第35話 チーム・プレイ
2人が近づくと、ブレードホーンは力なく首をもたげてかすかに嘶いた。足は立たぬものの、流石に手の届く距離まで近づかれると警戒し、死力を尽くして首を振り抵抗しようとする。ディンゴは顔をしかめた。
「まずは、麻酔がいるな。手術がしにくいってのもあるが、こう暴れて体力を消耗されちゃ手術する前に力尽きちまう。
ユノー、頼めるか?」
言いながら振り返ると、言われるまでもなくユノーは籠手に金属筒を装填し終えていた。
「体は大きいけどかなり衰弱してるから、あんまり強い香を焚くとそのまま昏睡に陥りかねないわね……狭いところで強い薬を使ったらこっちも危ないし。
眠らせて感覚を奪う程度の香にしておくわ……『今度は』吸い込んでひっくり返らないでよ?」
「蒸し返すなよッ! 今度はそんなヘマはしねえって」
歯を剥きだして言い返したディンゴに意地悪な笑みで応じ、ユノーは籠手のスイッチを入れた。たちまち薄桃色の煙が手首の排気口から細く流れ出す。煙の糸は手のひらの近くで毛糸玉のようにゆっくりと丸まってゆき、シャボン玉の形を作った。ユノーの得意とする「凪の魔術」――空気を固定し、煙のカプセルを作り出す術だ。
そのままユノーは、ゆっくりと手のひらでシャボン玉を押し出すようにした。薄桃色の球はふわりと飛び、暴れるブレードホーンの鼻先で溶けるようにはじけた。弱々しく振り立てられていた首がぐったりと垂れ、悲し気な瞳が2,3度まばたいた後に閉じる。ブレードホーンの体は、朽木が倒れるかのごとくにぐったりと倒れた。
「よし、これで診察が出来る……っと」
ディンゴは急ぎ足で倒れたブレードホーンに駆け寄り、その右前脚に魔導灯を当てた。傷口は確かに見えるが、粘液状の薬草と乾いた血で覆われており、その深さも大きさも測り知れない。ディンゴは傷口に軽く指を当て、考え込んだ。
「まずは傷を綺麗にしなきゃならないが……ユノー、水持ってるか?」
「洗浄薬は置いて来ちゃったから、飲み水用の水筒しかないけど……」
ユノーはマントの下から小さな水筒を取り出す。ポケットにねじ込める程度の大きさだ。大きなブレードホーンの傷口を洗い清めるにはとても足りない。しかしディンゴは、軽く頷いてそれを受け取った。
「洗い流す、ってわけには行かなそうだが……まあ、湿らす程度でいいんだ。やり方は他にもあるからな」
言うとディンゴは水を布に含ませ、傷口付近の皮膚を拭い始めた。脚に生えた長い体毛が水を含み、しっとりと濡れそぼる。それを確認すると、おもむろにディンゴはマントの下から小さな剃刀を取り出した。ユノーはそれを見て、少し意外そうな顔をする。
「ご自慢の『メス』は使わないの?」
「毛だとか皮膚だとかには、『光のメス』が通りにくいからな。金属製の刃物だって持っとくに越したことはねえ」
ディンゴは肩をすくめると、剃刀の刃を濡れた部分に当て、汚れごと毛を剃り落としはじめた。白い毛がみるみる剥がれ落ちていき、桃色を帯びた肌が出てくる。時折水筒から剃刀の刃に水を注ぎ、毛に絡まってこびりついた薬草の繊維や血の塊を洗い落とす。
しばらくその作業を繰り返すと、汚れはすっかり取り除かれて傷ついた皮膚が露わになった。
「よし、と。第一段階はこれでクリアだな。問題は傷がどれだけ深いか、だが……ユノー、魔導灯を傷口に当ててくれ」
「はいはい……これでいい?」
ユノーは明かりの陰にならぬよう移動すると、携行用魔導灯の絞りを調節し、光を集中させてブレードホーンの傷口に注いだ。ディンゴも自分の『光のメス』を弱く灯し、その光を当てながら傷口を覗き込む。
