第五章 恋情(3)
「……酔っ払いね」
「良いじゃないか。平日からだって楽しみたい人はいる。それにああいった人がいないと祭りは寂しい」
龍時と夏泉が歩く道のど真ん中に寝転がっている酔っ払いに対して、二人はそれぞれの意見を出す。寝転がるその酔っ払いに声をかける人はいないため、その男は気持ちよく寝ていた。
「介抱してやるべきだな。こんなところで寝て風邪をひくとマズいだろう」
龍時はそう言って寝転がる男の近くに近寄る。道は川沿いの一本道で多くの人が迷惑していた。
龍時らが訪れている祭りは、川沿いに屋台が並んでいるどこでよく見られるものである。この日は、龍時が夏泉を誘い出してこの祭りに来ていた。
龍時は男に声をかけて道の端まで連れて行く。夏泉はそんな龍時の背中を眺め、小さくため息をついた。ただ、ある程度のイレギュラーは想像していたため、このくらいは問題なかった。
龍時が夏泉に祭りへ行くことを提案した時、夏泉はやっとまともな意見に巡り会えた思い喜んだ。クリーン大作戦の次に誘われたのは、栗拾いやボランティアとして小学生に勉強を教えるといった、夏泉が想像していたデートではなかったのだ。
それゆえに、今回の祭りというものに夏泉は喜びを隠せなかった。普通のことがこれほどまでに嬉しく思えたのは、夏泉にとって初めてだった。
「……すまない、待たせた。すぐにパトロール中の警官が見つかってよかったよ」
龍時は夏泉のもとに帰ってくるなり、男の方を目線で示した。確かにそこには、龍時から仕事を引き受けた警察官が男の介抱をしている。
「……それで?具合は大丈夫だったの?」
「ああ、問題なさそうだった。俺の親父も家ではよくあんな状態だった。心配はいらない」
「……そう」
夏泉は口にしてから、自分の返答が素っ気なかったことに気付く。昔の龍時ならばそれに気付くことはなかっただろうが、今日の龍時は鋭く夏泉の口調を捉えていた。
「ああいうのは見慣れない?」
「えっ、ええまあね。でも悪い人じゃないことは分かるわ」
夏泉は何かを弁明するかのように言葉を並べる。龍時はそんな夏泉の手を取って歩き出した。
「……すまないな。いつもいつも変なことに巻き込んで。掃除の時も栗拾いの時も、終わってから気付いたものがあった」
「別に嫌じゃないけどね。私は龍時が……その、あれだから」
夏泉は威勢よく言ってやろうとするが、語尾は徐々に萎んでいき、最後はうやむやにした。龍時はそんな夏泉に笑う。
「俺はどうも迷惑しかかけられないみたいだ……」
「………」
夏泉は、龍時が何を言いたがっているのかよく分からなかった。龍時か自虐してものを話すなど今までになかったのだ。
「夏泉と会ってからもう一年か。最初はこんな関係を持つとは思ってもいなかった」
「私も会った時はそうだったかも」
龍時は隣にいる面白い存在との一年を振り返る。そんな二人の周りには多くの人間が歩いていた。
「やっぱり偶然なんだな。人との出逢いっていうのは」
「そうかな?私だって一年前はこんなことになるなんて思いもしなかったけど、必然だった気もするわ。予兆のない必然ね」
「……それは必然なのか?」
龍時は不思議に思って夏泉に尋ねる。ただ、言われてみると龍時もそんな気がした。
「だってそうじゃない?私は龍時のことを知らない時から、龍時に会いたいと思ってたんだから。龍時に必然だっていう感覚がなくても、私にとってはそれに近いものがあるの」
「そうか……」
龍時は人混みを避けるようにして歩き、色々な音が混ざる中から夏泉の声を聞き取る。雑音だらけでも自然と夏泉の声は龍時の耳に届いていた。
「まっ、それがいつまで続くのかなんて分からないけどね。別れだって必然なんだから」
