第28話 穴倉の中の穴倉
動けないディンゴの首っ玉を引きずってユノーが隠れるのと、ブレードホーンが新たな岩を掘り起こしたのはほぼ同時だった。今度の岩は、先ほどのものよりもふた回りは大きい。アラムは歯を食いしばり、右腕に力を込めた。
手袋を外したアラムの右腕は、土を固めて作った義手だ。アラムが精神を集中させると、義手の内部に仕込まれた魔導杖が土に魔力を巡らせ、その形状を変化させ硬化させてゆく。たちまち義手は、黒曜石色の丸盾に早変わりした。
大岩が、斜面で2,3度弾みながら一行の頭上に迫る。アラムは盾と化した右腕を差し上げ、左腕を支えに重ねた。膝を緩く曲げた姿勢で身構えると、岩の軌道を読める距離まで待ち構えてから、落ちてくる岩をやや斜めに受け止める。盾の曲面が衝撃を逸らし、ぐっと沈めた膝で重さを殺して、身をかわしながら大岩を受け流して脇に落とす。
ふうッと大きな息をつき、首を振って前髪を払いのけると、アラムはほんの少し口元を緩めた。
「やれやれ、ちょっと重たかったけど、まあクレイジースミスの八本脚に比べたらなんてことないやね。
さあ、ディンゴを担いでとっとと逃げ出そう。ブレードホーンを捕まえるどころじゃない。この位置関係はマズいよ。いくら20万ゾルとはいえ、命には代えられな……」
そこまで言いかけたところで、アラムはふと顔をしかめ、口を閉じた。
「今、何か音がしなかったかね?」
「音?」
ユノーが籠手にシリンダーを再装填しながら辺りを見回す。何も変わった様子はない……いや、ディンゴの様子がおかしい。斜面にもたれかかったまま痺れた腕を振り回し、必死に何かを伝えようとしている。
「はな……離れろ! 崩れる!」
呂律の怪しい舌で、ディンゴがやっとそれだけ叫んだその時、叫び声を凄まじい地鳴りが上書きした。うろたえたアラムは、とにかくディンゴを助け起こして逃げ出そうと走りだしかけた。が、足を一歩踏み出すこともかなわなかった。
次の瞬間、大地が砕けた。
* * *
やや離れた場所から、キャラバとザインは先行したアラムたちを追って走っていた。
「だァいぶ離されちまった……あのカモシカ、めちゃくちゃな距離跳びやがるんだもんなあ。
クソッ、何だか俺たち、今日は走ってばっかいる気がするぜ。マラソン・チームじゃねえってんだよ!」
キャラバの愚痴にザインは慎ましく頷き――元はと言えばかなりの部分がキャラバのせいではないか、と考えるには、彼は優しすぎるのだ――太い指で行く手を指し示した。
「しかし、ユノーたちはブレードホーンに追いついたようですよ。ほら、あの丘のところ。白いのはユノーの麻酔煙でしょう」
「おォ、やってるな、あいつ」
キャラバは手のひらを額にかざして目を細めた。ユノーの煙に巻かれて、丘の上に立つブレードホーンが白くかすんで見える。当のユノーらの姿は、白い煙に包まれてほとんど見えない。
と、丘の縁に佇むブレードホーンが角を突き立て、大きな岩を下に向かって転がした。岩は斜面を2,3度跳ねながら落ち、下で何かに当たってさらに弾んだ後、地響きを立てて地面に落ちた――と、次の瞬間、石積みの壁が砕けて崩れ落ちるかのような大音響が地の底から響いてきた。
キャラバとザインは思わずその場に立ちすくんだ。見ると、大岩が落ちたあたりにもうもうと砂埃が舞い上がっている。ユノーの煙すら吹き飛ばすほどの量だ。埃のカーテンを透かして目を凝らすと、丘のふもと一帯の地面がそっくり陥没し、深い穴がぽっかりと開いているのが見えた。
「……どうなってんだ、こりゃ?」
「……どうなってんでしょうね」
キャラバとザインはしばしの間、呆けたようにお互いの顔と突如空いた大穴とを見比べていた。
「……何にしても、こりゃ、もしかしてえらいことなんじゃねえのか?」
キャラバがぽつりと言うと、ザインも頷く。
「えらいことですね。先ほどまで、ユノーたちはあそこに居たわけで……」
「つまり……えらいこった!! ボーッとしてる場合じゃねえッ! 急げ!」
キャラバは跳びあがるようにして再び走りだした。ザインも貫頭衣を翻して後に続く。
* * *
一方、穴の底では……。
最初に起き上がったのはディンゴだった。肘をついて体を起こし、そのまま立ち上がろうとしてがくりと膝から崩れ落ちる。四肢がゼリーにでもなったようだ。未だ麻酔の効果が残っているらしい。
仕方なくディンゴは、肘で体を支えながら身をよじり、体に覆いかぶさった瓦礫や草の葉の欠片を振り払った。陥没によって下の空間に閉じ込められていた空気が噴き出したため、雪と見まごうばかりの量の土埃が宙へ巻きあげられたのだ。
「おい……大丈夫か、みんな? 生きてるか?」
うまく回らぬ舌を動かし、ディンゴはやっとの思いで言葉を作った。と、近くに積もっていた埃の山が揺れ、中から黒い腕がにゅっと突き出す。
