第26話 跳ね屋、跳ぶ
一行は登り、登り、そして登った。手すりもなく、年月に晒されて所々崩れかけているような螺旋階段を、魔導灯の光を頼りに駆け上がっていく。ディンゴはちらりと横に目をやり、身震いした。
「これ、何かの拍子にスッ転んで転げ落ちでもしたら、もうアウトだよな」
「余計なこと言わないでくれるかね。意識しないようにしてたのに」
アラムが息を弾ませながら顔をしかめる。
「下手にためらったり焦ったりせず、一定のペースで足を動かすよう心がけてください」
しんがりについたザインが、早くも顎の上がっているユノーの背を押しながら言う。
「よほどひどく転ばない限り穴の底へ真っ逆さまということはありませんし、段を踏み外したくらいならば私が後ろで受け止めますから」
「そんなに心配すんなって、もうじきだ!」
1周半ほど上からキャラバが叫ぶ。見ると、ずいぶん近くなった天井の下に、ポーチ状に膨らんだ段がある。螺旋階段はそこで終わっていた。よく見ればポーチの上の壁だけ、うっすらと明かりが差しているようにも見える。どこからか外の明かりが漏れているのだ。
ほどなくして、キャラバの足がそのポーチの敷石を踏んだ。額から汗の球を落とし、馬のように息をつきつつ、キャラバはポーチに上がって肩から壁に体当たりした。
「クソッ、着いたぞこの野郎ッ! 奴はどうだ……もう来てるか!?」
キャラバの体が当たると、壁はみしりと音を立て、そのままゆっくりと奥へ倒れて、地響きとともに横たわった。その部分だけ、岩戸のようになっていたのだ――このように倒して開けるのが正しいやり方かどうかは定かでないが。
もうもうと舞い上がった砂埃の向こうには、目に痛いほどに降り注ぐ「陽光」を浴びて緑の葉がそよいでいた。光の源は天井、岩の間にびっしりと生い茂る太陽苔だ。
「うッ、ひでえ埃だな……何したんだよ? 壁をぶち抜きでもしたのか?」
追いついたディンゴも、開いた出口の向こうに広がる光景に目を見張った。
「驚いた……こんな所もあるんだな。外界に戻ったのかと思っちまったぜ」
ディンゴが唖然とするのも無理はなかった。出口の外はちょっとした広場になっており、膝ほどの丈の雑草が一面に生い茂っていた。太陽苔の光は外界で言えば初夏の昼下がりくらい、汗ばむほどの陽気だ。四方を囲む古びた岩壁さえなければ、螺旋階段をうっかり外界まで登りつめてしまったのかと勘違いしかねない。
ディンゴは倒れた扉を踏み、そろそろと草原の上に降り立った。振り返ると、出口は草原の中にまるで塚か何かのようにポッコリと頭を突き出していた。塚それ自体にも短い草がびっしりと生えている。足元の草原は緩やかな坂になっており、坂の登っていく先に目をやると、草地は波打ちながらやがて小高い丘となり、さらに先には鬱蒼とした森が広がっていた。
「……とんでもねえな。一応ここ、地の底だよな?」
「新鮮なことを言ってくれるね。ずっと大竪穴で暮らしてきて、ここで不便もないもんだから、私らはここが穴倉の底だなンて忘れてるんだよね、普段は」
追いついてきたアラムが、左の拳で額の汗をぬぐいながら出てくる。更にその後ろから、ザインの巨体が身を屈めて扉をくぐってきた――その厚い肩には、ユノーがちゃっかりと腰を下ろしている。アラムが振り返り、眉をひそめた。
「ズルは感心しないね、ユノー。みんな汗水たらして必死に階段登ってきたっていうのに……ザイン、キミもあんまりユノーを甘やかさないように」
「すみません、段の途中で座り込んでしまったものですから」
