第36話 暗闇の脱出作戦
最後の縫い目を結び終え、糸を切ると、ディンゴは大きく息をついて魔導杖の光を消した。懐から取り出した布を包帯代わりに、縫合が剥がれないよう傷口を覆う。
「とりあえず、これで傷はキチンと塞いだ――傷薬が、思った以上に化膿を食い止めてたな。創面の切除も少なくて済んだ。傷ついてた腱もちょいと形成してやったし、順調にいけばすぐ歩けるようにもなるはずだ。
後は大羚羊の体力に頼るしかないな」
ディンゴは言いながら、流石に疲れたのかその場に座り込んだ。ユノーもふっと肩の緊張を解き、張り巡らせていた風の『手術室』を解く。魔力の集中が解け、凝固していた空気の壁がゆっくりとかき消えていった。麻酔の効力はまだ続いているらしく、ブレードホーンは細い寝息を立てて静かにその場に横たわっていた。
「……よう。終わったようだね」
出口の方から、そう言ってアラムが顔を出した。相変わらず、その腕は手袋に入ったままだ。
「風の魔力の気配が消えたから、手術室が消えたと思って来てみたんだ。手術は終わったようだな。成功かね?」
「当たり前だろ、俺がメスを執ったんだからよ」
ディンゴは座り込んだまま、にっかりと歯を見せて笑う。
「あんたの方も、右腕を使うような破目には陥らなかったようで、何よりだな」
「その幸運も、いつまで続くか分からないけどね……いつ牡が戻ってくるかは分からないが、ずっと腕を盾に変えてたらかえって魔力を消耗しちまうんだ。この革手袋が皮膚の代わりになって、大地の魔力の放散を抑えてるんだから」
アラムは肩をすくめ、右腕を振った。
「さて、済んだなら今度は帰り支度だ。
ここで待ってりゃ、ブレードホーンが蓄光機を持ってくる筈だと考えると、ちともったいないがね。キミらも疲れたろうし、こんな状態でブレードホーンとハチ合わせしたら蓄光機どころじゃない。命あっての物種だ」
アラムに急かされ、ディンゴとユノーは身を起こした――と、ユノーは立ち上がりかけてふと膝を折り、ふらりとよろめいた。咄嗟にディンゴが腕を伸ばし、傾いた肩を支える。
「お、おい、大丈夫かよ?」
ユノーは眉をひそめ、目の焦点を合わせようと眉間を押さえながら、ディンゴの腕にすがって体を起こした。
「大丈夫……ちょっと疲れただけ。言ったでしょ、あの『手術室』作るの、結構キツかったのよ」
「古代魔術は契約印を直接体に刻むから、魔力の消耗も体へ強く出やすいんだ。いたわってやんなよ、ディンゴ」
アラムが笑いながら言うのを聞き、ユノーはぶるぶると首を振ったかと思うと、突き飛ばすようにディンゴを押しのけて姿勢を正した。
「いいわよ、一人で歩けるから……! 何よ、これくらい」
「強がっちゃってまあ……頑固なお嬢さんだよ、まったく」
からかうように言いながら、アラムは横たわるブレードホーンの方へと歩み寄り、その傷口を見つめた。途端に表情が真剣みを帯びる。その視線は、傷跡に巻かれた包帯へと向けられていた。
「なるほど、これでもいいが……もうひと工夫付け加えとくか」
アラムは呟くと、片膝を突いてブレードホーンの傍らにしゃがみこんだ。腰から小さな袋を取り出すと、包帯の上へ中身を薄く注ぐ。中に入っているのは白い粉――石膏の粉末だ。
まんべんなく粉が行きわたったのを確認すると、アラムは手袋を嵌めた右腕を持ち上げた。人差し指に嵌まった銀の指輪が輝き、石膏粉の上へ魔力を投げかける。たちまち粉はまとまって薄く硬く固まり、包帯をコーティングしてギプスを作り上げた。
「これで、よしと」
アラムは言い、手をはたいて立ち上がった。
「ギプスの支えがあれば、すぐ立てるようになるだろう。こういう大きい動物ってのは、いつまでも寝転がっていると自分の重さで体組織を潰しちまう。褥瘡ってやつだ。早く歩けるようになった方がいい。
ギプスは放っといても、体毛が中から生えてくるころになったら自然に砕けて剥がれるさ」