「これは……銃創だな。脛の部分に2……いや3発。射出創が見えねえから、弾は中に留まったままだろう。骨は逸れてるが組織の破壊が著しい――散弾だな。
当たった場所から考えるに、逃げようとするところへ散弾をぶっ放されたんだろう。跳んで避けようとしたものの、広がって飛んでくる弾丸の一部が上げた脚に当たった、と」
「手術は口じゃなくて手でするもんでしょ。手が止まってるわよ」
ユノーはぴしゃりと言い、魔導灯の光を戒めるようにディンゴの顔へ当てた。
「詳しい解説も結構だけど、要は治せるかどうかなのよ……大丈夫なの、一人で?」
「俺を誰だと思ってる? 銃創なんざ上で飽きるほど見てきたぜ。何せ戦場仕込みだからな、俺の腕は」
「そうやって、自身のある話題の時だけ口数多くなるの、見ててあんまり気持ちのいいもんじゃないわね」
何気ない風に言うユノーに、ディンゴは思わずガクリと顎を落とた。目をぱちくりさせながら言い返す言葉をしばらく探したのち、諦めたように首を振る。
「……うん、まあ、いいや。そこまで豪快に棚に上げられたら、俺はもう何も言えねえ。結構、もう俺が悪いってことでいいや」
「何? その言い方」
ちょっと頬を膨らませ、ユノーは魔導灯をブレードホーンの傷口へと向けなおす。
「無駄口叩いてないで、さっさと処置を始めなさいよ。時間がないんだから」
「分かってるっての! お前も言ったろ、今この場のボスは俺だ。いいから俺に任せとけっての」
ぶつくさ言いながらも、ディンゴは『光のメス』を握りなおした。途端に表情は引き締まり、傍らのユノーが思わず体をびくりと揺らしたほどに魔力が集中していく。右手に握った魔導杖は、圧力すら感じられるほどの強い光を先端から放ちはじめた。
「針に、糸に、クリップに……最低限の道具だけは、いつも肌身離さず持ち歩いてる。外科医だからな」
ディンゴはマントの下から左手で薄いケースを取り出し、ユノーに手渡した。
「そのケースから、俺が言ったものをその都度渡してくれ。何もない時はそのまま、魔導灯で傷口を照らし続けてくれたらいい」
「助手扱いね。あんまり気に入らないけど……ま、2人でやらなきゃならないものね」
ユノーは肩をすくめ、ケースを受け取って開くと座った膝の上に乗せた。ディンゴは腕を上げ、輝く魔導杖を傷口へと近づけた。筆の穂のようにほとばしっていた光が、箒型にふわっと拡散する。
「まずは、銃弾がどこで止まっているか探さなきゃならない。磁力系の魔術を使える奴がいたら話は早いんだが、今は出来ることをやるしかない……強い光で患部を照らして、異物を透かして探すんだ。
そっちからもしっかり照らしといてくれよ、ユノー」
ディンゴの呼びかけに、ユノーもブレードホーンの側へとにじり寄り、2人は傷口の裏側から大羚羊の太い脚を照らし出した。赤い血潮の色が透けて見える中に、ほんのかすかながら、黒い影が2つ、3つと見える。
「よし、見えた! ……ありがたいことに、傷はそう深くない。大血管を切ってるわけでもないようだ」
ディンゴは言い、魔導杖を手元で軽く振った。放射状に出ていた光のシャワーは消え、代わりに指先ほどの大きさの強い光が金具の先に灯る。切断用の『光のメス』本来の形態だ。
「3か所の傷口をそれぞれ切開し、挫傷した部分を切除。創面を縫合する。血管や腱に傷があった場合も縫合処置する。それでいいな?」
「執刀医はあんたでしょ。外科のことは任せるわ」
ユノーは頷き、魔導灯を持たない左手を道具ケースに沿わせて準備した。ディンゴはそちらにちらりと目をやってから、おもむろに右手のメスを降ろしていった。
そこから先は――まさに稲妻だった。もっとも、大竪穴育ちのユノーは「稲妻」というものを知らなかったが、知っていたならばその比喩を使っていただろう。
