第五章 恋情(1)
「母さんに言ってもう少しいられるように……」
「ダメに決まってるだろ」
龍時の住むアパートの最寄り駅には、龍時と橋子、夏泉、眞銀が集まっていた。今日は橋子が家に帰る日で、全員はその見送りに来ていたのだ。
「私は心配でなりません。私が大学に通うのは半年以上先のこと。その間に兄さんに何かあったらどうすれば……」
「何言ってんだ?そもそもここの大学に決めているわけじゃだろ?」
龍時は橋子を受け入れるに当たって、母親から橋子の進学についてある程度聞かされている。それによると、候補は複数あるはずだった。
「今回みたいなことを見せられて、ここ以外に行くことなんて出来ません!兄さんは私が行くまでくれぐれも気を抜かないでください。あとそこの二人、兄さんに手を出したら私が許しませんから!」
「あのなぁ……」
龍時は橋子の傲慢な言い草に呆れる。しかし、夏泉と眞銀はまるで親戚の子と接するように優しく対応していた。
「こんな可愛い後輩ができると思うと待ちきれないわ」
夏泉に今までの橋子からの暴言を気にした様子はなく、純粋に橋子のことを楽しみにする。
「私は先輩とは呼びませんから」
橋子は冷たく夏泉に言い放つ。しかし、夏泉は気にした様子を見せなかった。
「半年以上ね……何が起きているのか全く見当つかないなぁ。橋子ちゃんが次に龍時と会った時、龍時はだいぶ変わってるかもしれないね」
「……ど、どういう意味ですか?」
「分かっているでしょ?」
眞銀は橋子にそう言って、横目で龍時と夏泉を見やる。そんな眞銀を見て橋子は地団駄を踏んだ。
「私から兄さんに忠告です!この女!この女が一番危ないです!」
橋子は眞銀を指差してそう叫ぶ。先日とは言っていることが真反対である。龍時はそんな橋子の指を掴むと、強引にその指を折りたたんだ。
「神戸はまだ大丈夫です、単純ですから。でもこの女は腹黒い女です。気をつけないと……」
「さあ、電車が来た。さっさと帰ってくれ」
龍時は線路の遠くに見える電車を見つけて言葉を挟む。その後すぐ、駅の中に音楽が鳴り始めた。
「……夏泉は単純なんだって。自分でどう思う?」
橋子の言葉を聞いて、眞銀が馬鹿にするように夏泉に尋ねる。夏泉はそれに対して少し怒ってみせた。
「私は単純じゃない……とは言えないけど!でもそれは今までの私よ。きっと驚かせてみせるわ」
「だって、橋子ちゃん」
夏泉は眞銀に対して熱弁したつもりだったが、眞銀はそんな夏泉の言葉を橋子に横流しする。それを聞いた橋子は、隠すことなく不快感を露わにした。
「兄さんも帰りましょう!こんな女と一緒じゃ……」
「扉が開いた。じゃ親父と母さんによろしくと言っておいてくれ」
龍時は橋子の言葉を完全に無視して、橋子を電車の中に押し込む。さすがの橋子も、電車に乗らないと言い張るほど聞き分けが悪いわけではなく、渋々電車内のつり革を握った。それでも龍時のことをずっと凝視している。
「私が行くまでどうか……」
橋子は懸命に言葉を並べるが、それは途中電車の扉に遮られて聞こえなくなった。そうして、心配そうな顔をする橋子を乗せた電車は、ゆっくりと動き始める。駅に残る三人は、電車がカーブで見えなくなるまで橋子のことを見送った。
橋子が龍時のところに滞在していたのは、一週間ほどの出来事である。橋子を見送った龍時の身体には、その間のすべての疲れがたまっていた。
「……いいなぁ。あんな可愛い妹、私も欲しかったな」
「橋子を見た後によくそんなことが言えるな」
龍時は大きく息を吐くと、弱々しい足取りでゆっくりと歩き始めた。
「橋子ちゃんによると私は腹黒い女らしい。二人はくれぐれも気をつけてくれ」
「本当に申し訳ない。あいつが言ったことは全部無視してくれ」
龍時は橋子が去った後も、橋子が残していった置き土産の処理を行う。ただ、眞銀は案外そんなレッテルを認めているようだった。
「さて、君たちはこれから何か用事があるのかい?デートするとか言っていたが」
「ああ。そのことなんだが明日でいいか?今日はちょっと用事がある」
「うん勿論。……でも用事って?」
夏泉は龍時が言った用事が気になる。ただ、龍時はそれにただ笑ってごまかすだけだった。
「そういえば、橋子ちゃんがここの大学に通うことになった時のために、住む家を探してあげるって言ってたね。それだろう?」
「……そうだ。親父からそのことで依頼されている。断ることが出来ないからな」
「優しいじゃない!」
龍時が面倒そうに口にするも、夏泉はそんな龍時を褒めた。嫌々な作業であるために、龍時は複雑な心情になる。
「きっと橋子ちゃんは龍時と一緒に住みたがるだろうけど、あのアパートに橋子ちゃんは住ませられないからね」
「え、でもそれじゃ、龍時と橋子ちゃんが一緒に暮らせるような物件を探すってこと?」
夏泉が少し警戒した様子でそう尋ねる。しかし、龍時はそれをはっきりと否定した。
「一人で暮らせるように家を探してやるんだ。俺は少なくとも卒業するまであのアパートで暮らす。住めば都だからな。……まあ、ここの大学に来るのかは知らないが」
龍時はそう言って、何があっても橋子と一緒に生活することはないと公言する。そんな龍時の言葉を聞いた眞銀は面白そうに笑った。
「橋子ちゃんがそれを聞いたら泣いちゃうんじゃないかな?……まあ、仮に二人が別々に住んでも、橋子ちゃんが龍時のところに毎日飽きずに顔を出すことは簡単に想像できるけどね。まるで夏泉みたいに」
眞銀はそう言って夏泉の顔を覗く。夏泉はそれに対して恥ずかしそうに顔を背けた。
「……今日は橋子のためにわざわざ申し訳なかった」
「全然問題ないよ。次に橋子ちゃんと会えるのはいつになるのかなぁ?」
「それは勝利宣言をしているのかい?」
「ち、違うから!」
夏泉は再び顔を背ける。眞銀は完全に夏泉で遊んでいた。
「…….それじゃ俺は用事かあるからこれで」
三人が駅前のロータリーまで歩いてくると、龍時はそう言って解散を告げた。
「せっかくここまで来たんだ。どうせ夏泉は暇なんだろう?二人でどこか行こうか」
「……そうだね」
眞銀が夏泉にこのまま出かけることを提案すると、夏泉は苦笑いしながらそれを承諾した。夏泉はまた眞銀にいじられ続けると思ったのだ。
「じゃ、また明日。今日のうちに連絡入れる」
龍時は夏泉に対してそう言うと、そのまま不動産屋が入る駅前の一つのビルに向かった。夏泉と眞銀は龍時を見届けた後、再び駅の構内に入っていった。




