↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/23

第六章 二人の距離(1)

季節は流れていき、世間は冬を迎えていた。今年の冬は例年より寒くなるという予報通り、十二月の終わりを迎えた龍時の住む街は、大量の雪に支配されていた。


ただ、大雪が降ろうが龍時の生活に変化はなく、再び暖房器具を使うことのできない極寒の生活が始まるだけだった。ただそれも、龍時が計画して行っていることである。


「やっぱりこの部屋寒いって。そろそろ私の家に来たらどう?」


夏泉はダウンの上から毛布を羽織り、身を縮こまらせている。龍時はそんな極寒の部屋の中でパソコンに向かっていた。そのパソコンにはヒーターが向けられており、人間よりも好環境である。


「……それはもう少ししたらだ。何というか申し訳ない」


龍時はそう言って夏泉の提案を退ける。今はまだその時期ではないと龍時は思っていたのだ。


「別に変な考えとかなくて、純粋にこんな部屋にいたら身体を壊すと思って……」


夏泉は龍時のことを心配してそう口にする。しかし、龍時にとってこの部屋は最も安心できる場所で、中々それは出来そうになかった。


「挨拶は絶対行くから」


「そのことは分かったって。……それで?今は何してるの?今日が何の日か分かってる?」


「分かっているから急いでるんだ」


今は十二月二十五日の朝九時半。龍時は今朝の四時半からずっとパソコンに向かっていたが、作業はまだ終わっていなかった。


「分かる気もするけどね。パソコンもこんな劣悪な環境で働かされたら嫌にもなるわ」


「こいつにだけ暖房を使ってやってるのに酷いことだ」


龍時は今、提出が今日までの課題に追われていた。パソコンが龍時に歯向かい、データを全て失くしてしまったのだ。


龍時は今日が特別な日であることを認識していたため、一度は提出を諦めようとした。しかし、夏泉がそれを許さなかったため、龍時は作業に追われていた。


「復元ソフトとか使えばよかったのに」


「それは何度も聞いた!もうすぐで終わるから」


同じ内容のものを二度作っていると、ある程度内容を覚えていて、比較的簡単に作成することができる。龍時が作業を終えてプリントアウトしたのは、十時頃のことだった。


「作ってすぐに印刷する手間を惜しまなければね」


「はいはい、なんとでも言え。とにかく今から学校に行って提出しないと」


「忙しいわね。でも外は大雪だよ?」


夏泉は窓の外を示す。大粒の雪が視界を遮りながら降り注いでおり、白銀の世界とはまさにこのことだった。


「どうせ外出の予定だったんだ」


龍時は諦めてそう口にすると、自分も上着を着て準備をする。その後すぐに、二人は傘を持って龍時の部屋を出た。


昨年のクリスマスも同じような天候だった。しかし、その時と比べて龍時の意識はかなり変わっている。


今年は失敗しない。そんな強い思いを原動力に、龍時はこの日を迎えていた。


二人は始め、大学に寄って龍時の用事を済ませる。天候は依然良くなく、地面は雪や氷で滑りやすくなっていた。


「さて、本当に申し訳なかった。俺のせいで面倒なことになって」


「別にいいじゃない。失敗は成功するよりも多くの経験ができる。去年もそうだったよね」


夏泉は気にしていない様子でそう告げる。夏泉が昨年のクリスマスのことを示唆していることは、さすがの龍時でも理解出来た。


「……本当は色々と予定を考えていたんだが、気付いてみればこんな時間だ。少し早いかもしれないが昼飯に行こう」


龍時は腕時計を見て夏泉に伝える。時計は十一時半を示しており、龍時があらかじめ立てておいた予定では、少し早いものの昼食の時間だった。


「いいわよ。今日は龍時が全部予定を立ててくれてるんでしょ?」


「ああ、そうだ」


「ラーメンじゃなかったらなんでもいいわ」


「心得ている」


昨年、龍時は夏泉を激安ラーメン屋に連れていった。ただ、夏泉はその時の記憶があまり好ましくなかったようで、冗談を交えて龍時に伝えた。龍時もその時のことは自分の失態であると認識していて、同じことを繰り返すつもりはなかった。


「あのね……」


しばらく龍時が先導しながら歩いていると、夏泉が唐突に真剣そうな面持ちで声をかけてくる。


「どうした?」


「本当に今日はありがとう。龍時とこんなことが出来て嬉しいわ」


「……そうか」


龍時と夏泉は傘をさしながら道を歩く。龍時しか目的地への道を知らないため、夏泉は龍時の隣を龍時の歩調に合わせて歩いていた。


龍時は隣に夏泉が歩いていることを認識しながら、いつも通りの調子で道を進む。夏泉の手を握ろうかと一瞬考えた龍時だったが、慣れないことをすると大切な何かが壊れてしまいそうで、結局手を繋ぐことはしなかった。


龍時が夏泉を連れて到着したのは、小さなレストランだった。川沿いの道から外れた、長い坂道の真ん中ほどに立地している。店選びに困った龍時だったが、学校の数少ない友人に聞き回ってここを知り得ていた。