殊勝に頭を下げるザインをよそに、当のユノーはしゃあしゃあとしたものだった。
「だって、どうせこっちの方が速いじゃない。キャラバに付き合ったって、くたびれ果てるだけよ」
「やっぱ、ガキだな」
ぼそりとディンゴが呟いたのを聞き逃さず、ユノーはザインの肩の上からディンゴをきッと睨みつけた。
「何だよ、何か文句あんのか?」
「……」
睨み返したディンゴに、ユノーは小声で何か言い返した。あまりに小さく、肩を貸しているザインさえ聞き取れないような声だ。ディンゴは顔をしかめ、ユノーの方へ2,3歩歩み寄る。
「聞こえねェよ。もっとはっきり……あ痛てッ!」
近づいてきたディンゴの肩を、ユノーのブーツが踏みつけた。差し出された方を足場代わりに死、ユノーはザインから飛び降りると、軽やかに草の上へ着地した。
「降りたいから踏み台が欲しい、って言ったの。ありがと」
「てめェ……ッ! さっきっから何だよ! 俺にばっかり突っかかってきやがって!」
流石に声を荒らげるディンゴの肩を、アラムが後ろから掴んで止める。
「キミまで子供じみた喧嘩を買うんじゃないよ、少年。腹立てるのも分かるが、今はそれより蓄光機だ。何しろ20万ゾルがかかってるんだからな。
先に出てったウチの御大将はどうした? どこ行ったんだ?」
言われてディンゴもはたと我に返り、周囲を見回す。
「そういや、一目散に走ってったとこまでは見てたんだが……その後どこ行ったんだろうな、あのオッサン」
草原を見渡すと、キャラバの大きな影は坂をずっと下った壁際に屈んでいた。のそのそと動き回り、地面の上を調べている様子だ。
草原を取り囲む壁は、森に向かって扇状に広がっている。キャラバが居るのはその反対側、扇の要に当たる部分だった。草地への入り口だ。
「……いよォし!」
うずくまっていたキャラバが不意に立ち上がり、拳を勢いよく突き上げる。
「足跡も魔術の痕跡もねえ……ブレードホーンは、まだ着いてねえ! 勝ったッ!」
「あーハイハイ、おめっとさん」
アラムが白けた顔で手を叩きながら、キャラバに歩み寄っていく。
「意味もなく達成感に浸ってるとこ悪いんだけどさ、状況は変わってないからね? 分かってると思うけど。
森へ逃げ込まれる前に先回りするっていう所まではクリアしたけどさ、まだこっから蓄光機を取り返すって仕事が残ってるんだから」
「分かってらァ。これからその準備すンだろうが」
キャラバは渋い顔で腕を降ろすと、出口付近に残っているユノーに向かって叫んだ。
「ユノー、麻酔の準備しとけ! まずヤツの脚を止めなけりゃ、絡まった蓄光機は外せそうもねえ」
「了解……けど、ちょっと難しそう。素早く動くし、何より風の魔術を使うでしょ、アイツ」
ユノーは思案の体で背嚢を開け、籠手を取り出した。ユノーは籠手の機構を使って薬香を調合・発煙させ、風の魔術で相手にぶつけることで投与する。この際、相手が自分より強大な魔術を使ってくると、風魔術が破られて成分が相手まで届かないのである。さらに強い風の魔術となれば、せっかく発生させた煙そのものを吹き散らされてしまう。
と、ユノーがまだ籠手をガチャガチャやっているうちに、「扇の要」へと続くスロープから足音が聞こえてきた。硬い蹄の音に混じり、断続的に響いてくる風の音。間違いない。
「そら、おいでなすったぜ……ユノー、準備しとけ。警戒されないように草の陰に隠れて、誘い込んでから麻酔をかけるんだ」
