第34話 子供のワガママ
「つまり、あのブレードホーンは、怪我をしたつがいに傷薬を作ってやるために、森を回って薬草を摘んでたってこと?」
ユノーは半信半疑といった様子で腕を組む。アラムは頷き、そっとブレードホーンの牝に近づいて右前脚を指し示した。
「このペースト状の薬草だが、臼で挽いたように摺りつぶされている。ちょうど大型草食獣の臼歯で噛み砕かれたような状態だ。粘性のある液体も混じっている。恐らくは唾液か、胃液だね」
「ハラん中で傷薬を作ったってのか!? カモシカが?」
驚くディンゴに、ユノーは考え込みながら答える。
「ちょっと珍しいことだけど……あり得ないって言いきれるほどではないわ。魔物に限らず、野生動物というのは時に信じられないほどの知恵を発揮するものだから。
カモシカは元々食べたものを胃袋に貯めておいて反芻を行う動物だし、口に戻した内容物は粘性を帯びてるから、傷口を塞ぐのに吐き出した植物を使うのは十分に考えられることよ。それが幾世代かの経験と学習を経て、「ある種の植物を使えば治りが早い」という結論に至ったんじゃないかしら」
「そうやって説明されると、なんかありそうな気がしてきちまうけどよ……」
ディンゴはやや警戒を解き、ブレードホーンの方へ一歩歩み寄った。牝のブレードホーンは3人に近寄られても、悲しげな目を少し動かすばかりで身じろぎひとつしなかった。声を上げることすらせず、ただ重たい息を低くごろごろとつくばかりだ。ユノーはふと眉をひそめた。
「さっきから、全然動かないわね……だいぶ怪我が重いのかしら?」
アラムは頷き、一歩下がって顎に手を当てた。
「私が入って行っても、唸り声ひとつ上げなかったからね。ちゃんと診断したわけじゃないが、そもそも旦那さんがあれだけ薬草を集めなきゃいけないくらいの怪我だ。数日間はこうして座り込んだまんまなんだろうな。
そりゃ野生生物だから自然治癒力は強いだろうが、深い傷だったら薬草を塗ったくらいで治るもんじゃない」
「とすると、このままだとこいつは死んじまうってことか?」
ディンゴの言葉に、アラムは心もち顔をしかめながらも頷いた。
「まあ、仕方あるまいね。傷を負ってからどれだけ経っているかは知らないが、そもそも今まで生きているというだけでも幸運だ。野生動物にとって動けなくなるほどの傷を負うということは本来、エサを取れなくなるということを意味する。
彼女の場合は少なくとも飢えてはいないらしいし、薬草のおかげで出血が止まって化膿も避けられているからまだ保っているんだ。旦那さんがさぞかいがいしく世話をしたんだろうが、それでも傷からくる衰弱は抑えようがない。多少先延ばしには出来ても、先は長くないだろう」
「このままなら……でしょ?」
やや控えめな声で、ユノーが言う。アラムはちょっと眉を上げ、ユノーの顔を見つめた後、くるりと向き直ってディンゴの顔を見た。彼の視線は、ブレードホーンの脛の傷へと注がれていた。考え込んでいるような、熱いほどに真剣なまなざしだ。アラムは困惑したように顎を撫でた。
「あー……もしかして、なんだが……診てやろう、なんて言いだすつもりかね、キミら?」
「このままだったら死んじまうって言ったのはあんただぜ、アラム」
ディンゴが口を尖らせて言うと、ユノーも控えめに頷く。アラムは長い息をつき、前髪をくしゃくしゃと揉みながら言葉を探した。
「憎まれ口のようになるのを承知で一応言っておくが……その必要が、あるのかね?」
荒くはないが断固とした口調だった。ユノーとディンゴは、教師に叱られる生徒のように畏まって聴いている。アラムは言い方を考えながらといった調子で、ゆっくりと語りだした。
「よく考えたまえ。ここでブレードホーンを治療することには、何のメリットもない。獣から治療費取るわけにもいかないしね。
それどころか、危険ですらある――いずれ牡のブレードホーンがここへ戻ってくるだろう。そうなったら、どういうことになると思う? 逃げ場のない洞窟のどんづまりで大型魔物とご対面だ。
しかもこっちは、大事な嫁さんに刃物突き刺してる最中とくる。「これは手術というんです」なんて言ったって、聞く相手じゃないからね。怒り狂うことは間違いないよ。
キミたちの感傷は分かるがね……果たしてそれは、命を賭けるに値するものかね?」
「それは……」
ユノーは反論しかけ、口をつぐんだ。確かに、アラムの言い分は合理的だ。考えてみれば彼女らは蓄光機を取り戻しに来ただけであって、ブレードホーンの命が助かろうが助かるまいが何ら得も損もしないわけである。魔物を助けようなどと酔狂な考えを起こして命の危険を冒すなど、バカバカしいと言える。
しばらくの間、気まずい沈黙が流れた。
「……そりゃ、理屈だ。けど、意味のねえ理屈だ」
ふいにディンゴが沈黙を破った。瞳は相変わらず燃えるようだったが、その声は落ち着いていた。アラムは怪訝そうな顔で彼の言葉を聞く。
「意味がない、とは?」
「理屈は分かる。今更ひとつひとつ挙げてもらうまでもなく、危険も想像できるつもりだ。
それでもよ……想像してみてほしいんだよ。あんた、このまま立ち去って、それでいいのか?」
ようやっと吐き出した、といった口調でディンゴは言う。アラムは片目をすがめ、黙って腕を組みディンゴに先を続けさせた。
「救えたかも知れねえ命を目の前にして何もせず、帰っちまったとして……こいつは確実に、このままこの穴倉ン中で死ぬ。それを確信しながら、もう何も出来ねえんだ。耐えられるか、そんなことって?」
「助ける能力があるからって、助けなきゃならない義理はない――もとよりそんな、「死ななくてもいい命」なんてものが毎日ゴミみたいに消えてってるのが、大竪穴の深層って場所さ」
アラムはわざとぞんざいに答え、ふっと顔を横に向けた。
「いちいち気に病んでたら、おかしくなっちまう。慣れるしかないんだよ」
「慣れたくねえから、あんたらは……キャラバのおっさんは、こうして『闘う医師団』を作ったんじゃねえのかよ? 遺跡のどこへでも、呼ばれたらすぐに駆けつけるデリヴァリー医師団――ギルドの縛りも関係なく、治せる限りの患者を治す、そういう考えが、根っこのとこにはあったハズだ」
言葉の終わりは上ずり、ひび割れた余韻を洞窟の中に響かせた。
キャラバの名を聞き、アラムの眉が一瞬だけ跳ねた。どことなく、目元に苦しげな表情が浮かぶ。
「聞いたふうなことを、言ってくれるじゃないかね」
アラムは目元をひくつかせながら、抑えた声音で言った。何か言い返そうとし、途中で思いとどまる。表情にはかすかに、苦悩しているような色があった。ややあって、彼女は攻め方を変えた。
「……理屈はどうとでもつけられるだろうが、実際的な問題はどうする?