夏泉は視線をやや地面に落とす。ただ、龍時としてはそんなことは言われずして分かっていた。
「それはそうだな。……でも、その不安定な必然を当分心配しないで済む良い方法があるんだけど、興味はない?」
「……なにそれ?」
夏泉は不審げな表情をして見せる。龍時も、自分に似合わないことを言っていると分かってはいた。
「ちょっとついて来てほしいところがある。……いいかな?」
龍時の質問に夏泉は頷いて返す。それを見た龍時は夏泉の手を引いて川沿いの道を登り始めた。
二人がしばらく歩くと、道は川沿いから外れて登り坂に繋がる。龍時は別段変わった様子を見せないで、夏泉を連れてその坂を登った。夏泉もそんな龍時の背中を見つめながらついて歩く。
それから少し時間が経ち、龍時が立ち止まったのは高台の一角だった。標高はそこまで高くなかったものの、暗い闇の中に多くの光が灯っている。
「……こんなところがあったのね」
龍時よりも夏泉の方が、この地域の土地勘がある。しかしそんな夏泉でさえ、この場所は知らないようだった。
「探すのに一苦労したんだ。ネットとかには書いてなかったから」
「綺麗ね」
「俺の地元とは比べ物にならない夜景だ。海の向こうの明かりまで見える」
龍時はそう言って遠くを指差す。足元の夜景はある一線で途切れ、真っ暗な場所をしばらく進むと、再び街の明かりと思われる光が見てとれた。湾の反対側の街の明かりである。
「でもどうしたの?龍時ってこういうの好きだっけ?」
夏泉は単純に不思議がる。ただそれも無理はなく、龍時が今までに綺麗な景色を見て感嘆の声を漏らした様子を、少なくとも夏泉は見たことがなかった。
「好きじゃないとは言わない。……いい雰囲気だろう?」
「え、ええ。……そうね」
夏泉は驚きのあまり雑な返答になる。龍時が雰囲気を考えて動いたことが、夏泉には信じられなかったのだ。
夏泉の目から見て、今日の龍時は変だった。
「……雲が少しかかっているのが残念だな。出来れば星空も見たかったけど」
「ねぇ、どうしちゃったの?なんか龍時らしくないよ」
夏泉はついに我慢できなくなって気になっていることを尋ねる。すると、龍時は小さく笑って頭を掻いた。
「やっぱり分かるか。自分でもらしくないことをしている自覚はあるんだ」
「何かあったの?」
龍時に限って、問題があったとしてもそれに混乱するとは思えない。夏泉はそう考えると、嫌な予感が無意識の内に頭をよぎった。
夏泉はあらゆる可能性について、短い時間で考えてみる。しかし、夏泉が自分で答えを得る前に、龍時が遠くを眺めながら口を開いた。
「俺は昔から普通の人とは違っている。自覚したのは中学生の後半からだったが、それよりも前から俺は変だったらしい。知っている通り、感情がないと思われていた。それで困ったことはそんなになかったが、一つ挙げるとするならば、それが原因で俺の人間関係は希薄なままだった。
それのせいで誤解を生み、殴られたことは多々ある。ただ、崩れるほど関係を築いていなかったから問題はなかった。
眞銀に連れられて夏泉に初めて会った時も、俺は昔の感覚が抜けなかった。だから、今だから言えることだけど、俺は夏泉が面倒臭いと思った」
龍時は自分で言って噴き出すように笑う。夏泉はそんな龍時を見て、不思議な感覚に陥った。
「だけどどういうわけか、夏泉とはずっとこんな調子になってる。俺の人間関係で初めてのことだ」
いつもはしないような話を龍時が突然始めた理由を、夏泉は全く理解出来ないわけではなかった。それゆえに、夏泉はどのような心境でその話を聞けばいいのか分からなかった。
龍時が自分の生活に他人を必要としていないことなど、夏泉は重々承知している。今日になって龍時がそのことを夏泉に通達してきても、おかしい話ではなかった。
