第3話 副ギルド長の初日
ゼイン視点
ゼイン・ヴァレンティスは王国支部の正面玄関をくぐりながら、周囲を見渡した。
広々とした玄関ホールには、朝から大勢の冒険者が集まっている。依頼掲示板の前では数人が相談し、受付では職員が帰還報告を受け取っていた。受付の奥では、職員が指先に小さな光を灯し、書類の封印を確認していた。
魔法を使った作業は、帝国支部でも見慣れた光景だ。だが、職員と冒険者の距離感は少し違う。顔なじみらしい冒険者が職員と冗談を交わし、その隣では別の職員が相談に乗っている。忙しそうではあるが、どこか親しみやすい空気があった。
国際ギルド連盟は、特定の国家に属さない独立組織だ。各国に支部を置き、依頼の仲介や冒険者の管理、危険情報の収集などを担っている。ただし、独立しているからといって各国の法や政治と無縁ではいられない。中立を掲げるからこそ、距離の取り方には慎重さが求められる。
そして、支部が変われば事情も変わる。まずは現場を見る必要があった。
「おはようございます」
受付に声をかけると、若い職員が顔を上げた。そして、一瞬動きを止めた。
銀髪に紫の瞳。長身で肩幅が広く、仕立てのよい上着を着こなす姿は、冒険者の多いホールでもひときわ目立っていた。整った容姿が人に与える影響は、ゼイン自身もよく理解していた。
「ゼイン・ヴァレンティスです。本日からこちらでお世話になります」
「あっ、はい! お待ちしておりました!」
職員は慌てて立ち上がった。
「ギルド長から、ご到着されたら執務室へご案内するようにと」
「ありがとうございます。お願いします」
やがて案内役の職員が、一つの扉の前で立ち止まった。
「こちらがギルド長の執務室です」
「ありがとうございます」
ゼインは扉を叩いた。
「どうぞー」
返ってきた声は、想像していたよりもずいぶん気楽なものだった。
扉を開けると、広い執務室の奥に一人の男が座っていた。
柔らかな栗色の髪に、琥珀色の瞳。年齢は四十歳を少し越えたくらいだろうか。執務机の上には書類が積まれているが、本人は椅子に深く腰掛け、湯気の立つ茶器を手にしていた。その姿は、支部長というより休日を楽しむ貴族のようだった。
「やあ、よく来てくれたね。待っていたよ」
男は嬉しそうに笑うと、茶器を置いて立ち上がった。
「セオドール・ラングレーだ。ここのギルド長を務めている。よろしく頼むよ」
「ゼイン・ヴァレンティスです。本日より副ギルド長として着任いたしました。よろしくお願いいたします」
ゼインは一礼した。
「こちらこそ。帝国支部での評判は聞いているよ」
セオドールは満足そうに頷いた。
「君が来てくれて、本当に助かった」
「恐縮です」
「これで私も少しは楽ができる」
あまりに率直な言葉に、ゼインは一瞬だけ返答を考えた。赴任初日の挨拶で、ここまで堂々と仕事を減らしたいと言われるとは思わなかった。
「まずは支部の運営状況を把握したいと考えています。各部門長との顔合わせをお願いできますか」
「もちろん。もう手配してあるよ。少ししたら会議室に集まってもらうことになってる」
「ありがとうございます」
「そのあと館内も案内させよう。帝国支部とは勝手が違うだろうからね」
「それから、ひとつだけ」
セオドールは茶器を置き直した。
「君には実務の取りまとめをお願いするけれど、判断に困る案件があれば遠慮なく持ってきてくれ。重要な決裁まで押しつけるつもりはないから」
先ほどまでの気楽な口調とは、少し違っていた。
「副ギルド長に仕事を任せるのと、私が責任を放棄するのは別の話だ。そこは間違えないでほしい」
「承知しました」
「各部門にも専門の責任者がいる。まずは彼らの話を聞いてやってくれ。帝国でうまくいった方法が、ここでもそのまま通用するとは限らないからね」
ゼインは静かに頷いた。少なくとも、何も考えずに椅子へ座っている人物ではないらしい。
「……もっとも」
セオドールが、再び気の抜けた笑みを浮かべた。
「できれば面倒な案件は少ないほうが嬉しいけどね」
ゼインは思わず口元を緩めた。
「善処いたします」
「頼もしいねえ」
仕事嫌いなのは間違いない。ただ、仕事を任せる相手として、そう悪くはなさそうだった。
*
部門長との顔合わせは、予定どおり会議室で行われた。