「そう心細げな声を出さなくったって、生きてるよ。大丈夫だ。たらふく塵は食ったがね」
言いながら、真っ白く染め上げられた黒髪をなびかせて埃の中から出てきたのはアラムだ。その辺の塵をかき分けて銀縁眼鏡を掘り当てると、塵を軽く吹き飛ばしてからヒョイと鼻の上に乗せる。
「別に、心細かァねえっつの」
ディンゴはそっぽを向き、唾を吐いた。口じゅうが採石場にでもなったかのような具合だ。彼の赤い巻き毛にも、砂埃がごっそりと積もっている。顔を仰向けて砂を後ろへ落とすと、その拍子に今しがた落ちてきた穴が見えた。
先ほどまでの地面――今になっては「天井」に空いた大穴は、一般家屋の天井よりもやや高いくらいのところにあった。差し込んでくる太陽苔の明るい光がかえって虚しい。周囲には足掛かりになりそうなものもなく、素手で登っていくのはちょっと無理そうだ。
そのうちディンゴは、ふと自分の体を見下ろした。
「それにしても、結構な高さから落ちたのに、意外と怪我してないな、俺ら」
「何言ってんの……クッションの上に落ちたら、そりゃそうでしょうよ」
アラムは言い、洞窟の隅を顎で示した。ディンゴとは反対側の壁にもたれるようにして、ユノーが腕を組んで座っていた。眼は閉じているが、眠ってはいないようだ。眉が固くしかめられている。
「ああ、そうか……空気のクッションか。また助けられちまったな」
やや遠慮がちにディンゴが礼の言葉を投げるも、ユノーはむっつりと口をつぐんだままだった。流石にアラムが見とがめて、たしなめるような口調で言う。
「おいおい、何が気に喰わなくってご機嫌斜めなのかは知らないけどさ。人から声を掛けられたんだ、返事くらいはしなさいよ」
「……別に、機嫌が悪いんじゃないわよ。立て続けに魔術を使って、ちょっとくたびれただけ」
口ではそう言うものの、ユノーの表情は固かった。アラムは苦笑いを漏らし、ディンゴに向かって軽く頭を下げた。
「すまないね、うちのお姫さまときたら、妙なとこでヘソ曲げて……悪気じゃないとは思うんだが」
「どうってこたねえよ。どうせ、ガキのやることだ」
言葉にほんの少し悪意を込めつつ、ディンゴは応えた。
「ただ、解毒の方は早いとこしてもらいたいんだよな。まだ体に力が入らねえ。それに、早いとここんな埃っぽいとこ抜け出したいし。
大体何なんだ、この穴ぼこは?」
ぼやきながらディンゴは壁面に手を這わせた。土砂や木の根に浸食されてはいるものの、その壁は大きな岩を積み上げて人為的に作られたものらしかった。積石の角は取れ、所々に崩れた箇所もある。
「地下に作られた、遺跡の一部だな」
アラムが人差し指を顎に当てながら答える。
「太陽苔のせいで森が出来ちまったとは言え、ここらだって元々は神殿だったんだ。一階層低く作ってあるところを見ると、墓所か、あるいは魔導機械のためのスペースか……いずれにしろ、この壁を見る限りじゃ天井も相当痛んでたことは間違いない。そこへ私らが載ったうえ、大岩まで転げ落ちてきたんで、とうとう耐えられずに崩落した、ってとこだろう」
「……あいつ、そこまで計算してたのかな?」
ディンゴは天井の大穴を見上げて呟いた。アラムも彼に倣って上を向き、フームと低く唸る。
「まさか、と言いたいところだが……考えてみると、ブレードホーンの行動は妙だったね。自棄に遠くから丘の上へ跳びあがったり、私たちが近寄っても逃げていかなかったり。私たちを丘のふもとへ誘い込むためだったとしたら、確かにしっくり来るな」
「……シカに知恵比べで負けてちゃ、世話ねえよな。まったく」
ディンゴはぐったりと両腕を広げて天を仰いだ。と、ちょうど真上に見える大穴のふちに、逆光で黒く染まった2つの影がヒョイと現れた。
「おォ、こりゃまた深ぇな……おーい、大丈夫か?」
8割がた心配そうな、しかし2割くらいは面白がっているような声が、上から降ってきた。キャラバだ。
「こっちは大丈夫だ、リオ!」
アラムが、手袋を嵌めなおした右手を振って応える。
「床が抜けて、遺跡の地下に落っこっちまった……あのブレードホーンのせいだ。怪我はない、けど、すぐには上がれそうもない」
「参ったな……追っかけるのに邪魔だったから、荷物はあらかたディンゴの洞穴へ置いて来ちまった。あん中にはロープもあったんだが……」
キャラバは思案顔で、紙人形劇の人形のように穴のふちを行ったり来たりしている。ザインは巨体を縮こまらせてその姿を見守っていた。ヘタに動けば、体重でさらなる崩落が起こるかもしれないと案じているのだろう。アラムはじりじりとした様子で叫んだ。
「こっちはいいから、早くブレードホーンを追ってくれ! もう森へ逃げ込んじまったはずだ! 森の中で見失うのだけは最悪にマズい! 痕跡が残ってる今なら、まだ追いつけるかもしれないんだ!