3つの傷口と銃弾の位置を3次元的に把握し、必要最低限かつ最短の距離で組織を切開し、傷口を開放していく。あっと言う間に1つ、鉛の銃弾が取り除かれて地面に転がった。
「まずは1個目、と……クリップ2つ、一番大きなやつだ!」
ディンゴは左手を差し出して叫んだ。その手際に見とれていたユノーはハッと我に返ると、開いた用具入れの中から銀色のクリップを取り出してディンゴの手に握らせた。
「鉛の毒が、どれだけ回ってるかが心配だな……これだけデカい身体に豆粒みたいな弾丸だから、そう堪えちゃいないと思うが」
物思わしげに首をかしげながらも、ディンゴの両手は目まぐるしく動き、2つ、3つと鉛玉を摘出していった。時折水を含ませた布で患部を擦り、滲んできた血を拭う。ユノーは魔導灯を掲げながら、マスクに隠れたその表情を見るともなしに見ていた。
「……ねえ、ところであの時、なんて言おうとしたの?」
「……あァ?」
縫合を始めたところでユノーがふと呟いた。ディンゴは手を止めることもなく聞き返す。
「あの時、って、どの時だよ?」
「ほら、落とし穴から出る前。アラムの話を聞いて、何か言いかけてたじゃない。俺は外界人だけど、とか、えらく深刻ぶった顔しちゃって」
ディンゴは「ああ、あれか」というような表情をマスクの奥で作り、続けて眉をぐっと寄せた。
「ああ、その……いや、忘れちまった。……糸くれ、一番右の、太いやつ」
ぶっきらぼうにそれだけ言うと、ディンゴは左手を出しながらことさらに背を曲げ、ユノーの目から逃げるように傷口へ覆いかぶさった。ユノーは言われたとおりに糸を渡すと、ふっと息をついた。
「……そう」
それきり、しばらくは沈黙が続いた。針が肉へと通っていく、あるかなきかの音だけが妙に大きく響いていた。
と、ディンゴが不意に手を止め、沈黙に耐えかねたかのように荒々しい声を上げた。
「……ああもう、畜生! 変な時に変なこと聞きやがって! なんか妙な気分になるだろうが!
分かった、答えてやるよ! あン時だろ!? 医者のはしくれとして……ってくだり!」
突然声を荒らげたディンゴに気を呑まれ、ユノーは手を胸の前で組んだまま頷くばかりだった。ディンゴはそちらに一瞬だけ目をやった後、咳ばらいをしてから語りはじめる。
「要するに、あれだ。俺だって医者のはしくれとして、命を救うことが自分の仕事だと信じてるし、その点に関しちゃ本気も本気だ。遊び気分じゃねえ。
だからこそ人を治すって仕事の上で、少なくともお前の技術は認めるし、きっとこの先も必要になるだろう……今だって俺が必要としてるけど、それだけじゃなく、もっと沢山の人間にとってだ。そして、沢山の人間を救うはずだ。
だから俺は、お前を理解は出来ないかもしれないが、尊重することは多分、出来る……よく分からねえけど、結局、そんな感じだ」
「……そう」
ユノーは静かに言い、少しの間顔を伏せていたが、やがて、ぽつりと言った。ほんの少し笑みを含んだような声で。
「……よく、分からないわね」
「何だよ、お前が言わせたんだろうが……俺だって何言ってるかよく分かんねえよ、自分でも」
苛立たしげにディンゴは言い、傷口の縫合に戻った。今や傷口はほとんど塞がれ、後は表皮の縫合を少しばかり残すのみとなっていた。その手にユノーは、新しい糸の塊を差し出した。
「ほら、もうひと頑張りってとこでしょ。頑張りなさいよ、『医者のはしくれ』として」
「他人に言われるとハラが立つな、その言葉!」
ディンゴはユノーの手から乱暴に糸玉をひったくった――が、マスクの向こうの目は、笑っていた。




