第33話 逃げない理由
3人は、森の中を蛇行するけもの道を注意深く辿った。道の痕跡は頼りなく、ともすれば見落としそうになったが、食い荒らされた『リュウノカモジ』――もしくは『ジュタルェカエカ』の茂みがいい目印になった。
「この茂み、かなり前に食いちぎられたものね」
ユノーがふと足を止めて呟く。
「断面が枯れ落ちて、根元から新しい芽が出始めてる。こうなるまでには、少なくとも数日かかるはずよ」
「今まで通ってきた食い跡より古い跡、か……いい傾向だな。つまり、奴のスタート地点に近づいたってことだもんな」
アラムも立ち止まり、顎を捻りながらその茂みを眺める。と、1人先を歩いていたディンゴが不意に声を上げた。
「おい、あれ見てみろよ!」
彼の指し示す方を見ると――そこには、ちょっとした断層があった。地下の遺跡が陥没した跡ででもあろうか。腰ほどの高さまで、白っぽい地層が露わになっている。手前の地面は柵のように立ち並ぶ灌木によって覆い隠されていた。
「あの断層が、どうかしたかね?」
アラムが尋ねると、ディンゴはじれったそうに足踏みして指を強く突き出した。
「ほら、あの影になってるとこだ! ……分かるだろ?」
言われてアラムは眼を凝らし、ハッと息を呑んだ。濃く茂った葉と下草の陰に隠れて気づかなかったが、木々の間には妙に暗い一角がある。単に樹の葉が光を遮っているというのではない――洞穴が空いているのだ。
のみならず、穴の入り口にあたる部分には草がまったく生えていない。白っぽい砂地がむき出しになっており、何か重いものを引きずったような跡が残っている。
「少なくとも、何かの動物の隠れ家である可能性は高いな」
アラムは声を潜め、手近な草むらに隠れて離れた場所から様子を窺った。外から見る限り、穴の中に動きはない。傍らに佇むユノーの顔をもの問いたげに見たが、彼女も黙って首を振るばかりだった。風の動きは感じられないらしい。
「中には、何も居ないのか……? 外出中、ってワケかね?」
「あのブレードホーンの住処なら、奴がまだ戻ってきてないってことで説明はつくな」
ディンゴが低い声で応じる。
「どうする……? このままあいつが戻ってくるのを待ち伏せるか?」
「とはいえ、この穴が奴の巣穴だって確証もないしねェ……もしハズレなら、待ちぼうけだ」
「……待って! 今、かすかに空気が動いた!」
ひそひそと交わされるディンゴとアラムの会話を、ユノーの押し殺した声が遮った。アラムは目を丸くし、ユノーににじり寄る。
「あの、穴の中でか!? 何が居るか、分かるかね?」
アラムの言葉に急かされるようにして、ユノーは腕をそっと突き出し、契約印に魔力を通わせた。白い光が腕をふわりと包み、あたりの空気にかすかな魔力が伝わってゆく。しばらくしてユノーは、静かに首を振った。
「ダメ……多分何かの呼吸だとは思うんだけど、ほんのかすかな動きだから、どういう動物かまでは……でも、相当大きな生き物みたいよ」
「ブレードホーンぐらいの、か?」
ディンゴが尋ねると、ユノーは無言で小さく頷いた。ディンゴは渦を巻いた赤毛を乱暴にくしゃっと握り、舌打ちをした。
「やっぱり、中に入って確かめるしかねえな。もしも奴だったら大チャンスだ。あんな穴ン中じゃ得意のジャンプも出来ねえだろうし、ユノーの麻酔香で簡単に眠らせられるはずだ。だろう?」
「ま、そこは頼りにしてもらっていいけど」
まんざらでもない様子で応えるユノーに、アラムはちょっと口の端を上げたが、すぐに真顔となってディンゴの方に向き直る。
「それで、誰が中に入って様子を探るのかって話なんだが」
「まァた、どうせ俺に行けってンだろ?」
ディンゴは軽く眉をひそめながらも、仕方ないという様子で腰を上げかけた。
「ま、別にいいけどな。あんな羚羊なんぞ、怖かァねえし」
「……戻りたまえ。まだ、話は途中だよ」