「何だ、色々言っときながら、結局あんたも気になってたんじゃないか」
ディンゴは鼻を鳴らして言う。アラムはちょっと照れたように肩をすくめ、右手をひらひらと振った。
「私だって鬼じゃない。助けられる命なら出来る限り助けたいとは思ってるさ……しかし、それも生き延びられたらの話だ。冒険に出たなら、医者が誰よりも先に死んだんじゃ話にならない。医者こそどんな手を使ってでも最後まで生き延びなきゃならないのさ」
「そうか……そういうもんかもな」
静かに答えるディンゴを見て、ユノーはちょっと皮肉に笑いながら声をかけた。
「随分と素直にアラムの言うこと聞くようになったのね、ディンゴも……ちょっとはオトナになったってことかしら?」
「お前に大人がどうこう言われたくねえよ!」
言い返すディンゴと笑うユノーの顔を見比べ、アラムは一瞬戸惑った様子をしたが、すぐにその顔に意味ありげな笑みが広がってゆく。
「おや、人見知りはどうやら治りそうじゃないかね、ユノー……気づいてるかね? 今、ディンゴを初めて名前で呼んだんじゃないか?」
ユノーはびくんと肩を震わせ、きッとなってアラムを睨みつけた。
「あのねえ、あんたのそういう、世話焼きおばさんなとこ……あたし嫌いよ、アラム」
後ろで聞いていたディンゴが、思わず吹き出す。アラムはすッと目を細め、唇を冷たい笑みに歪め――そっと2人に歩み寄ると、両の拳でそれぞれのつむじ辺りをこつんと叩いた。
「世話焼き、ってのァまだいいけど、その後が余計だよ、ユノー。これでも気にしてんだ。
さ、お喋りは終わりだ! 何度も言うようだが、いつ牡のブレードホーンが戻ってきてもおかしくないんだからね。さっさとずらかる支度をしよう!」
「……痛ってえな、そっち硬い方の腕じゃねえかよ!」
右手で小突かれたディンゴが抗議の声を上げたが、アラムは無視して先に立ち、出口へと足を急がせた。
「さっき、入り口のとこまで戻ってちょっとした仕掛けをしておいたんだ。ちょうど『鳴子』みたいなもんなんだけど。
その辺の草を裂いて、石膏の魔術で固めて紐にしたのを、入り口の足元あたりに張ってきたんだ。風の魔術で跳躍するブレードホーンが戻ってきたら、草に残った大地の魔力と奴が持つ風の魔力が反発しあって、爆ぜるような音が出る――」
まさに、そう言いかけた時だった。出口の方から、何かが引き裂かれたようなバチッという音がしたのは。ディンゴとユノーは足を止め、アラムの顔を見上げる。アラムは眼をしばたかせ、口を半開きにして立ち尽くしていた。
「……あー、えっと、ちょうどさっきみたいな音がね」
「もう、来たってのかよ!」
ディンゴがくぐもった叫びを上げる。その右手は無意識のうちにマントの内側へ伸び、魔導杖を握っていた。アラムは慌てて手を振って止める。
「落ち着きたまえ! 無理に戦おうとするな。まずは、魔導灯を消すんだ。ほら、ユノーも」
アラムは早口に言い、手ずから2人の魔導灯を取り上げて明かりを消した。辺りは再び、厚いカーテンのような闇に閉ざされる。ユノーが囁き声で警告した。
「風が動いてるのが分かる……歩いて来てるわ。そんなに早足じゃないけれど……入口に妙なものがあったから、警戒してるみたい。
でも、ハチ合わせするまでにそう時間はかからないわよ。どうするの?」
急きこんで言うユノーの口を、アラムは指を2本出して塞いだ。
「だから、落ち着けって……いいかね、ここは奴の巣穴だ。奥には嫁さんもいる。これはピンチでもあるが、逆にチャンスでもあるんだ。
ひとたび闘いとなれば、奴は嫁さんを守るためにそれこそ死力を尽くして闘うだろう。私たちを排除するまで止まるまい。だが、一旦奴をやり過ごして洞窟の外へ逃げ出せたなら、もうそれでコトは終わりだ。大事な嫁さんをほっぽり出してまで、奴は追っては来ないだろう。
結局、洞窟で行き会うたった一瞬、一回だけをやり過ごせればいいわけだ」