ゼインは一人ひとりの挨拶を受けながら、担当業務と現在の課題を確認していった。
「受付の応援に、ほかの部門の職員が入ることもあるそうですね」
ゼインが尋ねると、依頼管理を担当する部門長が苦笑した。
「繁忙時や欠員が出たときには、手を借りています。特に依頼の更新日や討伐隊の帰還が重なる日は、どうしても窓口が混み合いますので」
「専門業務については?」
「そこは各部門で対応します。案内や書類の受け渡しは頼めても、契約内容の判断まで任せるわけにはいきませんから」
「なるほど。現場で工夫されているんですね」
ゼインは頷いた。
別の部門長からは、夜間当直について説明があった。通常の依頼受付や事務処理は日中が中心だが、ギルド自体は夜間も稼働している。遭難や魔物の襲撃など、緊急の通報には当直職員が対応し、必要に応じて担当者や責任者へ連絡が入る仕組みだという。
ゼインは説明を聞きながら、いくつか質問を重ねた。規定があることと、実際に機能していることは別だ。
「ありがとうございます。しばらくは皆さんの仕事を見せていただくことになると思いますが、よろしくお願いします」
部門長の一人が、少し笑いながら口を開いた。
「副ギルド長が来てくださって、ギルド長もずいぶんお喜びでしょう」
「ええ。少し楽ができると仰っていました」
会議室に小さな笑いが起きた。
「ああ、やっぱり」
「まったく、あの方は……」
呆れたような声だったが、不思議と悪意は感じられない。セオドールの仕事嫌いは、どうやら支部内で広く知られているらしい。それでも職員たちが笑って済ませているのには、何か理由があるのだろう。
*
顔合わせを終えたゼインが廊下へ出ると、一人の女性職員が待っていた。
「ヴァレンティス副ギルド長、お疲れさまです!」
明るい声とともに、女性は丁寧に頭を下げた。
青みを帯びた艶やかな黒髪に、黄金がかった琥珀色の瞳。華やかな容姿で、何より表情が生き生きとしていた。
「依頼管理官のルヴィエラ・ベルローズです。本日の館内案内を担当いたします。ルルと呼んでいただいても構いません」
「ありがとうございます、ベルローズさん。よろしくお願いします」
「はい!」
ルルは嬉しそうに笑った。
初対面の相手にも物怖じしない、明るい女性だ。ただ、彼女の視線はすぐに手元の案内資料へ戻った。
「まずは依頼受付と契約関係の窓口からご案内します。」
「お願いします」
ルルは歩きながら、各窓口の役割を説明した。依頼人からの相談、冒険者の依頼内容の確認、契約上の問題が起きた際の聞き取り。説明は分かりやすく、必要以上に細かくない。
「なるほど。役割が明確なんですね」
「はい。ただ、現場では相談を受けた職員が最初に話を聞くことも多いです。担当が違うからといって、いきなり追い返すわけにもいきませんから」
「それはそうですね」
ゼインは微笑んだ。ルルは単に人当たりがよいだけの職員ではないらしい。
ちょうどそのとき、受付から職員の声が飛んできた。
「ルル! ちょっとこっち、手伝ってもらえる?」
ルルが振り返る。受付には冒険者の列ができ始めていた。
ルルはすぐにゼインへ向き直った。
「申し訳ありません。少しだけお待ちいただけますか?」
「もちろん。急ぎませんから」
「ありがとうございます!」
ルルは駆け足で受付へ向かった。ゼインはその場で待ち、彼女が手際よく書類を振り分ける様子を眺めた。やがて列が落ち着くと、ルルが戻ってくる。
「お待たせしました!」
「いえ。皆さん、ずいぶん慣れているんですね」
「何にですか?」
「忙しいときに、ほかの仕事を手伝うことに」
「ああ、それはもう。誰かが困っていたら、手の空いている人が助けるのが当たり前になってますから」
ルルは何でもないことのように答えた。
「もっとも、手の空いている人なんて、なかなかいませんけどね」
最後の一言に、ゼインは笑った。
「それは大変ですね」
「そうなんです。ですから、副ギルド長にも頑張っていただかないと!」
言ってから、ルルははっと口を押さえた。
「あっ、すみません! 今のは、その……」
「構いませんよ」
ゼインは楽しそうに笑った。
「私にもできることがあれば、遠慮なく声をかけてください」
「本当ですか?」
「ええ。ただし、私にできる仕事に限りますが」
「もちろんです!」
