第五章 恋情(2)
「おはよう。朝早くからわざわざ来てもらってすまない」
「うん、いいんだけど……」
時刻は朝の六時半。龍時と夏泉は龍時の住むアパート近くの一角に集合していた。そこには多くの人々が集まっている。
「これっていわゆるクリーン大作戦ってやつだよね?」
「そうだ。月に一度行われる行事だ」
龍時は夏泉に対していつもよりもテンションを高くして述べる。夏泉はそれに対して苦笑いをするしかなかった。
昨晩、夏泉は龍時から理解し難いメールを受け取っていた。これが龍時がデートに誘うと言っていた分であることはすぐに理解したが、準備物と書かれた項目に夏泉は頭を抱えることになったのだ。
龍時は軍手や厚手のタオル、ポリ袋など、普通のデートでは考えられないようなものを夏泉に準備物として伝えていた。昨日の夏泉に、龍時の考えていることが分かるはずがなかった。
ただ、目の前の状況を見た夏泉は、今になってやっと半分だけ納得する。
「おはようこざいます。朝早くから集まっていただきありがとうございます。今日は八月のクリーン大作戦の日です……」
八十歳手前の自治会長が挨拶を始める。夏真っ只中ではあるが、早朝ということで気温はそこまで高くない。掃除に適した環境だった。
夏泉は自治会長の話を聞き流すだけで、横目で龍時の様子を窺う。
まさかデートと称して掃除に呼ばれるとは思ってもいなかった夏泉は、今も半分混乱状態である。しかし、今回は龍時から初めて誘ってきたこともあり、夏泉に文句をつけるつもりはなかった。
「俺たちは丹波公園の掃除らしい。あの公園は案外大きいからやりがいがあるかもしれない」
龍時は楽しそうに言って、ゴミを拾うためのハサミを鳴らす。自分の部屋の掃除さえしない龍時がこれほどまで掃除を楽しみにする様子に、夏泉は唸って首を傾げた。
参加者が散開して、龍時らも目的の公園に到着すると、二人は数人の老人と一緒にゴミ拾いを始めた。
「若いのに朝から起きて掃除なんて珍しいねぇ」
「ええ、まあ」
龍時はペットボトルを拾いつつ頷く。
「君あそこのアパートに住んでるお兄ちゃんでしょ?隣の部屋の彼女はどうしたの?」
「生野はまだ寝てると思います。俺が言える立場にないですが、生野も朝弱いですから」
眞銀は普段龍時のことを起こす立場にあるが、眞銀自身朝が苦手であることは以前公言していたことであった。
「へぇそうかい。……それで隣の子は新しい彼女かい?」
「えっ!?」
六十代半ばの老年男性の言葉に夏泉が凍りつく。その老年男性は、眞銀を龍時の元彼女だと思っていたようだった。
「いや、生野とはもともとそういう関係じゃないです」
「そうかいそうかい、それは失礼。見かける時はいつも一緒にいるような気がしてねぇ」
「……龍時、そうなの?」
「いや、別にいつもいるわけじゃ……」
龍時は突然の暴露に少しばかり驚く。そして何よりも、龍時は夏泉を恐れた。龍時にとってここで夏泉に誤解を植え付けたままでいることは、非常に良くないことだったのだ。
「……最近はよっぽど夏泉の方がずっと一緒にいるじゃないか。それに、眞銀と一緒にいるといっても、それは学校に向かう時とか、そういう時だけだ」
龍時は夏泉に対して丁寧に説明する。龍時は誠意を最優先したつもりでいた。
龍時としては特に慌てていたわけではない。しかし今の龍時は、夏泉から見ると懸命に弁明しているようにしか見えていなかった。
「別に責めてるわけじゃないけどね。龍時と眞銀がそれなりの関係だったことは知ってるし、そうじゃなかったら私と龍時は出逢ってなかった」
「そ、そうだな」
龍時は軟化姿勢を見せている夏泉に同調する。ここでそんな夏泉の態度を変えさせるような言動は禁物だった。
「えらく仲が良さそうだね。わしらが若い時は好きだったとしても言えないことが多かった」
「そうなんですか」
龍時はその話を聞いて一人頷く。今の龍時は夏泉の気持ちを知っているため、話を聞いて納得することが出来る。龍時でも老年男性が言いたいことを理解していた。