20万ゾルだぞ、20万ゾル! 分かってるだろうね!!」
切実な叫びに、キャラバとザインは尻を叩かれるようにして立ち上がった。
「そ、そうだったな……じゃ、行かせてもらうぜ。安心しとけ、絶対に捕まえてみせるからよ」
「どうかお気をつけて、アラムさん」
キャラバとザインは別れの言葉を残し、穴の向こうへと消えた。足音も遠ざかってゆき、後にはぽっかりと口を開けた大穴と、そこから降り注ぐ太陽苔の光だけが残る。
「こっちはいいから、ったって、実際どうやって抜け出すつもりだよ?」
辛辣に言うディンゴに、アラムは首を傾げて肩をすくめた。
「さあね……とりあえず言ってみたものの、特に策があるわけじゃないんだ。落ちてきた穴まで登るにはちょっと高さがあるしね。まあ、この状態でいたところで差し迫った危険は無いし、何とか脱出できたところでブレードホーンには追いつけそうもないんだから、追跡はリオに任せてじっくり脱出の手立てを考えましょ。
差し当たってはユノー、ディンゴに解毒剤を処方してやってくれ。歩けないとこれから困ることになるはずだ」
「歩く……また?」
ユノーは思わず目を見開き聞き返した。アラムは申し訳なさそうに笑う。
「ここは遺跡の一部だって、さっき言ったろ。私たちは天井をぶち破って、いわば非公式なやり方で入ってきた。ということは、どこかしらに「公式な」入り口もあるはずなんだ。差し当たっては、この穴倉の中をさまよい歩いてそいつを探してみるとするさ。
さ、立った立った! 休憩時間はおしまい、行動開始だ!」
* * *
「森ン中へ姿を隠された時はどうなることかと思ったが……あれだけのデカブツだ、煙みてえにドロンと消えるというわけには行かなかったな」
キャラバは指を前に突き出しながら、後ろから着いてくるザインに潜めた声で言った。指の示す先には、キャラバの肩の高さあたりでへし折られた灌木の枝がある。よくよく周りを見てみると、色鮮やかに踏みしだかれた下草や掘り返された枯れ葉の山などが点々と奥へ続いている。ブレードホーンが通過した跡だ。
「向こうも森の中では全力疾走できないでしょうし、こちらを撒いたと思って油断している可能性もあります。このまま気づかれないように追っていきましょう」
ザインの言葉に、キャラバは頷きながらもふと考え込んだ。
「しかし……敵ながらあっぱれなヤツだ。遺跡を落とし穴代わりに使うとはな」
「スキッパーという種族は、おしなべて温和で知能も高いですからね。深層ではああいったスキッパーのたぐいを、岩場を越えて荷を運ぶ家畜として飼いならすこともあるそうです」
「飼いならす……?」
キャラバはがばりと顔を上げ、目を異様に光らせた。
「ブレードホーンをか?」
「さあ、それは何とも……家畜にするスキッパーというのはもう少し小さい種類のものですし、少なくとも私の居た村では、ブレードホーンを飼ったという例は聞いたことがありませんね。
しかし、どうして?」
「いや……ただちょっと、聞いてみただけの事さ」
キャラバはそう言って話を打ち切った。しかしその唇には、明らかに楽しげな笑みが浮かんでいた。またお決まりの、行き当たりばったりの気まぐれですか――などと辛辣な言葉を吐くには、ザインはあまりに善良すぎ、また真面目すぎた。