「やり過ごす、ったってよ……出口へは一本道なんだぜ? どうやったって、真っ正面からぶつからずには通れねえだろ」
ディンゴが異を唱えると、アラムはフームと唸って腕を組んだ。
「一応、時間を稼ぐ手くらいは考えてるんだがね。ユノー、キミの魔術はどうだ? ブレードホーンを眠らせるか、少々ひるませるくらいのことは出来ないかね?」
「意地でも『出来る』って答えたいとこなんだけど……」
ユノーは暗闇の中で顔をしかめ、腕をさすった。
「魔力を使いすぎたわ。しばらくの間は、契約印が使えない。籠手の機構自体は動くから、香は焚けるけど……その煙を操ることが出来ない」
「かえってこっちが煙に巻かれるばっかりか……いや、仕方ないよ、ユノー。ありがとう」
アラムは頷き、ため息をつきながら右手袋を外した。闇の中で義手が露わになる――腕の中で脈打つ大地の魔力の輝きが、暗闇の中ではハッキリと浮き上がって見えた。
「とにかく、この中で奴の角を防げる可能性があるのは私だけだ。私が先に行く。もっとも、こんな盾であの大剣を受け止めるのは心元ないが……。
ディンゴ、キミは私のすぐ後ろにいてくれ。例の魔導杖の準備は出来るかね?」
言われてディンゴは、マントの中で握りしめていた右手の『光のメス』を差し出した。
「俺の方は、まだ魔力にも余裕がある――けどよ、俺の刃じゃあのデカブツにはそれこそ針でつつくようなもんだぜ」
「何も奴とチャンバラやってくれってんじゃない。いいから聞きたまえ」
アラムはディンゴの右手を叩き、潜めた声で作戦を伝えた。
「いいかね、恐らくブレードホーンはじき私らのことに気づく。鼻が利くからね。巣穴によそものが居るってことくらい、もう気づいてるかもしれない。恐らく、怒り狂って飛びかかってくるだろう。
その一撃を、私は何とか盾で受け止める。最初の一撃だけなら、何とか盾を保たせられる……と思う。無理だったら、そん時ゃそん時だ。私はアッサリ角に刺し貫かれて一巻の終わりだろうから、キミらはその隙に横を抜けて逃げてくれ」
「ンな事言われて、ハイそうですかと答えると思ってんのかよ!?」
流石に声を高めて抗うディンゴに、アラムは苛立たしげに手を振った。
「もしも、万一って話だよ。私だって死にたかないや。けど、どうせ向こうは突っ込んでくるんだから、それを防げなかったらどっちみち助からないんだ。
で、問題はそこからなんだよ……ディンゴ、私がブレードホーンの動きを止めたら、キミはその『光のメス』を奴の顔目掛けてぶっ放してくれ。ただし、「刃」としてじゃない。「光」としてだ。
肉を焼き切れるほどに光を集中させて放つんじゃなく、ある程度拡散させて放つんだ。投光器みたいに。暗闇に目が慣れたところへ強烈な光を浴びせられるんだ、誰だってビックリして動きが止まるし、一時的に目も利かなくなる。その隙に乗じて私らは出口へ一目散……って寸法さ」
「って寸法さ……と言われても、ねえ」
ユノーが口を挟む。暗闇の中でも、あまりやる気満々という顔はしていないことが分かる声だった。
「ちょっとギャンブルが過ぎるわよ。危険じゃないの?」
「危険は承知の上さ――ここへ残って、牝のブレードホーンを治療すると決めた時からね」
アラムはつとめて何気ないことのように肩をすくめた。
「分かるだろう、リスクを冒すというのはこういうことだ……言っとくがね、これでもし死んだら恨むよ、私は。化けて出てやるんだから。それが嫌ならせいぜい逃げ足を準備したまえ。さ、行くぞ!」
「俺も、ちょっと言わしてもらうけどよ」
指示通りアラムの真後ろにつきながら、ディンゴがぼそりと呟いた。
「そうやって乱暴にリーダーシップを取ろうとする時、キャラバのおっさんに似てくるよな、あんたこそさ」
アラムは少し考えた後、右手でディンゴの脳天に軽く手刀を入れた後、何事もなかったかのように洞窟の出口へ向かって歩き出した。ディンゴは低く呻くと、ユノーのくすくす笑いに急き立てられるようにしてアラムの後を追った。