しかし夏泉は、ストレートに自らの想いを話にされて顔を赤らめるだけだった。龍時はそれに気付いたが、今更恥ずかしがることでもないと心の中で思った。
「実は今日、こいつとデートのつもりで参加したんです。いいイベントがなかったのでこれでいいかなと」
龍時は老年男性に対して、今日クリーン大作戦に参加した理由を淡々と述べる。それを聞いた老年男性は驚き、夏泉は唖然とした。
「珍しいねぇ。それに、よく彼女も認めてくれたね。わしの感覚が狂っているだけかもしれないが、普通はこんな所にデートでは来ないと思うけどねぇ」
「やっぱりそうですよね」
龍時は指摘を受けて半笑になって頭を掻く。龍時自身、掃除はデートとして厳しいものがあると内心思っていたのだ。
「でもいいじゃないか。彼女はそれを了承してきてくれたんだ。それだけ好きだってことなんだろう?」
老年男性は夏泉と龍時の関係について、その核心にまで迫ってくる。夏泉は恥ずかしさのあまり、その場にいることすら辛くなってきていた。
龍時が夏泉の気持ちに肯定的であったとしても、口にする一言によっては夏泉をどん底に突き落とす可能性がある。
つまり、龍時が老年男性の質問にどのように答えるかが、夏泉の全てを決めるといっても過言ではなかった。
「……そうですね。こいつは良い奴ですし容姿も良い。俺とはつり合わないはずなんですけど。……相当の物好きなんじゃないでしょうか?」
龍時は思ったことを淡々と口にする。いつもの龍時とは違い、今日の龍時は夏泉からの好意について否定はしなかった。
恥ずかしさで会話に加わることが出来ないでいた夏泉であったが、そんな言葉に自然と顔を龍時に向ける。そして、夏泉は龍時の発言の真意を確かめようとした。龍時の言葉は決して直接的ではない。しかし、これほどまではっきりとした龍時の言葉は初めてのことだったのだ。
龍時は夏泉の想いを受け止めようとしていた。
「そうかい。……お嬢ちゃん、彼が良い人でよかったねぇ」
老年男性は夏泉にそう言って笑いかける。ただ夏泉は、まさかこんな時に知ることができるとは思っていなかったため動揺した。
対する龍時は、何事もなかったかのように掃除を続ける。まるで自分が口にしたことに気付いていないようにである。
ただ、龍時も自分の言葉についてはっきりと認識していた。龍時も徐々に夏泉のことを意識していたのだ。
その日、クリーン大作戦は午前中までに終了し、参加者にお茶が配られて解散することになった。少しは綺麗になった地域に満足しながら、多くの人が自分の家へと帰っていく。龍時と夏泉もその中の二人だった。
龍時が口にした言葉によって夏泉の心境は複雑になり、夏泉は龍時に話しかけにくくなっていた。ただ、龍時にそんな気分はない。二人歩きながら、話を始めたのは龍時の方だった。
「……こういうのに参加してみるのも案外悪くなかっただろう?達成感があって俺は好きなんだ」
「そっ、そうなんだ」
夏泉は龍時のたった一言にも反応して、ぎこちない返答をする。ただ、龍時はそれに反応は示さなかった。
「……実は昨日、いろいろ考えてみたんだがあまり良い案が思い浮かばなくて。俺も少し変だと思ったけど、掃除に誘ったんだ」
「そうなんだ……。龍時、掃除嫌いなのにね」
「嫌いじゃない、面倒臭いだけだ」
「……いつも眞銀にしてもらってるものね」
夏泉は試すように口にする。先程の龍時の言葉が一体どれだけ信頼していいものなのか、夏泉はそれが知りたかったのだ。
「……どうした?いきなり刺々しくなって?」
夏泉は、龍時にとって眞銀がどんな存在で、そして自分がどんな存在なのかが知りたかっただけである。しかし、遠回しにそれを探ろうとした夏泉の言葉は鋭くなっていたようで、龍時はその方に気付いてしまっていた。
「別に刺々しくなんて言ってないけど……」
夏泉は顔を逸らす。太陽はかなり高いところまで昇っており、二人の身体は火照っていく。
龍時も天気の良い空を少し見やってから、額の汗を拭う。そして決心したように口を開いた。
「眞銀のことは何も思っていない。本当だ」
「………」
夏泉は龍時が自分の考え方を話し始めたことに少し驚く。夏泉は注意して龍時の言葉を聞くことにした。