アラムの口調に込められた真剣さに、ディンゴは思わずはッとおののいて言われるがままに腰を下ろした。アラムはその様子を見守ったのち、大きく一つ息をついてから、ゆっくりと諭すように話しはじめた。
「怖かない、とはよく言ったもんだ……それだから、キミを行かせるわけにはいかないんだよ。
前の冒険で得た教訓を、もう忘れたかね? 魔物をナメるんじゃない。この間のクレイジースミスみたいな肉食の魔物じゃなく、性質としては大人しいはずの草食獣だろうと、魔物というのは絶大な魔力を持つ危険なものなんだ。その魔力の矛先がひとたびこちらへ向いたなら、人間なんかひとたまりもない。
そんな化け物と逃げ場のない場所でたった一人対峙するというのは、もう、さっきまでの追っかけっことは次元が違う問題だ。まして、この向こうにいるのがブレードホーンだと決まったわけでもない。何がいるか、分かったもんじゃないんだ。
キミはそれを分かっていて、あの穴倉へ踏み込もうとしたのかね?」
「いや、それは……」
思わぬ剣幕に押され、ディンゴは下を向いて口ごもるしかなかった。アラムは銀縁眼鏡を上げると、右腕の黒手袋に手をかけた。
「最初は私が行く。私だったら、魔術で盾を作って多少は身を守れるし……それに、外科手術の出来る人材は後に残しておきたいんだ。万一の場合の備えにね」
「アラム……!」
不安そうに手を伸ばしかけるユノーに、アラムはふっと笑って片手を上げた。
「ま、ちょっと大げさに言ってみたけどさ……大丈夫だよ。そこまでの事態にはならないさ。ただこれからのために、軽く脅かしといただけ。
しかし、ホントに万一の場合には頼むよ、ユノー、ディンゴ。せいぜい大声で悲鳴上げるからさ」
「……安心してバラバラにでも何でもなって来いよ。細切れになったって繋いでやらァ」
きッと目を上げ、低い声でディンゴが言うと、アラムはその額を指でちょいと弾いた。
「調子に乗ンのはいただけないけど……その意気を失っちゃダメだよね、若いもんは。
じゃ、行ってくる。ユノー、麻酔の用意をして、いつでも飛び出せるようにしといてくれよ」
アラムは、つとめて軽く言うと、右手の手袋を外して腰のベルトに挟んだ。たちまち、土の右腕が小さな丸盾に代わる。心配そうに見守る2人を外に残し、アラムは右腕の盾を胸の前で構えながら灌木の茂みへ向かい、木々の間をすり抜けて断層面に開いた洞穴へと入っていった。
中に広がっていたのは、ビロードのような闇だった。明かりはほとんど無い。天井に時折ぽつりぽつりと光の点が見えるのは、天井に入ったヒビやほころびから太陽苔の光が漏れているものか。アラムは魔導灯を点けるべきか一瞬逡巡し、やめにした。この闇の中で、魔導灯の光は目立ちすぎる。いい的だ。
おっかなびっくり奥へと進むうち、だんだんと暗闇に目が慣れてきた。洞窟の壁の一部はやはり石積みのようだ。ここもまた、先ほどアラムたちが落ちた『落とし穴』のように地下神殿の一部なのだろう。ただしこの洞窟は、地殻変動のためか老朽化による崩壊のためか、半分がたが土に埋もれてしまっているようだ。
アラムはふと鼻をひくつかせ、顔をしかめた。明らかな獣臭だ。奥へ行くに従って濃くなってゆく。それに混じって何やら刺激的な臭いもした。香辛料のように鼻を刺す清涼感のある臭いだ。薬草の臭いだろう――ブレードホーンが集めていたのも薬草だ。アラムはごくりと唾を飲み込み、再び奥へと足を進めた。
そして……唐突に、彼女は気づいた。ほんの一歩先、脚を蹴りだしたらすぐつま先が当たるほどの近さに、『それ』がいることに。
アラムは思わず盾を構えなおしながら半歩ほど後じさった――靴の底が砂利を踏みしめ、やけに高い音を響かせる。いや、静けさのせいでそう聞こえているだけか。それともこれは、彼女の頭を流れる血潮の音か? とにかく、『それ』は音を聞いてか聞かずか、ただじっとうずくまったまま動かなかった。