龍時は一度来店も済ませてあり、下見も完璧にこなしている。昨年の失敗を踏まえた結果、龍時は万全の準備を整えていた。


店の前は坂道で余計に滑りやすくなっているため、龍時は夏泉に注意するように促す。店から流れ出た掃除の水が凍っていたのだ。


「少しここで待っていてくれ」


「分かったわ」


龍時は夏泉を店前の狭い歩道に待たせて、一人店内に入っていく。時刻が予約時間よりも早かったため、龍時は一度店員に状況を聞きに向かったのだ。


この時、夏泉を歩道に待たせた理由は龍時にとってたったそれだけだった。


龍時は店の扉を開けて店内に入ると、レジに立っていた店員に声をかける。初めての経験であるため、龍時は少しばかり緊張していた。


そんな時だった。


「きゃっ!放して!」


龍時が自分の名前を店員に告げようとしたまさにその時、店の外から叫び声が聞こえてきた。龍時はその声を聞いて、咄嗟に扉のガラス越しに外の様子を確認する。その時にはすでに、叫び声の主が夏泉であることを龍時は把握していた。


龍時が外に目をやった時、夏泉は一人の男と夏泉が持っていた鞄を巡って揉み合っていた。男はひったくりを企んでいたようで、夏泉から肩掛けの小さな鞄を力尽くで奪おうとしている。夏泉はそんな暴漢に必死に抵抗していた。


ただ、力の差で考えれば夏泉は不利である。夏泉に怪我をさせるわけにはいかず、龍時は制止させるために急いで店から飛び出した。


「夏泉、鞄を手放せ!」


龍時はそう叫んで夏泉のもとへ向かう。男は龍時の声を聞いても、なお鞄を引っ張っていた。


龍時はあと一歩で男に掴みかかれる距離まで近づく。穏便に解決することを考えながら、龍時は男の肩に手を伸ばした。


しかしその瞬間、大きな音をたてて夏泉が持っていた鞄の紐が千切れた。それによって、取り合いをしていた二人はそれぞれ後方に飛ばされた。


男は歩道側に派手に転がる。ただ、夏泉の後ろは車道だった。


歩道と車道を隔てる柵は設置されているものの、その高さは夏泉の太ももあたりまでしかない。重心が大きく後方に崩れていた夏泉は、鞄を抱えながら上半身から雪の積もる車道に倒れ落ちた。


倒れた際に変な音はしておらず、頭部は雪で守られたと龍時は推測する。そんな考えを裏付けるように、夏泉も自力で上半身を起き上がらせた。ただそれでも、龍時は夏泉を心配して急いで駆け寄ろうとした。


その時に龍時と夏泉の目が自然と合う。鞄を抱きしめて安堵している夏泉の表情に、龍時は胸をなでおろす。


しかし、これが龍時と夏泉の関係の果てだった。


夏泉が立ち上がろうとしたとき、中型トラックが大きな音を立てて龍時の目の前の坂を下っていく。トラックが通り過ぎた後、龍時の目の前には何もなかった。


龍時は恐る恐るトラックが向かっていった方向に目をやる。トラックは坂を下りきった場所で停車しており、急ブレーキの轍がくっきりと見てとれた。滑る斜面のせいでブレーキは上手く動作していない。


そして同時に、赤色の斑点と不可思議な物体が、車道の反対側にまで散らばっていた。肝心の夏泉の姿はどこにもない。


龍時の視界には、夏泉だったものが乱雑に点在しているだけだった。


「…………」


龍時は一体何が起きたのか理解出来ないまま、その場に立ちすくむ。トラックからは運転手が飛び降りてくるも、目の前の惨状に運転手は膝から崩れた。


龍時の後方では、ひったくりを試みた男が店員に抑え込まれている。ただ、その店員も龍時と同じものに目を奪われていた。


「……夏泉………夏泉!!」


数秒間の硬直から解放された龍時は、ようやく足を動かして車道に飛び出す。そして夏泉のもとへ駆け寄ろうとした。


しかし、龍時は車道に出たところで足を止めざるを得なかった。一体どの夏泉のもとへ行けばいいのか、龍時には分からなかったのだ。


龍時は再び周囲を見渡す。そしてしばらくした後、龍時はある一方向を目指してよろけながら歩いた。龍時が立ち止まった目の前には、側溝の窪みに引っかかって坂から落ちることを免れていた肉塊があった。


龍時はその場に静かに座り込む。龍時の目には、鮮血に染められた夏泉の頭部を担っていたものが映っていた。龍時は両手でそれを持ち上げると、そっと胸に抱きしめる。


「どうして……こんな……」


龍時はそっと呼びかける。しかし、半目の表情のまま動かない夏泉は、龍時に答えることはしない。


龍時は必死に夏泉の名前を叫んだ。何度も何度もその場で叫び、これが嘘であることを願った。ただ非情なことに、龍時が流している涙が、夏泉の死を証明する。


その瞬間、龍時の頭は思考を停止する。そして、無意識に夏泉との記憶が龍時の頭に蘇った。ただ今では、その記憶の方が嘘である気がして、龍時にはそれが信じられなくなる。


夏泉の色々な表情が、次々に龍時の脳裏に浮かび上がる。しかし、その全ての夏泉の表情が目の前の冷たい表情に収束していることを知り、龍時は耐えられなくなった。


龍時の呼吸は次第に激しくなっていく。同時に、龍時の頭は混乱する。


そして最後、龍時は糸が切れたように意識を失い、夏泉の頭部を抱え込んだままその場に倒れこんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。