しかし同時に、夏泉は淡い期待を心の片隅に抱いていた。龍時に好意を抱いてから、夏泉はあらゆる方法を駆使して龍時を振り向かせようとした。その結果が現れたとしても、おかしいことではないのだ。
夏泉は静かに龍時の言葉を聞く他になかった。
「つまりだ。俺が自分でも分かるほど挙動不審になっている理由は、単刀直入に夏泉との関係にある。……ここからは俺のわがままになるから、嫌になれば聞くことをやめてくれていい。やっぱり回りくどいのは嫌いだからな」
景色を眺めていた龍時はそう口にすると、夏泉の方に振り向く。そして、両手で夏泉の両手をしっかりと握った。
夏泉は龍時の大胆な行動に息を詰まらせる。夏泉にとって、それからの出来事は一瞬のことだった。
「俺は夏泉のことが好きだ。無感情な人間のくせに生意気と思うかもしれないが、それでもこれが俺の気持ちだとはっきり言っていい。
いつからなのかと言われてもそれは分からない。始めは夏泉のことを面倒臭いとしか思っていなかったのに、どうしてこのような結果になったのかさえ、俺には分からない。ただ、今の感情がまぎれもない事実だということは間違いないんだ」
龍時は夏泉の目をずっと見つめ、自分の想いを隠すことなく伝える。これは、龍時にとって初めての経験である。そのため、何度も構想を練っていたにもかかわらず、龍時の頭は真っ白になりかけていた。
龍時はそんな今の自分の姿に、夏泉という存在がどれだけ自分に影響を与えているのかを改めて感じることになった。
夏泉はというと、龍時の告白を聞いて硬直する。期待をしていた夏泉ではあったが、実際に龍時の口から告白された夏泉の頭はかなり混乱していた。
「もう一度はっきりと伝えておく。俺は夏泉のことが好きだ。だからどうするべきなのかとか、そういうのは俺には分からない。……ただ言いたかっただけだ」
龍時は最後になって口調を弱めていく。夏泉に好意を伝えてその上で自分が何を求めるのか、龍時には分からなくなってきていたのだ。
すると、一方的に龍時の言葉を聞いていた夏泉が、小さく口を開いた。
「ずるいなぁ、龍時は。私はずっと前から伝えてたのに、その時は何も言ってくれなかったよ?」
「……すまない」
「私だけ龍時の一つ一つの態度にドキドキしてた。馬鹿みたいに……」
「…………」
龍時は思い返してみて、夏泉のこれまでの行動が全てそれに帰結していることに気が付く。しかし、今更それを知ったところで意味はなかった。
「龍時がそう言ってくれることを私はずっと待ってた。だけどなぁ……」
龍時がまるで自分で勇気を出して行動したかのような態度に、夏泉は納得がいかなかった。龍時がこうして想いを伝えることが出来たのは、夏泉が築き上げた地盤があったからである。もし夏泉が何もしていなければ、このような未来が訪れるはずなどなかったのだ。
「……それにやっぱり心配だな。龍時はちょっと前まで、小学生よりも察しが悪かったんだから。これが間違いじゃない証拠くらいないと……」
「感情を証明するにはどうしたらいいんだ?」
「それは自分で考えないと。そうするから信頼できるんでしょ?言葉だけじゃ伝わらないこともあるの」
夏泉はそう言いながら自分の顔を赤く染める。ただ、龍時の目にそれは届いていなかった。
「それなら……」
龍時は夏泉の言葉を聞いて、頭をフル回転させる。そして一つの方法を思いつくと、龍時はその方法が正しいか評価する前に行動に移った。その行動が正しいものか迷うことさえせずに、龍時は動いたのだ。
龍時は握っていた夏泉の手を離すと、その空いた両手で今度は夏泉を抱きしめた。
「えっ……!?」
