第31話 水の円形闘技場
~ 一方、ブレードホーンを追うキャラバとザインは…… ~
「ええい……しかしまあ、歩きにくい道だぜ!」
キャラバがいイラついた声を上げる。森の木々をかき分け、茂みを踏み越えて、キャラバとザインは大きな体を持て余しつつもブレードホーンの痕跡を追っていた。草に隠れて、足元には大きな石材や瓦礫の欠片などが、脚をすくおうとでもしているかのように突き出していた。
「すっかり森に包まれているとはいえ、元々ここも神殿のはずですからね。だいぶ風化はしていますけど、神殿の敷石が所々に残っているようで」
大きな石の欠片を踏み砕いてけつまずきそうになりながらも、ザインは落ち着いた声で分析する。先を行くキャラバも頷いた。
「まあ、歩きづらいのは向こうさんも一緒のはずだからな……ほれ」
キャラバの指さす方を見ると、元は魔神像か何かだったらしい大岩の上に、ひどい傷跡が残っていた。蹄がたたらを踏んで蹴りつけたような痕だ。傷跡はまだ白く鮮やかだった。
「こうも樹の入り組んだ森ン中じゃ、ひとっ飛びに跳び越えるってわけには行かなかったみてえだな。どこを目指してるのかは知らねえが、とりあえず手掛かりに困ることはなさそうだぜ。
あいつめ、今に見てやがれ……」
ひとりごちながら足跡を追っていたキャラバは、ふと前方に光を感じて何気なしにひょいと顔を上げ、片眉をぴんと跳ね上げた。
「何だァ、ここは……?」
ザインも後に続き、覆面の向こうで驚きの表情を作る。進む先で森が唐突に途切れ、小さな広場のようになっていたのだ。分厚く茂る木の葉に遮られていた太陽苔の光が、さんさんと白く照りつけて2人の瞳を刺した。
形はいびつな円形、広さは小さな公園ほどだろうか。鬱蒼と茂っていた木々がその付近にだけは一本も生えておらず、ひねこびたイネのような雑草がまばらに茂るのみとなっていた。代わりに、地面には神殿の名残らしき敷石がほとんど完全なままで残っていた。何か意味ありげな溝が草の波を突っ切って幾何学的な模様を描いている。
「やけに開けたところに出ちまったな」
キャラバは立ち止まり、流石に困惑した様子で頭を掻いた。
「今までは折れた木の枝やらちぎれた葉っぱやらがあったから追いやすかったが……こう何もないとこじゃ、手掛かり探すのも一苦労だぜ。這いずりまわって足跡を探すっきゃねえか」
「……キャラバさん、気を付けてくださいよ」
ザインがこわばった声で言う。覆面の奥の眼は警戒の色を帯び、鋭く広場を見回していた。
「この部分だけに神殿の遺構が残っているというのは、何かあります。草のせいでよく分かりませんが、この溝の配置も契約印のようですし……何らかの魔導機械が今も機能しているとしたら、注意した方がよろしいかと」
「ああ。こういう場所が危ねえってのは、経験からよォく知ってるさ。できるだけ石の上を踏まないようにしながらブレードホーンの足跡を探して、方向の見当だけ付けたら早いとここの場を離れちまおう」
キャラバが言い、敷石の上へと恐るおそる足を踏み出しかけた、その時だった。
背後の草むらが激しく揺れた。
「キャラバさんッ!」
「う、うおォっ!?」
足を伸ばしかけた姿勢のまま、キャラバは横倒しに倒れて石の上を転がった。先ほどまでその頭があった場所を、大槌のような蹄が風を裂いて通り過ぎる。威嚇的な嘶きが、キャラバたちの耳を刺した。
「ブレードホーン……!」
ザインが低く呻いた。その声の余韻が消えぬうちに、草むらから飛び出した大羚羊は今一度大きく跳躍すると、向こう側の茂みへ一足飛びに跳び込んで姿を消した。
「いつの間にか、回り込まれていたんですね……お怪我はありませんか?」
駆け寄ろうとするザインを片手で制しつつ、毒づきながらキャラバは上体を起こし、首をもたげて身構えた。
「油断するな、ザイン。わざわざ向こうから仕掛けてきたってことァ、これで終わりとは限らねえ。また突っ込んでくる可能性もある。
……クソッ! 逃げてたんじゃねェのかよ!? 何の恨みがあって、わざわざ襲ってくんだ! 草食動物だろうが、お前はッ!」
