第六章 二人の距離(2)
龍時が目を覚ましたのは病院内の一室だった。周りはカーテンで囲まれているが、外からの光で明るくなっている。
龍時は自分がこの場にいる理由を、その瞬間は理解出来なかった。しかし、すぐさま龍時は記憶を取り戻して発狂しそうになる。
周囲を見渡してみても夏泉の姿はない。龍時はとにかく夏泉のことが気になり、寝ていたベッドから急いで立ち上がった。
「ちょっと何されているんですか!?」
龍時が部屋を出ようとしたその時、龍時は声をかけられる。相手は看護師だった。
「いや、連れを探しているのですが……」
龍時は看護師に嘘をつくつもりなどなかったが、真実を恐れて結果的に嘘をつく。
「……とにかく部屋に戻りましょう?身体の調子をまず見てみましょうか」
看護師はわざとらしい笑顔で、龍時に優しく話しかける。その言葉を聞いた龍時は、静かに看護師に従うことにした。そして同時に、龍時は全ての希望を捨てなければならなかった。
龍時が正式に夏泉の死を伝えられたのは、病院内でのことだった。ただ、夏泉が死んでしまったことは、誰よりも龍時が一番知っていた。
警察官が龍時の了承を得てから現場の写真を見せ、龍時に当時の状況を尋ねてくる。龍時はそれに対して淡々と事実を述べた。しかしそんな外面とは裏腹に、夏泉が死んだという証拠を見せつけられて、龍時の胸は苦しくなっていった。
ひったくり犯は店員が取り押さえ、トラックを運転していた運転手もその場で逮捕された。しかし、龍時にとってそんなことはもはやどうでもよかった。
夏泉が突然居なくなった事実は、龍時を極限まで苦しめたのだ。
夏泉の通夜と葬式は流れるように過ぎていった。龍時がどんな様子であれ、時間は勝手に進んでいく。
龍時は始め、自分が夏泉と顔を合わせて良いものか判断がつかなかった。眞銀が言葉をかけるまで、足を動かせずにいたほどである。
最終的に、龍時は眞銀に連れられて夏泉の通夜と葬式に参列した。ただ、龍時は無意識の内に、夏泉との別れを勝手に済ませようとしていた。気が付いた時には、龍時は夏泉に対して何も言うことなくその日を終えていたのだ。
龍時が覚えていたことは、その日が大雪であったことと、遺影の夏泉がとても綺麗であったことだけであった。
通夜と葬式が終わり、夏泉の死から蚊帳の外の存在となった龍時は、またいつも通りの生活を送ることになった。勿論のことながら、夏泉が龍時のそばにいた時がいつも通りだったのではない。夏泉と出会う前の生活に戻る。
変化があるとすれば、それは眞銀の龍時に対する態度だった。龍時のことを気にしているからなのか、眞銀は龍時に接触してこなくなったのだ。これで、龍時は本当に一人で生きていくことになった。
ただ、龍時はそれでも仕方がないと思って、気力を失ったまま生活を送った。死んでしまった夏泉や置いていかれた夏泉の家族は、龍時以上に苦しい思いをしているはずである。そんな中で、自分がのうのうと生きていることを、龍時は腹立たしく思ってしまう。
夏泉が生きていた中で最後に取り組んでいたことは、龍時に感情の重要さを理解させ、龍時に感情を理解させることだった。しかし、夏泉のその取り組みが中途半端に終わった今、龍時は感情をコントロールすることが出来なくなっていた。
龍時の目はふとした拍子に夏泉を探し、それが無意味なことだと気付くと自分に対して怒りを募らせる。ついには、夏泉がこの世を去ったという事実が、自分に新しい感情を理解させたのではないかとさえ考えるようになっていた。ただ、そんなことを考える理由が、夏泉の死から逃げるためであることは間違いなく、龍時は何度も唇を噛み切った。
龍時にとって、夏泉は親と同等に大切な存在だった。その事実が龍時を苦しめ、後悔させていた。
夏泉が死んでから二週間が経った頃、龍時はやっと正常な思考が出来るようになった。そうして、龍時は自分がやり忘れていたことに気付く。夏泉の両親に会って謝罪することである。