何しろ慌てて追いかけてきたから、いつもの手術用具がほとんどない。こんな埃だらけの淀んだ空間だってのに、無風ランプもないんだぞ」
「それなら、私が居るわ」
ユノーが声を上げ、一歩踏み出した。
「私の魔術なら、空気の塊を作れる――煙のシャボンを大きくしてやればいいんですもの。無風ランプで作る風の手術室と、ほとんど同じものが作れるはずよ」
「……それだけじゃない。出血はどうする? ザインは居ないんだぞ。大出血が起きたりしたら、止めようがない」
「俺の『光のメス』は、刃物とは違う。焼き切るからほとんど血を流さずに済むし、出血箇所の血を焼き固めることだって出来る。それに、出血そのものは傷薬のおかげでほとんど止まってるんだ。丁寧にやれば、失血は最小限に抑えられるはずだ」
ディンゴが勢い込んで言う。ユノーも激しく頷いて、答えを期待するかのようにアラムの瞳を覗き込む。アラムはたじろぎながらも、視線を宙にさまよわせてしばらく反論の種を探していたが、やがて捨てばちになったかのようにかぶりを振った。
「負けた、負けた! 思い込みの強さ勝負じゃ若いもんには敵わんね、まったく……。
いいだろう。ブレードホーンの手術、やってみるがいいさ。とにかく、今こうして議論してるのが一番の時間の無駄だ。やるンなら早いとこやって、牡が戻ってくる前に洞穴を抜け出すのが一番いい」
「アラム!」
笑顔をはじけさせるユノーに対し、アラムは無理に作った仏頂面で右手を突き出した。
「ただし、応急処置だけだからね。完璧に包帯巻いて食事療法にリハビリに……なんてやってるヒマはないんだから。それと、牡が帰ってきたらもうそこで打ちきりだ。患者――いや、患畜を放り出して、逃げることだけに集中すること。いいだろうね?」
「ああ、十分だ」
ディンゴは口の端を吊り上げて、武者震いせんばかりに笑った。
「あんたは出口を見張っててくれたらいい。ブレードホーンが帰ってきたら、すぐに教えてくれ。何も俺だって死にたいわけじゃないからな」
「言われなくてもさ……あーあ、しかし、ひどいことになっちゃったな。リオの無茶から解放されたと思ったら、今度は子供たちのワガママか」
アラムは出口付近へと歩き出しかけ、ふと振り返ってディンゴにいたずらっぽい笑みを投げた。
「そうだ、最後にちょっと嫌がらせを言っとこうか……ディンゴ、今のキミねぇ、ちょっとリオに似ていたよ」
「……勘弁しろよ」
途端に渋い顔になるディンゴと、勢いよく吹き出したユノーの顔を見届けると、アラムはブーツを響かせて出口へと歩み去っていった。
ディンゴとユノーは薄暗い洞窟に2人きり――いや、患畜も入れて2人と1匹きりで残された。アラムの足音が暗闇に呑み込まれると、後には肌を刺すような静けさだけが残った。ブレードホーンの荒い息遣いが、神経をぴりぴりと撫でる。
「さて……それじゃ、始めるとするか。まずは『手術室』を広げてくれ」
ディンゴは言いながら、マントの奥に手をやり数枚の布を取り出した。頭と口元に巻き、即席の髪留めとマスクを作る。その間にユノーは、ブレードホーンの前で瞑目し両腕を広げた。たちまちその指先からうっすらと魔力の輝きがほとばしりだし、ブレードホーンとディンゴをぐるりと取り囲みながら球体を作ってゆく。
「魔力で空気を固定した――この中にいる限り風は動かないし、埃も入ってこないわ」
ユノーは腕を降ろしながら言い、ふと顔をしかめた。
「思ってたより魔力を消耗するわね……そう長い間は保たせられないかも。これから麻酔もかけなきゃいけないし」
「心配はねえ。そんなに時間はかけねえよ」
ディンゴは言い、右手に魔導杖を握って構えた。金属製の異様な補助具がついた細身の魔導杖――『光のメス』だ。
「それじゃあ、術式開始と行くか。足引っ張るなよ、ユノー」
「こっちのセリフよ」
2人は顔を見合わせ、ほんの少し笑うと、表情を引き締めてブレードホーンの元に向かった。