キャラバはコートの奥に手を伸ばし、愛用の得物である警棒じみた魔導杖を取り出した。魔術を撃つ気はない――キャラバの『噴火』魔術では、蓄光機ごと吹っ飛ばしてしまいかねない――が、この魔導杖はサイズといい重さといい鈍器としても有用だ。
杖を腰のあたりで構え、キャラバは足をじりじりと後ろへ運び……
「!?」
その体が突如独楽のように回り、右手の魔導杖が半円の軌道を描いて宙を撃った。と、空中で何かが杖に衝突し、叩き落される。「何か」は敷石の上に落ちると、ピシャッという軽い音を立てて跡形もなく飛び散った。
「こりゃあ……水か!」
キャラバは息を呑んだ。どこからともなく彼を目掛けて飛んできたのは、水の塊だった。気配に気づいて杖ではたき落していなかったら、まともに食らっていたところだ。たかが水とはいえあの勢いで腕にでも当たっていたら、骨にヒビくらいは入っていたかもしれない。
「やべェぞ、こりゃ……何か、やべェところに踏み込んじまった!」
異様な気配に身の毛をよだたせつつ、キャラバは叫んだ。魔導杖をいつでも振るえるように構えつつ、首だけはきょろきょろと巡らせて次の一撃がどこから来るかを見定めようとする。と、そこへ――
「Barrrrr!」
喇叭銃の炸裂にも似た鬨の声を上げつつ、ブレードホーンが草むらから飛びかかってきた。首は低く突き出され、ふた振りの刀に似た鋭い角がキャラバの体を貫かんと迫ってくる。キャラバは舌打ちし、相手の低い姿勢に合わせるようにして腰を落とし魔導杖を突き出した。
「この……刺されてたまるかよ!」
キャラバは魔導杖を逆手に握って縦に構え、それをブレードホーンの角の間に押し込んだ。両脇に剣状の角を抱え込み、余った左手で杖の先端を押さえると、魔導杖をつっかえ棒に相手の頭を抑え込んだ状態になる。
「Brrrr……!」
ブレードホーンは鼻息を漏らし、脳天を押さえつける棒杭を払いのけようと首を振った。キャラバも負けじと杖を押し込み、相手の頭を地面に着けようとする。無言の激しい格闘が数秒間続いた。
目線を上げると、右の角の根元に魔導蓄光機が揺れていた。針金がほどけることもなく、変わった果実のようにゆらゆらと吊り下がっている。手を伸ばせさえすれば、届く距離なのだが……。
(あれをちょいともぎ取れさえすりゃ、もうカタのつく話なんだがな……!)
キャラバは歯噛みした。両腕はブレードホーンを押さえつけておくのに精いっぱいだ。余計なことを考えたが最後、一気に押し返されて跳ね飛ばされかねない。
と、突進に耐えるためキャラバが足を踏みかえた時、またしても魔力の蠢く気配が空気を揺らした。辺りを見回す暇もなく敷石の間の溝が光を放ち、次いで敷石の間から水柱が立て続けに上がった。白く噴き上がった水は、魔力の輝きに包まれたまま生き物のようにうねりだし、2,3度弾みをつけた後キャラバに向かって鞭のように翻った。
「な……!?」
「キャラバさんッ!」
ザインが敷石の外から飛び込み、広い両手のひらで敷石を叩く。貫頭衣の裾から除く腕の刺青が青く輝き、魔力の波が水柱目掛けて伝わった。と、水の鞭はたちまち柔軟性を失って小さな水柱へと戻ってゆく。
「こちらから、水を操る魔力を送りました……その場しのぎにしかなりませんが」
「その場しのぎ上等だ! 今の俺の状態こそ、まさにその場しのぎだもんな」
キャラバは苦しい息の下から冗談口を飛ばす。今しも彼は、ブレードホーンの角を捕まえておこうと必死の格闘を続けていた。キャラバの腕に抱え込まれた角を引き抜き、再度突進を加えようと、ブレードホーンはしきりに首をねじって抵抗してくる。キャラバはこめかみに血管を浮かせ、時に相手の動きを利用しつつ巧みに大羚羊を御していたが、流石に体重の差はいかんともしがたかった。
(このシカ野郎、これが狙いだったのか……?)
渾身の力でブレードホーンの首っ玉を押さえつけつつ、キャラバは考えた。
(ここに罠があるってことを知ってて、俺たち2人をいっぺんに始末するために、ここへ誘い込んだってワケか? どんだけ憎いってんだよ、俺たちが……畜生、カモシカに恨まれる覚えはねえんだが!)