ルルは満面の笑みを浮かべた。
ゼインはその笑顔を見ながら、少しだけ考えた。今の返事は、案外早まったかもしれない。
*
しばらくして、二人は調査部門の執務室へ向かった。
「こちらが調査部門です。依頼に関する現地調査や事故調査、各種情報の照合などを担当しています」
ルルが扉を叩くと、中から返事があった。
「失礼します。新しい副ギルド長をご案内しています」
執務室には数人の職員がいた。壁際には地図が掲げられ、棚には調査記録が並んでいる。職員たちはルルの声に顔を上げ、次々と立ち上がった。
「お仕事中に失礼します。本日から副ギルド長として着任したゼイン・ヴァレンティスです」
ゼインが挨拶すると、何人かの職員が彼の容姿に驚いたような表情を浮かべた。その反応にも慣れていた。
「しばらくは皆さんの仕事を見せていただくことになると思います。ご迷惑をかけますが、よろしくお願いします」
ルルが職員を一人ずつ紹介していく。彼は一人ごとにきちんと向き直り、名を復唱して会釈した。
「こちらは、調査官のエレノア・アシュベリーです」
ルルに紹介され、窓際の机にいた女性が立ち上がった。
桃色がかったベージュの長い髪は、幾筋にも編み込まれ、後頭部で丁寧にまとめられている。白い肌と端正な顔立ちも相まって、どこか近寄りがたいほど落ち着いた印象を受けた。机には地図と調査記録が広げられ、それ以上に、仕事へ意識を向けている様子が伝わってくる。
「調査官のエレノア・アシュベリーです。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
ゼインは丁寧に会釈した。
机に広げられた地図が目に入ったが、着任早々の訪問で中身を尋ねるのは野暮だと思い、視線を外す。代わりに、机の端に置かれた小さな置物が目に留まった。
丸々とした胴体に、不釣り合いなほど短い四本の脚。背中には申し訳程度の翼がついており、顔にはなぜか三つの目が並んでいる。竜のつもりなのだろうか。それにしては、どこか間の抜けた顔をしていた。
「……アシュベリーさん、ひとつ伺っても?」
「はい、何でしょうか」
「そちらの置物は、何を模したものなんですか?」
聞いてから、少し後悔した。初対面の部下への最初の質問がこれでよかったのか。だが、彼女の表情はぱっと明るくなった。
「よくぞ聞いてくださいました」
隣でルルが、あっ、という顔をした。
「これは三つ目の福竜です。南方の露店で見つけたものなんですが、なかなか珍しい造形でしょう?」
彼女は身を乗り出すように続けた。
「見てください、この脚の短さ。翼も左右で大きさが違うんです。素晴らしいと思いませんか?」
ゼインは改めて置物を見た。確かに、左右の翼は大きさが違う。ただ、それが素晴らしい理由までは分からなかった。
「ずいぶん個性的ですね」
絞り出した言葉に、彼女は満足そうに微笑んだ。どうやら、正解だったらしい。
隣では、ルルが小さく息を吐いていた。案内役の彼女には、この流れが見えていたのだろう。
「お忙しいところ、失礼しました」
一礼して、隣の机へ移る。
「リオネル・クラウゼンです。同じく調査官をしております」
「よろしくお願いします、クラウゼンさん」
「こちらこそ」
整えた金髪と端正な顔立ちに、隙のない態度。短い挨拶にも、仕事への厳しさが滲んでいた。
ゼインは職員たちに礼を述べて廊下へ出た。扉が閉まると、ルルが小さく息を吐いた。
「まさか、あの置物の話になるとは思いませんでした」
「なかなか個性的な趣味をお持ちなんですね」
「そうなんです。エレノアったら、ああいう変な……いえ、珍しい置物が大好きで」
ゼインは思わず笑った。
「少し意外でした。ずいぶん落ち着いた方に見えましたので」
「そうでしょう? あの子、ギルドでは『氷の女神』なんて呼ばれてるんですよ」
「氷の女神?」
「綺麗で、仕事中は滅多に表情を崩さないからって。本人はあまり気にしてないみたいですけど」
ゼインは先ほどの女性を思い返した。ただ、三つ目の福竜を前にして嬉しそうに語っていた姿は、氷の女神の印象とは少々違った。
「なるほど。ですが、氷というには随分と楽しそうな方でしたね」
「それは副ギルド長が、あの置物について聞いちゃったからです」
ルルは苦笑した。
「ベルローズさんは、アシュベリーさんと随分親しいんですね」