キャラバは押し殺した声と身振りで、伏せて隠れるよう一行に命じると、自分も先んじて丈の高い草むらに身を隠した。ユノーらもそれに倣う。体の大きすぎるザインだけは、先ほど出てきた塚の中へ入り姿を隠した。
息をひそめて窺っていると、ほどなくしてブレードホーンがスロープを曲がり姿を現した。大小の岩に覆われた坂道を苦にもせず、踊るように跳ね飛んで駆けてくるさまはまさに“跳ね屋”だ。片刃剣型をした2本の角のうち右側に、金色の蓄光機が針金でぶら下がって揺れていた。そのままブレードホーンは扇の要を越え、草原に駆け入ってくる――と、思われた。
しかし、草原に入った途端ブレードホーンはぴくりと足を止め、長い首を左右に揺らして辺りを窺いだした。空中に鼻面をさまよわせ、匂いを嗅いでいるようなそぶりだ。
(気づかれたか……? 思ったより鼻が利くのか、あいつ)
キャラバは草むらの陰から息を殺してブレードホーンの行く手を見守った。
(草原に入ってから駆けだすようなら、やむを得ねえ。全員で飛びかかってでも押さえつけるか……)
キャラバがそう算段をつけ、合図をしようと腕を上げかけた、次の瞬間だった。
軽い嘶きを漏らしたのち、ブレードホーンは、跳んだ。
四本の脚を揃え、蹄で強く大地を打つ。同時に蹄の付け根の膨らみがほの白く輝き、足元で風の爆発を起こす。ディンゴの住処で見せた時より、はるかに大きな跳躍だ。
しかし、キャラバたちが真に瞠目したのはその後だった。四本脚を伸ばした美しい跳躍姿勢のまま宙に飛んだブレードホーンは、放物線軌道の頂点で再び体を弓なりに曲げたかと思うと、後脚で虚空を強く蹴りつけたのである。たちまち、蹴った蹄の先で幾度か火花が炸裂したかと思うと、ブレードホーンの体はさらに弾かれたように加速した。
「おい、今あいつ、空飛ばなかったか!?」
頭のはるか上を越えて跳んでゆくブレードホ-ンを見上げながら、ディンゴが思わず声を上げる。
「空中で、自分の放った「風」を蹴ったんだ……! 放出した空気に蓄積された残留魔力に、新たに放出した風の魔力をぶつけて魔力の反発作用を産み、反動を利用して空中で加速した!」
アラムは叫び返しながら、既にブレードホーンを追って走り始めていた。
「驚いてばかりもいられないぞ、少年! 奴め、こっちに気づいた! 逃げられるッ!」
アラムの一声で、呆けたようになっていた全員が我に返った。ディンゴにユノー、塚の中から出てきたザインもアラムの後に続く。扇の要に一番近づいていたキャラバは一番のしんがりだ。
「追っかけっこしたところで、勝てる相手じゃない……とにかく、奴の脚を止めにゃ!」
アラムは叫び、腰のホルスターから銃を抜いた。魔導信号弾だ。並び走るディンゴが目を見開く。
「おい、何も狙い撃つこたねえだろ!? まさか殺しちまうつもりじゃ……」
「信号弾で魔物が殺せるかね! 話しかけないでくれ、狙いがブレる」
アラムは苛立たしげに相手の言葉を遮ると、走りながら銃を肩の高さに構えて片目をつぶり、おもむろに引き金を引いた。
魔力の封じられた信号弾は泣き声のような風切り音を引いて飛び、着地したブレードホーンの足元に着弾した。炸裂音と共に強い閃光が弾け、一拍遅れてけたたましいスパークの音が辺りに響き渡った。ブレードホーンは突如足を取られたようによろけ、巨体を右に大きく傾げた。
これも、魔力の反発作用である。蹄に残っていた風の魔力と、地面の上で弾けた信号弾の魔力が反発しあい、ブレードホーンの蹄を土の上から弾き飛ばしたのである。
「流石に重すぎて、ひっくり返せはしないか……だが、足は止まった! 急げ!」