「とりあえず、まずは罠だけでも何とかなんねえか! お前も水の魔導士、ここも水の神殿だ。もしかしたら、神殿の罠を解除できるかも知れねえ……ただでさえデカいの相手してるのに、後ろから撃たれたんじゃ話にもならねえ!」
キャラバの訴えにザインは頷いた。加勢に行こうにも、水柱が行く手を塞いでいたのではどうしようもない。貫頭衣を翻し、両腕に黒く渦巻く契約印をあらわにする。
「噴き上がる水、力ある水の神はゲム=ウルピヤゲム。その声走り響くを聞け、涛として命ずるを聞け……!」
両腕の契約印がどくどくと脈打つように光り、地面の底へと光の波が流れ込む。ザインは脂汗を流しながら、古代呪文を低い声で詠唱し魔力を流し続けた。しかし――光の波動は、周囲に広がりかけたところで火花と化して弾けると、そのまま跡形もなく消えてしまった。ザインが苦しげな声を上げる。
「ダメです……! 私の契約印とは、「格」が違う! 同じ「噴き上がる水の神」ですが、この神殿の神の方が幾らか神格が上なんです!
多少抑え込むことは出来ても、こちらから命令することは……出来そうにありません!」
ザインが今しがた使った契約印は、噴水や間欠泉など「噴き上がる水」を司どる神ゲム=ウルピヤゲムのものである。精霊や地霊と呼ばれる低級神よりは神格が高いものの、比較的新しい神でもあり、そこまで強力な魔力を持つ契約印ではない。
キャラバはブレードホーンの角を受け止めたまま、振り向きもせずに叫び返した。
「もう、いい! ザイン、走れェーッ! 広場の外までッ!」
キャラバが叫んだ。と同時に、ブレードホーンの頭を抑え込んでいる魔導杖が、赤い光に脈打ちはじめた。先端部分には血のように赤い光の球が灯り、徐々に大きくなっていっている。
『噴火』の魔術の前兆だ。ザインは思わず跳ねるように腰を浮かせた。
「正気ですか、キャラバさん! そんな所で魔術を撃ったら、あなたも無事では……!」
「いいから下がってろろッ! 俺なら大丈夫だ!」
キャラバは叫び返した。と同時に、広場の外縁部で白い噴水が立て続けに上がって彼の姿を覆い隠す。魔導機構を抑え込んでいたザインが離れたので、再び罠が作動し始めたのだ。
前には怒り狂うブレードホーン、後ろからは水柱――八方塞がりである。
それでも――懸命に後ろ脚を蹴って首を引き抜こうとするブレードホーンを腕でしっかりと押さえつけつつ、汗みずくの顔でキャラバは笑った。物凄さすら感じさせる笑みだった。口も利けぬ獣であるはずのブレードホーンすら、その貌を見て、ほんの一瞬だけ後ろ脚を止めた。
「さァて、覚悟しろよ。ちょいと派手なことやらかすぜ……ッと!」
気合一閃、キャラバは逆手に握った魔導杖の先から深紅の光をほとばしらせた。
膨大な魔力が地面に向けて飛び、敷石を容易く砕き貫いて地下へと至る。と、次の瞬間、黄金色に輝く火花が間欠泉のごとく噴き出し、キャラバとブレードホーン両者の体をどうと弾き飛ばした。
「……!!」
「ぐおッ……!」
両者の悲鳴が入り混じり、間欠泉の音と不協和音を奏でる。と、その間欠泉が不意に勢いを弱め、白く屹立していた水柱が幻のように崩れ始めた。見ると、敷石に描かれていた魔力の紋様も途切れ、薄まり、消えかけている。
キャラバの魔術が敷石と地殻を破り、奥の魔導機構にまで到達したためだ。先ほど噴き出した火花は、炎の魔力と水の魔力が衝突して起きた反発力の光だった。キャラバの持つ膨大な噴火の魔力と、神殿の魔導機械を動かす自然の魔力が正面衝突したのだから、その反発作用たるや推して知るべしである。
ブレードホーンは一瞬早く脚の噴射力で宙に逃げ、ほんの少し体勢を崩しながらも広場の向こう側に着地した。キャラバはと言えば、さながら本物の噴火によって飛ばされる火山弾のごとく、美しい放物線を描いて宙に飛んだ。