「ふふっ。私たち、子どもの頃からの付き合いなんです」
「なるほど。幼なじみでしたか」
「ええ。まあ、あの子の置物の趣味だけは、何年経っても理解できませんけど」
「そうですか? 私はなかなか面白いと思いましたよ」
「副ギルド長までそんなこと言わないでください。エレノアが調子に乗っちゃいます!」
ゼインは思わず笑った。どうやら、この二人とは退屈せずに仕事ができそうだ。
*
館内案内の最後は、冒険者の訓練施設だった。建物の奥に設けられた訓練場からは、木剣の打ち合う乾いた音が響いている。
「こちらでは、登録したばかりの冒険者向けの基礎訓練や、希望者への指導を行っています」
ルルが説明する。
「教官は何名かいますが、今日はカイルがいるはずです」
「カイル?」
ゼインが聞き返すと、ルルは頷いた。
「カイル・ナディールです。剣術の指導を担当していて、冒険者からの評判もいいんですよ」
ゼインの口元が、わずかに上がった。
「そうですか」
訓練場に入ると、ちょうど一組の冒険者が木剣を打ち合わせていた。その横で、黒髪の青年が腕を組んで立っていた。訓練生たちを見つめる深い青色の瞳と、精悍な顔立ち。背はゼインより少し低いが、無駄なく鍛えられた体つきで、ただ立っているだけでも剣士らしい隙のなさが感じられた。
「踏み込みが浅い。腕だけで振るな」
青年の声に、訓練生が慌てて構え直す。
「相手の剣ばかり見るな。足も見ろ。もう一度」
ゼインはしばらく、その様子を眺めていた。懐かしい声だった。
「相変わらず厳しいな、カイル」
青年が振り返った。一瞬、驚いたように目を見開く。
「……ゼイン?」
「久しぶりだな」
「お前、本当に来たのか」
「歓迎してくれないのか?」
「仕事が増えそうだからな」
「ひどいな。旧友との再会だぞ」
「お前の場合、再会と面倒事は大体セットだ」
ゼインは声を立てて笑った。
王立学園で知り合って以来、長い付き合いになる友人だった。魔法を使えないながらも、剣の腕だけで周囲に実力を認めさせてきた男だ。
二人のやり取りを聞いていたルルが、目を丸くしていた。
「お、お知り合いだったんですか?」
「ああ。学園時代からの友人なんです」
ゼインはルルに向き直り、いつもの丁寧な口調で答えた。カイルが横から口を挟む。
「友人というより、腐れ縁だな」
ルルは二人を交互に見つめたあと、楽しそうに笑った。
「なるほど。カイルがそんなふうに話す相手、初めて見ました。普段はもっと無愛想ですから」
「おい、ルル」
カイルは何か言い返そうとして、諦めたように息を吐いた。
帝国支部を離れることに、未練がなかったわけではない。それでも、こうして昔の友人と顔を合わせると、少し肩の力が抜ける。
「まあ、よろしく頼むよ。カイル」
「面倒事を持ち込まないならな」
「それは約束できないな」
「だろうと思った」
カイルは呆れたように笑った。
そのとき、背後から訓練生の声が飛んできた。
「教官! 次、お願いします!」
「ああ、今行く」
カイルは返事をすると、ゼインへ視線を戻した。
「続きはまた今度だ。仕事が終わったら声をかけろ」
「分かった。俺も楽しみにしてる」
「奢れよ、副ギルド長」
「お前、そういうところは昔から変わらないな」
「褒め言葉として受け取っとく」
ゼインは笑って、訓練場をあとにした。
館内案内を終えたゼインは、廊下の窓から玄関ホールを見下ろした。朝から続いていた賑わいは、昼が近づいても衰えていない。冒険者たちは次々と依頼を選び、職員たちは慣れた様子で対応している。
帝国支部とは違う、王国支部の空気。まだ分からないことは多い。だが、少なくとも退屈することはなさそうだった。
そして、セオドールのあの嬉しそうな顔を思い出す。
――これで私も少しは楽ができる。
ゼインは小さく笑った。どうやら、思っていた以上に忙しい日々が待っているらしい。
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次話「籠が埋まらない理由」――負傷した青年への聞き取りと、青葉草の記録の照合。数字の合わなさが、少しずつ姿を見せます。
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