでいつまでも押し通せると、キミは思っているのかね!? このまま医療ギルドも冒険者ギルドも敵に回す道を闇雲に突っ走るのは、潰されるのを待ってるようなもんだ。誰かがいつかは、ブレーキを踏まなきゃならないんだ。それを……」
と、会話をぶった切る形で、肺を握りつぶされたような呼吸音が辺りに響き渡った。倒れた男は、背中を反らして苦しげに激しく咳き込んでいる。口の端からは血が滲んでいた。ディンゴは舌打ちし、弾かれたように跳びあがって男に駆け寄る。
「ショック症状だ……クソッ! 本格的にヤバいぞ!」
顔面蒼白、冷汗、呼吸困難。ショックの兆候が出始めている。ディンゴは唇を噛みながら思案した。時間がないことだけは分かるが、原因までは分からない。出血のためか、苦痛のためか、あるいはまだ発見できていない重篤な損傷が体のどこかにあるのか?
「構い立ては無用だと言っているだろう。口で言っても聞く気はないかね?」
焦るディンゴに、冷たい声が突き刺さる。アラムは今や右の手袋を外し、土の義手を露わにしていた。横目で窺うディンゴの顔が引きつる。
「……本気なのかよ?」
「別にやりたかァないがね。私の腕のほどはキミも知ってるはずだ。力ずくで首根っこ掴んで連れていくってのも、選択肢のうちなんだぜ」
アラムの義手が黒曜石色に輝き、するすると伸びて剣の形を作っていく。ディンゴの額に、汗が一滴流れた――が、その目は患者の方に据えられたまま動かない。『光のメス』が輝き、男の着衣を裂いてゆく。
「何とでも、したいようにするといいや。俺だってしたいようにする。俺ァ元々そうしてきたんだ、『追いはぎ医者』として……」
メスを顔の近くまで上げ、ディンゴはふとアラムをかえりみた。
「……俺だってそうそう簡単に思い通りにされてやるつもりはねえからな」
「言いたい放題言ってくれるじゃないのよ、子供が……」
アラムは右目の周りを震わせ、強張った顔で眼鏡を押し上げた。右手の剣が魔力を帯びてぎらりと光る。アラムはそのまま、切っ先を低く構えてディンゴの方へ1歩、2歩と歩み寄っていった。
「本当に、それでいいのかね?」
ディンゴは答えず、荷物の中から無風ランプと手術器具を取り出しはじめた。アラムの切っ先がゆらりと揺れ、その眼差しがしばしのためらいの後ぐっと引き締まる。……そして、剣は振り上げられた。
「……ええいッ!」
捨てばちな叫びと共に刃が翻り、次の瞬間空中に血の花が咲く。アラムの剣はディンゴの首――ではなく、後ろから飛びかかってきた何か黒いものを叩き落していた。
「な、何だァ?」
時ならぬ物音に流石のディンゴも顔を上げ、目を丸くする。そのディンゴを背の後ろに隠すように、アラムは体をくるりと回して構えた。
「悪い時に、悪いものが来てくれたもんだ……血の匂いをこれだけぶちまけてるんだから、こうなるのも仕方ないが」
苦々しげな呟きとともに、アラムは剣をひらりと回して目の前に半円を描く。いま一度、空中の何物かが叩き落とされ、軽い音を立てて地面に転がった。
血だまりに落ちたのは、黒い毛皮と黒い皮膜に包まれた小さな獣だった。被膜の内側には、虹色のマーブル模様がどぎつく描き出されている。骨を砕かれて潰れた体を組み立てなおしたなら、両手ほどの大きさのコウモリになっただろう。
「モルフォコウモリだ……! 薬になったのは見たことあっても、生きてる姿を見るのは初めてだろう」
威嚇するように右腕の剣を振り上げながら、アラムは背後のディンゴに声をかけた。
「暗がりに群れをなして住んでいる吸血コウモリの一種だ。魔力を持たないから魔物じゃあないが、牙から出る神経毒はちょっとの傷でも獲物の動きを奪う。群れに襲われていっぺんに噛まれたら、心臓まで止まりかねない」
と、喇叭のようなけたたましい息の音と、激しく踏み鳴らされる蹄の音が、アラムの説明を遮った。少し離れた場所で大人しく控えていたガラダが、棹立ちになって暴れている。そちらにも数匹のモルフォコウモリがまつわりつき、血を狙っているようだった。
ガラダは2本の角を振り回し、蹄から魔力の風を吹き上げて抵抗する。角の鋭い切っ先に貫かれ、また風に撃ち落とされ蹄に踏みつぶされて、幾匹かのコウモリが肉塊に変わる。残ったコウモリは次々にその死骸へと群がりだした。
「いいぞ、流石に深層の魔物だけはある。あの程度はブレードホーンの敵じゃないな」
剣を振り立ててコウモリを打ち払い、アラムはガラダの方へと向き直った。
「ディンゴ、来るんだ! ガラダが道を開いてくれる。群れになって掛かってきたって、ブレードホーンの風があれば蹴散らせる。
そいつは置いていけ! これが『大竪穴に委ねる』ってことだ!」
ディンゴはちらりとアラムの方を見、ガラダの方を見た――それきりだった。『光のメス』を握りなおすと、ディンゴはその切っ先を宙へ向けて魔力を撃ち放った。
先端についた魔導合金の金具から光の奔流がほとばしり、暗がりから飛び出してきたモルフォコウモリたちの眼を焼く。強い光に晒されたコウモリたちは、驚きと混乱に酔ったようになり不規則な軌道を描いてふらふら飛びはじめた。『メス』の光を集中させずに放ち、投光器として使ったのだ。肉を焼き切るほどの出力は出ないが、目くらましの役には立つ。
と、その光に照らし出された壁の中に、ディンゴは黒い影を見つけた。向かい側の壁の一角が妙に落ちくぼみ、闇の中に沈んでいる。
(穴だ……あそこだけ、壁に穴が開いてる! あれだ……!)