大きさは、牛よりも一回り大きいくらいだろうか。4本の脚を折ってつくねんとその場に寝ころんでいる。天井から漏れてくる光で、こちらに向かって突き出している2本の角とその下の黒い眼がかろうじて見えた。潤んだ瞳からは、どことなく温厚な知性が感じられる。
目の前の相手がすぐには飛びかかってこないらしいと察すると、アラムは右腕の盾を下ろした。ぐっと眉根を寄せ、相手が何者なのかを見極めようとする。そして……気づきは、突然に訪れた。
「こいつは……そうか!」
* * *
ほどなくして――洞窟から無造作に歩み出てくるアラムを見て、ディンゴとユノーは跳びあがった。
「アラム! 大丈夫だった?」
「ブレードホーンは居たのか? 蓄光機は?」
駆け寄りながら口々に尋ねる2人にアラムは軽く手を振る。
「ああ、そんな一遍に来られても答えきれない。とにかく、大丈夫だよ。どこも怪我してないし、何の問題もなかった」
その手に再び手袋が嵌まっていることに、ユノーは気づいた。中で待ち受けていたのが何であったにせよ、少なくとも戦闘にはならなかったわけだ。
「それで、何があったのかってことだけど……説明するより、見てもらった方が早いな。これからどうするかの相談もしなけりゃならんし」
アラムは肩をすくめると、2人の肩に手を置いた。
「2人とも、ちょっとついて来てくれ。魔導灯を点けて、ね。明かりを持ち込んだところで、多分襲われはしないから」
「何だ? 一体何が居たんだよ……ブレードホーンじゃなかったのか?」
なおも聞きたがるディンゴに、アラムは人差し指を立てて「静かに」のジェスチャーをしてみせた。
「だから、それも中へ入ってから話すって。とりあえず今言えるのは、ここまで追ってきたのは一応「正解」だったってことさ」
「……?」
首をかしげながらも、ディンゴとユノーは魔導灯を取り出し、アラムについて足元を照らしながら洞窟の中へと入っていった。
明かりに照らされた洞窟は、先ほどとはうって変わってせせこましく見えた。アラムは何の不安もなさそうにすたすたと歩いていく。先ほど脅しつけられたディンゴは、そんな彼女を怪訝そうに見守りながら、神経を張り詰めているのがありありと分かる歩き方で後に続いた。
やがて3人は、洞窟の奥にいる『それ』と再び対面した。
「ほら、こいつだ。飛びかかっては来ないだろうが、一応魔導灯の光を正面から当てないように気を付けたまえ。眼を痛めたら可哀想だからね」
アラムの指し示す『それ』を見て、ユノーもディンゴも目を丸くした。洞窟の奥に横たわっていたのは、やはり巨大な羚羊であった――といっても、蓄光機を持って行ったブレードホーンよりは一回り小さい。眼の上に突き出た角も、形は同様の片刃剣型ながら、半分ほどの長さもない。体型も全体的にどことなく丸っこかった。
加えて目を引くのは、その前脚だ。向かって右側の脛あたりが、どろどろした粘液状の何かに包まれている。地面にはその粘液に混じって少なからぬ量の血がこぼれている。怪我をしているのだ。立ち上がって襲ってこない理由は、恐らくそれだろう。
「これ……やっぱり、ブレードホーン、だよな?」
呟くディンゴに、アラムは頷いた。
「短い角、肩から背にかけて丸みを帯びた体、どっしりと張り出した腰――ザインほど魔物には詳しくないが、生き物に共通する体の仕組みってものは分かる。
こいつは多分、ブレードホーンの牝だ。そして、その脚に塗りつけられてるのは『リュウノカモジ』もしくは『ジュタルェカエカ』……傷薬だ」
アラムは言い、感に堪えたように首を振った。
「何てこった、だね……よく考えたら、何もかもしっくり来る。そりゃ、私らを始末したがるはずだ。怪我をした嫁さんのところに、追っ手を引き連れて帰れやしないもんな」