夏泉の死に対して、世間ではひったくり犯を追及する声が多く聞かれる。しかし、龍時は夏泉の死が自分の責任だと認識しており、どうしても謝罪は必要不可欠だと考えていた。
また、龍時の部屋には、生前の夏泉が置いていった数多くの私物がある。これは夏泉の家族にとって金銭よりも価値のあるもので、どうしても渡しておく必要があった。
そしてまたもう一つ、龍時はどうしても渡しておきたいものがある。龍時はそれらを踏まえて、夏泉の家族と連絡を取る方法を探した。
そんなある日、龍時の携帯電話に知らない番号から電話がかかってきた。
夏泉が居なくなってから、龍時に電話をかけてかるような人間はいなくなっている。龍時はその前提のもとで注意深く電話に出た。
「……もしもし」
「おはようございます。明石さんの携帯で間違いないでしょうか?」
女性の声が電話の向こう側から聞こえてくる。龍時はそれが誰なのか知らなかったが、相手が龍時を知っていたことから話を聞くことにした。
「そうですが……」
「私は神戸夏泉の母で、神戸摩耶といいます……」
信じられないほど明るい声が響く。ただ、龍時は相手の名前を聞いて息が止まりそうになった。夏泉の母親から連絡が来るなど、全く思ってもいなかったのだ。
龍時は一体どのように返答をすれば良いのか分からず、一人冷や汗をかく。
「夏泉の携帯に番号が入っていたので、電話をかけさせてもらいました。迷惑されたと思います。申し訳ありません」
「そんなこと……!」
龍時は抑えきれずにやや声を大きくする。龍時は、夏泉の母親である摩耶に謝らなければならないと思っていた身である。龍時は自分の行動が遅れたことを悔やんだ。
「電話させていただいた理由なのですが、私は明石さんに会って、夏泉のことで話がしたいと思っております。迷惑でなければ会っていただけないでしょうか?」
「勿論構いません。日時も自由に指定して下さい」
龍時はせめて自分が下手に出なければならないと思い、急いでそう告げる。すると、摩耶は龍時の言葉を聞いて、日時と場所の指定を行った。
「……それでは明日お待ちしております」
「はい……」
龍時は電話を終えると、携帯をそっと机の上に置く。それと同時に、龍時は力の限り部屋の柱に拳をぶつけた。それによって部屋全体が揺れる。
龍時は完全に行動を間違え、夏泉だけでなくその母親である摩耶にまで迷惑をかけていた。それに気がついた龍時は、自分が本当に無能で馬鹿な存在であることを自覚し苛立った。
「……龍時、部屋が揺れたのだけど何かあったのかい?」
龍時が興奮で落ち着きをなくしていた時、眞銀が玄関から顔をのぞかせる。先程のことで、眞銀の部屋も揺れたようだった。
「いや、何でもない……」
龍時は自分の感情の揺れを悟られないように、適当に返事をする。ただ、眞銀はそんな龍時の態度を見て声を荒げた。
「何が何でもないだ!部屋が揺れたと思ってきてみたら、手から血を出してその有様じゃないか!」
眞銀は怒って龍時を叱責する。しかし、龍時は眞銀の言葉を気にすることなく、床をぼんやりと眺めながら言葉を返した。
「すまない……大丈夫だから一人にしてくれ」
「あのね。確かに辛いとは思うが、あれから大学にもあまり顔を出していないらしいじゃないか。そろそろ立ち直らなければ……」
「眞銀」
龍時は冷たく言い放つ。眞銀は龍時のことを心配して口を挟んでいる。そんなことは龍時も分かっている。しかし、それを素直に受け入れられるほど、龍時の感情は穏やかではなかった。
「……困った時は何でも言ってほしい。腐っても龍時は私の友人だ」
「ありがとう」
眞銀は観念したようで、龍時にそう告げると退散していく。龍時は眞銀が居なくなると、力なく椅子に座りこんだ。そして今度は天井を見つめる。
龍時の頰には涙が伝っていた。