一瞬のうちにディンゴは覚悟を決めた。ぐったりとなった患者の体を起こし、無事な左肩の下に肩を差し入れて担ぎ上げると、ディンゴは通路を横切って向こう側の壁へと走りだした。
「バカな……!」
ガラダの方へ駆けよろうとしていたアラムは、ディンゴの姿を振り返って思わず叫んだ。魔導杖をでたらめに振り回して光を撒き散らしながら、コウモリの群れに向かって突進してゆく。アラムは歯ぎしりをし、剣を翻してディンゴの後を追った。
モルフォコウモリは血の匂いに興奮し、鍋で炒られる豆のように羽音をはじけさせながらディンゴたちへ襲いかかった。近づきすぎた数匹は魔導杖の光で目を焼かれ、後ろから殺到する仲間と衝突して床へ叩き落される。が、その光は所詮命を奪うほどの武器ではないし、何より敵の数が多すぎた。
「くそッ……離れろ、この野郎!」
少しでもコウモリを追い払おうと、ディンゴは腕を滅茶苦茶に振り回し、大声を上げて脅しつけた。壁はすぐそばだ。壁に開いた穴は深く、彼らを迎え入れようというかのようにぽっかりと開いていた。周囲のひび割れを見るに、人為的にこじ開けられたもののようだが、今のディンゴにそんなことはどうでもよかった。
(とにかく、まずはこいつだけでも……!)
壁に辿りつくと、ディンゴはマントを脱ぎ頭上にかざした。腕を支柱にしてテントを張ったような格好だ。モルフォコウモリはテントの布を翼で叩き、時に牙まで立てたが、布を引き裂くまでには至らなかった。冒険用マントの造りは頑丈なのだ。
テントの下に隠れ、ディンゴは残る左手で男の体を押しやり、穴の中へと押し込んだ。穴は壁の向こう側へと通じているらしく、男の体は容易に向こう側へと入り込み、しまいにはすっかり飲み込まれて消えた。とにかくこれで、手負いの男がモルフォコウモリの餌食になることだけは避けられる。
ホッとしたのも束の間、モルフォコウモリの一匹がとうとうマントの隙間を縫い、ディンゴの元へ侵入してきた。ディンゴはとっさに左手で『光のメス』を掴み、牙を剥きだしたコウモリの頭を切りつける。投光器の役割から一転して「メス」の集中力を取り戻した光の刃は、クルミほどの頭を容易に焼き切ってまっぷたつにした。
だが――その動きでマントの壁が揺れ、一角にほころびが出来た。一匹目が切り開いた航路を後続のコウモリたちが追い、怒涛のように流れ込んでくる。テントの防御を諦めたディンゴはマントを翻し、コウモリどもの翼を絡め取って床へ叩きつけた。
「くそッ、キリがねえ……!」
「何をやってるんだ、このバカっ!」
叫び声がともに、白い光の膜がコウモリの群れへと飛んで降りかかった。と見る矢、白い膜はコウモリたちの羽根へ絡みつき、固まり、空中のコウモリを彫像のように硬直させて地に落としていく。
「まったく世話のかかる……強情を張るとどういうことになるか、そろそろ分かってもいい頃じゃないのかね?」
厳しい目でディンゴを見下ろしたのはアラムだ。白い膜は彼女が投げた石膏粉――無機物を硬質化させる魔術を使い、空中に散布した石膏をそのまま固めてコウモリの標本を作ったのだ。
「魔力が薄いから長くは持たない。次から次へ飛んでくるコウモリどもを全部石膏漬けにするなんてヒマなこともやってられないしね。さ、早く来るんだ」
「俺は……患者を置いては行かねえ!」
ディンゴはアラムの差し出した手を弾くと、マントを羽織りなおして身を翻した。その目指す先は、先ほど患者を押し込んだ壁の穴。アラムは顔をしかめ、後ろへもう一度石膏粉末をバラ撒いた後、ディンゴを追って駆けた。
「分からない奴だ……! 待てってのに!」
伸ばした左手がディンゴのマントの裾をかすめ、捕らえ損ねた。ディンゴは滑り込むようにして壁の穴の奥へ消え、それに一瞬遅れてアラムの体もまた、穴の中へと踊り込んだ。
ややあって石膏粉の呪縛から解き放たれたコウモリたちは、獲物を追い求めて穴の周りを飛び回った……が、血の匂いは消えていた。追い詰めていたはずの獲物はふっつりと姿を消し、後には苛立った同族が十数匹と、それ以上に苛立った獰猛な魔物――ブレードホーンが1頭だけ。
「Barrrr!!」
と、「獰猛な魔物」が吼え、風の魔力を噴き出した。コウモリたちは不利を悟り、散りぢりになってほうほうの体で逃げ出した。後に残ったのは飛ぶことも出来ぬほどに痛めつけられた数匹のコウモリと、アラムやガラダに叩き殺されたいくらかの死骸のみ。遺跡は再び静けさを取り戻しつつあった。
静けさを――ガラダは興奮から覚めると、その静けさにふと首を傾げた。静かすぎる。辺りに動くものは何もない。優れた嗅覚にも聴覚にも、感じ取れる信号はない。
彼の飼い主たちは、消えてしまった。