夏泉が驚いた声を上げる。龍時の行動は今までとは比べ物にならないほど強引で、同時に感情がこもっていた。
「これじゃ……だめか?」
龍時は自分の肩の上に乗る夏泉の耳に呟いてみる。ただ、夏泉は全く動かずに震えていた。
龍時はそんな様子の夏泉に、これが良くない行動であったと悟る。しかし、龍時はこの状況から何故か動けないでいた。
夏泉の匂いは、夏泉が龍時の家に来た時によく撒き散らかしていて、特別珍しいものではない。しかし、花の蜜に引き寄せられる蝶のように、今の龍時は夏泉に惹かれ動けなくなっていた。
すると、そうしている間に夏泉が口を開いた。
「まっ、まあこういうこともいいんだけどね……。でもちょっと……普通だったかな?」
文句をつけられると思った龍時だったが実際はそうではなく、夏泉は声を上擦らせて龍時の行為が間違ったものではないと口にした。しかし、全てを受け入れていたかというと、決してそうではないように龍時には見えた。
「……何が足りない?」
「いやっ、……別に良いんだけどね!龍時にこれ以上期待するのは良くないし」
「期待出来ないっていうことか?」
「そうじゃ……ないけど……」
夏泉に、これ以上のことは龍時には出来ないと言われたようで、龍時は悔しく感じる。ただ、それも仕方のないことではあった。
龍時は今まで、夏泉に対して特別はっきりとした態度をとっていなかった。その事実が夏泉の考えを侵食していたのだ。
龍時には、そんな夏泉の先入観を覆す必要があった。
「……嫌なら殴れ」
龍時は夏泉に断りを入れる。そして次の瞬間に、龍時は夏泉にキスを行った。
夏泉の驚きの表情を見ながら、龍時は永遠とも思える時間を過ごす。ただ、長い時間を感じて離れた龍時だったが、実際は数秒の出来事だった。
「……すまない!!」
龍時が離れた後、夏泉は自然と涙を流し始める。夏泉の涙には苦い過去があるため、龍時は自然と謝罪の言葉を口にした。
ただ、夏泉は龍時の腕を掴んで離さなかった。そのため、暴挙に出てしまったと反省している龍時であったが、夏泉から離れることは出来なかった。
「本当にずるいなぁ!」
夏泉はそう叫ぶと、今度は夏泉の方から龍時の胸に飛び込んできた。あまりに突然のことで、龍時は息を詰まらせる。
「嬉しい。本当に嬉しかったわ。謝らなかったらもっと良かったんだけど、だけど本当に嬉しい」
「……夏泉?」
龍時は困惑気味に夏泉に声をかける。夏泉は龍時に強く抱きついており、そのままの状態で話し始めた。
「私はなかなか龍時のことが分からなかった。龍時をどうして好きになってしまったのかも分からなかったわ。今だってそれは分かってない。
龍時が今日いきなりこんなことをしてくれた理由が私には分からないの。私は龍時への想いが空回りしていると思っていたから、何が起きたのか全く分かっていないの。
本当に分からないことだらけよ。どうしてこうなったんだろう?」
夏泉はそう今までの自分の想いを伝えて、今日唐突に龍時が夏泉に想いを伝えた理由を知りたがった。
「さぁ、どうしてだろう?俺にも分からないな。夏泉からずっとアプローチがあったことを、俺が最近知ったからかもしれない。それとも、ただ今日が節目だったからかもしれない。
とにかく俺にもよく分からないな。夏泉のことが好きな俺が一体どんな考えからこんなことをしたのか、それは皆目見当つかない。……でも良いじゃないか。少なくとも俺はそれで良いと思う」
龍時は自分の想いを伝えるなり、夏泉を静かに抱きしめた。
「……本当にずるいわね」
夏泉はそう言って静かに龍時に身を委ねる。龍時もそれを受け入れて気がすむまでその場に居続けた。二人が帰路についたのは、それなりに時間が経った後だった。