「……夏泉のことは、今はいいか」
「えっ!?」
夏泉は期待していただけについ言葉を漏らす。しかし、龍時に焦った様子はなかった。
「聞いて後悔しないなら言ってやるが?」
「……何?その言い方」
夏泉は表情を曇らせて龍時に指摘する。龍時はそんな夏泉に対して少し笑った後、すぐに真剣な表情に戻って言葉を続けた。
「別に嫌がらせをしているとかそういう意図はない。ただ、世の中知って損することや好奇心が裏目にでることがよくある。夏泉も気をつけた方がいい」
「……それが今の話とどんな関係があるの?」
「つまりだな。……俺にまだ勇気がないということだ」
「意気地なしね」
「否定はしないよ」
夏泉から辛辣な言葉を受けるも、龍時は気にせずそれを認めた。ある意味龍時の強みである。
「まあいいわ。時間はたくさんあることだし」
「口にすれば三十秒とかからないけどな」
「でも準備は大切。今日だって、龍時が掃除に誘ってきたことを知った時、なんだろうって思ったよ。だけどそれも必要なことなんだったら私は嬉しい」
夏泉はそう言って、龍時が誘ってきたデートを評価した。ただ、龍時はそんな夏泉の言葉に申し訳なく感じる。
「……やっぱりこれはちょっと違っていたんだな」
龍時は自分を馬鹿にしながら苦笑う。夏泉もそれにつられて笑った。
「今度は注意するよ。もうちょっとマシなのに誘うから」
「えっ、また誘ってくれるの!?」
「……?そのつもりだがどうした?」
「う、ううん。何でもない」
龍時が夏泉をデートに誘う理由は、夏泉に抱かれている想いを知っているのにもかかわらず、自分がそれを無視してしまうことを躊躇ったからである。そして何よりも、夏泉の気持ちを知ってから、龍時自身が夏泉のことをこれまで以上に気になるようになっていたからだった。
夏泉の想いを知るまで、龍時は夏泉のことを一人の友人という程度にしか感じていなかった。しかし、夏泉の気持ちが露呈してからというもの、何故か龍時自身も夏泉のことを以前から気にしていたような錯覚に陥っていた。
そして今では自分が夏泉をどう思っているのか、それを知るために夏泉と共に行動することを望んでいた。龍時が抱える微妙な感情が一体何に由来するものか、龍時はそれが知りたかったわけである。
「今日予定は?」
「勿論ないけど、どうして?」
「いや、手伝って欲しいことがあるんだ」
二人が龍時の住むアパート前までやってきた時、龍時は不意にそんなことを口にする。夏泉としては龍時の手助けを惜しむなどあり得ないことだったが、普段人を頼りにしない龍時の言葉であっただけに少し疑問に思った。
「実は夏季休業中の課題のことなんだが、一つだけ俺の得意としない分野があるんだ」
「へぇー、それで?どんな課題なのよ?」
夏泉は龍時を苦しめる課題の内容が気になる。運が良ければ、そこから龍時攻略の糸口を見つけようと夏泉は考えていたのだ。
「要約だ。長い文章の要約。ああいう国語的なものは得意じゃない」
「……それって眞銀の専門じゃない?」
龍時と夏泉が理系の人間であるのに対して、眞銀は文系の人間である。どう考えても適任は眞銀だった。
「いや、まあそうなんだが。……実は眞銀にこれ以上借りを作ることはマズいんだ。それに上手すぎる文章だと怪しまれる」
「なるほどね。つまり私の文章だと下手くそで問題ないと?」
夏泉は目をうっすらと細めて龍時を睨む。龍時は慌てて手を横に振ってそれを否定した。
「俺より下手くそな奴に頼むものか。昼飯はしっかりと奢らせてもらうし、デートのおまけということで……」
「………」
夏泉は龍時の言葉に口を閉ざすことになる。夏泉には、龍時がデートという言葉を都合よく使っている気がしたのだ。しかし、夏泉の返答がどうなるのかなど、誰もが理解していることだった。
「わかったわ。冷たいものがいいから今のうちに考えておくことね」
「心得た」
龍時はそう答えて笑う。夏泉は龍時に上手く扱われないように無表情を貫くつもりだったが、龍時の笑顔を見て夏泉も頰を吊り上げた。
それぞれ喜ぶことは一緒だった。




